静かで穏やかな生活を望む死神と呼ばれた皇子と結婚した王女の人生

永江寧々

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同情心

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 庭に出て散歩をすること三十分。ラビは婚約者であり男でもあるのに何故かずっとアーデルの後ろを歩いている。俯き加減で黙ったまま歩く姿はまるで従者だ。かといってアーデルも何か話すかと言うと話題はない。頭の中に浮かんでいる話題と言えば「ルーカス皇帝陛下は常々あのような言い方を?」だが、他国の王族の前であろうと粗末な扱いをする彼が自国では息子にとびきりの愛を注いでいるはずもなく、無粋な質問でしかないと飲み込んでいる。
 天気、食べ物、趣味、ヒュドール帝国。話すことは星の数ほどあるはずなのに、何から話せばいいのかわからず無駄に歩き回っているだけ。かといってこのままあそこには戻れない。嘘をつくのが下手な自覚があるアーデルはルーカスに「どうだった」と聞かれて「大変有意義な時間でした」という嘘を見抜かれない自信がない。それを口にすることでラビを傷つけるかもしれないし、それが嘘だとバレた際にルーカスが嘲笑するか大笑いするかのどちらかだと鮮明に浮かぶ。彼が一言も発さないことに腹は立たないが、ルーカスが嘲笑することには信じられないほど腹が立つ。

「ぁ、ぁの……」

 小さな声に振り向くと相変わらず俯いたままのラビが頭を下げる。何事かと驚くアーデルが一歩近付いた。

「何故、頭を下げるのですか?」

 純粋な疑問をにラビがギュッと目を閉じ、声を振り絞る。

「ぼ、僕みたいな根暗な男と結婚させられるあなたに申し訳なくて……」

 その言葉にアーデルは不思議と安堵した。

「私はこの結婚に後悔はありません」
「ち、父上がおっしゃったように、結婚後は愛人を作ってもらって構いません。ぼ、僕との生活は退屈なものでしかないでしょうから、自由に過ごしていただいて──」
「ラビ皇子、どうか頭をお上げください」

 柔らかな声にゆっくりと頭を上げたラビの目に映ったのは声と同調する柔らかな微笑み。

「政略結婚ではありますが、私はラビ皇子とちゃんと夫婦の絆を紡いでいきたいと思っています。私も口下手で、話題は少ないし、お恥ずかしながら友人と呼べる相手もほとんどいません」
「ぼ、僕もです」
「私達、きっと似た者同士だと思うんです。ヒュドールの皇子と同じだなんておこがましいかもしれませんが──」
「そんなことありません!!」

 今日一番の大きな声に目を瞬かせるアーデルを見て慌てて俯くラビの声がまた小さくなる。

「お、大声を出してすみません。ぼ、僕のような人間とアーデル王女が似た者同士なんてそんなこと、絶対にないので……」

 否定するために大声を出したのだと思うとアーデルは込み上げる笑いに肩を揺らしてかぶりを振った。人は噂や見た目で判断はできない。片側に仮面をつけている姿は黙っていると雄々しく見えるのに、実際はとても気弱な青年。謙虚もいきすぎれば卑屈になる。でも傲慢よりはいいとアーデルは思った。傲慢な人間は好きじゃない。むしろ苦手だ。ルーカスのような豪快と傲慢を履き違えているような男は特に。ラビは父親に似なかった。それだけでアーデルが抱えていた不安は少し軽くなる。
 
「結婚に不安はありましたが、ラビ皇子がくれたお言葉で和らぎました」

 驚いた顔を上げるラビと目が合うと逸らされはするが俯きはしない。

「あなたも結婚させられる側のはずなのに、私に申し訳ないと言ってくれました。ご自分を卑下してのことなのでしょうが、私の心を気遣ってくださったその優しさに安堵したんです」

 そんなことを言われるとは想像もしていなかったラビにとってアーデルの言葉は驚きでしかなく、何度も目を瞬かせる。

「私は妹のように人から褒められるような美貌もなければ世渡りも上手くありません。嘘が下手で、先程の皇帝陛下のお言葉に対する感情が顔に出ていたかもしれません」
「そんなことありません。アーデル王女はずっと笑顔でした」
「よかった。妹は良くも悪くも素直で……」
「みたい、ですね」

 ラビの耳にフォスの言葉が聞こえていなければいいがと思っていたが、この反応は聞こえていたなと気まずくなる。

「す、すみません。妹が失礼な反応を」
「い、いえ、事実ですから」

 十秒間ほど互いに無言になる。申し訳なさから話題を変えて普通に話すのはおかしいかと考えると言葉が出てこないアーデルは会話をどう再開させるのが正解か必死に考えていた。

「フ、フォス王女は大変お可愛らしい方ですね」
「最近は父に反抗する事が増えて困っている部分もあるのですが、本当は素直でとても良い子なんです。婚約の申し入れも多いらしくて。婚約者ではなく結婚というお話でしたので私がお相手になってしまい、ラビ皇子には大変申し訳なく──」
「そ、そんなことありません!」

 再び発せられる大声にまたラビが慌てる。

「ぼ、僕は、結婚相手が、その……ア、アーデル王女でよかったと思っていま、した」
「え……?」

 時が止まったように二人がまた口を閉じ、無言の時間が流れる。
 あまり顔色が良くなかったラビの表情に血色が戻り、うっすらと顔が赤くなっている。

「あ、あの、違うんです! そ、そんなおこがましい感情じゃなくて、その……」

 俯いてキュッと噛み締めた唇を意を決したように開いたラビが言葉を紡ぐ。

「アーデル王女はとても心優しい方だと聞いていました。穏やかで、物静かな淑女だと」
「そ、そのような立派な人間ではありません!」
「いえ、今日、こうしてお話して確信しました。噂どおりのお方です」

 父親以外から褒められることの少ない人生を送ってきたアーデルにとってその言葉は嬉しくも恥ずかしい感情を込み上げさせる。でもこの嬉しさは褒められたことだけによるものではなく、彼もちゃんと言葉にしてくれる人だとわかったから。
 話せば話すほど不安は小さくなっていく。

「僕は、その、お恥ずかしながら怒声や大きな物音が苦手なんです。なので、妻となる方はできれば物静かな方がいいと思っていて。結婚のお相手がアーデル王女だとお聞きした時はとても嬉しかったです」

 首がもげるほど頷ける価値観にアーデルの不安は全て消し飛んだ。

「私も同じです。静かで穏やかな生活ができる方と結婚したいと思っていたので、ラビ皇子がお相手で良かったと思っています」

 今日が初顔合わせの初対面。二人は告白し合っているような状況に恥ずかしくなって口を閉じた。
 愛情があるわけじゃない。まだ情もない。ただ、王族としてのいつかは訪れるだろう政略結婚の相手だけは自分の希望に沿った相手がいいと願ってやまなかっただけに物静かな相手であったことに感謝しているのだが、二人は喜びと恥ずかしさに緩む口元を引き締めて同じ顔をしていた。

「そ、そろそろ歩きましょうか」
「そ、そうですね」

 アーデルが歩きだすとラビも歩く。でも距離は相変わらずラビが一歩後ろ。男性と並んで歩いた経験があるわけではないアーデルだが、この距離はどうにも気持ち悪く感じた。
 ピタッと足を止めるとラビも止まる。これでは本当に使用人か兵士だと首を振ったアーデルが振り返った。

「ラビ皇子」
「は、はい」
「もし、ラビ皇子さえよろしければ、一緒に歩きませんか?」
「え?」
「前後ではなく、隣を」
「よ、よろしいのですか? ぼ、僕なんかが隣を歩いて……」

 アーデルは自分も卑屈であることは理解している。美しい少女を妹に持ち、姉は妹に比べて地味だ根暗だと言われているだろうことも理解している。だけど、ここまでじゃない。二十五歳であれば自立もしているだろう。もっと胸を張って生きてもいいはずなのに、背を丸めて俯き、人の顔色を伺うような視線を向ける。まるで虐待されて捨てられた施設の子供のように。

「婚約者の隣を歩くのに許可がいるのですか?」
「ア、アーデル王女の隣を僕のような取り柄のない人間が歩くのは申し訳なくて……」

 親指の爪を噛むのはきっと癖だろう。彼の爪は親指だけがガタガタで、必要以上に短い。アーデルは思わずその手を握った。

「爪は噛まないほうがいいですよ。圧をかけると形が変わってしまうと言いますから」

 爪を噛むのは自傷行為にも等しいと本で読んだことがある。主にストレスを解消するためにやる無自覚な自傷行為だと。
 隣を歩かなければならないと思ってのストレスなのか、それとも彼の中にある不安によるものかはわからないが、放っておけなかった。

「噛みすぎると傷口から口内の菌が入って死に至ることもあるらしいので」
「あ、そ、それは……な、治し、ます……」

 握られた手を凝視するように見つめるラビの視線に気付いてハッとしたアーデルが慌てて手を離す。

「す、すみません! 男性の手に許可なく触れるなど破廉恥なことをしてしまいました!」
「そ、そんなことありません! ぼ、僕達は夫婦になるんですから手を握るぐらい破廉恥ではありません!」

 互いに異性と手を握り合った経験は一度もない。二人はそれなりの立場でありながらダンスはしたことがなかった。ロマンチックな握り方ではなかったが、二人は相手の手の感触を意識してしまった。大きくて骨ばった手。小さくて柔らかな手。
 また二人は口を閉じて俯く。耳が熱い。

「ラ、ラビ皇子」
「は、はい!」

 先にアーデルが口を開いた。

「も、もし、爪を噛んでしまいそうになったら……その……い、一緒に、手を繋いで散歩をする……というのは、いかがでしょう?」

 自分から誘うのははしたなかっただろうかと緊張はあるものの、夫婦になるのだからと言ってくれた相手ならと誘ってみた。
 父親二人は今頃今後の予定を話し合っていることだろう。いつ自分がヒュドールに赴くことになるのかはわからないし、どこに住むことになるのかもまだわかっていない。もしかすると手を繋いで二人で散歩する時間もないかもしれない。だからこんなのは約束にもならないかもしれないし、言っている自分でこれはもしかして下心に聞こえたのではないかと焦りもある。だが、やっぱりなしと訂正することはしなかった。
 耳まで染めて俯くアーデルを見て今度はラビが彼女の手を握る。勢いよく上がる顔に向けるラビも顔は赤いが微笑んでくれた。

「よ、よろしく、お願いしまう……ッ!? よ、よろしくお願いします!」

 大事なところで噛んでしまったことを悔やむラビが両腕で顔を隠す様子を笑うアーデルは単純ながらに彼との生活が楽しみになっていた。
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