上 下
5 / 120
1話 サクラでお仕事

しおりを挟む
 外にはグラウンドが二つあった。校舎に隣接した広いグラウンドと、道路を一つ挟んだ敷地にある、小さめのグラウンド。小さなグラウンドには、古ぼけて錆だらけの第二体育館と柔道部用の武道場が建ち並んでいた。
 横断歩道を渡り、小さなグラウンドに向かう。普段はサッカー部が練習をしているらしいが、今日は休みらしく、人1人いなかった。
 グラウンドに足を踏み入れた瞬間、はっと目を惹かれた。奥に、たった一本の、とても大きなサクラの木が聳え立っていたのだ。校門前に並ぶサクラたちとは違い、無二の存在感があるように思えた。
「ひおさんぽ」の花見酒の回に出てきたサクラの木に似ているからだろうか。

「美しいですね」

 息を吐くように、皇が呟いた。教室の説明以外のことを話すのは初めてだった。

「サクラ、好きなんですか」

「どうでしょう。
 ただ、この世界に存在する生きとし生けるものはすべからく、美しいものに惹かれてしまうものだと……そう、僕は思います」

 それは全くの同意見だ。
 私は、ほくそ笑んだ。

「もっと近くで見てもいいですか? できれば、上から」

 第二体育館の屋上に登ると、サクラが上から見えた。
 フェンスから身を乗り出してサクラの香りをすうっと吸い込む。甘酸っぱくて、いい香りだ。
 見た目もとても可愛らしい。

「もふもふですね」

「そうですね」

「私、このもふもふに埋もれてみたいです」

 振り向くと、皇は不思議そうに、わずかに唇を開いていた。
 
「飛び込んでみませんか? このサクラの中に」

 皇は私の隣に並ぶと、フェンスから少し身を乗り出し、サクラのもふもふと、遥か下の地上とを見た。

「ここから桜までの距離は3m20cmといったところでしょうか。僕の去年の立ち幅跳びの記録が2m55cmなので、エルデさんの体重を計算に含めて考えるとして……。エルデさんの体重はいくつですか?」

「ありません、そんなもの」

 皇は一瞬きょとんとしたが、すぐにまた理系の顔に戻った。

「いずれにしても、2m55cmからもう15cm、どう伸ばすかを考えないと……」

「そんなこと、考えなくて構いません」

「地上まで、26mほどです。体を打ちつけた場合の衝撃力を計算したら、確実に死に至る高さです」

「死んだら死んだです。人間はいつか死ぬのです。これで死んだとしても、美しいもののために死ぬのですから、いいではありませんか。
 一緒に、死んでしまいましょう。ジャパニーズ・心中です」

 私が手を差し伸べる。皇の手が、ゆっくり伸びる。
 そして、私の手を、やさしく握った。
 
 かかった。私の洗脳に。
 死んでもいい――皇の脳みそはその思考で埋め尽くされたのだ。

 フェンスを超えて、コンクリートを蹴った。

 ――なんて簡単な任務だったのだろう。

 こんな男に10年もかけていた東洋支部の死神たちの無能ぶりに笑えてくる。
 標的に接近すること、洗脳すること、身を投げるよう仕向けること……すべて、東洋支部の死神がやらなかったことをやったまで。
 まあ、せっかく日本に来たのだから、東洋の死神が古くにやっていたという殺し方――ジャパニーズ・心中をやってみようと思ってやってみたというのが正直な話であるが。

 さあ、このまま落ちて魂を回収し、祝い酒と推し活を……!

 ……と、愉悦に浸っていた時だった。
 
 私の腕と体とがぐっと前にひっぱられ、美しきジャパニーズ・サクラの上に、もふりと着地した。

 ズザザザッ!

 幹や枝を削るような音が下から聞こえた。下を覗くと、少し下の太い枝の上に、皇が片膝をついていた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

私は何人とヤれば解放されるんですか?

ヘロディア
恋愛
初恋の人を探して貴族に仕えることを選んだ主人公。しかし、彼女に与えられた仕事とは、貴族たちの夜中の相手だった…

妹の妊娠と未来への絆

アソビのココロ
恋愛
「私のお腹の中にはフレディ様の赤ちゃんがいるんです!」 オードリー・グリーンスパン侯爵令嬢は、美貌の貴公子として知られる侯爵令息フレディ・ヴァンデグリフトと婚約寸前だった。しかしオードリーの妹ビヴァリーがフレディと一夜をともにし、妊娠してしまう。よくできた令嬢と評価されているオードリーの下した裁定とは?

これ以上ヤったら●っちゃう!

ヘロディア
恋愛
彼氏が変態である主人公。 いつも自分の部屋に呼んで戯れていたが、とうとう彼の部屋に呼ばれてしまい…

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

離婚する両親のどちらと暮らすか……娘が選んだのは夫の方だった。

しゃーりん
恋愛
夫の愛人に子供ができた。夫は私と離婚して愛人と再婚したいという。 私たち夫婦には娘が1人。 愛人との再婚に娘は邪魔になるかもしれないと思い、自分と一緒に連れ出すつもりだった。 だけど娘が選んだのは夫の方だった。 失意のまま実家に戻り、再婚した私が数年後に耳にしたのは、娘が冷遇されているのではないかという話。 事実ならば娘を引き取りたいと思い、元夫の家を訪れた。 再び娘が選ぶのは父か母か?というお話です。

初めてなら、本気で喘がせてあげる

ヘロディア
恋愛
美しい彼女の初めてを奪うことになった主人公。 初めての体験に喘いでいく彼女をみて興奮が抑えられず…

王太子の子を孕まされてました

杏仁豆腐
恋愛
遊び人の王太子に無理やり犯され『私の子を孕んでくれ』と言われ……。しかし王太子には既に婚約者が……侍女だった私がその後執拗な虐めを受けるので、仕返しをしたいと思っています。 ※不定期更新予定です。一話完結型です。苛め、暴力表現、性描写の表現がありますのでR指定しました。宜しくお願い致します。ノリノリの場合は大量更新したいなと思っております。

ずぶ濡れで帰ったら彼氏が浮気してました

宵闇 月
恋愛
突然の雨にずぶ濡れになって帰ったら彼氏が知らない女の子とお風呂に入ってました。 ーーそれではお幸せに。 以前書いていたお話です。 投稿するか悩んでそのままにしていたお話ですが、折角書いたのでやはり投稿しようかと… 十話完結で既に書き終えてます。

処理中です...