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彼の真実6

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「この愚か者がッ!」

 壁に打ち付けられた衝撃と痛みにかを歪ませるジュベールに飛んできたのは怒声。
 今までバカをやって叱られた事はあった。罰を受けた事もあった。しかしそれはあくまでも正当性のあるものであって自分でも納得できる結果であったため文句はなかった。でも今日は違う。自分は何も間違った事はしていない。こんな風に殴られるような事はしていないのにと、湧き上がる怒りから怒声を上げる。

「俺を殴る理由がどこにあるんだよ! 俺はコイツを教育してるだけだ! 俺は長男だ! 次期国王なんだよ! だから俺が教えてやったんだよ! 俺に逆らうとこうなるってな!」

 国民の前で恥をかかされたことが許せなかった。くだらないプライド。吠えることしか知らない哀れな人間。勝てなかったのは負けてもらえなかったからだと言っているようなものだ。
 一瞬で決まった勝敗。剣を知る者が見れば一目で分かった実力の差。八百長試合への嘲笑。それら全てはジュベール・ワーナーの哀れさを表している。
 今頃ヒュドールの酒場では大会に出場した剣士達がこぞってそんな話をしているはず。それを想像するだけで更に怒りが湧いてくる。

「お前が抱えるその感情は全てお前の責任だ。お前が長男という立場にしか縋れん弱者だから笑い者になっただけの事だろう」
「俺が弱者だと!?」
「そうではないと?」
「俺は弱者じゃない! 俺は勝者だ! ワーナー家の長男に生まれた瞬間からそう決まってんだよ!」
「ならば、それを証明してみせろ」

 流れていた鼻血と唇が切れて流れた血を袖で拭って立ち上がる。
 医師達によって処置が行われているラビに近付くと医師達が警戒する。何も言えはしないが、極力、ラビを見せないようにしていた。

「ここでコイツを殺せば認めてくれるか?」
「お前が根っからの弱者であるという事をな」

 それはさすがに冗談だろうとジュベールの発言にイルヴェ達が苦笑する。
 
「ラビッシュ、お前が回復したら二度と俺に逆らえねぇようにボコボコにしてやるからな」
「そういう発言が弱者だと言ってるんだ。お前が鍛えるのは負け犬のように吠え続ける口ではなく剣の腕だ。ラビには才がある。それを努力だけで追い越せるほどの努力がお前にできるかどうか」
「俺は長男だぞ」
「口ではなく結果で証明しろ」

 ルーカスが部屋を出るとジュベールもそれについていく。その光景を見ながらイルヴェ達は思った。ジュベールはきっと話し合いをすると思い、何も警戒せずに後をついて行ったのだろうと。ここで処置が行われているため使えないから別室に移動するだけ。ジュベールはそれをわかっていない。
 今日はきっと誰も眠れない。ラビの悲鳴は一晩中続くだろう。それに加えてジュベールの悲鳴。そして次の日は自分達の悲鳴が加わる。
 ゾッとするなんてものではない。小刻みに震える身体が止まらない。
 ジュベールはあまり賢いほうではない。自分は長男だと威張る事しかできない無能だと弟達は思っている。だから後ろをついて回って持ち上げていれば被害は被らないと利益を考えてしていた行動が裏目に出た。何をするにしても自分一人での行動ではないと残虐行為にすらそう思えず麻痺していた感覚。それでも二人は罰は自分だけが受けるんじゃないと隣に立つ片割れがいる事にまだ安堵していた。
 
「なあ、ラビッシュは死なないよな?」

 イルヴェの問いかけに医師は振り向かないまま「わかりません」と答えた。ジュベールの拷問によって既に虫の息にも近い状態だったところに劇薬をかけられたラビは意識を失う事も許されず苦しんでいる。見ているだけで痛みが移ってくるようで二人は無意識に拳を握った。
 死んでしまったほうが楽だろう状態だが、死ぬ事も許されない。ルーカスが呼んだからにはそれは生かせということ。彼らにとっても重圧だ。

「イルヴェ様、エヴェル様、陛下が部屋で待機するようご指示を出されました」

 伝言を受けた使用人が向かいに立って頭を下げる。父親は二人に罰を与える事も忘れていなかった。これは自分が呼ぶまで部屋から一歩も出るなということ。

「やめてくれッ! 親父頼む!! それは嫌だ!! それだけは!!」

 移動しようと一歩踏み出した瞬間、上から聞こえてきた懇願の悲鳴。ガチャガチャと金属が鳴る音から察するにジュベールは拘束されているのだろう。窓を開け放ったのか、よく聞こえてくる。
 ここでは、わざわざ専用の部屋を作らずともルーカスが使用人に言えば拘束道具ぐらい当たり前に出てくるのだ。それは疑問にすらならない。
 言い聞かせる行為よりも恐怖で教えたほうが早いと考えるルーカスは平気で拳を握る。これに年齢は関係なく、五歳になれば全員が平等に手を上げられる。ルールを破れば平手打ち。父親の言いつけを守らなければ拳。性別も関係ない。だから全員が怯える。

「一滴だ。長男なら堪えられるだろう」
「無理に決まってる! それは劇薬だぞ!」
「だから一滴で済ませてやると言ってるんだ」
「一滴かければどうなるかわか──」
「顔にかけられたいのか?」

 言葉を遮っての父親の言葉は最初で最後の警告。これに逆らえばそちらを問答無用で実行される。反論の声が聞こえなくなった事で二人は目を閉じた。もうすぐ聞こえてくるだろうジュベールの悲鳴に備えて。

「親父ッ親父ッ親父ッ……や、やめ……やめてくれ……それだけはやめ──!」

 街まで聞こえているのではないかと思うほどの悲鳴が上がる。本当に一滴だけなのかと疑ってしまうほどの悲鳴は劇薬がどれほど危険な物かを知らしめ、そして、感情任せに動いている長男を味方した自分達の浅はかな行動への後悔よりも父親を怒らせる事への恐怖が強まった。
 まるで殺人鬼に誘拐されて必死に脱出しようとしている映画の中の人間のように拘束具がぶつかる音を掻き消すように響く叫び声を聞きながら明日は我が身だと二人の身体は大きく震え始める。

「イルヴェ様、エヴェル様、ご移動をお願いします」

 長く仕える使用人はこれらの事に慣れきってしまっているのだろう。顔色一つ変える事なく二人に部屋へ戻るよう告げて移動を促す。
 踏み出す一歩が重い。皇子の称号など捨ててもいい。逃げ出してしまいたい衝動に駆られていた。
 それは二人とも同じなのか、同時に顔を見合わせるも実行はしない。苦笑するだけ。言葉がなくとも伝えることができる。(それは死を意味する愚行だ)と。
 生まれる家は選べない。ここで生き残るためには愚者の選択はしない事。父親の機嫌さえ損ねなければ自由に生きられるのだから。

「ラビに謝っとくか……?」
「んなことしたらチクられた時どうすんなよ」
「だよな……」

 二人は謝ってくれたとラビがジュベールに言おうものなら何をされるかわからない。やりすぎだという罪悪感はあれど恐怖心が勝る二人は重すぎる足を動かして部屋へと戻っていった。
 自分達は手を取り合って生きる家族ではなく主従関係にあると思い知らされる。
 こんな感情を持つのは何度目か。二人は数えきれないほど抱えてきた。それでも抗いはしない。大切なのは血の繋がった家族ではなく自分自身だから。

「笑ってる……?」

 顔だけに受けた痛みは全身を侵略し、喉が裂けて血を吐くほどの叫びを上げていたラビだが、二人が出ていく際、医師にはラビが笑っているように見えた。笑えるはずがない。この壮絶な痛みの中で笑える精神にはないはずなのに、ラビの唇は間違いなく弧を描いていた。
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