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狂い始めた人生計画

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「ティファニー、入ってもいいかい?」
「髪をセットしてますの!」
「入ってもいいね?」
「え、ええ」

 朝の忙しい時間に一体何の用だと眉を寄せるが声は明るく返事をした。

「昨日はコンラッド王子と接触があったそうだね」
「え、ええ」

———情報が早すぎるっ

「王子は何か言っていたかな?」
「い、いえ何も。マリエットについて聞かれましたの。結婚目前にして婚約者の事が気になったのでしょうね」

 優しい口調が妙に怖い。何かを企んでいる時の喋り方だ。

「お前の縦ロールはいつも見事だな」
「お父様がスタイリストを雇ってくださったおかげですわ」
「悪役令嬢として欠かせないものだからな」
「ええ、もちろんですわ」

 ストレートヘアの悪役令嬢だって存在する。だが父親が参考書として用意する小説の挿絵に描かれている悪役令嬢は何故か縦ロールばかり。だからティファニーもいつの間にか悪役令嬢は縦ロールと思うようになった。

「あの王子は遊び人と有名だ」
「ええ、存じ上げていますわ」
「本気になるなよ」
「マリエットの相手ですのよ? わたくしそこまで命知らずではありませんわ」
「ならいい」

 肩に置かれた手に込められた力は脅しの圧力だとわかった。
 父親が言いたいのは『遊び人に近付くとロクな事がないから気をつけろ』ではなく『マリエットの相手だから身の程をわきまえろ』ということ。娘の身を案じてではない。
 自分の名誉のために娘を売る父親に今更何か期待する事はないが、ここまで忠告に来るとはアッパレ。紙吹雪をまき散らしながら拍手喝采を送りたくなった。

「じゃあ、今日も(失敗しないよう)気をつけて。いっておいで」
「行ってきますわ」

 頬へのキスすら気持ち悪い。

「お化粧をしているのだからキスなんてしないでほしいわ」

 手鏡を見ながら化粧が落ちない程度に父親の唇が触れた箇所を指で何度か払うティファニーは朝から最悪の気分だった。
 黙って見守ってくれればいいのに父親はいつも口出しをする。失敗しそうな時には先手を打ってティファニーの行動を制限する事も少なくなかった。
 ティファニーは姉妹の中で一番要領が悪いと自覚があるため父親が心配するのもわかっているつもりだが、それにしたって娘への圧をかけるのに肩を掴むかとまだ少し痛みを感じる肩を撫でた。




「あー転校したい」

 馬車から降りて第一声が転校希望。
 今日から出来る限りコンラッドに会わないよう注意して過ごさなければならない。今までかすりもしなかった存在が何故今になって接触してきたのかわからない苛立ちをぶつける相手もいないため絶望に一歩踏み出すのも嫌だった。

「さあ、行きますわよ!」

 パンッと両側から頬を叩いて気合を入れれば戦闘開始だと踏み出した。
だが、こういう時に限ってそう上手くいかないもので———

「うっ!」

 廊下の端に見え

「あわわわっ!」

 階段から上がってくるのが見え

「ぐぅっ!」

 お気に入りの場所に何故か座って本を読んでいた。

「どうして今日はこんなに会うのよ!」

 同じ学校に通う生徒なのだから会っておかしい事はないが、今までそうそう顔を合わせる事などなかったのに気をつけようと意識し始めると会ってしまう。
 相手もこっちに気付いているのか何度か目が合ってしまった。

———気にしてると思われたらどうしよう!

 相手がニヤついていないのが救いだった。

「ティファニー、今日はずっと忙しそうにバタバタしてたわね」
「別に。普通に過ごしていただけですわ」
「何かから逃げるように必死に見えたけど」
「いちいちドアを叩かれて鬱陶しい警告をされるのは御免だからであってあなたのためではありませんのよ」

 どこへ行くにも取巻きを二人三人と連れ歩いている良いご身分のマリエット。毎日『キレイ』『美しい』『素晴らしい』『さすが』と持て囃されているが、どこまでが本音なのかわかったものではない。そんな嘘に固められた関係で作り上げられた毎日などティファニーには考えられない事だが、嘘で固められた人生を送っている事に変わりないと自嘲する。

「いつもそうやって人をバカにしたように笑うのは癖なの?」
「そんなくだらない癖は持っていませんわ。事実バカにしているので笑っているだけですの」
「その性格の悪さは誰譲り? 父親? 母親?」
「個人攻撃に親を巻き込むとは……愚かですわね」
「ッ! な、なによ!」

 父親はバカにされようとどうだっていい。事実バカだと思っているから。だが母親をバカにされるのは許せない。
 強い目で睨み付けるティファニーの眼光に怯んだ取巻きを後ろに下がらせるとマリエットが前に立った。

「ティファニー、彼女が悪かったわ。許してあげて」
「頭を下げて謝るなら許してあげてもよくてよ」
「ごめんなさい」
「謝るのは彼女」

 ティファニーが謝を下げてから指名するように指をさして前に出るよう顎を動かした。

「……ごめんなさい」

 渋々前に出てきた女はマリエットが頭を下げて丁寧に謝った以上、別の言葉を使って謝るわけにはいかなかった。
 下げて見えなくなった顔はティファニーに頭を下げて謝らなければならない苦痛にまみれているだろう事を想像するとおかしくて笑ってしまう。

「そこまで謝るのなら許してあげますわ。わたくしの慈悲に感謝することね」
「ッ……あんまり調子に———」
「やめなさい」

 鶴の一声にティファニーには拍手を送りたくなった。

「よく飼い慣らされていますのね。見事ですわ」
「ティファニー、いつものんびり過ごしてるあなたが今日は忙しく動き回って疲れたでしょう? 早く帰っておやすみなさい」
「これからそうしようと思っていたのに公爵令嬢様に呼び止められて足止めをくってしまったものですから余計に疲れましたわ」
「あなたね!」

 マリエットが腕を前に出すだけで動きが止まり口も閉じる。ティファニーの目には彼女達が番犬にもならないキャンキャン吠えるだけのバカ犬に見えて仕方なかった。

「また明日ね」
「ええ、また明日」

 自分が怒らない心の広い女を演じてみても取巻きが絡みすぎては良い印象は持たれない。それこそ本当に躾が出来ていないと思われるだろう。
 マリエットは計算高くミスをしない。だからこれ以上自分の評判を落とさせないために強制的に会話を終了させた。

「マリエット様よろしいのですか!?」
「いいのよ。それよりカッとなって言い返してはダメ。あなたの評判が下がってしまうわ」
「私の評判などどうでもいいんです!」
「良くないの。私を慕ってくれる大切な友人の評価があの一瞬だけで判断されるのは辛いわ。だからカッとならずにいつもの優しいあなたで接してあげて」

 全ては自分のため。評判の悪い女と一緒にいては自分の評価に関わる。
 もしこれで直らないのならマリエットはあっさりと捨ててしまうだろう。自分の評判を落とさないよう慎重に言葉を選びながら、でもハッキリと相手に何故外されるのか理解出来るような言葉で伝えるはず。

 幼い頃から賢かったマリエットは身体の成長に合わせて賢さも育てあげてきた。
 社交界には必ず出席し、貴族達に気に入られる努力を惜しまなかった。

『可愛い私を褒めなさい』それがマリエットの望みだった。そして誰もがそれを叶えていた。

 可愛いマリエット。
怠け者のティファニー。

 どんなに努力をしてもティファニーがマリエットのようになれないのは親から継いだ遺伝子は当然のこと、ヒロインになるための努力と悪役令嬢になるための努力の根本が違ったから。

「悪役令嬢は苦ではありませんけど強要されるのが苦ですわ」

 自分の思うように生きたいのにマリエットがヒロインとしてのハッピーエンドを迎えるまでティファニーに自由はない。

———肝心の王子があれでは婚約間近どころか絶縁さえ起こりかねませんわよ。

『でも結ばれてもらわなければわたくしが困りますわ』

 馬車が来ているのはわかっているが普段より動いたせいで疲れが出ている。
 いつもなら感じない睡魔が今日はハッキリと感じられ、思わず近くのベンチに腰かけた。
 そこから意識はもうなかった。

「また寝てる」

 上から降ってくる声もティファニーには届いていない。
 顔に影が落ちている事も、その声の主が誰であるのかもわからず気付かず眠り続ける。

「やっぱ可愛い」

 寝顔が好みであるため朝の怒り顔と違って無垢で可愛いとつい表情が緩んでしまう。

「そんな無防備に寝てると起こしちまうぞ」

 起こす気のない囁きの後、躊躇なく唇を重ねたコンラッド。
 唇が特別柔らかいとか、特別イイ匂いがするとかではないのに何故か特別に感じていた。

「ん……」
「やっぱり起きたか」

 普通とは違う〝起こす〟の意味。

「ギャーッ!」

 威嚇し合っている猫のような悲鳴を上げて起き上がった色気のない言動に肩を揺らして笑いながら片手を上げて『よっ』とのんきに挨拶をする。

「な、なななななななんですの!? き、キス! ま、またキスしましたわね! 痴漢行為ですわよ! 犯罪ですわ! うら若き乙女の寝ている隙を狙ってするなんて卑怯者!」

 キスされた感触が唇に残っているのと目を開けた時の顔の近さにキスされたと確信し抗議をするがコンラッドは相変わらず悪びれる様子もなく『はっはっはっ』と笑っている。

「眠り姫がいたから王子のキスで目覚めさせてやろうと思ってな」
「あ、頭おかしいんじゃありませんこと!?」

———誰が眠り姫だ。誰が王子だ!

「今日一日、俺を避けてただろ」
「……顔も見たくありませんでしたので」

 頭のイカれた男だがこれでも王子。公爵令嬢を怒らせるよりずっと怒らせてはいけない相手だと気付き、ゴホンと咳払いをしてから嘘がバレないよう冷静に返事をした。

「俺は見たいぞ。特に寝顔。君の寝顔は俺のドストライクだからな」
「だったらキスなんてしないで眺めるだけにしていただけると嬉しいですわ」
「それはそうだが、見てるとキスしたくなるんだよ。魔性だな」

〝魔性〟という言葉はティファニーには嫌味にしか聞こえなかった。

「グレンフェル王子、わたくしは———」
「コンラッドでいい」
「グレンフェル王子、わたくしは———」
「コンラッドと呼べ」
「嫌です」
「命令だ」
「お断りしますわ!」

 しつこい男は嫌い。そして上から目線で話す男はもっと嫌い。更に言えば命令してくる男は大嫌いだった。
 マリエットの意中の相手であるコンラッドを呼び捨てにしようものならその日の夜、部屋を訪ねてきた彼女に何を言わるかわかったもんじゃない。
 きっと少し親しくなった、というのさえ許さないだろう。
 ティファニーにとってマリエットは幼馴染で同等の存在だが、マリエットはそうは思っていない。

自分はティファニーより上で何もかも勝っている。

そう思っているのだ。

 間違いではない。ティファニーの外見はどこにでもいる容姿でスタイルも特別良いわけでもない平凡なもの。
 それに比べてマリエットは美人で人目を引く外見をしている。
 誰もがマリエットの方が上だと思うだろう。
 公爵令嬢と伯爵令嬢という点でもマリエットの方が上なのだ。だからマリエットはいつだって自信に満ち溢れていた。

「ハッキリ言わせていただきますけど、わたくしの人生プランにあなたの存在はありません。ですので今まで通り見知らぬ他人となって過ごさせていただきたいのですわ」
「そいつは無理だ」

 間髪入れず即答したコンラッドにティファニーの目が見開かれる。

———普通ならここで何故そんな事を言うのかと疑問をぶつけてくるところのはず! いえ、ぶつけられても答えに困るのでぶつけられない方がいいのですけど、ハッキリ断られるのも困りますわ!

「君の存在を知った以上、他人のフリは出来ない。俺は君の寝顔が気に入っている。というか好きなんだ」
「……遊び人はさすがですわね。言葉に重みが全くありませんわ」

 キュンともしない告白に顔を歪めながらかぶりを振るティファニーの隣に腰かけると反発するようにティファニーが立ち上がる。

「そんな子猫のように警戒しなくても隣に座って喋るだけだ」
「妊娠でもしたら大変ですもの」
「させていいのか?」
「全力でお断りしますわ」

 いつも遠くからしか見たことがなかったため喋り方や喋る内容を知らなかったが、コンラッドはティファニーの許容範囲外の男で間違いない。
 真面目で物静かな大人の男がタイプのティファニーにとってコンラッドのような男は吐き気がするほどで、勘違いしないようハッキリ顔に出してやった。

「マリエットに見られでもしたら厄介ですの」
「幼馴染だろ?」
「ええ。でも自分の婚約者と幼馴染が仲良くしていたら不愉快でしょう?」
「キスしたから浮気だな」
「わたくしは被害者!」

 共犯のような言い方はやめてと顔の前に手を突き出して縁起でもない言い方をするコンラッドから距離を取った。

「見かけても無視してくださいませ。キスなどもってのほかですわ」
「そいつは難しい。可愛い寝顔に引き寄せられるんだ」
「訴えますわよ」
「伯爵令嬢が王族を訴えると?」
「や、やかましいですわ! とにかくこれはあなたが可愛いと思っている寝顔を持つ女からの願いですから何としてでも聞いていただかなければ困りますの!」
「んー……どうするかなぁ」

———何故こんな男がモテるのか全く理解できませんわ……。

 足を組んだまま焦らすようにワザとらしい悩み方をするコンラッドに苛立ちを募らせるティファニーは無視して帰ろうと鞄に伸ばした手を掴まれ、慌てて手を引くも遅かった。
 がっちり掴まれた手は後ろに引く事も出来ないが前にだけは行かないよう引き続ける。

「何ですの?」
「ちゃんと君と話す時間が欲しい」
「お断りですわ」
「何故だ?」
「誰かの婚約者と親しくするつもりはありませんの」
「婚約者じゃない」
「マリエットは———」

 相手の気持ちをどこまで伝えていいのかわからず一度口を閉じた。
 遊び人であればマリエットの好意に気付いてはいるのだろうが、だからといってそれを言葉にして伝えていいものかわからず眉を寄せる。

「なら明日正式に宣言しよう。コンラッド・グレンフェルはフリーだと」
「おやめください!」
「なら話す機会を設けてくれるな?」

 あまりの横暴さに泣きたくなった。
 横暴な人間はマリエットだけで充分なのにコンラッドまで追加されてはティファニーの心がもたない。

「……どうしてもとおっしゃるのであれば叶えてさしあげますけど、その代わり日取りはわたくしが」
「ああ、かまわない。だがあまり待たせないでくれよ? 俺は我慢強い方じゃないんだ」

 不敵な笑みもファンが見れば悲鳴を上げるぐらいイイものに見えるのだろうがティファニーには嫌な笑みとしか思えず、吐き出すように舌を出したくなった。

「疲れた……もう嫌ですわ……」

 馬車に乗り込んで大きな溜息と共に深く腰掛け背を預けたティファニーはそれだけ呟くと現実から逃げるように目を閉じ、最悪の王子によって邪魔された眠りへと落ちていった。

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