静かで穏やかな生活を望む死神と呼ばれた皇子と結婚した王女の人生

永江寧々

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フォスの結婚式

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「大丈夫ですか?」

 隣に立つアーデルの表情があまり浮かばない様子にラビが声をかけた。今日はフォスの結婚式だというのにアステル大国に到着した三日前からあまり明るい表情は見ていない。
 二人はアーデルの部屋で泊まる事になったのだが、緊張していたのはラビだけでアーデルは実家というのもあってあっちこっち歩き回っていた。せっかくだから観光でもと思っていたラビにとって、ここ数日のアーデルの忙しさには少し寂しさを感じている。
 せっかくなら楽しい観光にしたいからと浮かないアーデルを散歩に誘う事もできず、結婚式当日を迎えた。
 ラビもずっと暇をしていたわけじゃない。ヒュドールの皇子としての正装を身につけるのは久しぶりでサイズが合うか、これでいいかの確認もあった。教会での席順、披露宴での席順、参加者の把握、ヒュドールとは作法やルールが違う事など頭に入れておかなければならない事項は多かったためそれに費やしていた。
 しかし、アーデルはそれ以上。女性は男性よりも準備に時間がかかる。ドレスの模様や裾の広がり方、生地の材質、色とこだわりが多い。デザインでは見た時は良かったが、実際に出来上がったらデザインと生地が合わないと言い出す事も多かった。アーデルは自分が持っていたドレスを着ると言ったが、一生に一度の妹の結婚式で一度着たドレスに袖を通すのはやめてくれと父親からストップがかかったため新しい物を着る事になった。
 到着したのは三日前だが、今日までアーデルはフォスに会えていない。フォスは既に一ヶ月前からアステルに移っているらしく、結婚式当日までは家族であろうと会う事は許されないと言われた。それがアーデルの気を沈ませる理由の一つなのだろうとラビは理解している。

「大丈夫です。ただ……」

 心配だった。結婚したら意識を変えなければならない。ルスでの常識は通用しない。好きという気持ちだけで動いてはならない。敬うのは夫だけではないと妹に伝える言葉はたくさんあったが、会ったとしてもそれらを口にするつもりはなかった。妹がどれだけ世渡りが上手でも能天気なわけじゃない。愛する人との結婚だ。緊張しているだろう。
 何より、一ヶ月も前に入城していればアステルの規律の把握も大体は出来ているはず。ルスにいた頃でさえあれもこれも面倒だと言っていたのだから規律を重んじるアステル大国では尚更だろう。それを愛する人の国だからと妹がどれだけ受け入れ順応できるのかが心配だった。
 自分が心配したところで何も変わらないのだが、心配せずにはいられない。上手くやっていけるのか。
 以前、ルスで話し合いをした際も『口うるさいってわかってる? お父様でさえそんなに言わないのにどうしてお姉様がそんなにあれこれ言うの? 鬱陶しいんだけど』と言われた。心配しているからだと言ったが、本人にとっては余計なお世話だったらしく言い合いになった。
 結婚式当日にそれだけは避けなければならない。自分が姉として言っていいのは祝福の言葉だけ。でも頭はそれ以外の言葉を考えようとしている。勝手に考えて勝手に自己嫌悪に陥る自分をやめたいのに止まらない。

「まだ時間はありますし、気分がすぐれないのであれば──」
「大丈夫です。少し、緊張しているようです。心配かけてごめんなさい」
「無理しないでくださいね」
「心配かけてすみません」

 ラビも緊張していないわけではない。だが、アーデルを見ていると緊張よりも心配が勝って緊張はそれほど感じてはいなかった。
 さすがは大国の第一王子の結婚式。招待客はかなりの数。自分達はそのうちの一人で大勢の中の、であればいいのだが、やはり家族である以上は教会での席も一番前。ヒュドールの正装に身を包んで歩くだけで嫌というほど視線を浴びる。これが苦手でずっと避けてきたのだと十年も前に味わった苦痛を今更になって再度味わう事になるとは思ってもいなかった。

「あれってヒュドールの第七皇子じゃない?」
「死神って噂の?」
「なんか陰鬱とした雰囲気だものね」
「公務もしないで戦争にばかり行っているってのは有名な話だ」
「人殺しを楽しんでるって事?」
「結婚式にまであんな仮面つけてきてどういうつもりかしら」
「マナーがなってないのよ」
「皇子だから許されてるんでしょ。相手はヒュドール帝国だもの」

 聞こえてくるのは勝手な話ばかり。アーデルは膝の上で拳を握りながらこの静かな教会の中で舌打ちを響かせてやりたい気分だった。振り返って「陰湿そうな雰囲気をお持ちですね」とでも言ってやりたかった。でもそれはラビが望まないから拳を握るだけで我慢する。

「アーデル、笑顔でいてください」
「わかっていますが……」
「あなたが笑顔でいてくれると僕も笑顔になれますから」

 握った拳を優しく包み込んでくれるラビを見てアーデルは滲みそうになる苦笑を笑顔に変えた。するとラビも笑顔を返してくれる。自然な笑顔ではないが、これは彼の努力だとわかる。彼の自然な笑顔はもっと素敵なものだと知っているから。でもこれでいい。勝手な事を言う人間に彼の自然な笑顔を見る資格などないとアーデルは思った。

「これぐらい華やかなほうがよかったですか?」
「え?」
「結婚式」

 自分達の結婚式はとても静かなものだった。招待客はおらず、互いの親さえも追い出した二人だけの結婚式。一週間後に結婚一周年を迎える二人の共通の思い出だが、ラビにとっては苦いものでもあった。
 アーデルはあの日の事をどう思っているのだろうと今だから聞ける。

「私は注目されるのが苦手なのであれでよかったと思っていますよ。こんなに大勢の人に見守られての誓約は絶対緊張していたでしょうし」

 自分もそうだと思っていたから遠慮せずに言い合える関係になってからの意見はラビを安心させる。

「披露宴は少し残念でしたけど」
「姉が失礼を──」
「結婚初日に夫の幼馴染が常識もなく抱きついた事を言ってるんです」
「あ……」

 確かにそんな事もあったと互いに幼馴染のほうが大事だったから何も気にしていなかった時期。今すぐにでも土下座したい気持ちになったラビだが、それは後で部屋に帰ってからしようと堪えて小さな声で「ごめんなさい」と謝罪した。
 クスッと笑うアーデルに眉を下げて笑うと新郎が現れた事で前を向く。さっきまで二人の様子を見て陰口を叩いていた貴族達も同じ。
 教会のドアが開き、父親とフォスが入ってくる。

「キレイ……」

 アーデルの口から溢れた言葉。
 妹はこんなに美人だっただろうか。まだ十四歳とは思えないほど美人に見えるドレスアップに「新婦はその日、世界で一番神聖で一番美しい存在」という言葉を思い出した。真実だと実感する。
 純白のドレスに身を包み、引きずるほど長いベールを赤い絨毯の上に乗せてゆっくりと歩いていく。こちらに視線を向ける事なく新郎の隣に立った妹の後ろ姿を見ながらアーデルは少し感極まっていた。
 堅物で有名なジョシュア王子も今日ばかりはフォスと見つめ合って微笑みを浮かべている。愛する夫を見つめるフォスの表情も見たことがないほど輝いていた。それだけでアーデルはこの三日間ずっと憂いていた自分を恥じた。
 指輪の交換。そして誓いのキスを交わす。身長差が結構なものである二人のキスはジョシュア王子が背中を大きく曲げる事となり、見ているほうはとても微笑ましかった。
 二人で招待客へと振り向き、揃って会釈する。腕を組み、ドアへと向かう二人を静かに見送る。拍手もおめでとうと声かけもしてはいけない決まりだった。
 優雅に奏でられる音楽の中、二人は時々、顔を見合わせて笑顔になる。教会を出ていく二人。それを見送って五分ほどしてから披露宴の会場である庭へと向かう。アーデルはできれば一番最後に席を立ちたかったが、姉である以上は父親とラビと共に一番に立ち上がらなければならない。ドアへと向かう途中、陰口を叩いていた貴族を見ると見下しているのだろう軽薄な笑みが向けられた。ここに枕があれば間違いなく彼らの顔に弩級の叩きつけをお見舞いしているのにと脳内で実行するだけに留めておいた。

「すごいですね。会場まで馬車で向かうんですよ」

 ヒュドールの城も広大だったし、馬車での移動だったのをラビは忘れているのだろうかとアーデルが笑う。

「ようやくフォス王女と話せますね。楽しみですか?」
「ええ。余計な事は言わないようにして、おめでとうだけ伝えようと思います」
「誇らしげですね」
「とてもわがままですけど、手がかかる妹は存外可愛いものですから」
「アーデルが笑顔で安心しました」

 七男三女のワーナー家。末っ子の妹はまだ幼く、フォスよりも下だったはずと情報を思い出すもラビの口から同意は得られなかった事で妹さえも姉のアイリス・ワーナーと同じような性格なのかもしれないと会った事もない相手の性格を想像する。
 ワーナー家全員との顔合わせはまだ一度もない。だから彼らの人間性の詳細はわからないが、彼に家族の良い思い出がないなら生涯かけて良い思い出を作りたいと思った。

「アーデル? どうしました?」
「え? 何がでしょう?」
「慈しむような瞳を向けてくるので……」
「あなたと家族になれた事が嬉しいと思っていただけです」

 まだ完全に目を逸らす癖が直ったわけではない。目を合わせる事が難しかったラビも今は目を見ては逸らすの繰り返しで話をするようになった。目を合わせようとしてくれる事が嬉しいし、目を見たまま話をしてくれる日がある事も嬉しい。
 顔を見合わせて笑っていたフォスとジョシュア王子を思い出し、きっと自分と同じ感情を妹も抱いたのだと思うとまたそれもアーデルは嬉しかった。
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