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愛してるとさよならと
しおりを挟む家族の心配を振り切って登校した朝、ティファニーはうんざりする光景に目が半分閉じてしまった。
「お身体はもう平気なのですか?」
「マリエット様があのような事をされるなんて驚きましたわ」
「クラリッサ様が主犯格だと聞いても驚きませんでしたけどね」
「あら、クラリッサ様とマリエット様は共謀ですわよ。どちらかが、なんて差はありませんわ」
「人の好さそな顔で悪事を働くなんて許せません」
「コンラッド様とクリストファー様がティファニー様に夢中だったから嫉妬して毒を盛るなんて貴族の面汚しもいいとこよ」
「車椅子になられるだなんて…お可哀相に」
見世物に群がる野次馬のような生徒達に囲まれるティファニーはどの言葉にも返事一つしなかった。
写真がバラまかれる前もそうだったが、貴族達の手のひら返しには嫌悪感しかなく、以前のように寄ってくる生徒達に笑顔で接しようとは思わないのはもう誰に何を思われても構わないから。
社交好きな性格なのに悪役令嬢をさせられて周りとの交流を遮断させられていたのであれば今の状況に大喜びしただろう。しかしティファニーはそういう性格とは程遠く、愛想を振りまいたり媚びたりするのが嫌いだっただけに今更状況を変えようとは思えなかったのだ。
「皆様、ご心配いただき感謝します」
鬱陶しい声を遮るように声を張ると周りの口が閉じた。
「しかし驚きましたわ。あれだけわたくしを避けていた方々がこうも手のひら返しで寄ってこられるなんて。ああ、光栄というべきでしょうか?」
やらされていた部分は確かにあった。だが、これが性に合っているのだと自覚があるだけに今更変えられる評価は欲しくない。
〝悪役令嬢をやらされていた可哀相なティファニー・ヘザリントン〟は欲しくない。
〝根っからの悪役令嬢だったティファニー・ヘザリントン〟で構わない。
「わ、私達は避けてなど……」
「あら、アバズレの妹に話しかける勇気がありましたのね」
積極的に声をかけてくれていた女子生徒はあの日、一番にティファニーから目を逸らした。『大変です!』と写真を持って教えに来てくれるのではなく、目を逸らす事を決めた。それをどうして友人と呼べようか。友人になるという選択肢さえティファニーの中にはなかったのだから。
「ティファニー、皆は心配してたんだよ?」
「寄ってきたり離れたり鬱陶しい。残念ながらわたくし友人が欲しいと思った事は一度もありませんの。親しくしてくださらなくて結構ですわ」
「ティファニー」
「アーロン、行って」
友人が出来るかもしれないと期待して、その後にすぐその希望は崩れ落ち、そしてまた期待させようとする。
うんざりだ。
絶対に崩壊しない友情なんてないのかもしれない。でも、どうせ友人を作るならそういう相手でなければ嫌だと思う。出来た事がないからこそ出来た友人は絶対に大事にすると誓えるのに、周りに寄ってくる人達はそういう対象にはならない。
「もう悪役令嬢しなくていいんだよ?」
「これがわたくしなのよ、アーロン」
「優しく出来るのにしないだけだよ」
「鬱陶しい事は嫌いですの」
こんな状態を続けているのは良くないと思うも人の性格を変えるのは崖から飛び降りるより難しい事だとアーロンは知っている。人一倍頑固者のティファニーの性格を変えるより世界の法律を変える方がずっと簡単だとさえ思うほど。
「ご帰還だな」
聞き覚えのある声に顔を上げると向かいから歩いてくる男にティファニーは姿勢を正す。
「おかえり、ティファニー・ヘザリントン」
優しい声に頭を下げるとコンラッドが目の前にしゃがんだ。
「顔色も良さそうだな」
「ええ、気分も最悪ですもの」
何を見て〝も〟と言っているのか。何もわかっていないコンラッドに嫌味めいた言い方をするもすぐに首を振った。
「わたくしが倒れた時、あなたが助けてくださったと聞きましたわ」
「たまたま通りかかったからな」
「たまたまが多いんですのね」
いつだってコンラッドは近くにいたように思う。嫌な時もあったが、それでもコンラッドに助けられた事は多かった。今回もコンラッドが通りかからず医者を待ってそれから病院に運ばれていれば今よりずっと重度の後遺症を負っていたかもしれない。
どの結果になったとしてもクリストファーが駆け付けただろうから一緒かと思いながらもあの場ですぐに対処してくれたコンラッドのおかげでもあると再度頭を下げた。
「これからずっと車椅子なのか?」
「いいえ、リハビリ次第で動きますわ。心配性な家族のために乗っているだけですのよ」
「ずっと乗っておいたらいいんじゃないか? どこでも眠れるぞ」
「それもそうですわね」
毒に眠り毒から目覚めても眠り病は治っておらず、相変わらず眠りについている。今日も馬車の中で眠ってしまった。
治る事に期待はしていないが、相手に眠りの事を言われるとどうにもこみ上げる懐かしさに笑ってしまう。
「俺が押そう。君に見せたいものがある」
「なんですの?」
「着いてからのお楽しみだ」
婚約者でもない王子に車椅子を押させるのは申し訳ないと思えど言ったところでコンラッドは聞かない。慌てるアーロンに気付いていながら無視をするのだからティファニーが言ったところで素直に聞くはずがないのだ。
「掲示板に何が……」
一か月半の間に何か重大な発表でもあったのかと不思議そうに掲示板を見上げるティファニーの目に留まった一枚のお知らせ。そこには【マリエット・ウインクル及びクラリッサ・マーシャル両名を退学処分とする】と書いてあった。
「……そうでしたのね……」
なんとも言えない気持ちにティファニーは呟くような小さな声で言葉を漏らした。
こうなる事はわかっていた。人に毒を仕掛けてタダで済むはずがない。甘ければ停学。真っ当であれば退学処分を課すだろうと想像はしていたが、実際にこうして学校からの発表として見ると現実なのだと実感する。
「二人のご両親は抗ったのではありませんこと?」
「足掻いたさ。醜い程にな」
「それでも聞き入れませんでしたの?」
「当たり前だ。毒を入手した人間からの証言が取れたんだ。言い逃れは出来んさ」
聞くべきか聞かざるべきか迷った。入手した人間という言い方はクラリッサとマリエット以外の人間であると言っているようなもの。その人物を知ったところで意味などないと思うも知りたいという気持ちもあった。
「マーシャル家の庭師だ。植物から採れる毒を管理していたんだが、クラリッサに逆らえず渡したらしい。クラリッサはそれがどういう毒か知っていながら君の紅茶に仕込んだんだ」
誰かと聞いてもいないのに答えるコンラッドにティファニーは眉を寄せる。自分があの事件にトラウマを持っていて知りたくないと思っていたらどうするつもりだと、コンラッドのデリカシーのなさに思わず溜息がこぼれた。
「知っているべきだと思ってな。クラリッサは本気でクリストファー・ブレアを手に入れるつもりだった。幼い頃からずっと、彼に恋焦がれていたらしい。それを君が奪ったと逆恨みし、愚行を働いたというわけだ」
「怖いのは食べ物の恨みより恋の恨みですのね」
「人の恋路を邪魔する奴は~というやつだろう」
「邪魔した覚えはありませんわよ」
「クラリッサ・マーシャルからすれば何も知らない顔で現れた君が邪魔をしたんだ」
「言いがかりですわ」
「俺だってクリストファー・ブレアに邪魔をされた」
「は?」
「あの頃は君、少なからず好意を持っていただろう」
疑問符をつけない辺り、自信があるのだと更に眉を寄せるティファニーは否定も肯定もしなかった。あの頃の思い出が甦ってくるのは嫌な感じではなかったから。
クリストファーがマリエットを嫌いだとわかって、自分の味方をしてくれることがわかって嬉しかったのも事実。一緒にいる毎日が彩られて見えたのも事実。
ほんの少しの時間だったにもかかわらず、コンラッドの言う通り、ティファニーは少なからず好意を持っていたのだ。
「俺としては彼も馬に蹴られるべきだと思うがな」
「あなたも愚行を働いてはいかが?」
「俺はそこまで愚かじゃない」
「あら、意外ですわね。ご自分のことが何一つわかっていないだなんて」
「俺はイイ男だ。わかってるのはそれだけでじゅうぶんだ」
肩を竦めるティファニーにコンラッドは嬉しそうに笑う。その笑顔がまるで少年のように見え、ティファニーもつられて笑顔になる。
だが、顔を戻せば視界に入る二人の退学処分に笑顔は薄れ、ゆっくり長い息を吐き出した。
「彼女達はこれからどうなりますの?」
「両家共に貴族の地位を剥奪。国外追放だ」
「そんなに……?」
貴族として生まれ、貴族として生きてきた人間が貴族の地位を剥奪されてどう生きていくのかティファニーには想像もつかなかった。
貴族の中には平凡な暮らしを望む者もいるが、それはあくまでも想像だから出来る事であって実際に放り出されてしまえば何も出来ない者ばかりだろう。
労働が許されていない貴族に労働経験者はいない。そんな人間達が集まったところで右も左もわからない生き方に途方に暮れるのは目に見えている。
あのプライドの塊である二人は髪飾り一つ手放す事さえ出来ないような気がした。
「一生恨まれるでしょうね」
「だろうな」
ティファニーとて考えないことはなかった。クリストファーと出会わなければ全て上手くいっていたのだろうかと。しかし、考える度に行きつく先は【誰にとっての上手くいく人生なのか?】ということで、それはけして自分にとって上手くいっている人生ではない。マリエットかクラリッサにとっての上手くいっている人生なのだ。ならそんな上手い人生は蹴飛ばしてしまえともう一人の自分が囁く。
クリストファーを選んだのは間違いじゃない。毒を盛られ、血を吐き、車椅子になってしまったとしても後悔はなかった。
「もう二人はいない。君に悪役令嬢の任を課す者はいなくなったんだ。嬉しくないのか?」
「身体が自由になったら喜びますわ」
素直に喜べないのは何故だろうと自問しても納得する答えは出てこない。
「……ティファニー、俺は手品が得意なんだ。見たいか?」
「え、ええ……」
唐突すぎる問いかけに戸惑いながら返事をするとコンラッドの手が髪に伸びてきた。
何をするつもりかとコンラッドを見上げていると頭に何か乗せられた。
「君の髪飾りがティアラに変身だ!」
手に取ると煌びやかなティアラがあった。誰が見ても似合わない絢爛豪華なティアラに顔を上げるティファニーに相変わらず笑顔はない。
「……髪飾りは?」
「嬉しくないのか?」
「髪飾り」
「はあ……君は乙女心が欠けているな」
パッと魔法のようにコンラッドの手の上に現れた髪飾りを取ればアーロンに渡して朝と同じ定位置につけてもらう。
「これは姉がわたくしにと買ってくださった髪飾りですの。そのティアラとは比べ物にならない価値がありますのよ」
「アビゲイルか?」
「ええ」
髪飾りを見ればアビゲイルかパトリシアのどっちが送ったのかなど一目瞭然。
「派手だもんな」
導き出す理由としては大正解。
「……わたくしには似合わないと?」
「そうは言わないが、君は派手な物より控えめな物の方が似合う」
「そのティアラとか?」
「……まあ、そうだな」
髪飾りよりずっと派手なティアラを見たコンラッドは一度目を他にやってからティファニーを見つめて満面の笑顔を見せた。
「ホント、バカ」
小さく噴き出して笑ってしまうティファニーに安堵したように目を細めるコンラッドは手を伸ばして頬を撫でようと伸ばした手をティファニーが叩いてハッとした顔を向ける。
「アシェル先生はどうなりましたの?」
「リーヌス・アシェルのことか?」
「ええ」
「謹慎処分になりそうだ。十年前の事ならまだしも、二年前の事だからな。手は出していないといえど、生徒に好意を抱いていたんだ。影響は少なくないとはいえない」
「影響?」
「教師を変えろ、クラスを変えろとリーヌス・アシェルが担当している生徒の親達がモンスター化しているという話だ」
パトリシアと抱き合う写真に写っているリーヌスの表情が困っているものであれば結果は少し違ったのかもしれないが、誰が見ても微笑ましくなるような笑みを浮かべていたのだから言い訳は出来ない。
呼び出されたリーヌスがどういう説明をしたのかはわからないが、生徒に恋をするような男を、それを隠し通そうとしない人間を自分の愛しい子供に近付けたくないと思う親の心は理解出来る。だが、これを聞けばパトリシアが悲しむという思いにティファニーは胸を痛めていた。
「辞めるかもしれないな」
「冗談……」
「その方がいい。一度押された烙印は一生消える事はない。それが事実でなかったとしても事実のように思わせる行動をした者に問題があると言われて潰れるのは目に見えている」
「でも……ここを辞めてしまったら……」
姉はどうなるんだという言葉が詰まり、ティファニーは一点を見つめて黙り込んだ。
ただでさえ父親は貴族しか認めないという馬鹿な考えを持っているのに、教師を辞めて一般職に就いてしまえば認められる可能性はないも等しい。
貴族の学校は普通の学校よりもレベルが高く、故に給料も良い。それを失ったリーヌスを父親は人間と認めないだろう。
「駆け落ちすればいいんじゃないか?」
アビゲイルと同じ事を言うコンラッドに驚いた顔を向けるティファニーはコンラッドが冗談で言っているのではない事を表情で悟った。
「もしリーヌス・アシェルという男を本気で愛しているのなら地位も名誉も必要ないはずだ。生活に苦労する覚悟があるなら駆け落ちなど怖くもなんともないだろ」
無責任だと思いながらも否定できないのはあの身勝手な父親に反対されて泣くぐらいなら父親を泣かしてでも幸せを手に入れてほしいと思う気持ちがあるから。
駆け落ちは認められたものではない。公子が貧しい女を迎える事より、公女が貧しい男の手を取る事の方がずっと恥さらしと呼ばれるのだ。愛に溺れて貴族を捨てるか、愛に溺れても貴族として生きるかでは差がありすぎる。
特に父親のように貴族としての誇りを過剰に持ちすぎている人間には自分の娘が駆け落ちしたなどという事実は耐えられないだろう。
だからといってパトリシアが耐える必要はないのだ。
「お姉様が覚悟を決めても彼が覚悟を決めなければ意味がない話ですわ」
「本人に聞いてみたらどうだ?」
「え?」
振り向くと箱を抱えたリーヌス・アシェルがそこに立っていた。
「大変だったね」
「その荷物は?」
リーヌスの労いに返事はせず、抱えている物が何なのか眉を寄せるティファニーに苦笑を見せる。
「教師を辞めるんだ」
嫌な予感にティファニーは唇を噛みしめる。
「辞めてどうなさるおつもりですの?」
「田舎に帰ろうと思う。僕の実家は農家でね、それが嫌で家を飛び出したんだけど……教師の方が合ってなかったみたいだ」
ティファニーの手が震える。
「あなたの決断を止めは致しませんけれど、その決断でわたくしの姉の気持ちはどう考え———」
「だから」
怒りに震えるティファニーの言葉を遮って吐き出したリーヌスの目に強い意志を感じた。
「パトリシアを迎えに行ってもいいかな?」
「……どういう意味ですの?」
「連れて行きたいんだ、彼女も一緒に」
想像していた言葉ではなかった。
ティファニーの頭の中でリーヌスは申し訳ないと頭を下げて言い訳をする姿があった。しかし実際はティファニーに許可を得ようとしている。一番末の何の力も持っていないティファニーに。
「彼女が、君が大変な目に遭っているのに将来の話なんて出来ないと言ったんだ。君が目覚めて無事戻ってきたら将来の事を決めたいと」
パトリシアらしい愚かな考えだと震える唇をもう一度噛みしめて鼻から息を吐き出すティファニーはゴクリと音を立てて唾を飲み込んだ。
「ティファニー」
聞き慣れた優しい声に目を見開いて振り向けばパトリシアが立っていた。お出かけ用のワンピースに大きなツバの帽子。普段はしない化粧をして、手には大きな旅行鞄を持っていた。
———ああ……
涙がこみ上げる。嫌でもわかってしまう別れの時。
何故今日で、何故今で、何故ここでなのか。問う必要もない。
「今日のお姉様は世界で一番美しいですわ」
「ありがとう」
笑顔で見送りたいのに涙が溢れて止まらない。
離れたくない。
幸せになってほしい。
行かないで。
笑っていて。
一つでも言葉にしたら全てこぼれてしまいそうでティファニーは必死で笑顔を浮かべていた。涙を流しても顔は歪めない。悲しくない。これは喜びの涙だと自分に言い聞かせてリーヌスに顔を向ける。
「どうか何があっても、どんな時でもあなただけは必ず味方であってください。姉のために全てを捨てる覚悟をいつも持っていてください」
「うん」
「姉に一粒でも涙を流させたら迎えに行きますから」
「うん」
「姉を……パティお姉様を……幸せにしてください」
笑っているのは無理だった。表情が歪んで笑顔が消えてしまう顔を両手で覆って俯けば傍に何かが置かれる音がした。
「約束する」
すぐ傍で聞こえたリーヌスの声に顔を上げると地面に膝をついた姿がそこにあった。優しい笑顔と優しい声。それにティファニーは何度も頷いた。
「ティフィー、愛してるわ」
「わたくしもですわ、パティお姉様」
後ろから抱きしめられると香るパトリシアの匂いにまた涙が滝のように溢れる。前に回る手を強く握りながら今の泣き顔は見せたくないと俯くティファニーの髪にキスが降り、耳元で囁きを残して手はゆっくりすり抜けていく。
パトリシアとリーヌスは顔を見合わせると幸せそうに微笑み、ティファニーに手を振って一緒に歩いていく。
馬車はない。街に出るまで長い道を歩く事になるだろう二人はそれでも幸せそうだった。
「わわっ、ティファニー! ……パトリシアは幸せになるよ。アシェル先生はイイ人だもん」
ハンカチでそっと涙を拭いてくれるアーロンに抱きつけば慌てた声が聞こえるもそっと抱きしめ返してくれる。
パトリシアが選んだ人なのだから間違いないと思っている。イイ人でなければこんなに思い続けることはしないのだから。
ただ今は、嬉しさと寂しさに前向きな言葉が出てこない。
悪役令嬢の感情はいつだって単純明快で悩む必要がなかったのに、今この瞬間、ティファニーは初めて声が出ないほど苦しい思いを経験していた。
「今度は君の番だね」
優しく微笑むアーロンにティファニーは顔をクシャクシャにしながらゆっくり頷いた。
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