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ビバリーの思い出2

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「忘れ物はありませんか?」
「大丈夫です。ラビ皇子が何十回も確認してくれましたから」

 ビバリーに滞在して一週間。今日は帰国の日。昨夜、明日の出発のためにビバリーで買い込んだ物をひと足先に馬車に乗せたのだが、今朝になって忘れ物がないかを引き出しを開けたりベッドの下を覗き込んだりして何度もラビが確認していた。
 何度も確認しないと不安になる性分らしく、忘れ物がないかの確認がしっかり出来ていいと止めることはしなかった。おかげで忘れ物したのではないかと不安に駆られてはいない。
 手を借りて馬車に乗り込み、シートに腰掛ける。一週間ぶりの馬車のシート。

「素敵な旅行でしたね」
「そうですね。楽しかったです」
「私もです。時計塔に行って、散歩して、風車と水車の見学をして、ビバリーの歴史が刻まれた画集を買って、似顔絵を描いてもらって、たくさんご飯を食べました。自分の足であんなにも歩き回って観光したのは初めてです」
「また行きましょう」
「是非!」

 馬車の中でアーデルは何度も似顔絵を見返していた。折りたくないからとあの後すぐに額縁を買って絵をしまった。スケッチブック程度の大きさであるため膝の上に置いていても邪魔にはならないらしく、荷台ではなく自ら席に持ち込んだ。
 絵の中の自分がまるで自分ではないように見えて仕方ないラビは絵を見てはすぐに逸らすの繰り返し。
 あの日、描き上がった絵を見て驚いた。描いてもらっている間、そこまで笑顔だった自覚はないのに、絵の中の自分は優しく微笑んでいる。これは自分ではないと思ってしまうほどに。

『僕、ですか?』
『はい』
『そっくりですね!』
『アーデルはそうでしょうけど、僕は……』
『私は絵描きです。嘘は描きません』

 そう言われると否定できなくなってしまい、お礼を言ってその場を立ち去ったのだが、あれが自分だなどと今も信じられない。顔の片側にだけ金の仮面をつけている人間など世界中探してもそうはいないだろう。隣にいる女性は他でもないアーデル王女。その女性と結婚したのだから隣にいるのは自分で間違いないが、違和感が拭えない。でもラビはこの絵を見てから今この瞬間まで絵の中の自分を一度だって否定はしなかった。

「見飽きませんか?」
「全然。だってこんなに素敵に描いてもらえたんですよ」
「それはそうですけど、もう何十回も見ていますよ」

 額縁を隣のシートに置いて寝かせたアーデルがラビを見る。

「私達、顔合わせしてから結婚まですぐでしたし、結婚してからも思い出らしい思い出はありませんでしたから」
「そうですね……」

 政略結婚で夫婦になったため、どういう態度でいればいいのかラビはわからなかった。アーデルも同じだ。相手のことを何も知らない。自分と似た感覚を持った随分とネガティブな人という印象を持っていただけ。

「勝手にですが、ビバリーに行って、少し、ラビ皇子との距離が近くなれたように感じています」
「ぼ、僕もです!」

 嬉しそうに笑うアーデルとラビだが、二人はこの時、同じ不安を抱いていた。
 手を繋いで散歩したのも歩く場所があったから。あれこれ半分こと言って食べていたのは外食だったから。寝る直前まで話をしていたのは観光地で気分が上がっていたから。
 帰っても同じようにできるのだろうかという不安がよぎる。毎日同じ場所を散歩はしない。同じ家で同時刻に食べる物をわざわざ別に作ったりはしない。なんの変哲もない日常に戻るのに寝る直前まで話すことなどあるはずがない。
 これが料理上手、お喋り好きであれば話は変わってくるが、アーデルは料理に慣れてきただけで料理上手なわけではない。話すより聞くほうが好き。ラビも同じだ。料理に慣れているだけで上手いわけではない。話すより聞くほうが得意。二人は互いにお喋りな幼馴染を持っていたおかげで口下手が気にならなかった。
 家では大して盛り上がることなく静かに本を読んで過ごす時間が多い二人にとってビバリーでの変化は眩いものだった。慣れた人とは話せるが、知らない相手だと上手く話せない二人は政略結婚でありながら互いが相手ならちゃんと話せる。ビバリーでは特にそう感じた。だからこそ帰宅後がとても不安だった。

「か、帰ったら何をしましょうか?」

 帰ってから考えるのではなく、事前に予定として組み込んでおきたいラビの問いにアーデルは迷うことなく額縁を手に取って笑顔を見せる。

「これを壁に飾ります。暖炉の上なんてどうでしょう?」
「いいですね。そうしましょう。飾ったら何をしますか?」
「ラビ皇子の珈琲が飲みたいです。一週間も飲んでいないので禁断症状が出そうです」
「ま、任せてください!」

 肩を上げて笑うアーデルの言うことはお世辞かもしれない。ルスでは珈琲よりも紅茶をよく飲んでいたと言っていたし、珈琲は飲もうとさえ思わなかったとも言っていた。自分が珈琲を淹れるから飲んでくれているだけなのかもしれないが、お世辞でも嬉しかった。自分との思い出を飾った後は自分が淹れた珈琲をリクエストされる。必要とされる事がこんなにも嬉しいものだとは知らなかった。
 とびきり心を込めて淹れよう。彼女がいつまでも飲みたいと言ってくれるように。
 
「アーデルは紅茶を淹れたりはしないのですか?」
「淹れますよ」
「の、飲んでみたい、です」

 珈琲を飲みたいと言っている相手に紅茶の話をするのはどうなんだと言った後に思ったラビは慌てて顔の前で手を振る。

「あ、あの、違うんです! 帰ってすぐの話ではなくてアーデルの気が向いた時にもしお手間でなければ僕の分も一緒に淹れてもらえたら嬉しいなと思っただけであなたに強制しようとかそういう気持ちは一切ありませんからどうか誤解なきようお願いします!」

 よくそれだけ声を張って息継ぎもせずに喋れるものだと毎度の事ながら感心してしまう。何度か目を瞬かせたアーデルがゆっくり頷きを返す。

「じゃあ、帰宅時のおやつの時間は私が紅茶をお淹れしますね。あ、でも、ミルクがないので一緒に市場に行きませんか? 欲しい茶葉もあるんです」
「もちろんです!」

 一緒に市場へ行くのは初めてではない。何度か一緒に行っている。それでもいつも互いに自分で自分の手を握って歩いていたため身体の距離こそ近くとも心の距離は遠かった。それに互いに前を向いて話すばかりで何か面白い催しや興味がある物を見ても顔を見る事はしなかった。でも今日からは違うかもしれないとラビは少し期待している。

「馬に乗って行きますか? 歩いて行きますか?」
「どっち……」

 どちらも捨て難いと悩んでしまう。アーデルと馬に乗るのもいい。だが、アーデルが前に乗っていると緊張で上手く話せない可能性があることを考えると歩いて行ったほうがいいだろう。しかし、歩いていくには少し距離がある。何をどれだけ買うかわからないだけに荷物がある事も考えると馬で行くほうが賢いのかもしれないとも思う。
 首が肩につきそうなほど傾げて眉を寄せながら唸るラビは結局十分経っても答えが出なかった。

「その時の気分で決めましょうか」
「す、すみません。僕が優柔不断なばかりに……」
「私も馬に乗りたい気持ちと歩いて行きたい気持ちがあるので迷ってるんです。だから今は決められません。帰ったら同時に言いましょうね」
「ど、同時に……」

 それはそれで緊張する。もし違う意見だったら間違いなくラビはアーデルの意見を優先するが、アーデルもまた同じことをする。そして結局はアーデルの言うことを聞いて自分が言ったほうの行動をすることになる。聞かれたらすぐに答えられるだけの決断力があればいいのに、と落ち込んでしまう。

「僕みたいな人間と一緒にいるとアーデルは疲れませんか?」
「疲れません。ラビ皇子は穏やかな方なのでむしろ一緒にいて安心できます」
「そう、ですか。よかった」

 差し出された手に手を重ねるともう片方の手も出てきたため同じように手を重ねる。まるで両手でお手をする犬のようにアーデルの手を握るラビを見てアーデルの顔が横に逸れる。肩を震わせるアーデルが笑っているように見えるラビが首を傾げて不思議そうにその様子を見ていると耐えきれなくなったのか吹き出した。

「アーデル?」
「ごめんなさい。可愛らしくて……ッ」
「か、可愛い? 何がですか?」

 犬のように見えたとは口が裂けても言えない。おやつの一つでもあげたくなるような様子にまだ肩を揺らしながら笑っている。

「ラビ皇子、先ほど私になんと問いかけられましたか?」
「え? えっと……僕みたいな人間と一緒に……あ」

 完全に勘違いしていたと慌てて手を引っ込めて口を押さえるラビの顔がどんどん赤くなっていく。罰金だと徴収するための手を勝手に握ってしまった勘違いによる恥ずかしさに耐えきれずシートの上で膝を抱えて横を向いた。

「すみません! ごめんなさい! 勘違いです!」
「いいんですよ。嬉しかったので」
「ぼ、僕はなんて勘違いを……!」

 信じられないと涙さえ滲む羞恥に大きな身体を丸めながら落ち込むラビを見て、アーデルは暫く笑っていた。
 穴があったら入りたい。初めてその言葉を使うのに、初めて見るアーデルの爆笑する様子にラビは少し嬉しくなっていた。自分が彼女をこんなに笑わせているのだと。
 まだ顔は赤いが、抱えていた膝を解いて再び向き合う。ポケットから取り出した500ルッソを相手に差し出すと差し出された袋の中へと落とす。硬貨が硬貨にぶつかる音がした。罰金を決めてからまだ一週間も経っていないのに随分と貯まったものだと苦笑したくはなるが、これがいっぱいになったらまた旅行に行く事が決まっている以上は早く貯めたい気持ちもあった。貯まっている事に反省しなければならないが、貯まっていることが嬉しくもあった。
 笑顔を溢れる楽しい帰路。また二人で話し合って良い旅行先を決めたいと思うラビだったが、帰ってすぐに試練が待っているとは想像すらしていなかった。

「う……」
「すごい量、ですね」
「はい……」

 楽しかった長い旅路を終え、家に入る前に二人は一緒に苦笑を浮かべる。鳥の巣のような郵便受けを開けると地面にこぼれ落ちるほど大量の手紙が届いていた。差出人は全て【シャンディ・ウェルザー】と書いてある。
 ビバリーに行っている事への激怒が綴られてあるだろう内容は想像に難くない。幸せだった気分を一転させる光景にラビは吐き出しそうになる溜息を飲み込んだ。
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