悪役令嬢な眠り姫は王子のキスで目を覚ます

永江寧々

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意地悪な一面

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「なるほど……」

 話している間、クリストファーは一度も口を挟まなかった。真剣な表情で相槌を打つように頷いて最後まで聞いてくれた。だからこそ不安だった。怒っているとも引いているとも読み取れない真剣な表情の裏で何を考えているのかわからなかったから。

「貴族の世界ではよくある事だね。爵位こそ全てだ。上の人間に嫌われればその界隈では生きていけない。ヘザリントン伯爵は家族を路頭に迷わせないために必死なんだ」
「生き残るため、だと思います」
「それは間違いじゃない。貴族として生まれた以上、そこでの生き方しか知らないのだからしがみつくのは何もおかしな話ではないんだよ。ただ、そのために娘の人生を犠牲にするのは間違っている」

 いつだってクリストファー・ブレアは正しくて、彼の中に間違いは存在しないような気がした。
 欲しい言葉を当たり前のように与えてくれ、嫌味のようなティファニーの言葉に首を振るも間違いもあった事を認める。人の感情を荒れさせない術をちゃんと知っている。

「だけど、十年前の事を責めたからといって君の十年間は戻ってこない。悪役令嬢というイメージも定着してしまっているだろうし……」
「責めたい気持ちはないんです。悪役令嬢をやれてよかったと思う事もあるんです」
「例えば?」
「嫌味なキャラだから媚びなくていいとか、愛想よくしてお茶会に参加しなくていいとか、人付き合いに無駄な時間を割かなくていいとか、眠ってしまうことをいちいち説明しなくていいとか。一人でいられるのは悪役令嬢になったからなんです」
「なるほど」

 人付き合いをバカバカしいと感じる女だと言っているようなものだが、真剣な相手に偽る言葉を吐くことはできなかった。自分はこんな女である事を最初から知ってもらっていた方がいい。
 相手の気持ちを量るつもりはないが、こういう自分を知って尚、好きだと言ってくれるのであればこんなに嬉しいことはないのだから。

「でも仕返しはするんだね?」
「……はい」

 マリエットが悪役令嬢にしてくれたおかげで快適な学園生活が送れているのは確かだが、コンラッドが現れてからの理不尽すぎる仕打ちに従い続ける馬鹿馬鹿しさを感じたのも事実。
 前にクリストファーが言っていた『やられたからやり返すのは間違いだ』という言葉を裏切る行為だが、今更止められない。
 クリストファーに気に入られたいがために全てを水に流したのではきっと後悔する日が来るとわかっているから。

「あなたに好意を持っていただいているのにわたくしはあなたが間違っていると思う事をします」

 復讐心で動いてクリストファーを失う事こそ馬鹿馬鹿しく愚かだと自分でもわかっているが、ティファニーの決心は揺るがなかった。

「僕から一つ提案がある」
「なんでしょう?」

 人差し指を立てるクリストファーの表情は相変わらず真剣なもので、休戦させるつもりかと勘繰りながらも首を傾げた。

「何もしないっていう仕返しはどうかな?」

 仕返しを止めるどころかどう仕返しをするかという提案をした事に驚きを隠せず目を見開くティファニーを見つめながら相変わらず人差し指は立てたまま言葉を続ける。

「正義のヒーローになるためには悪者が必要だよね? 悪者がいない世界にヒーローは必要ない。なれても良い人。でも良い人なんて世の中には大勢いるから目立つのは不可能。ヒロインも同じだよね。悪役令嬢がいるから目立てる。でもいなかったらマリエット・ウインクルはただの公爵令嬢。この世に公爵令嬢は一人じゃない。ヒロイン願望がある子に仕返しがしたいならあえて何もしないっていうのも効果的なんじゃないかな? 嫌味も言わず、普通に接する。挨拶をして笑顔を見せる。そうすれば可哀相なマリエットは存在出来なくなる」

 目からウロコに何も言葉を返せないティファニーを見つめるクリストファーはニッコリ笑って小首を傾げる。

「あ…なたって……変……」

 ようやく出たと思った言葉がそれだった。失礼極まりない言葉だったが、本心だった。自分はまだクリストファー・ブレアという男がどういう男なのかこれっぽっちも理解出来ていないとわかった。

「そうかな?」
「だって間違ってるって言ったのに……」
「十年は長いよ。それもくだらない理由じゃない。誰だって一人のわがままによって人生を狂わされたのに報われなきゃ仕返しを考えるさ」
「短ければ認めない?」
「いや。したければすればいい。間違ってるとは思うけど、それはあくまでも復讐を考えた事のない人間の考えだ。復讐を考えた事があれば意見は変わるだろうね」

 良くも悪くも素直。心配になるほど正直で優しい男が自分を好いてくれているなどティファニーはまだ信じられなかった。
 褒められた人間ではない自分のどこが好きなのか聞いてみたいが怖かった。
 今はただ、相手が好きだと言ってくれた事を素直に喜ぶことにした。

「ふふっ、ふふふふふっ」
「え、何か笑うようなこと言った?」
「あなたって変わってますわ。ふふふふふっ」

 急に笑い出したティファニーにポカンとするもクリストファーの表情は笑顔になっていく。

「君はその喋り方がいいし、媚びない言葉がいい」
「わたくしの喋り方は王子の相手に相応しくありませんわ。ですから、今日はおしとやかなレディを気取ってみましたのにこっちが良いなどと言われては努力が台無しですわ」
「努力してくれてありがとう。でも気取らない君が好きなんだ。飾らない方が素敵だよ」

 心臓がもたないと胸を押さえるティファニーはここがクリストファーの部屋で、今は二人きりである事を思い出して急に恥ずかしくなった。

「僕のこと、少しは意識してくれてると思ってもいい?」

 見ればわかるだろうに決めつけない所が彼の優しさだとティファニーは思う。
 照れ隠しの否定は執拗ない。そんな事をして相手の優しさを台無しにしたくないのだ。

「え、ええ……」

 はい。と可愛らしく笑って頷けばいいものを根が悪役令嬢に染まりきっているため可愛らしいヒロインのようなやり方は出来なかった。

「僕が君と同い年だったら君の学校に転入するのに」
「学校がパニックになりますわ」
「パニックが起きてる学生生活は送ったことないから残念だけどハズレかな」
「穏やかでしたの?」
「すごくね」

 どれほど贅沢な環境で生きてきた人間が集まればクリストファーに騒がずにいられるのか想像もつかなかった。
 コンラッドのような遊び人が現れるだけで女子生徒が黄色い悲鳴を上げるのにクリストファーに上げないのは信じられないことで。

「君と送る学生生活は楽しかっただろうね」
「まさか。わたくしの言動を見ればあんなこと言おうとも思いませんわよ」
「あんなことって?」
「あなたがわたくしを好きに……」

 自分で口に出していうのははばかられた。
 自覚はしているものの、現実味はなく、この優しさが自分だけのものと自惚れてしまいたくないと口をつぐんだ。

「好きになってもいいかって?」
「え、ええ」
「どうかな。その時になってみないとわからないけど、でも君に興味を持ったんじゃないかな? 君みたいな子って他にいる?」
「性格の悪さでいえばマリエットとクラリッサは同格ですわよ」
「クラリッサってあのクラリッサ・マーシャル?」
「ええ」

 それだけで『なるほど』と呟いて笑うクリストファーが何かに気付いた事にティファニーは気付いていなかった。
 おかしなものだとティファニーは思った。
 最初はマリエットの相手であるコンラッドと関りを持ち、その関りが切れたら今度はクラリッサの想い人であるクリストファーと仲良くしている。悪役令嬢のする事といえばそうであるため否定はしないが、対象はマリエットであってクラリッサではない。

「でも……」
「ん?」
「これも間違いではありませんわ」

 クラリッサが難癖をつけてくれば揚げ足を取るように言い返すことが出来る。それをマリエットは当然のように庇い、二人で責めてくるだろう。今の状況が利用出来るのであれば二人を負かすぐらいわけないと考えた。

「クリストファー様、お願いがあります」
「クリスって呼ぶならお願い聞いてあげる」
「まだ何も言ってませんのに交換条件ですの?」
「うん。僕も男だからね。好きな相手からのお願いを利用して欲望を叶えようとしてる」

 包み隠さず全て口にしてしまう相手がおかしく、コンラッドの時のように嫌味を言う事は思いつかなかった。
身体を揺らして笑うティファニーの顎を上げさせたクリストファーにドキッとしたティファニーは思わず喉を鳴らす。

「クリスって呼んでみて」
「か、顔が近いのでは……?」
「僕がキスする前に呼んで」
「ま、まだわたくし返事はしていませんのにキスは早いですわ!」
「ほら、3、2……」

 唇が触れそうになる近さに目を回したティファニーは頭から湯気を上げながら息を吸い込み

「クリス!」

 大声で名前を呼んだ。

「よくできました」

 キスは唇ではなく額に押し当てられ、回った目を止めたティファニーはガッカリはしなかったものの妄想が先走っただけに唖然とした。

「君と恋人になれるまでキスはしない。誰かと比べられたくないからさ」

 誰の事を言っているのかは一目瞭然。

「だ、だからってこれは心臓に悪いですわ」
「ごめんね。でも、君の記憶に濃く残したいんだ。僕の事を考えない日がないぐらい濃い記憶を残したい」
「じゅ、十分残ってますのに……」

 これがタラシでないとしたら何なんだと問いたくなる言動にティファニーは心臓がもたないと胸を押さえた。
 これ以上一緒にいるのは危険かもしれないと立ち上がろうとしたティファニーの手を絶妙なタイミングでクリストファーが握る。それによって立てなくなったティファニーが困った顔で俯くため、抱きしめようか方手が迷っていた。

「お願いって?」
「巻き込むつもりはないのですが、お名前だけ借りたいんですの」
「名前を借りる?」
「ええ。対抗策として。ご迷惑をおかけするような事には絶対にしませんわ」
「いいよ」

 アッサリすぎる返事に目を瞬かせるティファニーの手をしっかり握るクリストファーの強い目がティファニーを捉える。

「でも、僕の名前を使うからにはちゃんと使ってほしい」
「ちゃんと?」
「後戻り出来なくなるぐらいの使い方をしてほしいって事だよ」
「えっと……それは、どういう意味ですの?」

 後戻りはもうできない。するつもりもない。だが、そこにクリストファーが混ざるというのは想像出来ない。クリストファーの名前を使って後戻り出来ない状況とはどういうものか……わからないとティファニーは首を傾げた。

「婚約する事になった、とかね」
「そ、そんなこと言えるわけありませんわ!」
「じゃあ貸さない」
「そんなっ———!」

 コンラッドと同じ人種かと一瞬疑いが入るもクリストファーの表情はからかっているものとは程遠く、驚くほど真面目なものだった。

「中途半端に使われる方が迷惑だ。ブレア家の名を利用するという事に覚悟を持ってもらわなければ困る」
「それは……そうですが……」
「だから、切り札に使ってよ」
「ですが……」
「切り札きったら言って。現実にしよう」

 信じられない言葉が耳から胸へと駆け降りていく。異常な速さで鼓動を打つ胸を押さえながら唇を噛みしめる。嫌だからではない。期待し過ぎたくないのだ。
 クリストファーという男はからかい目的にこんな大それた事を言う人間ではない。だからこそだ。自分のような人間がクリストファーの横に立つのが相応しいとは思えなかった。
 好意を示してくれている相手に自分は相応しくないと言ってしまうのがいかに失礼なことなのかはわかっている。それでもティファニーは自信がなかった。悪役令嬢という立場で生きてきたせいで自分という存在に自信を持てなくなっていた。
 自国の貴族の間では広がっている〝ヘザリントン家の三女は性悪な居眠り女〟でオマケに〝怠け病〟である事も。それがいつマレニス王国に伝わってバレるかわからない。
 クリストファーは過去など気にしないと言うだろう。だが彼の両親は? 一国を背負う一族にそんな汚点を持った人間が入る事など許さないはずだ。
 間に立つクリストファーが辛い思いをするのは耐えられない。

「プロポーズにしてはロマンに欠けますわね」
「プロポーズの予約をしてるだけだよ」

 プロポーズに予約などあるのかと笑うティファニーをクリストファーは目を細めながら見ていた。

「ねえ、ティフィー」
「ん?」
「僕はね———」

 優しい微笑みを持つクリストファーは素敵だと思った。彼が何故自分に好意を向けてくれるのかわからないティファニーはその笑顔さえもったいないと思うが、嬉しかった。

「坊ちゃん、馬車はいつ頃———」
「シーッ」

 膝枕をで眠るティファニーの姿にいつもの大声を上げないようにと指示すると覗き込むアントンの口は閉じられ笑顔に変わった。

「どうなさいますか?」
「ヘザリントン伯爵に電話するよ。このまま帰らせるわけにはいかないからね」
「さぞ、お喜びになられることでしょうなぁ」
「ははっ、だろうね」

 喜ばしい笑いではないものの、親がどういう人間であるかは相手への好意には関係ない。結婚するとなればそれなりの付き合いは必須となるが、あくまでもそれは〝それなり〟のものであり、ベッタリというではない。軽く考えても構わないとクリストファーは思っている。
 自分が好きになった女は誰かの子供で、伯爵令嬢という地位にいるということは親がいる。その親が最低であろうとも好意は薄れたりしない。
 考え方としてはゲスだと自分でも思うが、娘への態度を改めさせるぐらい自分の地位であれば難しくはない。むしろ簡単だ。これ以上、アルバートがティファニーに無理を課すようであればそれなりの方法を取らせてもらうと考えながら電話を取った。

「ヘザリントン伯爵に繋いでください。クリストファー・ブレアです」

 穏やかに眠るティファニーに微笑み、髪を撫でながら息を切らせながら電話に出たアルバートにあえて『今日はティファニーをうちに泊まらせます。悪役令嬢をやらせる家に帰したくなくなってしまって』という意地悪な言い方で宿泊許可を得た。

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