包帯令嬢の恩返し〜顔面難病の少女を助けたら数年後美少女になって俺に会いに来た件〜

藤白ぺるか

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209話 プラネタリウムリップ

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 翌日。放課後の練習。

 俺たち四人の個人練習は音がそれぞれ違うので同じ場所では練習しない。
 その場所というのは、廊下だったり、外だったり、とにかく邪魔にならない空いている場所だ。
 真空だけは持ち運びに苦労する点から、部室自体や自分の電子ドラムを持ってきて近くの空き部屋を使ったりしている。
 
 そして、俺とルーシーは弾く内容は違うが、同じギターということでたまに一緒になって教え合ったりしている。
 だから今日もルーシーと二人きりになる時間はあって――、

「――前から思ってたんだけどさ。光流のその連続で弾いてるやつ。凄くない?」

 部室棟の廊下の隅。
 そこに椅子を二つ並べて、俺たちはギターを持ちながら隣同士に座っていた。

「あぁ、トレモロピッキングのこと? たくさん練習してたらできるようになった」
「それって誰でもできるようになるものなのかな?」
「うーん。他の人のことは全然わからないけど……どうなんだろう。でもずっと腕振るから疲れる時は疲れるかも」

 ルーシーにそう言われたトレモロピッキング。
 同じ音を小刻みに演奏する奏法だが、俺の場合は透柳さんという先生がいた。

 コツなども教わったし、それ故にトレモロ以外にもいくつか難しそうな奏法もマスターしている。
 ルーシーには腕を振るとは言ったが、実際は手首のスナップを使ったりしているので、力はあまり入れていない。
 正しい練習方法というのは、やはり透柳さんのような素晴らしい先生がいるからこそできるものだ。

「そういやルーシーも左手の指先。結構硬くなってきたんじゃない?」
「うん。できればもっと綺麗に保ちたいんだけど、そうなるのはしょうがないよね」
「俺と比べたらルーシーの指は綺麗過ぎるよ。普段からのケアも違うんだろうね」

 教室ではピアノをしているしずはや深月に加え、ルーシーもよくハンドクリームを塗っているのを見かける。

 しずはに至っては、俺が小学生の時にプレゼントしたものと同じブランドのものを今もずっと使い続けている。
 俺に見せつけているのではないかと自意識過剰になるのだが、そこまではしずはの真意はわからない。

「すっごく硬いね……光流の……」

 ルーシーが俺の左手を掴んで指先をぷにぷにと触る。
 その言い方も指先のいじり方も、なんだかエロい。


「――サシェ。ありがとうね」


 ふと、ルーシーが昨日の夜のことを話題に出す。

 小さい頃から家にあったラベンダーのサシェ。

 持っている理由も忘れているくらい昔のもので、母の実家であるおばあちゃんが住む富良野から持ってきたものだということだけ聞いている。
 ただ、ルーシーはこれに何かを感じているように見えた。

 そして、昨日のアーサーさんの部屋にあった俺と同じもののように見えたサシェ。
 それはルーシーのものだと言う。

 ルーシーが病気になりたての頃と話を聞いた。つまり五歳あたりの時ということだ。

 そのルーシーが元々部屋に飾って持っていたもの。
 何かを感じられずにはいられなかった。

 だから俺はそれを持ってルーシーに渡した。


「うん。俺の部屋にあるものと、同じに見えて――今のルーシーには必要だと思ったから」

 そんな会話をしながらもルーシーはずっと俺の左手の指に両手で触れていた。

「――私、少しだけ記憶、思い出したの」
「そっか……良かったね」

 良かったのかどうかわからなかったけど、ルーシーの優しい表情を見れば大体予想ができた。

「うん。とっても良かった。――私と光流。多分昔に会ったことがあるんだ」
「――――っ」

 ルーシーから発せられた言葉。
 受け入れるには、少し心の準備が必要なほどの言葉だった。

 ただ、同じサシェを見た時から、俺も心の中で何かを感じていた。

「私も光流も忘れてるくらい前だけどね。多分。私の記憶がない五歳より前のこと……」
「うん」

 俺はルーシーの話を遮らずに、ひたすら頷くことにした。

「紫いっぱいのラベンダー畑だった。他にもたくさんの色の花があって――そこで、私と光流が出会った」

 ぽふんと左側にいるルーシーが俺の肩に頭を乗せる。

「あのサシェ。光流がくれたんだ。あれが、家族や親族以外からもらった初めてのプレゼントだったんだと思う」
「なのに、なのに……あのあとアーサー兄から聞いたんだ。私が投げつけたって」
「ずっと大切に持っているはずだったのに。病気のことがショックで大切なものでさえも投げちゃってた……」

 俺がルーシーでも、いや、誰がルーシーでも、そうなっていたかもしれない。
 ある日突然自分の顔が自分ではないように変わってしまったら。それはショックを受けて当たり前だ。

「光流、ごめんね。光流からもらった大事なもののはずだったのに投げつけて」
「ううん。俺だって今も思い出せないことだし、ルーシーの当時の気持ちを考えたらそうなっても仕方ないよ」
「ありがとう……」

 肩に寄り掛かるルーシーから今日は違った香りがした。
 いつもは柑橘系の香りだったが、今日はラベンダーぽいような花の香りがした。
 もしかすると、そのサシェを意識してのことなのかもしれない。

「それでね……思い出したのはそのことだけなの。だから、その場所に行けばもっと何かわかるかもしれない」
「うん」
「だから――夏に一緒に富良野に行ってほしいの。そうしたらもっと何か思い出せるかもしれない」

 ルーシーからの誘い。
 サシェの話を聞いた時から俺だって気になっていた。

 だからその答えはもちろん――、

「良いよ。俺も一緒に行きたい。俺たちが出会ったっていう場所」
「ありがとうっ」

 祖父母にはしばらく会っていない。
 ビデオ通話で顔を見て会話はしてはいるが、なかなか家族全員の休みが重なることがなく富良野まで行く機会がなかった。

 こうして俺とルーシーは、夏の約束を交した。



 ◇ ◇ ◇



 そして、真空の曲のために、これから何度か冬矢と一緒にパソコンに向き合うこととなった。
 しかし基本的には一人でパソコンに向かって作業するため、二人いてもしょうがなかった。

 ただ、冬矢がたまに『こういう感じでできるか?』なんて言ってきて、ギターを弾いてそれが良ければ打ち込んでいく。
 なんてことをしたりした。

 前もそうだったが、わざと難しい演奏を入れ込もうとするので止めにかかった。
 そして、一番だけという曲のはすだったがルーシーが提供してくれた歌詞は三番までぎっしりと書いていた。

 だから冬矢は最後まで曲を完成させるつもりだったようだ。
 ただ、実際に演奏するのは一番まで。それは変わらない。

 ちなみに冬矢は打ち込みのアドバイスを深月にしてもらうと言っていた。
 ……大丈夫だろうか。



 ◇ ◇ ◇



 週末の土曜日。

 今日はルーシーとのデートの日だった。
 しずはとのデートを控え、ルーシーが誘ってくれた。

 行きたいところがあるということで、俺は指定された場所へとやってきた。

「――光流~っ!」

 そんな声が聞こえた方向へ向くと、ルーシーが金色の髪を揺らしながらこちらに向かって走ってきていた。
 ルーシーの服装は大きめの白い帽子に白いワンピース。小さな肩掛けカバンを持ち上品なお嬢様のような服装だった。

「ルーシー!」

 俺は手を振って彼女を出迎えた。

「待った?」
「少し前に着いたばかりだよ」
「そう、なら良かった」

 そして彼女の服装に目が行った。
 ワンピースということはわかっているのだが――、

「ルーシーの服、とっても可愛いね。というか……」
「ふふ。気付いた? 光流なら気づくかなと思ったんだ。完全に同じってわけじゃないけどね」

 ルーシーの服。
 それは俺たちが五年前に会っていた一週間。その事故が起きた日にルーシーが着ていた服に似ていた。

 あの時はドレスだと思っていたけど、それはワンピースだったのだ。

「うん。覚えてるよ。とびきりに濃い思い出だからね」
「私もだよ。最後にぎゅーってされてたの、忘れてない」

 抱きしめて庇ったはずなのに、結局はルーシーだけが大きな損傷を受けていて。
 あのあと目が覚めたら病院にいて、ルーシーの命が危ないと聞いて……。

 今目の前にいる奇跡の存在は、俺が決断できたことでこんなにも命を輝かせている。

「じゃあ、行こうっ」
「そうだね」

 ルーシーが眩しい笑顔で腕を絡ませ密着した。
 そうして、俺たちは足を進めた。



 ◇ ◇ ◇



「ほんとに大っきいね~」
「実は俺も中に入るのは初めてなんだよね。何度も見かけたことはあったんだけど」


 ルーシーと待ち合わせして、歩いてすぐの場所。
 それは雲を切り裂くように空高くそびえ立つ日本の名所。

 ――スカイツリー。

 そして、その下にある商業施設であるソラマチ。
 俺たちはそこに入ろうとしていた。

 冬矢とは初詣で浅草寺に行った時にその近くのカフェには行ったことがあった。
 ただ、中には入ったことがなかったのだ。

 俺も今からとても楽しみだった。


 最初に訪れたのは、和風なスイーツが置いてあるカフェだった。
 少し前にクレープを食べてから抹茶が気に入ったようで、また抹茶スイーツが食べたいとここを選んだようだ。

 俺たちは店員に案内され、テーブルに着くと、メニューを開き互いにスイーツと飲み物を頼んだ。
 数分後にきたのは、抹茶あんみつクリームパフェときなこわらびもちパフェだ。
 ドリンクは互いにコーヒーを頼んだ。

 スイーツを前に目をキラキラさせているルーシーがとても可愛い。
 いや、俺だって同じ顔をしているかもしれない。甘いものには目がないからな。

 そんな時だった。

 店内がざわざわしはじめた。
 元々土曜日ともあって混んではいたのだが、そういったざわざわではない。
 別の意味で騒がしくなったのだ。

 他のお客さんがルーシーに目を奪われて、そうなったんだろうなと思っていたのだが、全く違っていた。

「お、おおおおお、お母さん!?」
「オリヴィアさん!?」

 なんと、カフェの中にルーシーの母であるオリヴィアさんがやってきたのだ。
 そして一緒にいたのは須崎さんだった。

 オリヴィアさんは着物を着た上に金髪。なのに一緒にいる須崎さんはスーツ姿にサングラス。
 この組み合わせはどう見ても、カタギではない人物に見えた。
 だからざわざわしていたのだ。

「あら、ルーシーと光流くんじゃない。奇遇ね」
「き、奇遇っ!? 絶対うそ!」

 ニコリとこちらに微笑みかけ、どんどんこちらに近づいてきた。
 須崎さんもこちらに軽く会釈をして後に続いた。

「店員さん。こちらの席借りるわね」

 そう言って、なぜか空いている俺の隣に座りはじめたのだ。

「お母さん!?」

 まだ手を付けていないスイーツを目の前に、ルーシーの隣には須崎さんが座った。

「いや~美味しそうですね」
「須崎何言ってるの!?」

 運転手兼ボディガードでもる須崎さんだが、なんというか本当に見た目以外は使用人ぽくない人なのだ。

「まぁ良いじゃない。私も同じの頼むわ」
「なら私も」

 するとオリヴィアさんは俺と同じスイーツ。須崎さんはルーシーと同じスイーツを頼んだ。

「もう、なんなの……?」
「ふふ。たまにはいいじゃない」

 つまり、ここにきたのは偶然ではないということだ。

 今はどうなのかわからないが、ルーシーのスマホには過去GPSがついていた。
 同じく今もついているのかもしれない。

 二人のスイーツが到着する前に俺とルーシーが食べ始めたのだが、それどころではなかったので味を楽しめなかった。

「美味しいじゃない」
「ですね」

 オリヴィアさんと須崎さんのスイーツが到着してからは、二人共満足そうに食べていた。
 その間ずっとルーシーの眉間にシワが寄り、オリヴィアさんを見つめていた。

「何よルーシー。そんな目つきしてたらすぐに老けるわよ」
「お、お母さんが二人きりのデート邪魔するからじゃないっ」
「あなたとデートするくらいだもの。私も光流くんがどんな子なのか見たいじゃない」

 今日は俺を見に来たようだ。
 ただ、何をどうすればよいのかわからなかった。

「入院してた頃はまだ小さかったから。何度か光流くんとは会っていたけど、大きくなってからはほんの数回しか会ってないもの」
「確かにそうでしたね。俺がルーシーの顔を見に行ってた時に何度か話したくらいですもんね」

 手術が成功したあと、ルーシーが目覚めない中、俺は毎日彼女の顔を見に行っていた。
 その時に、勇務さんやオリヴィアさんと何度か顔を合わせたことがあったので、少しだけ会話していたのだ。
 アーサーさんとジュードさんとは会うことはなかったが、お見舞いには来ていたはずだ。

「今更だけど、大きくなったわね光流くん」
「はい。オリヴィアさんは全然変わらないですよね」

 人は五年もあれば老けるだろう。
 だけどオリヴィアさんの見た目は全く変わっていなかった。

「ふふ。お金がかかっていますからね」
「そ、そうですか……」

 ツッコみづらい返しだ。

「さて、光流くん。はい」
「え……え?」

 すると、オリヴィアさんがきなこわらびもちパフェをスプーンで一つ掬って俺の口元へと運んできた。
 口を開けないと大変なことになりそうな勢いだった。

「お母さん!?」
「こぼれるわよ?」

 口を開けない選択肢はなかった。

 俺はオリヴィアさんが口をつけたスプーンをそのままパクリと口に含んだ。
 ルーシーは立ち上がり、目を大きく見開いていた。ついでに顎が外れたかのように口も大きく開けて……。

「ルーシーも嫉妬するのね」
「す、するに決まってるでしょ!」

 ルーシーの顔がどんどん赤くなり、怒り心頭の様子が伺えた。
 一方のオリヴィアさんは終始楽しんでいるかのような表情だった。

 サングラスをしている須崎さんは黙々とスイーツを食べており、どんな反応なのか全くわからなかった。

「光流っ! これっ!」

 すると今度は向かいの席のルーシーが俺にスプーンを向けてきた。

「あむ」

 オリヴィアさんのスプーンを口に含むだけで恥ずかしかったのに、オリヴィアさんの前でルーシーのスプーンを口に含むのも恥ずかしかった。

「私の方が美味しいよね?」

 なんでそんな答えづらい質問を!?

「あ、いや……多分……?」
「ほら、まだ残ってるわよ。食べ盛りの時期でしょ?」

 しかし、ルーシーの反応を見る前に次のスプーンが俺に迫っていた。
 オリヴィアさんのスプーンの勢いが毎度おかしい。口を開けないと絶対に顔に直撃する速さなのだ。

「あむ」

 俺は口を開けてスプーンを迎え入れる。

「光流っ!」
「あむ」

 すると今度はルーシー。再び口を開ける。

 このあと、パフェが底をつくまで、オリヴィアさんとルーシーのスプーンの差し出し合いは続いた。

「ちょっと、マジでキツイです……」

 多分合わせて二人前はパフェを食べたと思う。
 そもそもこのパフェはかなり大きいのに、自分の分だけではなくルーシーとオリヴィアさんの晩まで食べるとなればお腹がおかしくなってしまう。

「よく食べたわね、光流くん」
「あ……」

 するとオリヴィアさんがなぜか頭を撫で撫でしてくれた。

 ただ、ルーシーの目が鬼の形相になっていた。

「じゃあ行きましょうか。須崎、行くわよ」
「わかりました」

 いつの間にか須崎さんも自分のパフェを全て食べきっていた。

「お支払いは済ませておきますから」
「あ……ありがとうございます」
「もう来なくて良いからねっ!」
「ふふ。あなたのそういう顔が見れただけで十分よ」

 俺が目的で来たという感じではあったが、結局はルーシーのこういった表情を見たくてきたのではないだろうか。
 そんなふうに思った。

 元気になったルーシー。
 その子供の色々な顔を見たいと思うのは親として当たり前ではないだろうか。

 オリヴィアさんの心の内はよくわからないが、ひとまずはまた二人きりになることができた。

「光流! 次いくよ!」
「はい……っ」

 ルーシーの口調が少し強めになっていた。



 ◇ ◇ ◇



 ソラマチの中を色々と回っていくと、徐々にルーシーが普段通りの顔に戻っていった。
 俺は心の中で大きく息を吐いて、少し安心することができた。

 そして、最後に来たのはプラネタリウムだった。

 ルーシーが予約してくれていたようで、なんと一般席ではなくカップルシートのようなソファ席に案内された。

 そこに座ると天井を見るため、寝るような姿勢になり、自然とルーシーと横並びで寝転がることになった。

「あ、始まるよ」

 ルーシーがそう言うと、照明が暗くなり空に無数の星が浮かび上がった。
 今回はローマ神話に関係する星々をイタリアの風景と共に紹介するといった内容だった。

 俺とルーシーはぴったりと寄り添ったまま、天井を見上げた。


「――ねぇ。明日はしずはとのデートだね」


 ゆっくりと移り変わる星空。
 そんな中、ルーシーが耳元で小さく囁いた。

「うん……」
「デートしてても、私のこと忘れちゃダメだよ?」

 今回のしずはとのデートは真空に素敵な誕生日プレゼントをするためにしずはにキーボードとして参加してもらうという話の中、ルーシー公認で俺とデートすることが条件の一つだった。

「わかってる。ルーシーこと、五年間ずっと忘れたことなんてないんだから」
「ふふ。ありがとう……」

 本当に毎日毎日ルーシーのこと想ってた。
 だから、忘れるなんてありえない。

「私、しずはを煽るみたいに色々言っちゃってたんだけどさ、でも実際に光流に女の子が近づいてるところを見ると嫉妬しちゃう」
「最近もよく図書室にいるもんね」
「し、知らないっ! ご飯食べてるだけだもんっ」

 俺と千歳さんが図書委員のカウンター当番の時、毎回のようにルーシーが図書室に来ていた。
 最近は真空たちも連れてきて、大所帯になりつつある。

「今日だってさ、お母さんが光流にあーんしてるところ見てすっごい嫉妬しちゃったもん」
「ルーシー凄い顔してたね」
「あれはお母さんが悪いっ」

 母親にすら嫉妬してしまうとは、ルーシーは本当に可愛い。
 するとルーシーが、さらに顔を近づけてきた。

「だから……明日のことも含めて、私のこと忘れないようにしなきゃね」
「え……?」

 まさにリアルASMRだった。

 ルーシーの唇が俺の耳に触れるかと思うほどの距離で声が聞こえた。

「目、つむって……?」

 まだ空に星が輝いているのに、ルーシーはなぜかそんなことを言う。
 でも、耳元から直接そうお願いされては、言うことを聞くしかなかった。

「わかった……」

 俺は目をつむった。


「光流……今日のこと、忘れないでね――」

 そう、ルーシーが言った瞬間だった。


「――――!?」


 俺の右頬に何かとても柔らかなものがふんわりと当たった感触があった。

 体の内側から全身が燃え上がるように熱くなる。

 え……え。

 これって。まさか……。



 ◇ ◇ ◇



 あのあとのことはよく覚えていない。

 目の前が真っ白で、自分の感覚がふわふわしていて、自分が自分ではないように体が軽くて。

 ただ、帰り際、ルーシーを迎えにきた車を見送る時まで、互いにずっと顔が赤くて一言も喋らなかった。
 最後だけ『ばいばい』と言って、別れた気がするが、その記憶すら定かではなかった。

 家に帰ってからも姉には『あんたどうしたの?』と言われたり、母には『良いことあったのかしら?』なんて言われたりした。

 俺はいつの間にかお風呂に入って、いつの間にかベッドの中にいた。


「ぬあぁぁぁぁぁぁ~っ!!」


 右頬。柔らかい感触。
 ルーシーは何も言わなかったけど、あれは、あれは……。


 ――キスだった。


「~~~~っ」


 ベッドでゴロゴロと身悶えながら俺は現実に起きたことなのかとほっぺたをつねった。

 こんなの、こんなの。
 忘れられるわけがない。

 十五歳の春というまだ始まったばかりの高校生活。
 頬ではあったが、初めてキスの感触を知った。


 

 
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