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ヒロインになりたい悪役令嬢
しおりを挟む夜、またティファニーのドアが強く叩かれた。
「こんな夜更けにドアを叩く礼儀知らずのバカはどなた?」
「ッ……私よ」
屈辱的な問いかけをしてくるティファニーに苛立ちながら自分だと知らせると満面の笑みでドアを開けたティファニーにあれがワザとであると気付いた。
「ああ、マリエットでしたのね。どこぞのおバカさんだと勘違いしてしまったの。許してくださるわよね?」
「いい加減にっ……ッ!」
朝から調子に乗りすぎだと手を振り上げたのを掴んで止めると驚いたマリエットはその手を振り払う。
「彼は私のよ! アンタ自分の役目を忘れたの!?」
訪ねてくる理由などそれしかない。
「まさか。わたくしの役目は悪役令嬢としてヒロインに嫌がらせをし、あなたを立派なヒロインにする事ですわ」
「だったらどうして彼に手を出すのよ!」
いつ飛び出してくるかわからない震えた拳に視線をやってからニッコリ笑って言い放つ。
「わたくしが悪役令嬢だからですわ」
「なっ……!」
笑顔だが、声はとても静かなもので、マリエットは速まる心臓に唇を噛んだ。
「ヒロインが好意を抱いている王子に手を出すのは悪役令嬢定番の行動。そうすることでヒロインであるあなたは可哀相だと同情される。そこで平気だと笑顔で強がる事であなたへの支持は更に上がる。そうでしょう?」
「そう、だけど……」
珍しくハッキリとした意見を向けるティファニーに何があったのか想像もつかないマリエットは押され気味だった。
「何も心配はいりませんわ。ヒロインはあなた。恋愛小説ではヒロインは幸せと絶望の両方を味わっているでしょう?」
「ええ……」
「それがあるからヒロインなんですのよ。あとはあなたが完璧な演技をするだけであなたは完璧なヒロインになれますわ」
目を細めて笑いかける姿はまるで本物の悪役令嬢を前にしているようで嫌な感じがした。
いつだって自分を優位にいさせてくれる偽りの悪役令嬢ではなく、小説の中に出てくる本気でヒロインから王子を奪おうとしている悪役令嬢。
登校した日の昼休み、コンラッドがティファニーを迎えに来たと聞いて慌てて探すと中庭で一緒にランチをとっていた。
「あの女また!」
「マリエット様行きましょう! 行ってガツンと言ってやりましょう!」
ティファニーの膝の上にあるサンドイッチを二人仲良く食べている。距離は驚くほど近い。いつだって淑女を演じてきたマリエットはあそこまで近寄った事はない。それなのにティファニーは肩同士が触れ合うほどくっついてサンドイッチをコンラッドの口まで運んでいる。
「王子はどうして拒まないのよ!」
我慢の限界がきたのは取巻き。
ティファニーがコンラッドを狙っている理由は色々想像つくが、コンラッドがティファニーを受け入れているのは納得いかず声を荒げた。
「コンラッド様は素敵な方ですもの。ティファニーがお近づきになりたいと思うのも仕方ない事だわ」
不思議と怒りは湧いてこず、微笑みを浮かべると取巻き達の目が輝く。
「さすがマリエット様! 寛大なお心ですわ!」
「当然でしょう! マリエット様は婚約者なのよ!」
「まだ婚約はしていないわ」
今までならここでワザと苦笑して見せるが、今日は本物の苦笑がにじみ出た。そして自分で言いながら初めて不安がよぎる。
本当に婚約するのか、マリエットは今更になって疑問を持ち始めた。
父親は何がなんでも自分の願いを叶えてくれる。今までずっとそうだった。父親に叶えられない事などなかった。だが、それはいつだって父親が〝公爵の力〟を使えたからであって、今回はその〝公爵の力〟が通用しないかもしれない。
マリエット最大の望みはコンラッド・グレンフェルを手に入れること。
相手は王族。公爵の願いを一蹴するなど容易い事。
もし一蹴されたら? 父親がまだ約束を取り付けていないとしたら? 溺愛しているが故に絶対に娘を受け入れると思っているのだとしたら?
いつの間にか出来上がった〝婚約寸前〟という言葉だけが独り歩きしているのだとしたら……
「だから……?」
マリエットはめまいがした。
何故コンラッドが自分ではなくティファニーを信じたのか。
何故コンラッドがティファニーに接近し始めたのか。
何故コンラッドがティファニーを拒まないのか。
最初は女好きのコンラッドは見境なく女を誘うからだと思っていた。だが違う。
実際はティファニーに興味を持ったからだと気付いた。
「もう結婚したも同然です! 今更ティファニー・ヘザリントンが足掻いたからといってどうなるわけでもないのに愚かですわね」
「泣きをみる準備をした方がいいと忠告してやりたいですわ! オーッホッホッホッホ!」
取巻き達が高笑いをする中、マリエットだけが不安を抱えていた。
昨日のティファニーの笑みが頭から離れない。ティファニーはもしかすると本気で仕掛けてくるつもりなのかもしれない。
「ッ!?」
ティファニーと目が合った。すると慌てるでもなくティファニーは見せつけるようにコンラッドの口元についていたトマトの汁を指で拭ってそれをペロッと舌先で舐めた。
「ティファニー……」
確信した。
「やれるものならやってみなさいよ」
ヒロインは譲らない。そのために努力してきたのだから今更誰にも譲るはずがない。ヒロインは王子と結婚してこそヒロインになれる。そこら辺の公子と結婚しては意味がない。
父親がまだ婚約を取り付けていないのなら自分が直接取り付ければいいだけ。
自分がティファニーに負けている部分などない。
「演技力次第なのよね」
ボソッと呟いたマリエットの表情もまたティファニー同様悪役令嬢そのものだった。
「ふう……行きましたわね」
何事もなく去っていった事に安堵の息を吐き出すとサッと距離を取ったティファニーにコンラッドはまた距離を詰める。
「ちょっと、なんですの? もうよろしくてよ?」
「注目は浴びた方がいいんだろ?」
「マリエットはもう行きましたわ」
「甘いな」
バカにするような言い方にムッとするティファニーが半目になってコンラッドを見ると顎を持ち上げる手に従うも表情は変わらない。
「本人に見せるだけじゃ足りないだろ。こういうのは周りから話を聞くことも大事なんだ」
「どういう意味ですの?」
「マリエット・ウインクルには支持者が多い。ありとあらゆる情報が耳に入ってくるだろう。それを利用するんだ。自分が見ていない所でも俺達がイチャついていたという話を聞けばどうだ?」
「ショックを受けるでしょうね」
「だろ? だから去ったからといって距離を作るべきではない」
一理あるだけに反論はしなかったが手は払いのける。あくまでも自分達の関係は共犯なだけであって本物の恋人ではない。マリエットに仕掛けるにしても〝恋人〟という嘘をつくにはまだ早い。
何よりキスはしたくなかった。
「わたくしとキスがしたければ」
「眠ってる時にしろって?」
「眠っている時は放っておいてくださる!?」
「キスしたくなる寝顔なんだ」
「放っておいて!」
眠っている時は完全無防備でキスをしに来た相手から逃げる事は出来ない。恋人でも知人でもない初対面の相手にキスをするなど非常識にも程があると責めたいが、相手は女好きで有名なコンラッド・グレンフェル。
言うだけ無駄だとわかっていた。
「で、これからの事は考えているのか?」
「もちろんですわ。徹夜で考えましたのよ。完璧な悪役令嬢を演じて見せま……」
「っと」
胸に手を当て勝ち誇ったような笑みを浮かべたかと思えば急に身体を後ろへ倒すティファニーを慌てて抱きとめると眠っていた。
何の予告もなく眠りに落ちる姿を見るのは初めてで驚きに目を瞬かせるが、やはり面白いという感想の方が強かった。興味をそそられる。
「放っておけばいいんだったな」
放っておけと怒られたばかりでキスをすれば目を覚ました瞬間に怒られるのは目に見えている。
共犯という形で相手を観察できるチャンスが訪れたのにみすみす手放すつもりはなく、今回はキスせず目覚めるまで待つことにした。
ただし、相手をそのまま寝かせるのではなく膝の上に抱き上げて眠らせた。
このまま目を覚ませばそれはそれで怒られるのだろうがコンラッドはそれさえ楽しみだった。
「ギャーーーーーー!」
ニ十分後、獣の鳴き声のような悲鳴が辺りに響き渡り、それと共鳴するようにコンラッドの笑い声も響いていた。
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