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閑話 若林深月、十六歳の誕生日
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六月六日。
この日は真空に続いて、深月の誕生日だった。
昨年同様、深月の家で誕生日会が行われることとなったが、ルーシーや真空も参加することになった結果、昨年より多い招待客になったので、深月の母はまたもや涙することになった。
仲の良さはさておき、娘を祝ってくれる友達が増えたこと。家にしずは以外の友達を連れてきたことがなかった頃を考えると大きな変化だった。だから彼女の母は心の底から喜び、涙したのだ。――もちろん親バカという一番の理由はあるにしても、だ。
そして、その裏では別の誕生日会が進められていた。
週末、土曜日のことである。
――都内、某所。
駅の改札を出たところ、大きな柱の前でイライラしながら靴のかかとで何度も地面を叩いている人物がいた。
「あいつ……毎回わざと遅れてるんじゃないでしょうね……」
若林深月。しずはの親友であり、光流や冬矢たちとは同じ中学校に通っていた高校一年生。
カチューシャをつけた頭は一部編み込みをしたアレンジに加え、いつもはしないヘアアイロンでゆる巻きにした髪型。
今日は少し時間がかかるヘアスタイルをしていた。
六月に入り気温はグッと上がり日中は二十五度近く。
そんな温かさに合わせた白のブラウスにネイビーの膝丈スカート。それに加え黒のショートブーツに茶色の肩掛けバッグを持っている。
今日は誕生日ともあって、深月は少し大人っぽい服装をしていた。
「深月ー! あれ、俺遅れたか?」
もう何度も聞いたこの言葉。
待ち合わせの時間に遅れるなど、愚の骨頂だ。……いや、実際には遅れていない。
深月が待ち合わせ場所に来るのが早すぎたのだ。
待ち合わせをするならもっと早く来て女の子を待たせるな。それが深月の気持ちである。
冬矢に関してもこれまでの女性経験からそんなことわかっている。
けど、深月の前ではできるだけ素の自分でいたい。だからいつもしていた余計な男らしさも鳴りを潜めている。
それでも、深月に対してはいくらでもエスコートしてあげたい。そのせめぎ合いが冬矢をおかしくさせるのだ。
「遅い!」
「あれ、まだ五分前じゃん!」
深月のイラついた顔を見て、自分は待ち合わせ時間に遅れてしまったのではないかと思った冬矢は腕時計を見て時間を確認した。
現在、午後二時五十五分。
待ち合わせ時間の午後三時よりも早い到着だった。
「私より早く来なさいよ!」
「ったく、めんどくせー女だな」
「その面倒くさい女を誘ったのは誰よ!」
顔を合わせた瞬間からの喧嘩。
これが二人のいつも通りのコミュニケーションだ。
「まあまあ。落ち着けって。それにしても、今日の深月の髪型、すげえ良いな。服も大人っぽい……」
「あ、あんたの為にしたわけじゃない!」
「そーですかい」
「そうよ!」
冬矢は深月にそんなことは言われはしたが、やっぱり自分とのデートのために髪型も服装もお洒落をしてきてくれた彼女が可愛いと思っていた。
自分のためじゃないと言われたとしても、明らかに今日という日のためにお洒落をしたことは事実だから。
「とりあえず、時間だ。早く行くぞ」
「ちょっと待ちなさいよ!」
冬矢は深月の怒りを気にせず、先に歩き出す。
遅れて深月は冬矢の背中を追いかけた。
今日は深月が主役だというのに勝手なやつである。
…………
深月たちが最初にやってきたのは、アートカフェ呼ばれる絵を描くことを体験できるカフェである。
「服、汚れない……?」
「汚れる可能性はあるな」
「なんでここにしたのよ」
「深月と一緒に何かを残したかったから」
「そ、そんなこと言っても服が汚れることは、チャラにならないんですけど!?」
そう、このアートカフェでは、染料を使うため服が汚れる可能性があったのだ。
もちろん注意すれば汚れはしないが、染料が飛び跳ねてしまう可能性はゼロではない。
「まあまあ、汚れないようにエプロンもあるみたいだからさ、とりあえず入ろうぜ」
「少しでもかかったら殺すから」
「もう何回殺されたかわからないな俺」
「そうね。何回死に戻りしてきたのやら。しつこいったらありゃしないわ」
深月はプンプンしながらも、せっかくここまで来てしまったので、アートカフェの中に入ってみることにした。
内心、なぜこんな場所を選んだのかと冬矢のセンスを疑ったが、いちいち気にしていてもしょうがないと割り切った。
中に入るとカフェっぽいスペースの他、絵を描くための長テーブルが目に入る。
そのテーブルの上には既に画材が用意されていて、今日はその画材を使って絵を描くのだとすぐにわかった。
「いらっしゃいませ」
三十歳手前の女性店員から概要を説明される。
通常なら他のお客さんと一緒に体験するそうだが、今日は二人の貸し切りになっていると説明を受けた。
冬矢がわざわざそう予約したのかと深月は勘ぐったが、他のお客さんが予約を入れなかった可能性もあった。
気にしてもしょうがないことだが、冬矢にイケメンな行動をされるとどこか深月もムカついてしまうのだ。
今回二人が取り組むことになったのは、『アルコールインクアート』だ。
アルコールインクは、アルコールを溶剤として染料を配合したインクであり、速乾性があることが特徴なんだそう。
聞き馴染みのない名前のインクに深月も冬矢も目を丸くしながら説明を受けた。
完成形の絵のサンプルを見せてもらうと、ただインクを垂らして伸ばした簡単なものから、動物が表現された凄いものまで様々だった。
やり方はインクを垂らしたあと、さらに別のインクを垂らしてにじませ、風を当てたり紙自体を傾けたりして、模様を変えていく。これを繰り返し絵を完成させるという。
真剣に説明を聞いた二人。
早速、長方形の紙に向かってアルコールインクアートに取り組むこととなった。
「あんた、何描くのよ?」
「それはお互いお楽しみだろ。完成した時に見せ合おうぜ」
「まあ、それもそうね」
冬矢の言葉を聞き、頷いて理解を示す深月。
誕生日にすることかと思いつつも、深月はエプロンを着てから手を動かし始めた。
飲み物を飲みつつ、一時間強。
取り組んでみると、こだわりたいところがいくつも出てきた。
冬矢とはそこまで話さず、真剣に絵に向き合った結果だ。
深月はもうこんなに時間が過ぎたのかと、終わった時に気づいた。
「お疲れ様でした」
互いの絵が完成したところで店員に話しかけられた。
「じゃあ、あんたの絵、見せてもらおうじゃない」
「おうよ」
深月は冬矢の席に近づき、紙を覗き込んだ。
使われていたのは白と黒と茶色。そして、水色だった。
「これ……何?」
「わかってるくせに。俺に言わせたいのか? 深月とピアノだよ」
「…………」
自慢げに話す冬矢。
しかし深月は顔色は優れない。
冬矢が描いた絵はピアノコンクールが舞台なのか、木である茶色を基調とした舞台の床に、白と黒のピアノ。そしてピアノを弾いているのは水色のドレスを着た深月の姿だった。
ただ、そう見えるのは冬矢だけである。
何を表しているのか、説明されないとわからない代物。
まあ、つまりだ。
冬矢は絵が下手くそだったのである。
確かにアルコールインクアートという普通に生きてきては縁のないアート。
初めてだからしょうがなくはあるが、とにかく冬矢には絵のセンスが全くなかったのだ。
「ええと……独特な絵ね」
「お前らしく下手くそだって言ってくれても良いんだよ!?」
深月は一応、気を遣ってギリギリ褒めてるか褒めていないか微妙な感想を送った。
でも、冬矢は自分でも下手くそなのはわかっていた。いつも罵倒する彼女に変に擁護されるとむず痒くなるのだ。
「もう俺のは良いから、深月の見せろよ」
「さすがに私のはわかるわよね?」
冬矢は深月の絵を覗き込んだ。
そして、すぐに目を丸くし、何が描かれているのか理解した。
「て、天才ですっ!! 美術大学目指しませんか?」
発言したのは、冬矢ではなかった。
一緒に完成した絵を眺めていた店員が発言したのだ。
「これ……俺、だよな……」
冬矢が発言した通り、深月が描いた絵は冬矢自身だった。
中学の時の学生服姿で赤いベースを持ち、体育館の舞台上で楽しそうに演奏している冬矢。
そして、その姿が事細かにアルコールインクで描かれており――どうやっても表現できなさそうなところまで表現されていた。
ベースの弦だって、一本一本しっかりと描かれていた。
背後はわざとぼやけさせてはいるが、うっすらとしずはのキーボードに、右側には光流の手元とギター、その背後には陸のドラムが少しだけ描かれていた。正確に中学の時の文化祭ライブを表現していたのだ。
「はは……わかってたよ。お菓子作りもプロ級だから絵だって上手く描けるってな。想像以上だったけど」
「だからここに連れてきたの? 結局あんたが楽しいだけじゃない」
「ふっふっふ。それだけじゃないんだなぁこれが」
「なっ、他に何があるのよ!」
「店員さん、アレお願いできますか?」
「あ、はい! 少々お待ちください」
冬矢が店員に声をかけると、レジの裏に移動。数秒後には手に何かを持って戻ってきた。深月はその手元に持っていたものを見つめた。
「本日は、お客様からお誕生日だとお聞きしまして。今回は特別にこちらでこの紙のサイズに合う額縁をご用意させていただきました。裏にお誕生日の数字を入れさせていただいております」
「――――ぁ」
正直、特に驚くことではない。
でも、持ち帰って豪華に飾れるようにとの配慮のようだった。
「深月には俺が描いた絵をあげるよ」
「は、はぁ!?」
深月はこいつは頭がおかしいのではないかと冬矢の顔を見つめた。
しかしその冬矢と言えば、またもや満足そうな顔をしているではないか。
「んで、俺は深月の絵をもらいまーす。だって俺が描かれてるんだもん。良いよな?」
「はぁ~~~っ!?」
深月は思った。
絵を描いてはみたが、持って帰るところまでは全く考えていなかった、と。
そしてそもそも、なぜこいつのことを描いてしまったのだろう、と。
「クリスマスの時の事、覚えてるか?」
「え……うん」
深月の大好きなちるかわのカフェに二人で行った時のことだ。
あの日は光流とルーシーの大事な日でもあった。
けど、一緒にいる時に光流から緊急連絡が入ってしまい、冬矢が謝りながらも光流の下へと行ってしまった。
冬矢はあの時の事を申し訳なく思い、今挽回しようとしているのではないか、深月はそう思った。
しかし――、
「俺にくれただろ。キーホルダー」
「え……?」
深月は想像していたこととは別のことを言われ、少し驚いた顔を見せた。
ちるかわのコラボカフェ。あの日はクリスマス限定のキーホルダーがもらえるというイベントが行われていた。
サンタ姿とトナカイ姿のちるかわのキーホルダー。しかし、一人ずつ別のものしかもらえないという制限つきのイベントだった。
なので二つとも手に入れるには相手からもらわないといけなかった。
そして、深月は何を思ったのか、その片方を自分で持ち、もう片方を冬矢に持たせた。本当は自分が欲しいはずのものだったのに、だ。
「これはあの時それぞれ持ったキーホルダーの代わり……お礼みたいなものだ。今日は絵を交換して、キーホルダーと同じように互いに持っておこうぜ」
「あ……」
深月はやっと理解した。
冬矢がここに来る時に言った『深月と一緒に何かを残したかったから』という言葉。
冬矢はクリスマスのキーホルダーの時のように、互いに大事にするものを残そう、そう思いここに案内をしたのだ。
ただ、こういうものは、恋人になってからやるべきものではないだろうか。
深月は何を考えているんだと思いながらも、自分だってキーホルダーを冬矢に渡してしまっていた。なぜか、冬矢に持っていてほしかったから。
そう言われ、少し恥ずかしくなってしまった深月。
しかし、良いタイミングで店員が話しかけてくれた。
「お客様、そういえばこのお花はなんでしょうか? 絵のイメージとはまた違った雰囲気ですが……」
「ああ、俺も思ってたんだ。この花、何なんだ?」
どうしても気になったのか、深月が描いた冬矢の絵のある部分を指摘した。
同時に冬矢も疑問に思っていたらしく、同じように聞いた。
そこに描かれていたのは、紫色の細長く縦に伸びた花だった。
その花がいくつか重なって描かれており、ひっそりと絵の左下――ベースを弾く冬矢の足下に描かれていた。
「さあ、なんでしょうね。秘密です」
「残念……」
深月の回答に店員は理解を示したのか、それ以上は聞かないことにしたようだ。
「マジでどういうことだよ。教えてくれてもいーじゃねーか」
「ダメ。あんたに彩りがないから入れたんでしょうが」
「さすがにそれは嘘だろ! この俺かっこよすぎるだろ!」
もちろん深月の嘘である。
その紫の花はヤブランという名前の花。
地面に近い場所で密かに咲くことが多いと言われている花である。冬矢の明るい性格とは真逆の花だ。
が、この花は冬矢の誕生日である九月二十日の誕生花だった。
誕生花というのは同じ日にいくつかの誕生花が被るものだ。
その中で深月がヤブランという花を選んだのには理由があった。
『地面に近い場所で密かに咲くことが多いという花』この意味からヤブランは『隠された心』と花言葉がつけられたそうだ。
前回のバレンタインデーの時、深月は二月十四日が誕生花であるミモザの飴細工を光流にバレンタインデーとして送った。
こういった花言葉を調べることも意外と好きだったりする深月。
彼女がずっと気にしているのは、冬矢がずっと隠している心の内側だ。
冬矢には巨大なサッカーボールのチョコを送り、その中には『ダサい』と書かれたカードを仕込んでおいた。
それだけではどんな意味なのか冬矢は理解できないだろう。
しかし、二月から既に四ヶ月が経過していた。冬矢はまだ深月にその心の内側を話してはいない。
光流だって解決はできていない。
だから深月はこうして、わかりにくい形ではあるが、早く心をさらけ出せと小さな期待を込めて表現しているのだ。
そう、深月は期待しているのだ。
もし、冬矢がいつか、心の内側を全てさらしてくれる時がくるのなら……その時は――。
◇ ◇ ◇
「――誕生日おめでとう、深月」
額縁に入れた互いに描いた絵。
それが入った袋を冬矢が二つ分持ちながら、アートカフェを後にした。
そして次に向かった先、冬矢がクリスマスイブの次の日に誘おうとしていた渋谷のイタリアンレストラン『チェルバーレ』。
光流の緊急連絡により深月を誘えなくなり、そのまま予約名を光流に変えてルーシーとのデートに使わせたお店である。
少し夕食には早かったが、深月の家の人を心配させないよう、冬矢はこの時間にした。
アートカフェで絵に真剣に取り組んだからか、お腹の減りも早かったので、深月的にもちょうど良かったようだ。
今、目の前にあるのは、メイン料理を食べたあとに用意された誕生日ケーキだ。
もちろん冬矢が事前に予約で頼んでおり、用意させたものである。
ケーキの上のプレートには『Mizuki Wakabayashi』と文字が書かれている。
「あ、ありがとう……」
誕生日を祝ってくれる、ということで冬矢の誘いに乗ったが、深月はこうやって異性と二人きりで誕生日を祝われるのは初めてだった。
しずはとお洒落なカフェに入ってスイーツを食べるのとはわけが違うのだ。
「じゃあ写真撮ろうぜ」
「あ、え……写真!?」
深月は冬矢に言われるまま、わけもわからず店員にツーショット写真を撮られてしまった。
他のお客さんもいる空間のなか、写真を撮らないでと拒否することはできず、流れに乗せられてしまっていた。
深月は嫌がっていたわけではない。他のお客さんに見られながら写真を取ることが恥ずかしかっただけなのだ。
写真を撮ったあとは、深月はふぅっとケーキに刺さっていたろうそくの火を消し、店員に切り分けてもらえることになった。
「美味しい……」
「それは良かった。深月はお菓子作りできるからな。うまいって言われるかどうか心配だったんだ」
「私だって、プロが作ったスイーツは美味しいって思うわよ。所詮私なんて高校生なんだから」
「高校生のレベルが超えてるから言ってんだよ」
深月の作るお菓子を一度でも見て、一度でも食べてみれば誰でも冬矢と同じように心配するだろう。
そもそもプロが作るスイーツに対して、心配することは作った人に対して失礼な気がするが、それだけ深月のレベルが高いということにもなる。
「わりぃ。他にもプレゼント何か用意しようと思ったんだけどさ、これ以上プレゼントしたら重くなりすぎるかなって思ったんだ」
「別に。今更じゃない。あんたが重いって言っても、大体は軽いんだから小さいことは気にしてないわ」
「いや、さっきの絵の交換は結構重かっただろ」
「さあ? あんたにしてはよく考えた内容だと思ったけど」
「俺を何だと思ってるんだよ……」
そんな会話をしながらも、ケーキを食べ進め、ついにはレストランを去る時間となった。
帰り際、冬矢に促されトイレに行った深月。その間に支払いを済ませた。
トイレから戻った深月は、冬矢が立ち上がったのを見て、一緒にお店を出た。
「あれ、会計は?」
「もう済ませたから、行こうぜ」
少し呆けた顔をした深月。冬矢はその顔を見て満足気だ。
「――だろうと思った」
「へ?」
しかし、次の瞬間には思いもよらぬ言葉を言われ、逆に冬矢が呆けた顔になってしまった。
「しずはから聞いたのよ。光流が前にカフェで会計を済ませてたって。どうせあんたの入れ知恵なんでしょ」
「はっ!? あいつ、しずはにも……? うわ、マジか、まさか自然とやっちゃってた? なーにしてんだが……」
「あぁ、そういうこと。ルーシーにするように教えたことを光流はそのまましずはにもやっちゃったのね」
「あ……ちょっとそれ、しずはには言うなよ」
口が滑った冬矢だったが、それでも『しずはにも』と言っただけだ。
しかし深月はその言葉だけで、裏でどんなことが起きていたのかをすぐに見破ってみせた。
「ふんっ。たまには痛い目見れば良いんだわ」
「まあ、気持ちはわかるけどよ……」
「痛い目を見るのはあんたよ!」
「ぶへぇ!?」
なぜかレストランの外でいきなり冬矢の頭を殴った深月。
痛い目を見るのは冬矢、どういう意味だろうかと本人は理解できずにいた。
「あんたが光流に余計なことを教えたのが発端でしょ。なら元凶はあんたじゃない」
「いや、俺さ、今まで君にどれだけ痛い目遭わされてるか覚えてらっしゃらない!?」
「さあ、忘れたわ」
「お前なぁ~~~っ!」
理不尽に殴られた――いや、深月にとっては理不尽ではないのだが、そんな彼女にタジタジになる冬矢。
二人はいつも通りに、殴ったり、罵ったり、バカにしたり。そう言うと暴力を振るっているだけのようにも聞こえてしまうが。
一応、愛のある攻防を繰り返しながら帰路についた。
◇ ◇ ◇
なんだか、長い一日に感じた。
初めての体験が多かったからだろうか。
冬矢との誕生日……トから家に帰り、ベッドにガバっと飛び込んでうつ伏せになる。
しばらくその状態でいたあと、テーブルの上に置かれたある袋に視線を送った。
ベッドから起き上がりそのままテーブルに近づき、その袋から額縁がついた絵を取りだした。
「本当に何が描いてあるのかわからないわね……」
舞台と私とピアノを描いたというよくわからない絵。
頑張れば、ピカソみたいな見ようによっては良い絵に見える可能性は……いや、やっぱりないか。
ただ下手くそなだけの絵に変わりなかった。
私は机の引き出しを開け、画鋲を一つ取りだす。
カフェのほうで付けてくれた紐を取りだし、額縁の裏に通す。そうして画鋲を壁に刺したあとその部分に紐をかけた。
「…………なんで飾っちゃったんだろ」
頭を抱えながらも、私はその下手くそな絵を見つめた。
キーホルダーみたいに互いに持っておこうなんて、よくわからないことを言い出して。
この、可愛いものだらけの部屋には似合わない、謎の下手くそな絵。
小学生……下手をすれば幼稚園児が描いたような絵なのだ。
「ほんと、バカみたい」
いつの間にか、口角が上がっていた表情。
絶対に冬矢だけには見せてはいけない。私が少しだけ嬉しいだなんて。
「それにしてもあいつ、いつまでつけてるのよ……」
だから思い出してしまった。
あのクリスマスイブの日からしばらくしてのことだ。
冬矢はカバンのジッパー部分にトナカイ姿のちるかわのキーホルダーをつけだした。
私に向けて、ちゃんと持ってるぞというアピールなのか。
確かに少しは大切にしてくれているとは思った。
だけど……だけど、だ。
あんなところに毎日つけていたら、汚れが増えていく一方じゃない。
高校生になった今、カバンが変わっても冬矢は変わらずにキーホルダーをつけてくれていた。冬の季節でもないのに、トナカイだなんて季節外れもいい所なのに。
一度拭いて綺麗にしてあげたい……でも、それを指摘したくない。
あ~なんで男ってこうも無頓着なの!
大切にしてるつもりがあるなら、常に綺麗にしときなさいよ。
私はいつもカバンの中に入れている、ある小さな袋を取り出す。
その小さな袋の紐を解き、サンタ姿のちるかわのキーホルダーを取り出した。
私は大切に持っている。
劣化しないように、傷がつかないように、大切に……。
今度、どことなくウェットティッシュでも渡せば気づくだろうか。
冬矢は小さな変化にも気づく男だ。でも、気付かないことだって多い。
「サッカーのこと、まだ解決してないみたいだし……」
光流に任せていれば、いつか殻を破る。そう思ってはいたけど、結局クリスマスの頃から全く変わっていない。
『ダサい』、『隠れた心』。
サッカーなんて言葉は一ミリも出してはいない。これだけで気づけという方が無理かもしれない。
けど、本当にいつまで心に引っかかりを抱えたままでいるのだろう。
そのままじゃ、私は変わらないよ。
あなたにいくらアピールされても、変わらない。
前よりは距離も近づいてしまったし、仲良くなりはしたけど、心の奥ではまだ認めていない。
私は冬矢に対するモヤモヤが自分の中に少しずつ溜まっていくのをじわじわと感じていた。
なら、いっそ。
光流にすらできないことなら。
深い心の底に埋まった、他人に触れられたくないクソみたいなプライド。
いつか私がその逆鱗に触れてやろう――そう思うほどに。
この日は真空に続いて、深月の誕生日だった。
昨年同様、深月の家で誕生日会が行われることとなったが、ルーシーや真空も参加することになった結果、昨年より多い招待客になったので、深月の母はまたもや涙することになった。
仲の良さはさておき、娘を祝ってくれる友達が増えたこと。家にしずは以外の友達を連れてきたことがなかった頃を考えると大きな変化だった。だから彼女の母は心の底から喜び、涙したのだ。――もちろん親バカという一番の理由はあるにしても、だ。
そして、その裏では別の誕生日会が進められていた。
週末、土曜日のことである。
――都内、某所。
駅の改札を出たところ、大きな柱の前でイライラしながら靴のかかとで何度も地面を叩いている人物がいた。
「あいつ……毎回わざと遅れてるんじゃないでしょうね……」
若林深月。しずはの親友であり、光流や冬矢たちとは同じ中学校に通っていた高校一年生。
カチューシャをつけた頭は一部編み込みをしたアレンジに加え、いつもはしないヘアアイロンでゆる巻きにした髪型。
今日は少し時間がかかるヘアスタイルをしていた。
六月に入り気温はグッと上がり日中は二十五度近く。
そんな温かさに合わせた白のブラウスにネイビーの膝丈スカート。それに加え黒のショートブーツに茶色の肩掛けバッグを持っている。
今日は誕生日ともあって、深月は少し大人っぽい服装をしていた。
「深月ー! あれ、俺遅れたか?」
もう何度も聞いたこの言葉。
待ち合わせの時間に遅れるなど、愚の骨頂だ。……いや、実際には遅れていない。
深月が待ち合わせ場所に来るのが早すぎたのだ。
待ち合わせをするならもっと早く来て女の子を待たせるな。それが深月の気持ちである。
冬矢に関してもこれまでの女性経験からそんなことわかっている。
けど、深月の前ではできるだけ素の自分でいたい。だからいつもしていた余計な男らしさも鳴りを潜めている。
それでも、深月に対してはいくらでもエスコートしてあげたい。そのせめぎ合いが冬矢をおかしくさせるのだ。
「遅い!」
「あれ、まだ五分前じゃん!」
深月のイラついた顔を見て、自分は待ち合わせ時間に遅れてしまったのではないかと思った冬矢は腕時計を見て時間を確認した。
現在、午後二時五十五分。
待ち合わせ時間の午後三時よりも早い到着だった。
「私より早く来なさいよ!」
「ったく、めんどくせー女だな」
「その面倒くさい女を誘ったのは誰よ!」
顔を合わせた瞬間からの喧嘩。
これが二人のいつも通りのコミュニケーションだ。
「まあまあ。落ち着けって。それにしても、今日の深月の髪型、すげえ良いな。服も大人っぽい……」
「あ、あんたの為にしたわけじゃない!」
「そーですかい」
「そうよ!」
冬矢は深月にそんなことは言われはしたが、やっぱり自分とのデートのために髪型も服装もお洒落をしてきてくれた彼女が可愛いと思っていた。
自分のためじゃないと言われたとしても、明らかに今日という日のためにお洒落をしたことは事実だから。
「とりあえず、時間だ。早く行くぞ」
「ちょっと待ちなさいよ!」
冬矢は深月の怒りを気にせず、先に歩き出す。
遅れて深月は冬矢の背中を追いかけた。
今日は深月が主役だというのに勝手なやつである。
…………
深月たちが最初にやってきたのは、アートカフェ呼ばれる絵を描くことを体験できるカフェである。
「服、汚れない……?」
「汚れる可能性はあるな」
「なんでここにしたのよ」
「深月と一緒に何かを残したかったから」
「そ、そんなこと言っても服が汚れることは、チャラにならないんですけど!?」
そう、このアートカフェでは、染料を使うため服が汚れる可能性があったのだ。
もちろん注意すれば汚れはしないが、染料が飛び跳ねてしまう可能性はゼロではない。
「まあまあ、汚れないようにエプロンもあるみたいだからさ、とりあえず入ろうぜ」
「少しでもかかったら殺すから」
「もう何回殺されたかわからないな俺」
「そうね。何回死に戻りしてきたのやら。しつこいったらありゃしないわ」
深月はプンプンしながらも、せっかくここまで来てしまったので、アートカフェの中に入ってみることにした。
内心、なぜこんな場所を選んだのかと冬矢のセンスを疑ったが、いちいち気にしていてもしょうがないと割り切った。
中に入るとカフェっぽいスペースの他、絵を描くための長テーブルが目に入る。
そのテーブルの上には既に画材が用意されていて、今日はその画材を使って絵を描くのだとすぐにわかった。
「いらっしゃいませ」
三十歳手前の女性店員から概要を説明される。
通常なら他のお客さんと一緒に体験するそうだが、今日は二人の貸し切りになっていると説明を受けた。
冬矢がわざわざそう予約したのかと深月は勘ぐったが、他のお客さんが予約を入れなかった可能性もあった。
気にしてもしょうがないことだが、冬矢にイケメンな行動をされるとどこか深月もムカついてしまうのだ。
今回二人が取り組むことになったのは、『アルコールインクアート』だ。
アルコールインクは、アルコールを溶剤として染料を配合したインクであり、速乾性があることが特徴なんだそう。
聞き馴染みのない名前のインクに深月も冬矢も目を丸くしながら説明を受けた。
完成形の絵のサンプルを見せてもらうと、ただインクを垂らして伸ばした簡単なものから、動物が表現された凄いものまで様々だった。
やり方はインクを垂らしたあと、さらに別のインクを垂らしてにじませ、風を当てたり紙自体を傾けたりして、模様を変えていく。これを繰り返し絵を完成させるという。
真剣に説明を聞いた二人。
早速、長方形の紙に向かってアルコールインクアートに取り組むこととなった。
「あんた、何描くのよ?」
「それはお互いお楽しみだろ。完成した時に見せ合おうぜ」
「まあ、それもそうね」
冬矢の言葉を聞き、頷いて理解を示す深月。
誕生日にすることかと思いつつも、深月はエプロンを着てから手を動かし始めた。
飲み物を飲みつつ、一時間強。
取り組んでみると、こだわりたいところがいくつも出てきた。
冬矢とはそこまで話さず、真剣に絵に向き合った結果だ。
深月はもうこんなに時間が過ぎたのかと、終わった時に気づいた。
「お疲れ様でした」
互いの絵が完成したところで店員に話しかけられた。
「じゃあ、あんたの絵、見せてもらおうじゃない」
「おうよ」
深月は冬矢の席に近づき、紙を覗き込んだ。
使われていたのは白と黒と茶色。そして、水色だった。
「これ……何?」
「わかってるくせに。俺に言わせたいのか? 深月とピアノだよ」
「…………」
自慢げに話す冬矢。
しかし深月は顔色は優れない。
冬矢が描いた絵はピアノコンクールが舞台なのか、木である茶色を基調とした舞台の床に、白と黒のピアノ。そしてピアノを弾いているのは水色のドレスを着た深月の姿だった。
ただ、そう見えるのは冬矢だけである。
何を表しているのか、説明されないとわからない代物。
まあ、つまりだ。
冬矢は絵が下手くそだったのである。
確かにアルコールインクアートという普通に生きてきては縁のないアート。
初めてだからしょうがなくはあるが、とにかく冬矢には絵のセンスが全くなかったのだ。
「ええと……独特な絵ね」
「お前らしく下手くそだって言ってくれても良いんだよ!?」
深月は一応、気を遣ってギリギリ褒めてるか褒めていないか微妙な感想を送った。
でも、冬矢は自分でも下手くそなのはわかっていた。いつも罵倒する彼女に変に擁護されるとむず痒くなるのだ。
「もう俺のは良いから、深月の見せろよ」
「さすがに私のはわかるわよね?」
冬矢は深月の絵を覗き込んだ。
そして、すぐに目を丸くし、何が描かれているのか理解した。
「て、天才ですっ!! 美術大学目指しませんか?」
発言したのは、冬矢ではなかった。
一緒に完成した絵を眺めていた店員が発言したのだ。
「これ……俺、だよな……」
冬矢が発言した通り、深月が描いた絵は冬矢自身だった。
中学の時の学生服姿で赤いベースを持ち、体育館の舞台上で楽しそうに演奏している冬矢。
そして、その姿が事細かにアルコールインクで描かれており――どうやっても表現できなさそうなところまで表現されていた。
ベースの弦だって、一本一本しっかりと描かれていた。
背後はわざとぼやけさせてはいるが、うっすらとしずはのキーボードに、右側には光流の手元とギター、その背後には陸のドラムが少しだけ描かれていた。正確に中学の時の文化祭ライブを表現していたのだ。
「はは……わかってたよ。お菓子作りもプロ級だから絵だって上手く描けるってな。想像以上だったけど」
「だからここに連れてきたの? 結局あんたが楽しいだけじゃない」
「ふっふっふ。それだけじゃないんだなぁこれが」
「なっ、他に何があるのよ!」
「店員さん、アレお願いできますか?」
「あ、はい! 少々お待ちください」
冬矢が店員に声をかけると、レジの裏に移動。数秒後には手に何かを持って戻ってきた。深月はその手元に持っていたものを見つめた。
「本日は、お客様からお誕生日だとお聞きしまして。今回は特別にこちらでこの紙のサイズに合う額縁をご用意させていただきました。裏にお誕生日の数字を入れさせていただいております」
「――――ぁ」
正直、特に驚くことではない。
でも、持ち帰って豪華に飾れるようにとの配慮のようだった。
「深月には俺が描いた絵をあげるよ」
「は、はぁ!?」
深月はこいつは頭がおかしいのではないかと冬矢の顔を見つめた。
しかしその冬矢と言えば、またもや満足そうな顔をしているではないか。
「んで、俺は深月の絵をもらいまーす。だって俺が描かれてるんだもん。良いよな?」
「はぁ~~~っ!?」
深月は思った。
絵を描いてはみたが、持って帰るところまでは全く考えていなかった、と。
そしてそもそも、なぜこいつのことを描いてしまったのだろう、と。
「クリスマスの時の事、覚えてるか?」
「え……うん」
深月の大好きなちるかわのカフェに二人で行った時のことだ。
あの日は光流とルーシーの大事な日でもあった。
けど、一緒にいる時に光流から緊急連絡が入ってしまい、冬矢が謝りながらも光流の下へと行ってしまった。
冬矢はあの時の事を申し訳なく思い、今挽回しようとしているのではないか、深月はそう思った。
しかし――、
「俺にくれただろ。キーホルダー」
「え……?」
深月は想像していたこととは別のことを言われ、少し驚いた顔を見せた。
ちるかわのコラボカフェ。あの日はクリスマス限定のキーホルダーがもらえるというイベントが行われていた。
サンタ姿とトナカイ姿のちるかわのキーホルダー。しかし、一人ずつ別のものしかもらえないという制限つきのイベントだった。
なので二つとも手に入れるには相手からもらわないといけなかった。
そして、深月は何を思ったのか、その片方を自分で持ち、もう片方を冬矢に持たせた。本当は自分が欲しいはずのものだったのに、だ。
「これはあの時それぞれ持ったキーホルダーの代わり……お礼みたいなものだ。今日は絵を交換して、キーホルダーと同じように互いに持っておこうぜ」
「あ……」
深月はやっと理解した。
冬矢がここに来る時に言った『深月と一緒に何かを残したかったから』という言葉。
冬矢はクリスマスのキーホルダーの時のように、互いに大事にするものを残そう、そう思いここに案内をしたのだ。
ただ、こういうものは、恋人になってからやるべきものではないだろうか。
深月は何を考えているんだと思いながらも、自分だってキーホルダーを冬矢に渡してしまっていた。なぜか、冬矢に持っていてほしかったから。
そう言われ、少し恥ずかしくなってしまった深月。
しかし、良いタイミングで店員が話しかけてくれた。
「お客様、そういえばこのお花はなんでしょうか? 絵のイメージとはまた違った雰囲気ですが……」
「ああ、俺も思ってたんだ。この花、何なんだ?」
どうしても気になったのか、深月が描いた冬矢の絵のある部分を指摘した。
同時に冬矢も疑問に思っていたらしく、同じように聞いた。
そこに描かれていたのは、紫色の細長く縦に伸びた花だった。
その花がいくつか重なって描かれており、ひっそりと絵の左下――ベースを弾く冬矢の足下に描かれていた。
「さあ、なんでしょうね。秘密です」
「残念……」
深月の回答に店員は理解を示したのか、それ以上は聞かないことにしたようだ。
「マジでどういうことだよ。教えてくれてもいーじゃねーか」
「ダメ。あんたに彩りがないから入れたんでしょうが」
「さすがにそれは嘘だろ! この俺かっこよすぎるだろ!」
もちろん深月の嘘である。
その紫の花はヤブランという名前の花。
地面に近い場所で密かに咲くことが多いと言われている花である。冬矢の明るい性格とは真逆の花だ。
が、この花は冬矢の誕生日である九月二十日の誕生花だった。
誕生花というのは同じ日にいくつかの誕生花が被るものだ。
その中で深月がヤブランという花を選んだのには理由があった。
『地面に近い場所で密かに咲くことが多いという花』この意味からヤブランは『隠された心』と花言葉がつけられたそうだ。
前回のバレンタインデーの時、深月は二月十四日が誕生花であるミモザの飴細工を光流にバレンタインデーとして送った。
こういった花言葉を調べることも意外と好きだったりする深月。
彼女がずっと気にしているのは、冬矢がずっと隠している心の内側だ。
冬矢には巨大なサッカーボールのチョコを送り、その中には『ダサい』と書かれたカードを仕込んでおいた。
それだけではどんな意味なのか冬矢は理解できないだろう。
しかし、二月から既に四ヶ月が経過していた。冬矢はまだ深月にその心の内側を話してはいない。
光流だって解決はできていない。
だから深月はこうして、わかりにくい形ではあるが、早く心をさらけ出せと小さな期待を込めて表現しているのだ。
そう、深月は期待しているのだ。
もし、冬矢がいつか、心の内側を全てさらしてくれる時がくるのなら……その時は――。
◇ ◇ ◇
「――誕生日おめでとう、深月」
額縁に入れた互いに描いた絵。
それが入った袋を冬矢が二つ分持ちながら、アートカフェを後にした。
そして次に向かった先、冬矢がクリスマスイブの次の日に誘おうとしていた渋谷のイタリアンレストラン『チェルバーレ』。
光流の緊急連絡により深月を誘えなくなり、そのまま予約名を光流に変えてルーシーとのデートに使わせたお店である。
少し夕食には早かったが、深月の家の人を心配させないよう、冬矢はこの時間にした。
アートカフェで絵に真剣に取り組んだからか、お腹の減りも早かったので、深月的にもちょうど良かったようだ。
今、目の前にあるのは、メイン料理を食べたあとに用意された誕生日ケーキだ。
もちろん冬矢が事前に予約で頼んでおり、用意させたものである。
ケーキの上のプレートには『Mizuki Wakabayashi』と文字が書かれている。
「あ、ありがとう……」
誕生日を祝ってくれる、ということで冬矢の誘いに乗ったが、深月はこうやって異性と二人きりで誕生日を祝われるのは初めてだった。
しずはとお洒落なカフェに入ってスイーツを食べるのとはわけが違うのだ。
「じゃあ写真撮ろうぜ」
「あ、え……写真!?」
深月は冬矢に言われるまま、わけもわからず店員にツーショット写真を撮られてしまった。
他のお客さんもいる空間のなか、写真を撮らないでと拒否することはできず、流れに乗せられてしまっていた。
深月は嫌がっていたわけではない。他のお客さんに見られながら写真を取ることが恥ずかしかっただけなのだ。
写真を撮ったあとは、深月はふぅっとケーキに刺さっていたろうそくの火を消し、店員に切り分けてもらえることになった。
「美味しい……」
「それは良かった。深月はお菓子作りできるからな。うまいって言われるかどうか心配だったんだ」
「私だって、プロが作ったスイーツは美味しいって思うわよ。所詮私なんて高校生なんだから」
「高校生のレベルが超えてるから言ってんだよ」
深月の作るお菓子を一度でも見て、一度でも食べてみれば誰でも冬矢と同じように心配するだろう。
そもそもプロが作るスイーツに対して、心配することは作った人に対して失礼な気がするが、それだけ深月のレベルが高いということにもなる。
「わりぃ。他にもプレゼント何か用意しようと思ったんだけどさ、これ以上プレゼントしたら重くなりすぎるかなって思ったんだ」
「別に。今更じゃない。あんたが重いって言っても、大体は軽いんだから小さいことは気にしてないわ」
「いや、さっきの絵の交換は結構重かっただろ」
「さあ? あんたにしてはよく考えた内容だと思ったけど」
「俺を何だと思ってるんだよ……」
そんな会話をしながらも、ケーキを食べ進め、ついにはレストランを去る時間となった。
帰り際、冬矢に促されトイレに行った深月。その間に支払いを済ませた。
トイレから戻った深月は、冬矢が立ち上がったのを見て、一緒にお店を出た。
「あれ、会計は?」
「もう済ませたから、行こうぜ」
少し呆けた顔をした深月。冬矢はその顔を見て満足気だ。
「――だろうと思った」
「へ?」
しかし、次の瞬間には思いもよらぬ言葉を言われ、逆に冬矢が呆けた顔になってしまった。
「しずはから聞いたのよ。光流が前にカフェで会計を済ませてたって。どうせあんたの入れ知恵なんでしょ」
「はっ!? あいつ、しずはにも……? うわ、マジか、まさか自然とやっちゃってた? なーにしてんだが……」
「あぁ、そういうこと。ルーシーにするように教えたことを光流はそのまましずはにもやっちゃったのね」
「あ……ちょっとそれ、しずはには言うなよ」
口が滑った冬矢だったが、それでも『しずはにも』と言っただけだ。
しかし深月はその言葉だけで、裏でどんなことが起きていたのかをすぐに見破ってみせた。
「ふんっ。たまには痛い目見れば良いんだわ」
「まあ、気持ちはわかるけどよ……」
「痛い目を見るのはあんたよ!」
「ぶへぇ!?」
なぜかレストランの外でいきなり冬矢の頭を殴った深月。
痛い目を見るのは冬矢、どういう意味だろうかと本人は理解できずにいた。
「あんたが光流に余計なことを教えたのが発端でしょ。なら元凶はあんたじゃない」
「いや、俺さ、今まで君にどれだけ痛い目遭わされてるか覚えてらっしゃらない!?」
「さあ、忘れたわ」
「お前なぁ~~~っ!」
理不尽に殴られた――いや、深月にとっては理不尽ではないのだが、そんな彼女にタジタジになる冬矢。
二人はいつも通りに、殴ったり、罵ったり、バカにしたり。そう言うと暴力を振るっているだけのようにも聞こえてしまうが。
一応、愛のある攻防を繰り返しながら帰路についた。
◇ ◇ ◇
なんだか、長い一日に感じた。
初めての体験が多かったからだろうか。
冬矢との誕生日……トから家に帰り、ベッドにガバっと飛び込んでうつ伏せになる。
しばらくその状態でいたあと、テーブルの上に置かれたある袋に視線を送った。
ベッドから起き上がりそのままテーブルに近づき、その袋から額縁がついた絵を取りだした。
「本当に何が描いてあるのかわからないわね……」
舞台と私とピアノを描いたというよくわからない絵。
頑張れば、ピカソみたいな見ようによっては良い絵に見える可能性は……いや、やっぱりないか。
ただ下手くそなだけの絵に変わりなかった。
私は机の引き出しを開け、画鋲を一つ取りだす。
カフェのほうで付けてくれた紐を取りだし、額縁の裏に通す。そうして画鋲を壁に刺したあとその部分に紐をかけた。
「…………なんで飾っちゃったんだろ」
頭を抱えながらも、私はその下手くそな絵を見つめた。
キーホルダーみたいに互いに持っておこうなんて、よくわからないことを言い出して。
この、可愛いものだらけの部屋には似合わない、謎の下手くそな絵。
小学生……下手をすれば幼稚園児が描いたような絵なのだ。
「ほんと、バカみたい」
いつの間にか、口角が上がっていた表情。
絶対に冬矢だけには見せてはいけない。私が少しだけ嬉しいだなんて。
「それにしてもあいつ、いつまでつけてるのよ……」
だから思い出してしまった。
あのクリスマスイブの日からしばらくしてのことだ。
冬矢はカバンのジッパー部分にトナカイ姿のちるかわのキーホルダーをつけだした。
私に向けて、ちゃんと持ってるぞというアピールなのか。
確かに少しは大切にしてくれているとは思った。
だけど……だけど、だ。
あんなところに毎日つけていたら、汚れが増えていく一方じゃない。
高校生になった今、カバンが変わっても冬矢は変わらずにキーホルダーをつけてくれていた。冬の季節でもないのに、トナカイだなんて季節外れもいい所なのに。
一度拭いて綺麗にしてあげたい……でも、それを指摘したくない。
あ~なんで男ってこうも無頓着なの!
大切にしてるつもりがあるなら、常に綺麗にしときなさいよ。
私はいつもカバンの中に入れている、ある小さな袋を取り出す。
その小さな袋の紐を解き、サンタ姿のちるかわのキーホルダーを取り出した。
私は大切に持っている。
劣化しないように、傷がつかないように、大切に……。
今度、どことなくウェットティッシュでも渡せば気づくだろうか。
冬矢は小さな変化にも気づく男だ。でも、気付かないことだって多い。
「サッカーのこと、まだ解決してないみたいだし……」
光流に任せていれば、いつか殻を破る。そう思ってはいたけど、結局クリスマスの頃から全く変わっていない。
『ダサい』、『隠れた心』。
サッカーなんて言葉は一ミリも出してはいない。これだけで気づけという方が無理かもしれない。
けど、本当にいつまで心に引っかかりを抱えたままでいるのだろう。
そのままじゃ、私は変わらないよ。
あなたにいくらアピールされても、変わらない。
前よりは距離も近づいてしまったし、仲良くなりはしたけど、心の奥ではまだ認めていない。
私は冬矢に対するモヤモヤが自分の中に少しずつ溜まっていくのをじわじわと感じていた。
なら、いっそ。
光流にすらできないことなら。
深い心の底に埋まった、他人に触れられたくないクソみたいなプライド。
いつか私がその逆鱗に触れてやろう――そう思うほどに。
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