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アーデルの幼馴染

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 二人で手狭な家に夫婦として暮らし始めて一ヶ月が過ぎる頃、二人はようやく今の環境に慣れてきた。

「おはようございます」
「あ、おはようございます」
「珈琲淹れますね」
「お願いします」

 自分の家に女性がいる。しかも妻となった相手。その環境にどうにも慣れずに緊張しっぱなしの毎日だったラビも最近やっと普通に会話をするようになってきた。焦るとラビらしい一面が出てくるも、緊張していない本来のラビの姿を見られているようでアーデルは嬉しくなる。
 朝の食事を作るのはアーデル。珈琲を淹れるのはラビ。狭いキッチンの中で動くアーデルを避けて隅に移動させた器具で珈琲を淹れる。

「良い匂いですね」
「そうですね」

 アーデルは珈琲の、ラビは朝食の匂いについて言っているのだが、二人とも気付いていない。二人の会話はこういう事が多く、途中で会話が噛み合ってないことに気付いては笑う。それは二人が望んでいた結婚後の穏やかな生活だった。
 アーデルが心配していたシャンディが頻繁に訪れることもなく心配や不安のない日々を過ごしている。あれからシャンディには一度も会っていない。手狭な家に三人は厳しいと言ったラビの言葉は正しく、座れる場所は居間のソファーだけ。あと寝室にある木の椅子が一脚。公爵令嬢を座らせるには申し訳ない作りだ。かといって居間にその椅子を運んで置くスペースもない。シャンディもそれをわかっているから訪れないのかもしれない。ラビと会いたいなら手紙を寄越して誘うのだろう。幼馴染の結婚式の場で家に誘う勇気と厚かましさがあるのだから。

「「いただきます」」

 アーデルが朝食が乗った皿を二つ運び、ラビは珈琲の入ったカップを二つ運ぶ。それから窯で焼いた昨日のパンが入った木で編まれたカゴを取ったラビが手作りのジャムと市場で買ったバターを持って戻ってくる。一緒にソファーに腰掛けて一緒に手を合わせる。朝一番にラビが暖炉に火を入れてくれたおかげで暖かい。こうした小さな気遣いがアーデルは嬉しい。
 結婚した翌日から暫くは「すぐに暖炉に火を入れますから!」と寝起きで慌てていたラビも今は声をかけずにやってくれる。家では使用人がしてくれていたことを皇子である彼がしてくれるというのは不思議な光景ではあるものの、それは料理をしている自分を見た際にラビが言った言葉と同じだった。

『王女様でも料理をされるのですね?』

 趣味というほどの腕前はないが、料理ができる過程をキッチンの隅に腰掛けて見ているのが好きだったというだけ。上手くできるかどうか自信はなかった。だから初めて料理をした日は緊張しすぎて料理が出来上がるまでかなりの時間がかかった。あれをしてこれをしてと頭の中ではちゃんとわかっているのに身体は上手く動かなくて、結局はあれもしなければこれもしなければと無駄に右往左往し続けた。
 そんなアーデルを見ていたラビも何故か焦りを感じて自分も何か手伝わなければと一緒に右往左往していた。
 アーデルが苦笑するタイミングが珈琲を飲んだのと同じだったためラビが焦る。

「に、苦かったですか!? いつもどおり砂糖二つとミルクを大さじ二杯入れたのですが……ま、間違えたのかもしれません! 淹れ直しま──」
「違います違います! 珈琲はとても美味しいです!」
「そ、そうですか? じゃあ、どうして朝から苦笑を……?」
「この家に入った翌日、手料理を振る舞おうとして右往左往した自分を思い出していたんです」
「あ、ああ、そうだったんですか」

 安堵の息を吐き出したラビが半分に切った目玉焼きをパンに乗せて大口で齧りつく。皇子は品行方正でなければならない暗黙のルールがあるのだが、実際は貴族でさえ家に帰れば四肢を投げ出して椅子に座るし、口に物が入ったまま喋ったりする。一口サイズに切って口周りを汚さないようにし、順番に正しく食べるなどとやっている人間のほうが少ない。
 ラビもそうだ。スラリと細い身体をしているのに意外にも大食漢であり、大口を開けて食べる。驚きはしたものの、あっという間に皿の上から物がなくなってしまう光景が面白く、気持ちよくもあるため指摘しないでいる。言えばきっとラビは気にして直そうとするだろうから。

「僕のせいです。僕がジッと見ていたから緊張させてしまって……」

 ごくんと大きな音を立てて飲み込んだラビが苦笑する。

「見られていたら緊張するってわかっているのに見てしまって」
「いえ、私が上手くやらなければと勝手に気負ってしまったせいです。見ていただけのことを初回で上手くできるはずなんてないのに、完璧にやり遂げなきゃって自分にプレッシャーをかけて勝手に追い込まれていたんです」
「お、美味しかったですよ、とても」
「あはは……ありがとうございます」

 ラビは当時もそう言ってくれたが、実際は全て冷めてしまっていた。焼いた肉は硬かったし、スープは水にほんのり味がついただけのように薄くて、焼いたパンは存在を忘れて窯の中で真っ黒焦げになっていた。唯一普通に食べらそうだったのは切って盛り付けただけのサラダ。目も当てられないような悲惨な夕飯。恥ずかしくて情けなくて、全部自分で食べると言った食事をラビは一緒に食べましょうと言って食べてくれた。パンの焦げは表面が焦げているだけだから落とせば食べられるとナイフで削り落としてくれた。硬い肉、味のないスープに焦げ臭いパン。お世辞にも上出来とは言えない夕飯を美味しいと言いながら平らげてくれた優しい人。
 ここで一人暮らしをしてきたラビは料理が上手い。だからあんな料理を作る妻に不安を感じて「自分が作る」と提案してもおかしくないはずなのに、ラビは翌日もアーデルが作るというのを拒否しなかった。

「ずっとあんな料理が出てくるかもって不安だったのでは?」
「緊張しているのは伝わってきたので本当はもっとお上手なのだろうと思っていましたから。実際そうでしたし」

 優しい言葉に胸がじんわり温かくなる。
 同じソファーに座っても互いに何も喋らず、二人で暖炉の火を見つめるだけだった数日間。大丈夫だろうかと心配はしたが、徐々に話す回数と内容が増えてきた。こうして二人で同じ食事をしながら話ができることにアーデルは幸せを感じる。

「今日は確か、幼馴染がいらっしゃるのですよね?」
「はい。庭でお茶をしますのでご安心を」
「す、すみません。こんな狭い家で暮らしていたせいでお友達を家に上げることもできないなんて……申し訳ないです。ヒース国王がいらっしゃったら失望されることでしょう……」
「簡単に国を離れることはできませんし、次に父と会うのは妹の結婚式でしょうからご心配なく」

 すぐにネガティブな感情に陥るラビにもすっかり慣れた。ふふッと笑うアーデルにラビが向けるのは苦笑。直さなければと自分でもわかっている性格。人を不快にさせるものだと。だが、根付いてしまっているものはなかなか直せない。笑ってくれるアーデルに甘えてしまっているのだ。

「ラビ皇子のご予定は?」
「…………ありません」

 皇子としての公務はいいのかと不思議に思うほどラビは家から出ない。毎日本を読んでは獲物を取りに森に入り、珈琲やミルクやスパイスなど必要な物があれば市場に出かける。家の裏側には馬が一頭いて、それに乗って買い出しに出掛けている。
 買い出しには昨日出てしまったため今日の予定はなし。

「……ぼ、僕、出掛けます!」
「どちらに?」
「シャンディから来てほしいと手紙が来ていたので行ってきます。やっぱりゲストを家に入れず外でのお茶会なんてありえませんから」
「ココは焚き火が好きなので大丈夫ですよ?」
「僕が気になってしまいます……」

 焚き火にあたりながらのお茶はハインツ家でもよくやっていた。焼き芋をして食べたこともある。寒い中だからこそ楽しめることもあるのだが、そういった経験をしているとは思っていないラビからすると自分がいるせいで王女がちゃんとしたおもてなしができないとなどありえない話。自分だけが暖かな家の中で過ごすなど居心地が悪すぎるのだ。
 寒さは敵だと豪語するほど身体を冷やしてはならない女性が二人外にいて、頑丈な男が家の中にいるのはおかしいと思い、食べ終えた食器をアーデルの分も一緒にシンクへと持っていき、水が貯めてある容器の中へと浸けた。

「今日は家の中でお茶会をなさってください。僕は夕方頃戻りますので」
「わかりました。お気遣いいただきありがとうございます」

 笑顔をくれるアーデルに微笑み返すと上機嫌に洗い物を済ませた。

「幼馴染の方は何時頃いらっしゃるのですか?」
「お昼前にと言っていました」
「そうですか。じゃあ僕はそれまでに出ま──」
「ラビ?」

 冷たい手を拭いて温度を取り戻そうと暖炉の前で暖めているとシッとラビが人差し指を立てた。なんだろうと首を傾げるアーデルと違ってラビは何かが聞こえているらしく、指を立てたまま動かない。

「馬車の音がします」
「もう来たのかしら?」
「アーデル、動かないでください」

 立ち上がろうとしたアーデルの膝に手を置いてまだ静かにしているように促す。段々と近付いてくる馬車の音。小型ではなく大型の馬車。まさか王室からかと迫り来る嫌な予感に眉を寄せる。

「ラビ皇子」
「静かに」

 馬車が家の前で停まった。ドアが開き、人が地面に着地する音が聞こえた。ドアが閉まり、すぐに声がした。

「ありえん……。場所を間違えているのではないか?」
「いえ、こちらで間違いありません」
「まさか軟禁されているわけではあるまいな……」

 男の声。数歩進んで階段を上がる音がする。立ち上がったラビが玄関へ向かおうとするよりも先にアーデルが小走りで向かった。

「アーデル待ってください!」
「ココ!」
「へ……?」

 慌てて追いかけドアノブを握る手を掴もうとしたが、アーデルが引き開けるほうが先だった。開けたドアの先に立っていたのは男。それもやけに顔が整った男。アーデルの姿を確認すると驚いた顔をするもすぐに笑顔を見せて抱きしめた。

「アーデル」

 優しい声で名前を呼ぶ男は誰なのか。混乱で立ち尽くすラビの目に映っていたのは嬉しそうに笑いながら男の腕の中で目を閉じるアーデルだった。
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