静かで穏やかな生活を望む死神と呼ばれた皇子と結婚した王女の人生

永江寧々

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召集5

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 聞こえたのはテーブルを叩く音。
 これがワーナー家で聞こえた時はどんなに盛り上がっていても黙らなければならない暗黙のルールがある。なぜなら、その音は父親が出す合図だから。
 遊びの時間は終わりだという静かな合図。
 反射的に身体も口も動きを止めた事で場が静まり返る。

 「ジュベール、やめろ。お前がラビに勝てるはずがないだろう」

 父親の言葉にまたカッとなる。

「ワカらねぇだろ!?」
「本当にわからねぇと?」
   
 嫌な記憶はどこまでも残る。きっと死を迎えるその瞬間まで残り、思い出すのだろう。心残りとして。
 腹が立つ。だが、父親の言葉にこれ以上反論できないジュベールが剣を収めてドカッと乱暴に椅子に腰掛けた。

「ようやく話ができる。長かったな」

 やれやれと言わんばかりに首を振って肩を竦めたルーカスがラビを見た。

「ラビ、アーデルを離してやれ。窒息してしまうぞ」
「は、はい」

 そっと腕から離すとアーデルはルーカスへと身体を向ける。なぜもっと早く止めなかった。そう目で訴えるアーデルにルーカスが笑いかける。嫌な笑みだ。爽やかさなど感じもしない。にっこり笑っているはずの笑顔は嫌味にすら見える。
 テーブルの上に両肘をついて、組んだ手の上に顎を乗せたルーカスが言った。

「引っ越しを考えているらしいな」

 同時に目を見開く二人にルーカスが声を漏らさず肩を揺らす。反応しないよう心がけていたアーデルでさえ不可能だった。
 なぜ知っている。ココ以外には言ってなかったはず。市場の人間にもまだ言ってはいなかった。探りを入れられて漏れては困るからと。
 二人の心臓は合わせたように同じ速さで動いている。
 
「なぜ知っている、と言いたげだな」

 二人は頷きはしなかった。予定がないとも言わない。ただ、驚きで言葉が出てこないでいる。

「誰か特定の人間に話さずとも情報は漏れるものだ。自らの口で語る未来の平穏。手に入れたいと望む安寧。夢を語りながら歩くのは楽しいだろう」
「まさか……」

 市場の買い物客の中にルーカスの部下がいたということ。滅多に城に入らないラビは父親の部下の顔を知らない。だから部下が隣に立っていても気付かない。馴染みの店主に話さずとも歩きながら引っ越しの話をしているだけで部下はそれを耳にする。ましてやラビ達を監視するように動いていたのだとしたら会話は全て拾っていたと考えて間違いない。

「ぐ、偶然、ではないですよね……」
「当然だ」
「な、なぜ、僕なんかを……監視、する……の、ですか……」
「お前が逃げ出さないようにするためだ」
「逃げ出す……?」

 怪訝な表情に変わったラビは耳を疑った。
 公務の代わりに戦争にと言ったのは自分。それを投げ出すつもりはなく、これからも命令されれば行くつもりだった。それしか自分にできることはないからと腹も括っていた。だから“もしも”の話をココにしたのだ。
 それなのに父親は自分の忠義を疑っていた。それが特段ショックというわけではない。昔から誰にも信用などされなかった。信頼、信用なんて言葉はラビの人生には無縁のものだったから、彼が信用していなくても当然だと思える。アーデルからの信用があればそれでいいとさえ思える人生を歩んでいるラビにとってルーカスの言葉はその程度だが、心外ではあった。

「お前が俺を裏切らないとは限らんだろう」
「ぼ、僕は皇帝陛下を裏切ったりしません!」
「今は、な」
「ぼ、僕はこれからも皇帝陛下の命に従うつもりです」
「だが、お前が戦場に赴き、もし破れ散る事があればアーデルは一人になる。お前にその覚悟はあるのか? 長男に楯突いてまで守るべき存在となったのだろう? お前の人生にはなかったものだ。それを手に入れたお前が臆病風に吹かれず従い続ける覚悟があると?」

 ラビに迷いはなかった。

「あります」

 驚いたのはアーデルではなくルーカスだった。
 ラビは何か簡単な質問でもいつも回答に時間がかかる。正しいか、怒られないか、間違えていないかと考えすぎてしまうから。今回の質問はルーカスなりの意地悪だった。父親への、皇帝陛下への忠義と妻への愛、どちらを取るかという。
 だが、それにラビは迷いなく答えた。
 予想外すぎた回答にルーカスが廊下まで聞こえるほどの声を上げて笑い始めた。

「俺はこの展開を予想できてなかった。お前達が夫婦として生活していく事も、お前が迷わぬ事も、忠義を選んだ夫の回答に妻が驚かない事も全て予想外だった」
「お、親父……?」

 こんなにも大笑いする父親を見るのは久しぶりか、それとも初めてか。それぐらい記憶にない彼の笑いに戸惑いを隠せないきょうだいが驚いた顔で父親を見るもルーカスは彼らに視線を向けない。

「ラビ、お前はいつもそうだ。俺の期待を良い意味で裏切り、驚かせ、そして笑わせてくれる」
「は……は、い……」

 どう受け取っていいのかわからず、とりあえずの返事だけしたラビは顔を見てはテーブルへと視線を下げる。

「ジュベールからアーデルを守ったお前が男になったのを俺は見た」

 ジュベールの睨みが再びラビへと向けられる。

「それでもお前は妻を一人残す事よりも俺の命を取ると言った」
「はい」
「嘘偽りはないか?」
「ありません」

 答える時だけ目を見てすぐに逸らすのはラビなりの忠義。そう受け取っているルーカスは目を見ろとは言わない。

「誓え」

 静かな声にこの場にいる全員に緊張が走る。
 吐き出すラビの息が震えている。だが、ラビに迷いはなかった。

「ヒュドール第七皇子ラビ・ワーナーが皇帝陛下の御前にて宣言します。いかなる事情があろうとも皇帝陛下の命に背いた時、ラビ及びアーデルの首を差し出す事を誓います」

 ラビの宣言中、ルーカスはアーデルを見ていたが、アーデルは何も反応しなかった。驚きもしなければ表情が引き攣る事もない。その宣言がまるで二人で話し合って決めた事であるかのように動じず、ルーカスの目を見ている。

「アーデル、異論はないか?」
「ありません」
「お前の出産日に戦場に向かう事になってもか?」
「はい」
「俺があえてそう仕向けるかもしれんぞ」
「構いません。命をかけて戦う彼を私は待つだけですから」

 死ぬかもしれない。帰ってこないかもしれない。これから何度だって味わうだろうあの孤独と寂しさ。それが絶望と悲しみに染まる日が来るかもしれない。何十回と想像した事だ。言葉で言うのは簡単でも、現実になれば泣き崩れるだろう。それでも信じ続けると決めた。
 彼が命をかけるなら自分もかける。それだけだと迷いはなかった。

「この結婚は成功だったというわけだな」

 二人は頷かなかった。彼にこの結婚を自分の手柄だと思ってほしくはなかったから。二人で寄り添いあって紡いできた絆だ。汚されたくない。
 絶対服従の存在を相手に二人は同じ反応を見せる。それは一種の反抗とも捉えられるが、ルーカスは何も言わなかった。

「だが、引っ越しについては反対だ」
「な、何故ですか! 居場所は知らせるつもりでしたし、どこだろうと必ず馳せ参じます!」
「そういう問題ではない」
「じゃあ──」
「シャンディ・ウェルザーと距離を取るな」

 突然の言葉に二人はこの日初めて鈍器で頭を殴られたような感覚に陥った。
 予定している引っ越しはシャンディから距離を取るためのもの。シャンディと距離を取ると話したのは家の中。近所に人の気配がすればラビがすぐに気付くし、馬も反応する。人はどこにもいなかったはず。それなのに何故的確にそこの話になるのか、二人はまた驚きを見せた。
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