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悪役令嬢になんてなりたくなかったのに
しおりを挟む世の中は不公平だ。
誰だって夢を持つことが許されているはずなのに五歳だった私は、いえ、わたくしは【お姫様になる】という夢を持つ事さえ許されず、ある日突然お父様にこう言われた。
「お前は今日から悪役令嬢になれ」
その日からわたくしの人生は聞いたこともない【悪役令嬢】になりきる事が使命となった。
ティファニー・ヘザリントンが伯爵家に生まれて自由が許されたのはたったの五年。
六年目からは【悪役令嬢】が何なのか、サロンへ行ってはメモを持ち帰った父親に叩き込まれる毎日を過ごした。
「こんなことしたくない」
「ないですわ」
「そんなのやだ! おそとであそびたい!」
「ダメだ! お前は立派な悪役令嬢になるんだ!」
同世代の女の子達は皆で集まってティータイムを楽しみ、刺繍をし、いつか現れる運命の相手と踊るのを夢見てダンスの練習をする。それが令嬢達の〝すべき事〟だったし、それ以外にする事もなかった。
だがティファニーは違った。
「紅茶をかける時はこうだ! あからさますぎないように、あたかも手が滑ってしまったかのように見せかけろ!」
皆で集まって紅茶を楽しむどころか、父親と二人で〝紅茶のかけ方〟を練習していた。
紅茶は飲むものであって人にかけるものではない事は貴族でなくとも知っているだろう常識を父親は娘に教えようとはしなかった。
父親は娘を立派な【悪役令嬢】にするために〝普通〟を教えなあった。
「高笑いはこう! 手の甲を頬に当てて笑うんだ!」
笑う時は口を隠すよう手を置くはずなのに笑っている口が見えるように笑う笑うことを強要された。
「どうして勉強だけ普通にさせるの? 悪役令嬢は普通じゃないんでしょ?」
同年代の女の子達と同じ事は何もさせてもらえなかったのに勉強は同じどころか倍以上させられた。
普通じゃないのなら普通に勉強なんかしたくないと訴えると父親はいつも同じことを言った。
「いいか、ティフィー。人を見下すためには良い成績でなければならない」
人を馬鹿にしてはいけないはずなのに【悪役令嬢】はそれに当てはまらないらしい事をティファニーはこのとき初めて知った。
「お前は特別なんだ」
疑問を口にするたび父親はいつもそう言った。だからティファニーは次第に勘違いを始めてしまった。
「悪役令嬢って特別なんだ! 私は特別なんだ!」と。
その結果———
「あらあらあらあら。子爵令嬢がそんな成績だなんてわたくしなら恥ずかしくて外を歩けませんわ」
人の成績を馬鹿にし———
「そのセンスのないドレスはカーテンで作りましたの?」
人のドレスにケチをつけ———
「贅肉たっぷりの身体を甘やかしてお菓子を貪るだなんて豚にでもなるおつもり?」
人の外見まで罵るようになった。
「あなたの婚約者って男爵なんですってね? 自分より爵位が下の人間を婚約者に選ぶなんてよっぽど相手に困ってますのね。ま、それもそうでしょうけど!」
人を見下しては高笑い。
それが悪役令嬢だと教えられ、嫌々やってきたはずの事も高校に上がる頃にはすっかり板につき、気が付けば周りには同じような性格の令嬢しか残っていなかった。
それでも退屈な話にニコニコしながら相槌を売ったり人に媚びたりするよりずっと生きやすかったとティファニーは思っている。
だが、そんなティファニーにもな舞はあった。
悪役令嬢としての悩み。
「そのぐらいにしてあげてはいかが?」
泣きそう令嬢の前に庇うように立った女。
マリエット・ウインクル公爵令嬢だ。
ティファニーはマリエットが大嫌いだった。
それもそのはず。
彼女のせいでティファニーは悪役令嬢になる事を強制されるようになったのだから。
彼女が父親にあんなお願いをしなければ———
時は遡り、マリエット五歳の誕生パーティー。
「五歳の誕生日おめでとうマリエット。どんどん可愛くなっていくお前が眩しくてパパは直視出来なくなりそうだ」
親馬鹿で有名なバージル・ウインクル公爵。マリエットの父親だ。
大粒の宝石で飾られたティアラをかぶる娘を膝に座らせ頬に何度もキスをする。
「あのねパパ、マリーおねがいがあるの。ぜったいに聞いてほしいおねがい。パパにしかいえないし、パパにしかかなえられないおねがいなの」
溺愛している娘にここまでこう言われて断る親馬鹿はいないだろう。
「おおっ、何でも言いなさい。可愛いお前の頼みだ。パパが叶えてあげよう」
五十歳を迎えてから出来た子というのもあってマリエットに注がれるバージルの愛情は異常なものだった。左に行く道もマリエットが右に行くと言えば右に行き、必要のない物でもマリエットが欲しいと言えば何でも買い与え、使用人の合否もマリエットの好き嫌い一つで決まるようになっていた。
猫可愛がりの結果、マリエットは『父親に言えば何でも叶う』と思うようになり、実際その通りに人生は動いていた。
「マリーね、ヒロインになりたいの」
「ヒロイン? プリンセスじゃないのか?」
予想と違った言葉にバージルは不思議そうに目を瞬かせるも娘の願いだと真剣に聞く事にした。
「ヒロインになるためにはね、わるい女の子がひつようなの。マリーにいじわるする女の子。マリーがヒロインになるためにはぜったいにひつようなの。あくやくれいじょうが」
イキイキと喋る娘はこの上なく可愛いが、言っている事を理解するのは不可能だった。
王子様と結ばれるのならプリンセスだ。大体の令嬢は王子と結婚するプリンセスになりたがる。だから親達は自分が持てる人脈全てに総当たりで王子に繋がれそうな事はないかと声をかけまくる。そして時にはプライドも捨てて媚びを売る。
娘のためならどんな手を使っても王子との婚約を取り憑ける覚悟だったが、娘が望んだのは王子との婚約ではなく聞いたこともない【悪役令嬢】を演じる少女だった。
「王子との結婚はいいのかい?」
「いい。自分でつかまえるから」
親に見つけてもらわずとも自分で見つけられる自信がマリーにはあった。可愛いと評判だったマリーはその可愛さはお世辞ではなく本物だと自分でも気付いており、鏡を見るのが好きだった。
だから親が決めた王子など必要ないと判断した。
「だからお願いパパ。マリーをヒロインにしてくれる女の子さがして?」
猫のように擦り寄って甘える娘の可愛さに父親は鼻の下を伸ばして何も考えず「よしわかった!」と返事をした。
それに目をつけられたのがアルバート・ヘザリントン伯爵。ティファニーの父親だ。
そしてマリエット・ウインクルをヒロインにするために選ばれたのがティファニーだった。
不満だった。不満しかなかった。
自分が恋愛小説の中のヒロインのような人生を送りたいからと人の人生を変えさせてしまうようなワガママ女マリー・ウインクルがティファニーは大嫌いだった。
「……あら? ドレスのシミはもう落ちましたの?」
「あれはもう捨てようと思っていたものだから捨てたわ」
「素敵。庶民が貧困に喘いでるというのにあなたはドレスにシミが出来たぐらいで一度しか着ていないドレスを捨ててしまうなんてさすが公爵令嬢様ですわ」
悪役令嬢になるまでは苦痛で仕方なかったが、悪役令嬢として生きるのが当たり前になってからは苦痛は感じず生きてこられた。しかし、今だに難しいと思うのは〝公爵令嬢への罵倒〟だ。
悪役令嬢になったティファニーからの意地悪はマリエットが望んでいることだが、もし調子に乗って行き過ぎたことを言って機嫌を損ねでもすれば何が起こるかわからない。
ウインクルは公爵、ヘザリントンは伯爵。だから父親は拒めなかったし、拒もうともしなかった。
バージル・ウインクルから声をかけられた時はおやつをもらう犬のように尻尾を振って喜んでいた。
「人を見下して何がそんなに楽しいの?」
———誰のためにこんな事やってると思ってんのよ。
「ドレスの好みは人それぞれよ。自分が気に入らないものを片っ端から貶すのはやめなさい」
———みんな見て。私は聖女よ。イジメられてる子のために悪役令嬢に立ち向かっていくヒロインなのよ!って言いたいんでしょ。
ティファニーは悪役令嬢をやらされている事に文句を言うつもりはない。媚びや愛想が苦手な自分の性格には合っているとも思っている。
問題なのはマリエットの態度。
本気で自分をヒロインだと信じ、そのためなら悪役令嬢を本気で悪役に仕立てる厭わない。
ティファニーはあくまでも自主的にやっている事を自分の株を上げるために横から余計な事をぶち込まれたのでは腹も立つ。
「小耳に挟んだ事ですけど、アルバート公爵のお金を湯水のごとく使っているとか」
事実無根ではあるが、これがマリーの思い描く悪役令嬢というのならティファニーはその都度話を合わせて振舞うようにしている。
「だから? 父のお金はわたくしのお金。娘であるわたくしが使って何か問題でも?」
反論が許されるのであれば「アンタでしょ」と言ってやりたいが、それはナシ。
悪役令嬢はヒロインと対立はするがマイナスのイメージを植え付けるのはNGらしい。
悪役令嬢がヒロインにする事は生徒達の前でヒロインにイチャもんをつけ、絡まれて可哀相と思わせ、時には立ち向かっていく強い正義感を持った素敵な女性だと思わせること。評判を落とすのは役目ではない。
なんともご都合主義ではあるが、物語の主人公はマリエット・ウインクルであってティファニー・ヘザリントンではないのだ。ティファニーの役目はあくまでもヒロインを輝かせる悪役令嬢。
「いつまでも子供のようなワガママはやめて少しはお茶屋ダンスを覚えたらどうかしら? レディの嗜みを何一つ覚えようとしないとアルバート公爵が困っているとお父様が言っていたわ。デビュダントの時に恥をかくのはあなたよ?」
「余計なお世話ですわ」
お節介と嫌味は紙一重。嫌味のように聞こえるが、最後はティファニーのためを思って言っていると思わせる手法。
優しいマリエットからの忠告を突っぱねる嫌な女ティファニー。
「お優しい公爵令嬢様のお言葉はありがたく聞いてさしあげますけど、右から左でもう抜けてしまいましたわ。ごめんあそばせ」
せっかくマリエットが言ってあげているのに嫌味ばかりで聞き入れようとしないティファニーは最低。
それが世間の評価。
普通なら最低の評価となるのだが、ヘザリントン家は違う。
サロンでも色々言われるだろうに父親は帰るなり「よくやった」と褒めてくれる。
勉強が出来ようとダンスが出来ようと褒めてくれた事は一度だってないのに、ティファニーの人間としての最低評価は悪役令嬢としては最高の評価となり、結果的にバージル公爵から褒めてもらえるため上機嫌になる。
自分の教育や娘の出来をそこらの男爵、子爵、侯爵に言われようと公爵であるバージルから褒められる事の方が父アルバートには大事な事だった。
ティファニーは上手くやっている。そう褒められるのだが、そのティファニーは大きな問題を抱えている。
悪役令嬢としての態度ではなく、それを遂行するにあたっての大問題。
「……ハッ、また……」
目を覚ますと空の色が変わっていることだ。
「何でまたこんな時に……! もうっ!」
いつ寝たのかも覚えていない。
普通に生活している中で寝ては起きてを繰り返している。いつ寝たのか、どれだけ寝たのかわからない。寝る前の記憶がなく、起きる事で寝ていた事に気付く日々。
子供の頃から悩まされ続けているが、どんな医者に診せても首を傾げるばかりで病気なのか何なのかもわかっていない。
お昼を食べようとした時から記憶がなく、食べたか食べていないのかも覚えていない時もあれば誰かと会話をしたのも夢だったのか現実だったのかもわからない時が多々ある。
寝ている時間もバラバラで、10分~15分の時もあれば空の色が変わるまで寝ている時もある。
いつ眠るのか自分でも予測できず気が付けば寝ていた状態。
ティファニーにとってこれは大問題なのだが父親は大喜びする問題。
あっちこっちで寝ているのを見かけるため周りがティファニーを【居眠りばかりの怠け者】と呼ぶのは悪役令嬢の評判を上げるにはピッタリだと喜んだ。
マリエットと話している最中に寝てしまえば退屈を表していると受け取られる。それが無礼極まりない行為だとしてもマリエットが認めていれば問題はなく、実際に症状を話して良しとされている。
ティファニー自身困ってはいるが、マリエットが認めているおかげでお昼から夕方まで眠って授業をサボってしまったとしてもお咎めはなしとされているためマリエットに逆らえないのが現状だった。
バージル公爵はこの学園に多額の寄付をしており、学長より権限を持っていると言っても過言ではない。だからこの学校で最も発言力を持っているのはマリエットなのだ。
起きている時はマリエットのために悪役令嬢に徹し、あとは寝る。
高校を卒業するまでの辛抱だと思い、過ごしてきた日々の中でティファニーは遥か昔に抱いた自分の夢が何だったかさえ忘れてしまっていた。
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