静かで穏やかな生活を望む死神と呼ばれた皇子と結婚した王女の人生

永江寧々

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手狭な家

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 馬車に乗って随分と経った。男性のように懐中時計を持っていないためどの程度の時間が過ぎたのかはわからないが、お尻が痛くなるぐらいには乗っている。
 ラビ専用の馬車は貴族と変わらないような仕様であり、座席のクッションもふかふかというわけではなかった。ラビはそれに慣れているのだろう。特に表情を変えることなく流れる景色に目をやっている。
 馬車での長い移動の中、二人は一言も口を開かなかった。アーデルは聞きたいことがあったが、結婚初日に聞くには踏み込みすぎるのではないかと考えて聞けなかった。かといって世間話も苦手。自分から話しかけることによって話を盛り上げなければと万が一にでも相手に思わせるようなことは避けたく、黙っていることが正解となった。
 ラビもそれは同じだったのか、馬車が止まるまで黙っていた。

「ここ、です……」

 手を貸してもらって降りた先にある家にアーデルは目を瞬かせる。

「ここ、ですか……」

 皇子が住んでいると言われても到底信じられるはずがない木造りの建物。貧乏貴族でももう少し良い家に住んでいると思ってしまうような小さな我が家。本当に一人で暮らせれば充分と考えて建てた家。言ってしまえば小屋。家と呼ぶよりもしっくりくる。
 違和感を持ったのはこの家だけではなく、ここまでの道のりもそう。馬車で走ってきた道を振り返ると帝国は随分と遠くに見える。“少し”離れた場所、と彼は言ったが、実際は“結構”だった。
 第七といえど皇子は皇子。生まれ育った城どころか国からも出て、森の中、とまでは言わないが、木々に囲まれた場所に建てられた家で一人暮らす相手は家族からどういう扱いを受けているのか心配になった。言ってしまえば辺鄙な場所。そこで暮らすには必ず理由がある。その理由に踏み込んでいいものかわからず、家をジッと見つめていた。

「あ、新しい家を建てましょう! い、一ヶ月で家を建てるのは不可能で用意できなかったのですが、やっぱり家を建てます! すぐに設計図を──」
「だ、大丈夫です! 家なんてそんな、住めればいいんですから!」
「で、ですが、驚かれたでしょう……? 皇子ならもう少しマシな家に住んでると思いますよね。嫁いできてくれた妻をこんな犬小屋のような狭くて汚い家に住ませるなんて普通じゃ考えられませんし、あまりにも愚かな考えですよね。貴族の犬だってもっと良い部屋を与えられていますよ」

 もはや面白いとさえ思い始めた相手の自虐にアーデルは気持ちを入れ替えた。住めば都。そう言ったのは自分だ。

「案内してくださるのでしょう?」
「え?」
「行きましょう」

 門すらないロッジのような家。木の階段を三段上がるだけで玄関に着く。階段が長ければ長いほど良いというわけではないが、やはりどうにも違和感がある。だが、それと同時にアーデルは思った。

「便利で良いですね」
「便利、ですか?」
「玄関を出て、馬車まで徒歩四歩か五歩で馬車ですよ? 便利、というのは少し違うかもしれませんが、わざわざ長い距離を歩いて馬車まで行かなくていいというのは助かります」

 ラビもアーデルの家に赴いた際、門から賓客室までなんと長いんだと思った。自分の家だったら数歩で家に入れるのにと。城に住んでいたこともあるため驚くことではなかったが、不便だなとは思った。あそこで生まれ育ったアーデルにとってそれが普通だっただろうに、この距離を助かると言ってくれたことが純粋に嬉しかった。

「じゃあ開けますね」

 鍵を差し込んで回し開け、ドアを開けるとアーデルが中に入る。

「わあ……」

 絵でしか見たことがないロッジの外観は当然中身も木造りであり、壁も床も大理石だった家で暮らしてきたアーデルにとって不思議な光景だった。だが、その光景は胸が躍るほど素敵な物に見え、温もりを感じる内装に笑顔が溢れる。
 狭い廊下をゆっくりと歩いていく。壁に絵画がかけられていることもなければ窓ガラスが続いているわけでもない。少し歩くだけで曲がり角があり、そこを曲がると立ち止まった。

「ここは居間ですか?」
「そ、そうです。狭いですが……」

 確かに狭い。暖炉があり、その横には薪が収納されている細長い棚。暖炉の向かいには二人掛けのソファーがあり、その間にはこれも木造りのコーヒーテーブルが置いてある。暖炉の上には本が数冊積み上げられており、それに気付いたラビが慌てて本を立てた。

「ここに座って本を読まれているのですか?」
「は、はい」
「いいですね。私も暖炉の前で本を読むのが好きなんです」
「い、いつでも好きな時に使ってください! 本もたくさんありますので!」

 ラビは自分のこの狭い家の中でお気に入りの場所を褒めてもらえたことが嬉しかった。暖炉の前でお気に入りの本を読み、眠くなったらそのままソファーの上で仮眠するのも好きだった。オススメではあるが、口にするのは躊躇われた。だらしのない人間だと言われるのが怖かったから。
 ありがとうございますとお礼を言って再び歩き出す。

「キッチン」

 アーデルが希望する物は揃っているとラビは言った。確かに揃っている。使用人がいてもいなくてもキッチンは必需品。アーデルは料理が出来上がる過程が好きだったためキッチンの隅でよくシェフ達の動きを見ていたため、ある程度のやり方は知っている。だが、キッチンを覗いてすぐ困った顔になった。

「これは薪で火を起こすのですか?」
「そうです。紙と薪とで火を起こします」
「ガスではないんですね」
「ガ、ガスは引いてません……」

 申し訳ないと言わんばかりに俯くラビにしまったと目を閉じる。やってしまった。備え付けられている設備で納得すればいいものをつい問いかけてしまう。一応確認しただけなのだが、ラビに言うべきではなかったと反省して目を開ける。

「あとで使い方を教えていただけますか?」
「も、もちろんです!」

 頼もしい返事に笑顔を向けて改めてキッチンを見る。狭い。人が二人同時に往復するのは無理だろう狭さにここが一人用の家であることを実感する。

「あ、あの……アーデル……」

 振り返るとまた何か言いたげな顔でこちらを見るラビと目が合った。

「どうしました?」
「お、お風呂のことなんですが……」

 嫌な予感がする。

「僕しか住んでいない家でしたので、お風呂が、その……狭くて……」
「見てもいいですか?」

 これから住む妻にダメだと言えるはずもなく、頷きだけ返して今度はラビが先に歩き始めた。

「ここです」

 案内された先にある光景にアーデルは目を疑った。ここは確かに風呂場なのだろう。浴槽があって、ストーブがあって、水道がある。設備としては問題ない。問題なのはその狭さ。
ドアを開けて歩けるのは二歩程度。どこで服を脱ぐのか、どこに服をかけるのか、どこにタオルを置くのか。その疑問が持ち上がるシンプルすぎる構造に苦笑も浮かばない。

「えっと……ラビ皇子」
「は、はい」
「ここも、あとで使い方を教えていただいてもよろしいですか?」
「も、もちろんです……」

 玄関から居間へと良い印象を持たれていただけに、キッチンと風呂の印象が自分でも最悪の想定をしていたこともあってラビのほうが気分が落ちてしまう。申し訳なさと「やっぱり」という思いが彼の顔を俯かせた。

「他に部屋はありますか?」

 ラビの口から「うっ」と声が漏れた。まだ出会って二度目。今日は結婚した日。それでもラビのことはなんとなくだがわかる。だからアーデルは「来てください」と言って居間に向かった。

「す、すぐに火をつけます!」
「今日はそれほど寒くないので大丈夫です。それより座ってください」
「は、はい……」

 怒っているのだろうかと飼い主の機嫌を伺う犬のような視線を向けるラビはソファーに座るアーデルの隣ではなく床に正座する。なぜそこなんだと天を仰いで目を閉じるアーデルは込み上げる複雑な感情をゆっくりと飲み込む。

「ラビ皇子、私達は主従関係ではなく夫婦なのですから夫は妻の隣に座ってください」
「は、はい! すぐに!」

 慌てて立ち上がりソファーに腰掛けたラビが膝の上で両手を握る。何を言われるかわからず緊張しているのだろう。結婚初日。顔を合わせたのは二度目。話した言葉数もそれほど多くはなく、信頼関係も出来上がってはいない。気が弱い者同士といえど、アーデルはラビほど気が弱いわけではない。ラビは気が弱すぎる。このままでは夫婦として関係を成立させるなど不可能も同然。アーデルは話し合うことにした。

「お願いがあります」
「お、お願い、ですか?」
「言いたいことは全部言ってください。言いにくいと思うのでしょうが、なんでも先に言っていただけるほうが助かります。先に言っていただければ戸惑うことはありませんし、どのような場所でも覚悟の上で動けます。ですが、その時になって突然言われると戸惑ってしまうんです。私が戸惑っているのを見ればあなたは不安になるでしょう? それは避けたいのです。ですから、狭いとか汚いとか不便だとか、そういったことも全部事前に教えてください」
「上には部屋が一つしかありません!」

 わかったの返事もなく大きめの声で告げられた内容にアーデルの思考が数秒停止する。一人用として建てた家なのだから部屋が一つしかないことに疑問を抱くべきではない。むしろそれは自分が事前に予想しておくべきことだったと反省もしているが、戸惑いが隠せないのは今夜の寝る場所問題が浮上したから。
 二階建てだとしか思わなかった外観。今思うのは屋根が斜めであること。それも結構な角度だった。一人用の家で今日から二人で暮らすことにアーデルは今初めて不安になった。

「で、でも大丈夫です! 僕はここで寝ますから! アーデルがベッドを使ってください! 暖炉もあって暖かいし、よくここで眠ってしまうので問題ありません!」

 仮眠と就寝は違う。そこそこ背丈がある彼を、ここの家主である彼をソファーで寝かせ続けるわけにはいかない。かといって一人用のベッドを置くスペースも見当たらない。
 自分専用の家にある自分専用の部屋にあるのは自分専用のベッド一つだけだろう。正解はそこで二人で眠ることなのだが、口にしようとするとアーデルも緊張して言葉が出てこなくなってしまった。

「べ、ベッドを買います! 今のベッドを分解してシングルのベッドを二つ並べるんですそれがいいと思うんですそうしましょうそうするしかありません!」

 また息継ぎをせずに一気に話すラビが呼吸困難になったような呼吸を繰り返す。
 アーデルもそれがいいとは思う。自分達は夫婦といえど夫婦になったばかり。それも恋愛なしの政略結婚。同じベッドで寝るのは気まずい。トンッと肌が触れ合おうものなら眠れなくなってしまうのは想像に難くないだけにラビの提案に頷こうとした。

「あ、あの!」

 だが、その前にアーデルが声を張った。

「紙とペンを貸してください」
「紙とペン」

 自室にしかないのだろう、急いで取りに二階へと駆け上がったラビが要求どおり紙とペンと掴んで戻ってきた。時間にして三十秒もかからなかっただろう。狭い家は狭いなりに利点が多いと家に入ったばかりのアーデルなら感心しただろうが、今はその余裕がない。アーデルの心臓は自分でも驚くほど激しく音を立てている。
 差し出された二つを受け取ってサササッと書き始めたアーデルが完成したそれを顔の前まで上げて内容を見せた。

「ッ!?」

 書かれている内容に目を見開いたラビは顔を青ざめさせたかと思えばすぐに赤くなった。

「そ、そう……です……ね?」

 紙に隠した顔が熱い。絶対に赤くなっている。必要のない自信がアーデルの中にある。

「け、決定ということで、よろしいですか?」

 顔を隠したままの問いかけにラビは「よろしくお願いします」とか細い声で返事をした。

『夫婦ですから、同じベッドで眠ることはおかしいことではないはずです』

 そう書かれた紙をなかなか下すことができなかった。これでは自分が寝たがっているように、誘っているようにも受け取れる。そういうつもりはない。そういうつもりはないが、意識はしてしまう。変な想像も。

“夫婦だから”

 その言葉が良くも悪くも二人の想像を荒く掻き立てるものとなった。
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