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258話 体育祭 その2
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ブルーシートが敷かれている自分のクラスの待機場所に戻ると、ちょうど俺が100m走を走る時間になった。
するとルーシーたちも戻ってきたようで、軽く言葉を交した。
「じゃあ、行ってくるね!」
「あ……うんっ! 応援してる!」
ルーシーは何か話したかったような雰囲気だったが、すぐに競技が始まってしまうため時間がなかった。
俺は彼女に手を振りながら駆け足で集合場所へと向かった。
一方で冬矢も走る競技にエントリーしている。
ただ、距離は少し長くて200m。冬矢も準備があるのか「軽く流してくるわ」と言いどこかへ向かった。
その際、深月と言葉を交していた。
時間は空くとはいえ、思いっきり走ったあとにリレー競技というのは結構ハードだ。
だからといって、100m走にも手を抜けない。
だって、ルーシーが見てるから。
◇ ◇ ◇
「光流くん行っちゃったね」
「うん……まずは応援しなきゃっ」
光流に君塚くんから言われた内容を伝えようとしたけど、走る順番が来たようですぐに行ってしまった。
でも、良かったかもしれない。
光流が走る前に変なことを言ったら、動揺してしまうかもしれないから。
「————」
あれ……動揺?
私、君塚くんとのことを伝えることで、光流が動揺すると思ってる……?
これって……本当に良いのかな。
勝手に決めちゃって、良かったのかな。
なんだか、少しだけ胸の奥にちょこんと何かが突き刺さったような気がした。
でも、それがなぜなのか、今の私にはわからなかった。
「——っ! 応援するぞっ!!」
私は一人意気込み、無理やりに声を出した。
今は大好きな彼が頑張る姿を純粋に応援したいから。
◇ ◇ ◇
待機場所で並んでいると、俺と同じくもう一人、そこには100m走に参加するクラスメイトがいた。
——佐久間有悟くん。
少し前に冬矢との会話の話題に出たクラス一のイケメンの男子だ。
もちろん俺と一緒に走るわけではなく、別の組で走ることになる。
いい機会だと思い、俺は彼に話しかけてみることにした。
「お疲れ様。佐久間くん」
「——あ、九藤くん。同じ競技だね、よろしく」
優しい笑みで返してくれた佐久間くん。
いつ見ても儚げで、その容姿の強さとは真逆に落ち着いた印象を感じる。
「走るのは得意?」
「うーん。昔は得意だった気もするけど、最近はね。少し走っただけで筋肉痛になるかも」
「体育の授業でも走ってるから大丈夫だよ。見てたけど、フォームというか、走るの向いてそうに思えたけど」
「えっ!? ……そ、そう、かな……?」
なぜか変なところに反応した佐久間くん。
本当は走ることが好きなのだろうか。
「でも、九藤くんの方が速いよね。リレーにも選ばれてるもん」
「俺はジョギングが趣味みたいなものだからね」
「え、普段からやってるの? すご……。だって部活もやって勉強もして……だよね? 忙しそう」
「うん。最近は忙しいって感じるかも。でも、充実はしてるよ」
そのせいもあって、特に平日はルーシーと二人きりでデート、なんて時間はあまり取れていない。
せっかく日本で一緒に過ごせて、同じの学校にも通えているのに。どこか予定が土日で時間を作ってデートをしたい。
「そっか。九藤くんの顔見てればわかるよ。毎日楽しそうだ」
「そういう佐久間くんはどう? クラスには馴染めてる?」
少しだけ、突っ込んだことを聞いてみた。
やまときゅんとは違う意味で女子に囲まれている佐久間くん。ただ、一度も本気で笑っているところを見たことがない。苦笑いが今の彼のイメージだから。
「はは……わかって言ってるでしょ。——さすがに馴染めてきてはいるけどね。でも、楽しんでるかと言えば、まだわからないかな」
「いつも女子に囲まれてるもんね。男子と話しているところはあまり見かけないけど」
「僕だって男子と話したいよ。でもいつも女子が集まってきて……」
「ハーレムってやつか」
「九藤くんに言われるのは心外だな」
「はは、どうだろうね」
姉にも言われるし、自覚もしている。可愛い女子が近くにたくさんいることは、ハーレムと言わざるを得ないかもしれない。ただ、ルーシー以外にはよこしまな感情はないし、どうなろうとも思っていない。
佐久間くんと話している間に、俺たちより前の組が徐々にスタートしていく。
「そういや映画が好きだって言ってたよね」
「おおう……よく覚えてたね」
「自己紹介で言ってたこと、なんとなく覚えてた。何かきっかけとか理由とかあるの?」
「あるといえばあるけど……というか、九藤くんって話しやすいね。なんでだろう」
映画好きの理由が聞けないまま話を逸らされる。
ただ、言われたことは素直に嬉しい。
「そう? あんまり言われたことないけど」
「なら、僕にとって話しやすいってことなのかも」
「中学校からの同級生はいないの?」
「いないかな。そんなに頭が良い学校でもなかったから」
ということは、佐久間くんの高校生活は、友達づくりからのスタートということになる。今思えば、同じ中学校の友達が複数人いる俺はかなり恵まれている気がする。
「——なら、俺と友達になろうよ」
なんとなく佐久間くんはノーマル状態の俺の雰囲気に似ている気がする。
興奮したり熱くなった時の俺は結構強い言葉も言ったりするから、その点は違うとは思うけど。
「いいの?」
「佐久間くんさえよければ」
「…………ありがとう。男友達がいないから、凄い嬉しいよ」
連絡先を交換しようとしたのだが、走る直前なためスマホを持ってきていなかった。
改めて別の時に連絡先を交換するとして、新しく友達が増えることになった。
「九藤くんなら……言えるかな。……実は俺、こや——」
「——次、五組目準備!」
佐久間くんが何かを話しかけた時、100m走を担当する教師から俺の順番が呼ばれてしまった。
「あ、ごめん。俺行かなきゃ。また今度ゆっくり話そう!」
「ううん、大丈夫。頑張ってね。九藤くん」
佐久間くんは軽く手を挙げて、俺を見送ってくれた。
教師の指示通りにスタートレーンの前に並ぶと、俺含め七組のクラスの面々が顔を見せる。
誰一人知らない顔だったが、体つきからしてスポーツ系の部活に入っていそうな人も数人いるようだった。
それでも、負けたくない。
「光流ー! 頑張れーっ!!」
すると、黄色い声が飛んできた。
その方向を見ると、金色の綺麗な髪をなびかせるルーシーがいた。
ちょうど3,40m先くらいの場所だ。一番外側のレーン脇に並んで、ジャンプしながら手を上に突き出し、応援してくれていた。
すると、彼女の胸が上下に揺れ、同じ組の男子たちの目線がそこに集中してしまった。
見られたくないと思いつつも、ルーシーは楽しそうに飛び跳ね、声援を送ってくれている。
「光流くんファイト!」
「光流、負けるなよー!」
「ひ、光流っ! がんばれっ」
続いて真空、しずは。いつの間にか応援の列に加わっていた焔村さんも声を届けてくれた。
「光流ー! 負けちまえー!」
「うちの堀野も負けてないぞー!」
「光流くんも堀野くんも頑張れっ」
ルーシーたちの近くにいたのは理沙、朱理、理帆の三人だった。
彼女たちは隣のD組だ。恐らく堀野という男子は彼女たちと同じクラスなんだろう。隣の男子を見ると少し顔を赤らめていた。
そして、俺に対する黄色い声援が多すぎたせいか、横に並ぶ全員から鋭い視線を向けられた。
『こいつだけには負けたくない』
そんな心の声が聞こえた気がする。
けど、俺だって負けるわけにはいかない。
ルーシーに良いところを見せるんだ。
「では、位置について——」
担当教師が、俺たちをスタンバイさせる。
それぞれ、黄土色の地面に引かれた白線の前に足を置く。
準備が整うと、教師の合図を待って、その場に静寂が流れた。
向かう先は一直線。100m先のゴールライン。
そこを見据えて、俺は構えた。
「よーーーい」
教師が空に放つスターターピストルの号砲の音を合図に、俺たちは一斉に走りだした。
◇ ◇ ◇
「いけー! 光流っ!!」
スタートしてすぐ、私は走りだした光流を見ながら大きな声で叫んだ。
真空たちも私と同じく声を張り上げて応援する。
まだ、目の前を通らない光流たち。
最初に前に出たのはB組の知らない男子。現在の光流の位置を比べると三番手だった。
勝ってほしいという思いを背に、ぎゅっと手に力が入る。
「負けんな光流~!」
あまり大声を出さないしずはが、声を張り上げていた。
私も負けじと声を出した。
「頑張れ! 頑張れっ!」
胸がバクバクする。
他の人の競技ではピクリとも動かなかった心臓。けど、光流が走っている時にだけ、きゅっと締め付けられるように反応する。
見えてくる光流の表情。今までに何度か見た、真剣な顔。
けど、運動競技をしている光流のここまでの必死な表情は、初めてでフィルターはかかっているとは思うけど、圧倒的にかっこよく見えた。
「行けっ! 行けっ!」
皆が叫ぶように応援する。
三番手のまま私たちの目の前を通った光流。余裕はなく、こちらに視線を向けることができないほど、走ることに集中していた。
遠のいていく光流の背中。
ゴールまで残りあと少し。
そんな時だった。
後ろからでは、順位がどうなっているのかわからないはずなのに、光流のスピードが上がった気がした。
そうだ、光流は体力があるんだ。
それは多分。短距離走だって一緒。後半こそ光流の真骨頂なんだ。私は短い時間でそんな思考を巡らせた。
いつの間にか、私たち以外のクラスの生徒たちも、自分たちのクラスの男子を応援し、レーン外の観客からはたくさんの応援の声が集まっていた。
でも、私だって応援の気持ちは負けない。
「走れーっ! 行けーっ!!」
こんなに声を出したのはどれくらい振りだろうか。歌を歌う時とはまた違う感覚。
お腹の中心から、体の奥底から湧き上がる心の声。どこか、ライブにも似たような叫び。と、言っても私は真空の誕生日の時や部室でしか声を出したことがない。でも、そんな叫びに似た声を出せていた気がした。
そして、ついにゴールテープが切られた。
視線が集中したのは、胸に順位の紙が貼り付けられた係員の生徒の行方。
一位の数字の係りが誰を捕まえに行くのか。
「…………」
50m以上先の景色、見えにくい。
光流は走った直後で苦しいのか、膝に手をついているようだった。
そこに近づいたのは一人の係員。順位は、わからない。
でも——、
「————あ!」
光流が右手の拳を上に突き上げていた。
つまり、それは。
「やった! 光流、勝ったんだ! やったやった!!」
私は飛び跳ねて喜び、真空やしずは、火恋ちゃんと両手でハイタッチをしまくった。
しずはも嬉しさを我慢できなかったようで、満面の笑みだった。
深月ちゃんだけは冷静で、態度は変わらずだった。冬矢くんの走りじゃないと反応しないのかもしれない。
「ルーシー! 光流くんのところ行くよ!」
「うんっ!」
私たちは駆け足で光流がいるゴールへと向かった。
◇ ◇ ◇
「はぁ……はぁ……しんど……」
胸に一位と書かれた張り紙をしていた係員を見て、俺はルーシーたちがいる方に向かって拳を突き上げた。
たった100mだが、本気で走ると想像以上に体力が削られ、息をするのがやっとだった。
同じく走った他のクラスの生徒たちも皆膝に手をついていて、疲れが見て取れた。
「おう、よくやったじゃねーか」
すぐに拳を下ろして、息を整えることに集中していた矢先。軽く肩を叩かれ、聞き覚えのある声でねぎらいの言葉をかけられた。
女子なのにぶっきらぼうで。でも、どこかお嬢様だったところは隠せていなくて。
一位と書かれた紙を貼った体操着の腰回りにはヤンキーっぽくジャージを巻いている人物。
「し、下澤先輩!?」
なんとそこにいたのは、我ら軽音部の先輩であり、ベースボーカルを担当している三年の下澤海凪先輩だった。
息を整え姿勢を正すと、より下澤先輩の小ささが見て取れる。
百五十センチほどの彼女は、その体躯だけ見るとちんまりしていて可愛い。けど、言動はそれに伴わない強さを持っている。
「係員してたんですね」
「ったく。なんで三年なのにこんなことしねーといけねーのかって感じだけどな」
確かに言われるとそうだ。三年生最後の体育祭だというのに、こんなことをさせられるなんて。
ただ、そう言いながらもちゃんと仕事をこなす下澤先輩は可愛いしかっこいい。
俺は入学式の部活紹介でのライブを見た時から、このロックな先輩を尊敬している。
「はは……ですね」
「お前、足も速かったんだな。最後一気に抜いていったじゃねーか」
「普段からジョギングしてたので、体力だけは自信あって。スピードじゃ勝てないところは、後半の追い上げでなんとかしようかと」
どちらかと言えば俺は長距離向きだ。
けど、見方を変えれば、息が長く続くために短距離走でも多少は応用が利くと思い、ピークを後半に持って行くように調整した。
結果、一位になることができて良かった。
「お前イカしてんなー! あ、きたぞ」
「え?」
下澤先輩が視線を移動させる。俺もその視線の先に目を向けると、そこから複数人の女子たちが近づいてきたのが見えた。
「光流っ! おめでとー!!」
ルーシー、真空、しずは、焔村さん。それに、走ることに面倒くさがりながらも深月も付いてきていた。
「ありがとう」
「ほんとかっこよかった! …………って、下澤先輩っ!?」
ルーシーは遅れて先輩の存在に気づく。
「おうよ。最近は宝条の歌聞いてねえからなあ。お前らのバンドの成長、久しぶりに見せてくれよ」
「はいっ! 新メンバーも入ったのでぜひ!」
そう言えば、体育祭が始まってから麻悠や守谷さんの姿が見えないけど、どこかで競技でもしているのだろうか。
少しだけ気になった。ラウちゃんは体育祭が深月以上に嫌すぎて、どこかで伸びていると想像している。多分、委員長が傍にいるはずだ。
「ん? 新メンバーか。ってことはキーボードか? そりゃあ楽しみだな」
「はい! 先輩たちにいい演奏見せられるように日々練習してるので!」
「だろうな。ま、私のことはいい、こいつをねぎらってやれ」
「はい!」
ルーシーは下澤先輩と話す時はハツラツとしている。というか俺もそうなのだが、なぜか下澤先輩を接すると元気がもらえるような気がする。陽気なオーラがあるわけではない。なのに、何らかのバフ効果があるような、そんな明るい気持ちにさせてくれるのが、彼女だ。
「じゃ、ルーシー。行くよ!」
「は?」
真空が準備ができたと言わんばかりに、何かの合図をする。
そして次の瞬間、千手観音のような無数の手が俺の髪を襲った。
「光流、おめでとー!!」
「光流くん! 一位おめでとっ」
「光流~っ! 負けちまえって言ったのにな~!」
「えっ、ちょっと!? なになにっ!?」
女子たちに頭をわしゃわしゃされ、俺の髪がどんどんねじれていく。
「髪型変になるって! バカ!!」
十数秒ほど、無数の手で頭を撫でられ——否、いじられた結果、俺の髪型はボンバーになっていた。
顔を上げると、そこには先程までいなかった理沙たちも姿を見せていた。こうして接するのはギャルギャルな……久々な気がする。
「やっぱ足速いなー! うちの堀野なんてビリだったぞ」
「え、そうなんだ……」
堀野。誰なのか全然わからないが、ドンマイだ……!
確かにスポーツをやっているようには見えなかったけど、ビリだったとは。
「理沙ちゃん、負けろだなんて言わないで。可哀想だよ」
「お、言ったなルーシー。私らは敵のクラスだからな。光流に負けてもらわないと困るのさ」
あれ、理沙とルーシーが名前で呼び合ってる。
前に合同体育の時間に話す機会があったとは聞いていたが、名前で呼び合う関係だなんて驚きだ。
いや……理沙のほうが積極的に話した結果からかもしれない。
「それでも!」
「わかったって、悪かったよ」
ルーシーの押しに負け、理沙は軽く謝った。
その後、理沙たちは「じゃあね」と自分たちのクラスの待機場所へと戻っていった。
ひとまず、100mで一位になれたこと、皆に応援してもらったこと、ルーシーの笑顔が見れたこと。
満足な結果だった。
◇ ◇ ◇
俺は一位になったため、下澤先輩に誘導された場所に向かうと簡易的な金メダルをもらった。もちろん本物の金ではない。三位まではもらえるらしい。
メダルをもらってから自分のクラスの待機所に戻ると、そこには満身創痍の開渡がいた。
千彩都に介抱されながら、ブルーシートに寝転び、天を仰いでいた。
「あ、光流。頑張ったみたいだね」
「うん、それで開渡は?」
一応首にはメダルを下げていた。しかも金メダルである。
俺より少し前に競技が終わっていたらしい。
「さすがに疲れたみたい。——1500mだからね」
開渡が参加していたのは1500m走だ。体育祭でやる競技かよ、とも思うが、部活動が盛んなこの学校では当たり前にガチ競技も入れてくる。
そして開渡はテニス部。さすが関東上位の実力ともあって、体力はあるようだ。
「光流……俺とお前、出る競技、逆じゃね……?」
絞り出した言葉は、今の彼の不満である。
「はは。それは確かにあるけど、開渡はそんなに短距離は速くないでしょ」
「まあな……でも、1500はしんどいって。マジでヤバい。今日はもう何もできない……」
開渡はテニスでも上位の実力で、長い時間試合を戦う体力は持ち合わせてはいるが、足が速いというわけではないらしい。
「あ、あのね……光流」
そんな時だった。
もじもじと、何かを伝えたい様子で、ルーシーが俺の隣にやってきた。
真空としずはも一緒だ。
そういえば、100m走の前に何か話したい雰囲気だった気がする。
「とっても、勝手な話なんだけどね——」
そう、ルーシーから聞かされた話は、思いもしない内容だった。
ただ、その話をきっかけに、内なる炎が燃え上がったことは、確かだった。
するとルーシーたちも戻ってきたようで、軽く言葉を交した。
「じゃあ、行ってくるね!」
「あ……うんっ! 応援してる!」
ルーシーは何か話したかったような雰囲気だったが、すぐに競技が始まってしまうため時間がなかった。
俺は彼女に手を振りながら駆け足で集合場所へと向かった。
一方で冬矢も走る競技にエントリーしている。
ただ、距離は少し長くて200m。冬矢も準備があるのか「軽く流してくるわ」と言いどこかへ向かった。
その際、深月と言葉を交していた。
時間は空くとはいえ、思いっきり走ったあとにリレー競技というのは結構ハードだ。
だからといって、100m走にも手を抜けない。
だって、ルーシーが見てるから。
◇ ◇ ◇
「光流くん行っちゃったね」
「うん……まずは応援しなきゃっ」
光流に君塚くんから言われた内容を伝えようとしたけど、走る順番が来たようですぐに行ってしまった。
でも、良かったかもしれない。
光流が走る前に変なことを言ったら、動揺してしまうかもしれないから。
「————」
あれ……動揺?
私、君塚くんとのことを伝えることで、光流が動揺すると思ってる……?
これって……本当に良いのかな。
勝手に決めちゃって、良かったのかな。
なんだか、少しだけ胸の奥にちょこんと何かが突き刺さったような気がした。
でも、それがなぜなのか、今の私にはわからなかった。
「——っ! 応援するぞっ!!」
私は一人意気込み、無理やりに声を出した。
今は大好きな彼が頑張る姿を純粋に応援したいから。
◇ ◇ ◇
待機場所で並んでいると、俺と同じくもう一人、そこには100m走に参加するクラスメイトがいた。
——佐久間有悟くん。
少し前に冬矢との会話の話題に出たクラス一のイケメンの男子だ。
もちろん俺と一緒に走るわけではなく、別の組で走ることになる。
いい機会だと思い、俺は彼に話しかけてみることにした。
「お疲れ様。佐久間くん」
「——あ、九藤くん。同じ競技だね、よろしく」
優しい笑みで返してくれた佐久間くん。
いつ見ても儚げで、その容姿の強さとは真逆に落ち着いた印象を感じる。
「走るのは得意?」
「うーん。昔は得意だった気もするけど、最近はね。少し走っただけで筋肉痛になるかも」
「体育の授業でも走ってるから大丈夫だよ。見てたけど、フォームというか、走るの向いてそうに思えたけど」
「えっ!? ……そ、そう、かな……?」
なぜか変なところに反応した佐久間くん。
本当は走ることが好きなのだろうか。
「でも、九藤くんの方が速いよね。リレーにも選ばれてるもん」
「俺はジョギングが趣味みたいなものだからね」
「え、普段からやってるの? すご……。だって部活もやって勉強もして……だよね? 忙しそう」
「うん。最近は忙しいって感じるかも。でも、充実はしてるよ」
そのせいもあって、特に平日はルーシーと二人きりでデート、なんて時間はあまり取れていない。
せっかく日本で一緒に過ごせて、同じの学校にも通えているのに。どこか予定が土日で時間を作ってデートをしたい。
「そっか。九藤くんの顔見てればわかるよ。毎日楽しそうだ」
「そういう佐久間くんはどう? クラスには馴染めてる?」
少しだけ、突っ込んだことを聞いてみた。
やまときゅんとは違う意味で女子に囲まれている佐久間くん。ただ、一度も本気で笑っているところを見たことがない。苦笑いが今の彼のイメージだから。
「はは……わかって言ってるでしょ。——さすがに馴染めてきてはいるけどね。でも、楽しんでるかと言えば、まだわからないかな」
「いつも女子に囲まれてるもんね。男子と話しているところはあまり見かけないけど」
「僕だって男子と話したいよ。でもいつも女子が集まってきて……」
「ハーレムってやつか」
「九藤くんに言われるのは心外だな」
「はは、どうだろうね」
姉にも言われるし、自覚もしている。可愛い女子が近くにたくさんいることは、ハーレムと言わざるを得ないかもしれない。ただ、ルーシー以外にはよこしまな感情はないし、どうなろうとも思っていない。
佐久間くんと話している間に、俺たちより前の組が徐々にスタートしていく。
「そういや映画が好きだって言ってたよね」
「おおう……よく覚えてたね」
「自己紹介で言ってたこと、なんとなく覚えてた。何かきっかけとか理由とかあるの?」
「あるといえばあるけど……というか、九藤くんって話しやすいね。なんでだろう」
映画好きの理由が聞けないまま話を逸らされる。
ただ、言われたことは素直に嬉しい。
「そう? あんまり言われたことないけど」
「なら、僕にとって話しやすいってことなのかも」
「中学校からの同級生はいないの?」
「いないかな。そんなに頭が良い学校でもなかったから」
ということは、佐久間くんの高校生活は、友達づくりからのスタートということになる。今思えば、同じ中学校の友達が複数人いる俺はかなり恵まれている気がする。
「——なら、俺と友達になろうよ」
なんとなく佐久間くんはノーマル状態の俺の雰囲気に似ている気がする。
興奮したり熱くなった時の俺は結構強い言葉も言ったりするから、その点は違うとは思うけど。
「いいの?」
「佐久間くんさえよければ」
「…………ありがとう。男友達がいないから、凄い嬉しいよ」
連絡先を交換しようとしたのだが、走る直前なためスマホを持ってきていなかった。
改めて別の時に連絡先を交換するとして、新しく友達が増えることになった。
「九藤くんなら……言えるかな。……実は俺、こや——」
「——次、五組目準備!」
佐久間くんが何かを話しかけた時、100m走を担当する教師から俺の順番が呼ばれてしまった。
「あ、ごめん。俺行かなきゃ。また今度ゆっくり話そう!」
「ううん、大丈夫。頑張ってね。九藤くん」
佐久間くんは軽く手を挙げて、俺を見送ってくれた。
教師の指示通りにスタートレーンの前に並ぶと、俺含め七組のクラスの面々が顔を見せる。
誰一人知らない顔だったが、体つきからしてスポーツ系の部活に入っていそうな人も数人いるようだった。
それでも、負けたくない。
「光流ー! 頑張れーっ!!」
すると、黄色い声が飛んできた。
その方向を見ると、金色の綺麗な髪をなびかせるルーシーがいた。
ちょうど3,40m先くらいの場所だ。一番外側のレーン脇に並んで、ジャンプしながら手を上に突き出し、応援してくれていた。
すると、彼女の胸が上下に揺れ、同じ組の男子たちの目線がそこに集中してしまった。
見られたくないと思いつつも、ルーシーは楽しそうに飛び跳ね、声援を送ってくれている。
「光流くんファイト!」
「光流、負けるなよー!」
「ひ、光流っ! がんばれっ」
続いて真空、しずは。いつの間にか応援の列に加わっていた焔村さんも声を届けてくれた。
「光流ー! 負けちまえー!」
「うちの堀野も負けてないぞー!」
「光流くんも堀野くんも頑張れっ」
ルーシーたちの近くにいたのは理沙、朱理、理帆の三人だった。
彼女たちは隣のD組だ。恐らく堀野という男子は彼女たちと同じクラスなんだろう。隣の男子を見ると少し顔を赤らめていた。
そして、俺に対する黄色い声援が多すぎたせいか、横に並ぶ全員から鋭い視線を向けられた。
『こいつだけには負けたくない』
そんな心の声が聞こえた気がする。
けど、俺だって負けるわけにはいかない。
ルーシーに良いところを見せるんだ。
「では、位置について——」
担当教師が、俺たちをスタンバイさせる。
それぞれ、黄土色の地面に引かれた白線の前に足を置く。
準備が整うと、教師の合図を待って、その場に静寂が流れた。
向かう先は一直線。100m先のゴールライン。
そこを見据えて、俺は構えた。
「よーーーい」
教師が空に放つスターターピストルの号砲の音を合図に、俺たちは一斉に走りだした。
◇ ◇ ◇
「いけー! 光流っ!!」
スタートしてすぐ、私は走りだした光流を見ながら大きな声で叫んだ。
真空たちも私と同じく声を張り上げて応援する。
まだ、目の前を通らない光流たち。
最初に前に出たのはB組の知らない男子。現在の光流の位置を比べると三番手だった。
勝ってほしいという思いを背に、ぎゅっと手に力が入る。
「負けんな光流~!」
あまり大声を出さないしずはが、声を張り上げていた。
私も負けじと声を出した。
「頑張れ! 頑張れっ!」
胸がバクバクする。
他の人の競技ではピクリとも動かなかった心臓。けど、光流が走っている時にだけ、きゅっと締め付けられるように反応する。
見えてくる光流の表情。今までに何度か見た、真剣な顔。
けど、運動競技をしている光流のここまでの必死な表情は、初めてでフィルターはかかっているとは思うけど、圧倒的にかっこよく見えた。
「行けっ! 行けっ!」
皆が叫ぶように応援する。
三番手のまま私たちの目の前を通った光流。余裕はなく、こちらに視線を向けることができないほど、走ることに集中していた。
遠のいていく光流の背中。
ゴールまで残りあと少し。
そんな時だった。
後ろからでは、順位がどうなっているのかわからないはずなのに、光流のスピードが上がった気がした。
そうだ、光流は体力があるんだ。
それは多分。短距離走だって一緒。後半こそ光流の真骨頂なんだ。私は短い時間でそんな思考を巡らせた。
いつの間にか、私たち以外のクラスの生徒たちも、自分たちのクラスの男子を応援し、レーン外の観客からはたくさんの応援の声が集まっていた。
でも、私だって応援の気持ちは負けない。
「走れーっ! 行けーっ!!」
こんなに声を出したのはどれくらい振りだろうか。歌を歌う時とはまた違う感覚。
お腹の中心から、体の奥底から湧き上がる心の声。どこか、ライブにも似たような叫び。と、言っても私は真空の誕生日の時や部室でしか声を出したことがない。でも、そんな叫びに似た声を出せていた気がした。
そして、ついにゴールテープが切られた。
視線が集中したのは、胸に順位の紙が貼り付けられた係員の生徒の行方。
一位の数字の係りが誰を捕まえに行くのか。
「…………」
50m以上先の景色、見えにくい。
光流は走った直後で苦しいのか、膝に手をついているようだった。
そこに近づいたのは一人の係員。順位は、わからない。
でも——、
「————あ!」
光流が右手の拳を上に突き上げていた。
つまり、それは。
「やった! 光流、勝ったんだ! やったやった!!」
私は飛び跳ねて喜び、真空やしずは、火恋ちゃんと両手でハイタッチをしまくった。
しずはも嬉しさを我慢できなかったようで、満面の笑みだった。
深月ちゃんだけは冷静で、態度は変わらずだった。冬矢くんの走りじゃないと反応しないのかもしれない。
「ルーシー! 光流くんのところ行くよ!」
「うんっ!」
私たちは駆け足で光流がいるゴールへと向かった。
◇ ◇ ◇
「はぁ……はぁ……しんど……」
胸に一位と書かれた張り紙をしていた係員を見て、俺はルーシーたちがいる方に向かって拳を突き上げた。
たった100mだが、本気で走ると想像以上に体力が削られ、息をするのがやっとだった。
同じく走った他のクラスの生徒たちも皆膝に手をついていて、疲れが見て取れた。
「おう、よくやったじゃねーか」
すぐに拳を下ろして、息を整えることに集中していた矢先。軽く肩を叩かれ、聞き覚えのある声でねぎらいの言葉をかけられた。
女子なのにぶっきらぼうで。でも、どこかお嬢様だったところは隠せていなくて。
一位と書かれた紙を貼った体操着の腰回りにはヤンキーっぽくジャージを巻いている人物。
「し、下澤先輩!?」
なんとそこにいたのは、我ら軽音部の先輩であり、ベースボーカルを担当している三年の下澤海凪先輩だった。
息を整え姿勢を正すと、より下澤先輩の小ささが見て取れる。
百五十センチほどの彼女は、その体躯だけ見るとちんまりしていて可愛い。けど、言動はそれに伴わない強さを持っている。
「係員してたんですね」
「ったく。なんで三年なのにこんなことしねーといけねーのかって感じだけどな」
確かに言われるとそうだ。三年生最後の体育祭だというのに、こんなことをさせられるなんて。
ただ、そう言いながらもちゃんと仕事をこなす下澤先輩は可愛いしかっこいい。
俺は入学式の部活紹介でのライブを見た時から、このロックな先輩を尊敬している。
「はは……ですね」
「お前、足も速かったんだな。最後一気に抜いていったじゃねーか」
「普段からジョギングしてたので、体力だけは自信あって。スピードじゃ勝てないところは、後半の追い上げでなんとかしようかと」
どちらかと言えば俺は長距離向きだ。
けど、見方を変えれば、息が長く続くために短距離走でも多少は応用が利くと思い、ピークを後半に持って行くように調整した。
結果、一位になることができて良かった。
「お前イカしてんなー! あ、きたぞ」
「え?」
下澤先輩が視線を移動させる。俺もその視線の先に目を向けると、そこから複数人の女子たちが近づいてきたのが見えた。
「光流っ! おめでとー!!」
ルーシー、真空、しずは、焔村さん。それに、走ることに面倒くさがりながらも深月も付いてきていた。
「ありがとう」
「ほんとかっこよかった! …………って、下澤先輩っ!?」
ルーシーは遅れて先輩の存在に気づく。
「おうよ。最近は宝条の歌聞いてねえからなあ。お前らのバンドの成長、久しぶりに見せてくれよ」
「はいっ! 新メンバーも入ったのでぜひ!」
そう言えば、体育祭が始まってから麻悠や守谷さんの姿が見えないけど、どこかで競技でもしているのだろうか。
少しだけ気になった。ラウちゃんは体育祭が深月以上に嫌すぎて、どこかで伸びていると想像している。多分、委員長が傍にいるはずだ。
「ん? 新メンバーか。ってことはキーボードか? そりゃあ楽しみだな」
「はい! 先輩たちにいい演奏見せられるように日々練習してるので!」
「だろうな。ま、私のことはいい、こいつをねぎらってやれ」
「はい!」
ルーシーは下澤先輩と話す時はハツラツとしている。というか俺もそうなのだが、なぜか下澤先輩を接すると元気がもらえるような気がする。陽気なオーラがあるわけではない。なのに、何らかのバフ効果があるような、そんな明るい気持ちにさせてくれるのが、彼女だ。
「じゃ、ルーシー。行くよ!」
「は?」
真空が準備ができたと言わんばかりに、何かの合図をする。
そして次の瞬間、千手観音のような無数の手が俺の髪を襲った。
「光流、おめでとー!!」
「光流くん! 一位おめでとっ」
「光流~っ! 負けちまえって言ったのにな~!」
「えっ、ちょっと!? なになにっ!?」
女子たちに頭をわしゃわしゃされ、俺の髪がどんどんねじれていく。
「髪型変になるって! バカ!!」
十数秒ほど、無数の手で頭を撫でられ——否、いじられた結果、俺の髪型はボンバーになっていた。
顔を上げると、そこには先程までいなかった理沙たちも姿を見せていた。こうして接するのはギャルギャルな……久々な気がする。
「やっぱ足速いなー! うちの堀野なんてビリだったぞ」
「え、そうなんだ……」
堀野。誰なのか全然わからないが、ドンマイだ……!
確かにスポーツをやっているようには見えなかったけど、ビリだったとは。
「理沙ちゃん、負けろだなんて言わないで。可哀想だよ」
「お、言ったなルーシー。私らは敵のクラスだからな。光流に負けてもらわないと困るのさ」
あれ、理沙とルーシーが名前で呼び合ってる。
前に合同体育の時間に話す機会があったとは聞いていたが、名前で呼び合う関係だなんて驚きだ。
いや……理沙のほうが積極的に話した結果からかもしれない。
「それでも!」
「わかったって、悪かったよ」
ルーシーの押しに負け、理沙は軽く謝った。
その後、理沙たちは「じゃあね」と自分たちのクラスの待機場所へと戻っていった。
ひとまず、100mで一位になれたこと、皆に応援してもらったこと、ルーシーの笑顔が見れたこと。
満足な結果だった。
◇ ◇ ◇
俺は一位になったため、下澤先輩に誘導された場所に向かうと簡易的な金メダルをもらった。もちろん本物の金ではない。三位まではもらえるらしい。
メダルをもらってから自分のクラスの待機所に戻ると、そこには満身創痍の開渡がいた。
千彩都に介抱されながら、ブルーシートに寝転び、天を仰いでいた。
「あ、光流。頑張ったみたいだね」
「うん、それで開渡は?」
一応首にはメダルを下げていた。しかも金メダルである。
俺より少し前に競技が終わっていたらしい。
「さすがに疲れたみたい。——1500mだからね」
開渡が参加していたのは1500m走だ。体育祭でやる競技かよ、とも思うが、部活動が盛んなこの学校では当たり前にガチ競技も入れてくる。
そして開渡はテニス部。さすが関東上位の実力ともあって、体力はあるようだ。
「光流……俺とお前、出る競技、逆じゃね……?」
絞り出した言葉は、今の彼の不満である。
「はは。それは確かにあるけど、開渡はそんなに短距離は速くないでしょ」
「まあな……でも、1500はしんどいって。マジでヤバい。今日はもう何もできない……」
開渡はテニスでも上位の実力で、長い時間試合を戦う体力は持ち合わせてはいるが、足が速いというわけではないらしい。
「あ、あのね……光流」
そんな時だった。
もじもじと、何かを伝えたい様子で、ルーシーが俺の隣にやってきた。
真空としずはも一緒だ。
そういえば、100m走の前に何か話したい雰囲気だった気がする。
「とっても、勝手な話なんだけどね——」
そう、ルーシーから聞かされた話は、思いもしない内容だった。
ただ、その話をきっかけに、内なる炎が燃え上がったことは、確かだった。
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