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交わらない道
しおりを挟む「あら? あれは……」
街に買い物に出かけた時に見つけたコンラッドの姿。今日も女と一緒にいたが、いつもと違ったのは相手の女が学生でもなければ媚びを売るような人物でもなかったから。
車椅子に乗った美しい女性と談笑するコンラッドの表情は見たことがないほど穏やかだった。
「サラ様じゃない。いつ帰国されたのかしら?」
「サラ様?」
聞いた事がない名前に一緒に買い物に来たアビゲイルに顔を向けると少し考えるような素振りを見せて、苦笑を滲ませた。
「ランドルフ・グレンフェル様の妻よ」
「……彼の兄の、妻……?」
コンラッドの兄が結婚しているとは聞いていた。ならば妻がいるのは当然だが、どんな人物なのかは知らなかった。パレードがあったように思うが、記憶にないということは眠っていたのだろう。
遠目でもわかる美しさ。女好きのコンラッドにはたまらないだろうと思うもどこか違和感があって、ティファニーは二人の姿を見続けていた。すると突如、サラが目を閉じた。ただ目を閉じただけではなく、背もたれに預けた身体から後ろに垂れる頭。
ティファニーは何故ああなるのかを知っている。
「眠った……」
さっきまで楽しく話していたサラが急に目を閉じて頭を垂れさせた。
これが恋人であればキスを待っているのかもしれないと思えるが、相手は夫の弟。禁断の関係でもなければそれはありえない。
「サラ様はあなたと同じ病気なの」
「それ、は……」
「眠り病よ」
鈍器で頭を殴られたような衝撃だった。
考えない方がいい。「そうですのね」と言って買い物の続きをすればいい。
頭ではわかっているのに足は動いてくれなくて。二人から目が離せなかった。
「サラ様は三年前、治療のために大陸を渡ったの。あの様子を見るに、治療は上手くいかなかったみたいね」
治療法は見つかっていない。見つかっているのなら家の恥を解消する為に父親だって大陸を渡らせたはずだ。サラの父はわかっていながらも藁にも縋る思いで大陸を渡らせたのだろう。
「サラ様、お可哀相に……」
自分の意思に反してどこでも眠ってしまう辛さは本人達にしかわからない。一緒にいる相手を困らせてしまう事はティファニーもよくわかっている。だから一人でいる方が楽で、悪役令嬢になったのも悪くないと思えていた。
だが、サラは違うだろう。サラは王族の、それも長男の妻。やらなければならない仕事が多くあるのにきっとほとんどこなせないだろう。
夫であるランドルフはそれを受け入れて結婚し、家族もそれを了承している。でなければ認められるはずがない。
サラはきっとそんな自分を重荷だと思うだろう。ティファニーも今、クリストファーと結婚した後のことを考えて憂鬱になっている。
「彼はサラ様が好きですのね」
「まさか。子供の頃から知っているだけよ。本当の姉弟のように育ったんだもの」
ティファニーにはわかった。それほど長い時間を一緒にしたわけではないし、コンラッドの事は半分も知らないけれど、あの瞳は愛しい人に向けられるもの。
姉弟のようだと思っているのは周りの人間で、きっとコンラッドはそうじゃなかったはず。
眠るサラの横にしゃがんで愛しそうに見つめるその瞳はティファニーに向けられなかったもの。
「ああ……そうでしたのね…」
「ティファニー…」
ティファニーの頬を涙が伝う。
何故涙が流れるのかティファニーもわからなかった。コンラッドへの恋心はもうない。クリストファーを愛していると断言できる。だからこれは失恋の涙ではない。なら何故か———
ティファニーは周りに人がいないのは楽だと思っていた。媚びる事もお茶会も嫌い。だから悪役令嬢も悪くないと思っていた。だがそれをコンラッドが少し変えてしまった。
誰かと一緒にいる事はこんなにも楽しいのだと教えてくれたから。
悪役令嬢だと知りながらも一緒にいてくれた彼にとても短い間だったが、初めて恋をした。彼からの好意を感じて、それを信じられないながらにも嬉しく思う自分がいた。
それなのに、そこにあったのは純粋な想いではなく、あの女性に重ねていたからなのだとわかった。
手の届く範囲にいてもそれ以上は望めない相手を愛してしまった苦しみを解消させる存在が自分だったんだと知ってしまった。
「あ……」
道路を挟んだ向かいにいるコンラッドと目が合い、驚いた顔を見せるも手を上げる事も微笑むこともなく、まるで見知らぬ相手と目が合ったかのように逸らされた。
「ティファニー、行きましょう」
「ええ」
悲しくはない。顔を歪めて泣くほどではないのだから。ただ、楽しいと思って過ごした日々を彼はサラと出来ない事をして楽しんでいるつもりだったのだろうかと考えると寂しくなった。ただそれだけだと涙を拭えばすぐに涙はとまった。
何故彼がこんな自分に執着するのかわかってよかったと思えばいいと自分に言い聞かせては背中を向けて歩き出した。
「ティファニー」
翌日、コンラッドがかけてきた声にいつもの軽さはなく、どこか申し訳なささえ含んでいるように感じられた。
「なんですの?」
「あ、いや、昨日のことなんだが……」
「サラ様がお帰りになられたこと?」
「……彼女を知っているのか?」
驚いた顔を見るのもきっとこれが最後だろう。なんとなくそんな感じがした。
「わたくしは彼女が戻るまでの代わりでしたのね」
「違う! そうじゃない。俺はちゃんと君のことを見ていた」
「では何故昨日、わたくしから目を逸らしましたの?」
「それは……」
口達者な男から言葉が出ないのには理由がある。もし、本当にコンラッドがティファニーを見ていたのだとしたらあんな顔をして目を逸らすことはなかったはず。そして今、コンラッドはティファニーが求めてもいないのに昨日のことについて説明しようとやってきた。
自分達は恋人関係ではないし、想い合っているいるわけでもない。わざわざ説明する必要などないのだ。だがそれを説明しようと思うのは心のどこかに後ろめたいという気持ちがあるからだろう。
「わたくしが眠り病ではなかったらあなたは声をかけなかったでしょう?」
黙り込むのはそれが本音だと言っているようなものでティファニーは笑ってしまう。
「わたくしが車椅子になってから執着していた原因もよくわかりましたわ」
「待ってくれ。これだけは言わせてほしい。俺は君が好きだった。確かに君に恋をしていたんだ」
それに対してティファニーは首を振る。
何もその言葉を否定したいわけじゃない。いい加減な男ではあるが、それでもこんな時にこの場を取り繕うために嘘をつくような男ではない。良くも悪くも自分に正直に生きている男。
ただ、その言葉には何の意味もないと思っただけ。
その恋がどれほどのものだったのか。そこに純粋な好意はあったのかとか疑いたくないからもういいと首を振った。
「あなたの気持ちは受け取りますわ。ありがとう」
後ろにいるアーロンは何も言わなかった。ただジッと二人の間に流れる今までにない、どこか他人行儀にさえ感じる雰囲気を感じ取り、間を取り持とうともしなかった。
「サラ様によろしくお伝えください」
「……ああ」
コンラッドも何か感じていたのだろう。遅れた返事は低く小さいものだった。
軽く頭を下げたのを合図にアーロンが車椅子を押してコンラッドの横を通り過ぎていく。
喧嘩別れではない。どちらも悪くはない。ただ、二人は交わる線の上にいなかったというだけ。友達としてやっていくにはあまりにも薄い信頼で、好意だけでは続けていけないものもあるのだとティファニーは初めて知った。
「あれでよかったの?」
「ええ、もちろん」
「コンラッドとはイイ友達になれそうだったのに」
「あなたは友達になってもいいのよ?」
「僕はもう友達だから」
アーロンらしい返しに微笑むとティファニーは背もたれに背中を預けて大きく息を吐き出した。
どこか清々しいような、どこか寂しいような、そんな不思議な感情の波が襲ってくる。涙は出ない。
彼に向けたどこまで純粋な恋心だったのかという疑いは同じように自分にも向けられる。
心からコンラッド・グレンフェルを見つめていたのか。それとも誰かと一緒に過ごす楽しさを知ったから一人になりたくないという下心から見つめていただけなのか。
交わらない想いを抱えた二人が上手くいくはずはない。
「クリストファー王子がいるよ」
「え?」
「大丈夫」
何がと問いかけようと口を開けるもティファニーはすぐに閉じた。アーロンにはいつだって気持ちがバレている。だからワザとらしく問いかけだけ無意味。
ニッコリ笑うアーロンを見上げて笑顔を返すと風を切るように速いスピードで車椅子を押された。
「お口に合いますでしょうか?」
「すごく美味しいです。ヘザリントン伯爵は素敵な女性に結婚していただいたんですね」
「そうなんです。こんな私に彼女はついてきてくれて三人の娘に恵まれました」
夕方、クリストファーが食事に来ると父親は人が変わったように上機嫌で「結婚していただいた」という言葉もすんなり受け入れて話を合わせていた。父親なら絶対に「俺が結婚してやった」と言うのにクリストファーの前では調子がいい。
「パトリシアさんはお元気ですか?」
「はい。先日手紙が届き、元気にやっているようです」
手紙が届いた日、父親は『ふざけるな! お前はもううちの娘ではない!』と叫んで細かく破いていた。紹介することも二人で頭を下げることもせず最初から認めてもらえないと決めつけて駆け落ちしたのが父親は許せなかった。しかし、怒る父親にアビゲイルが『それをしたら許したの?』と聞くと『認めるはずないだろう!』と叫んだためパトリシア達の決断は間違いないとティファニーはアビゲイルと二人頷いた。
「伯爵令嬢が家を出て農家の家の妻になる勇気、感心します」
「あの子はいつも勉強熱心でしたから違う環境に憧れたのでしょう」
「僕もそういうのに憧れます。親を悲しませるつもりはないですが、認めてもらえないのであれば駆け落ちもありえたかもしれません」
「王子がそのようなお考えを?」
「もちろんです。国を背負うという重圧の中、支えになるのは自分が愛した女性です。その人と一緒になれないのであれば駆け落ちも辞さない気がしますね」
「そんな……」
王子でさえそんな考えを持つのかと驚きを隠せない父親に向ける笑顔はティファニーからすれば悪戯少年にしか見えず、テーブルの下で軽く太ももを叩いた。
王子の話であれば何でも信じてしまう愚かな父親にこれ以上みっともない姿を披露させないでくれと。
「愛する人と一緒にいられない辛さは僕もよくわかります」
「……それは……」
皆が驚きを隠せずクリストファーに注目すると想像以上の反応に『僕の話じゃないです』との前置きに皆が安堵する。
「従兄弟は堅苦しい貴族の世界が苦手で、よく下町に遊びに行っていました。そこで出会った花売りの娘に恋をして、一緒になろうと約束していました。ですが、親はそれを許さず、従兄弟を仲の良い公女と結婚させてしまいました。天真爛漫だった従兄弟は大人しくなり、家族はそれを大喜びしたけど最終的に従兄弟は花売りの娘と駆け落ちをしてしまいました。風の噂によると彼はどこかの町で花屋をしているとかなんとか」
ティファニーとアビゲイルはイイ話だと思ったが、父親はそうではなかった。
パトリシアはまだ婚約者がいなかった。見合いをしろと言っても断り続け、強制的にセッティングしても話を盛り上げるどころか下げてしまう始末。一生結婚は無理だと期待していなかっただけにダメージは少なかった。駆け落ちをしても『不出来な娘』と言えば周りは笑うのだ。
しかし、もしクリストファーとティファニーが駆け落ちをしたらと考えると身震いを起こすほど恐怖に駆られた。
王族の仲間入りになれば周りの公爵たちを見返せる。跪かせることだって出来ると考えているのに王子と婚約しておきながら王家が認めないからと駆け落ちでは王族に入るどころか貴族中から笑い者にされてしまう。父親にとってそんな恐ろしい話はなかった。
「ブレア家の皆様は……その、ティファニーを受け入れていただけるのでしょうか?」
「それは全く問題ないですね。僕が愛した女性ならと受け入れてくださっています」
「よかった!」
そう思っているのは父親だけで、ティファニーはその言葉に引っかかりを覚えていた。
クリストファーの両親が結婚を許したのはあくまでも〝愛する息子が選んだ人だから〟という理由であって〝ティファニー・ヘザリントンならいい〟と認められたわけではない。
評判を聞いて嫌な顔もするだろう。事情を説明したところでどこまでが本当なのかと全てを信じはしないはず。そんな中に飛び込んで上手くやっていけるのかいまだ不安が拭えないティファニーは表情に出さなかった。
「僕は何があっても君の味方だよ。いざという時は親も国も捨てる」
「それはいけません!」
「そうですわ。出来れば逃げるより解決の道を探っていただける方が嬉しいですわ」
父親の否定は自分のため。呆れたくなる素早さはあるものの逃げるのはティファニーも反対だった。
多少のことならティファニーも耐えられる。今まで一人で戦い続けてきたのだから今更弱くなる事もない。
「僕も普段はそのつもりだよ。でもいざという時はって話さ」
結婚前からそんな事を考えるのは気が重く、息子がそう言うということはそんな事が起こる可能性があるのかと聞きたくなってしまうも父親の前でそんな話をすれば泡を吹いて倒れそうだと口を閉じていた。
部屋に戻って二人きりになるとクリストファーがティファニーを抱きしめる。
「な、どっどうしましたの!?」
「今日。コンラッド王子とひと悶着あったって?」
アーロンがチクッたのだとわかった。口止めしなければ何でも善意で報告してしまうアーロンの癖は厄介で、ティファニーは思わず眉を潜めた。
「大したことありませんわ。それよりアーロンは———」
アーロンから報告を受けるなと言っても無理な話だとわかってはいるものの何でも鵜呑みにしていては相手の仕事が進まないのではないかと心配するティファニーの目をクリストファーは真っ直ぐ見つめる。
怒っているようにも悲しんでいるようにも見えるその瞳にティファニーは戸惑った。
「どう……」
「痛みに慣れきったように話す君は好きじゃない」
好きじゃないという言葉にドクンッと大きな音が鳴る。コンラッドがサラを愛していると知った時よりずっと大きく痛い。
「悪役令嬢をやっていて色々な事があったと思う。言われる事、言わなきゃならない事、やりたくもない事をやらされる事。まだ幼かった君は抗いたい気持ちがありながらも父親が怖くて言えなかった。そしてそれはいつしか慣れに変わって自分の役目と受け取るようになった」
まるで見ていたかのように語るクリストファーにティファニーは不可解な顔を見せる。
「僕は心配なんだ」
「何故心配なんてしますの?」
「君がその役目をまるで紙からのお告げであるかのように貫き通そうとするから」
不思議だった。何故クリストファーは自分よりずっと辛そうで悲しそうな顔をしているのだろうか。
ティファニーにとって悪役令嬢はやらされていたが、自ら進んでやっていたことでもある。それなのにクリストファーはまるでティファニーが何の落ち度もない被害者のように語る。そしてティファニーはいつもそれを否定する。
「わたくしの使命でしたもの」
「違う。そんなわけない。ありえないよ。君は普通の女の子として生きていいんだ」
「普通って?」
もう悪役令嬢をする必要はない。悪役令嬢になったところで誰も喜ばないのだ。だが、それ以外の生き方を知らないティファニーは〝普通〟が何なのかわからない。
誰かに1攻撃されれば3、4と倍以上に返してしまう攻撃的な人間が〝普通〟に生きるのは難しい気がしていた。
クリストファーと結婚するからには〝難しい〟という諦めの言葉は必要ない。
「僕が教える」
どこかショックを受けたような顔をしていたクリストファーが優しい笑みを浮かべて額を合わせる。
「王子なのに?」
王子という〝普通〟ではない人が〝普通〟を知っているのかとからかえば眉が寄った。
「僕を困らせて楽しい?」
「とっても」
「意地悪だな」
「悪役令嬢の特技ですもの」
笑い合う二人は見つめ合い、目を閉じて唇を重ねようとした時、屋敷中に響き渡った声に驚いてもう一度顔を見合わせて一緒に廊下へと飛び出した。
「マリエット……?」
どこからの声だと探って歩くと玄関ホールに辿り着いた。
そこには国から追放されたはずのマリエットと父親のバージルが立っていた。
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