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84話 逃げ腰

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 ーーもう十月。

 緑だった木の葉の色も赤や橙色、黄緑色へと変化していく季節。

 いつも通りに下校しようと玄関へ向かった。

 下駄箱に手紙が入っていた。

 いつも突然だ。

 既に相手はわかっている。
 そして俺も覚悟はもう決めている。

 後は相手の覚悟だけだった。

 犬マークのシールを剥がし、封筒を優しく開く。
 中に入っていた折りたたまれた手紙を開いていき、中身を読む。

『ーー文化祭二日目のあと、十七時に学校の音楽室で待っています。あなたに会う覚悟ができました。私の気持ちを伝えさせてください』

 これまでよりも短い文章だった。
 簡潔で伝わりやすい。今回のは用件のみだったからだ。

「音楽室か……もう隠す気ないよなぁ……」

 ついにこの時が来たか。

 俺の……いや、俺としずはの分岐点。

 ずっと前から、小学生の時から答えは決まっている。

 ルーシーのことは今でもほとんどわからないけど、俺はいつかルーシーに会えるって信じてる。
 だから、今はルーシーのことしか考えられない。

 もし……もし、俺がルーシーと出会っていなかったら、しずはを好きになっていたかもしれない。

 でも、しずはと出会って仲良くなれたのも俺が入院したから。
 俺の中では、結局ルーシーに行き着いてしまう。

 文化祭は十一月一日。

 高校の文化祭と違い、うちの中学の文化祭は学内だけのイベント。外からのお客さんは来ない。
 体育館や校庭を使う。

 ちなみに昨年は、一日目が先生たちが用意したゲームなどのイベント。
 二日目は各クラスの出し物や文化祭企画委員がメインで進めたイベントとなる。

 二日目はクラス単位での演劇、合唱、ダンス部のダンス披露、友達同士の生カラオケ、展示物の発表、その他有志でのパフォーマンスなどが行われた。

 今年も同じように行われる。

 ちなみに今年の俺のクラスの出し物は『超巨大ウィーリーを探せ』。
 これは模造紙を繋げた巨大な紙を作り、そこに偽ウィーリーと本物ウィーリーを書く。
 本物のウィーリーを見つけ、その服に書かれている数字を時間内にいち早くに言い当てることができたら勝ちというゲームだ。

 ちなみにこれはクラス対抗のゲームで各クラスから代表三名を選んでもらう。
 その三名が模造紙に近づき、本物のウィーリーを時間内に探す。
 言い当てたのが早いクラスから良い景品が与えられる仕組みだ。

 既に文化祭準備が始まっており、交代交代で放課後に残って作業をする。
 俺も何人かの偽ウィーリーを書いた。

 ちなみに素人が書くものなので絵も拙い。
 『本物のウィーリーはこの絵ですよ』と巨大模造紙のすぐ横にデカデカと正解の絵も用意する予定だ。

 ちなみにこのような展示型の出し物は、約一ヶ月間は校内のどこかに飾られることとなる。



 ◇ ◇ ◇



 ーー文化祭準備をしていたある日の放課後。

 ウィーリーを書くペンのインクが切れたので、俺は新しいペンを調達しにいくために用具室に向かっていた。

「あっ……光流っ!」

 すると、後ろから声がかった。
 聞き慣れた声。振り返ってみると、そこにいたのはしずはだった。

「しずは、お疲れ様。文化祭準備で残ってたの?」
「そうそう。光流は?」

 何やら機嫌が良さそうだった。
 顔を見るとニヤニヤが隠しきれていなかった。
 広角が上がったままだ。

 俺は手紙の件があり内心ドキドキしているというのに、今のしずははそれを微塵も感じさせない様子だった。

「俺は出し物でペンが必要になったからちょっと用具室に新しいやつ取りに行く途中」
「そうなんだ。……私もついて行って良い?」

 しずはを見た感じ用具室に用事があるわけではない。
 でも、俺も断る理由がない。

「良いよ。じゃあ一緒に行くか」
「うんっ」

 まず用具室の鍵を借りる為に職員室に向かった。
 職員室から鍵を借りると、その足で用具室へ向かう。

 向かっている途中、俺はしずはに聞いてみた。

「ねぇ、なんか良いことあった? 機嫌良くない?」

 するとしずははニコニコしながら答えてくれた。

「いやね、さっき深月がおかしくて」
「深月?」

 深月が関わるとなれば、大体想像がつくような……。

「うちのクラスはいくつかのアニメキャラのダンボール工作を展示するんだ」
「ダンボールで?」
「そう。プカチュウとかダラえもんとかクワービィとか」
「うんうん」

 アニメキャラを作るのはちょっと楽しそうかも。

「工作ではあるんだけど、それをちゃんと人が着れるようにするの」
「コスプレみたいに?」
「そうそう。ちょっとコスプレとは違うけど被り物みたいな」

 凄いな。やっぱ面白そうだなこれ。

「ちゃんとパーツごとに作るから頭、胴体、腕、足とか分かれてるの」
「もう合体ロボじゃん。かっけえ」
「ふふ。それで出来たプカチュウの頭が何かの拍子でポンと空中に飛んじゃったの。それがたまたまそこにいた深月の頭にすぽっと嵌っちゃって」
「もう笑えてくるんだけど」

 深月にプカチュウの頭だけがすっぽり嵌っているのを想像してみる。……やっぱり面白い。

「それでさ、私笑っちゃって。次いでだから腕と足も装着させてみたの」
「完全なる悪ノリじゃん」
「そうなんだけどさ。そしたら深月が何するのよーっ! って怒って」

 これも想像できる。
 深月が手足をジタバタさせて迫ってくる様子。

「深月がその姿のまま怒るからさ、いつものツンツンした様子が薄れて、クラスの皆も笑っちゃったんだよね」
「はははっ……絶対おもしろい」
「だよね。頭とったら深月顔真っ赤で、バカーって言って教室飛び出していって。でもそれがあって深月が面白い子だって気づかれたみたいで、皆から深月に話しかけるようになったんだよね」
「めっちゃ良い話じゃん! クラスに打ち解けてきたってことでしょ?」
「そう。深月恥ずかしながらも意外と喋ってた」

 多分しずはとしかほとんど喋っていないであろう深月。
 クラスで打ち解けてきたなら、俺としても嬉しい。
 これで深月の良さに気づいた男子に目をつけられて、どんどんモテちゃうかもしれないなと思った。

 そう話しているうちに用具室に辿り着いた。
 俺は鍵を使って扉を開ける。

 中は学校で使われるペンや紙、ノート、黒板消しやチョーク、その他雑品が多数格納されてあった。

「光流……」
「……なに?」

 ふと、俺は必要なペンをかき集めている途中、後ろからしずはに呼ばれた。



「ーー私たち……友達だよね?」



 俺の心臓の鼓動が早まった。
 カチャカチャと俺がペンを手に取って、ジャージのポケットに詰め込んでいく音だけが用具室に響いている。
 静寂をかき消すかのように俺はわざとペンとペンが擦れる音を鳴らしていた。


「……うん。ずっと前から友達だろ?」
「そうだよね……」

 しずはの顔を見れない。

 わかってる。
 その日は今日じゃない。

 それでも、なかなか振り返れなかった。

「私さ、光流と出会って本当に良かったと思ってる……」
「それは……俺だって思ってるよ……」

 これは本当だ。
 特に本気の努力を見ることができて、俺にも刺激になったこと。
 これまで友達で良かったと思うくらい、しずはが良い子なこと。

「うん。光流って優しくて、凄いよね」
「何だよ唐突に……そんなことないと思うけどな」

 いつぞやの冬矢のようなことを言う。

「ううん。光流じゃない他の人が言うんだからそうなんだよ」
「まぁ……他人の評価の方が信頼できるか」

 冬矢としずは。今のところ口に出して本気でそう言ってくれたのは二人。
 俺が他に忘れていなければだけど。

 ルーシーもそんな感じで俺のこと思っててくれてるかな。
 もし含めていいなら、三人。

「色々なところで光流の影響受けてるんだよ、私」

 これも冬矢が言っていたことだ。
 でも俺がしずはに直接何か言ったのは、最初のコンクールの時の『次に完璧なのを見せて』という言葉くらい。
 他はあまり思いつかない。

「そうなのかな」
「うん。そうなの」

「…………」

 ペンをかき集める作業が終わってしまった。
 もう用具室には用はない。

 振り返って出なければいけないけど、扉の前にはしずはがいる。
 なんとなく、振り返れない。

 多分今の俺は中途半端な顔をしている。

「だから私、この先何があっても、どんなことがあっても……っ!」
「ーーしずはっ!!」

 しずはが何を言いたかったのかわからなかったけど、遮った方が良い気がした。
 最初から終わっているような言葉が、この後続くような気がしたから。

 それを今言うのは違う。
 お前は努力家で、いつも一番を目指してきた人間だろ。

 俺がこんなこと言える立場じゃないのはわかってる。けど最初から負けたような、そんな保身前提みたいな言葉は言ってほしくない。
 俺の知ってる、ずっと尊敬してるしずははそんなんじゃないだろ。


「……わかってる……わかってないのかもしれないけど、わかってるから……」
「光流……」


 意を決して振り返った。
 しずはは、少しだけ感極まったような表情をしていて。

「ーー俺……受け止めるから。真正面で……っ」
「あっ……ぁっ……」

 もうしずはに"知っている"とバレてしまうような言葉だった。

 しずはは両手で顔を抑えて、もう泣き出しそうな表情をしていた。

 俺はしずはの肩を掴んで体を反転させ、用具室の外まで優しく背中を押した。
 扉の鍵を閉め、鍵を戻しに職員室の方まで歩き出す。

「俺、先行くねっ!」
「……うんっ」

 一人にさせたほうが良い。
 そんな感じだった。

 俺は一人廊下を走って、職員室へと向かった。



 ◇ ◇ ◇



 光流が廊下を走り去り、用具室の扉の前に一人残った私。
 今、彼に言われたことを十分に理解していた。


「ーーそっか……そっか……わかってるんだ、光流……っ」


 私、何で最初から逃げ腰になってたんだろう。


『この先何があっても、どんなことがあってもーー友達だから』


 この言葉は、最初から負けを認めているような言葉だった。

 ピアノをやってる時の自分とは全然違うじゃないか。
 光流の気持ちが固まっていたとしても、最初から終わってるような、こんな言葉……。

 こんなの光流にだって申し訳ない。


「やっぱ光流、すごいよ……」


 まだ告白もしていないのに、私の目頭から一雫の涙が溢れた。

「こんな時ですら、気付かされることがあるなんて……」

 もう覚悟は決めていたはずなのに、その覚悟は負ける覚悟。

 違う。今までピアノを頑張ってきた私は一度たりともそう思ってピアノに向かったことはない。
 いつも勝つつもりで、最高のつもりで、後悔しない為の努力をしてきたじゃないか。

 努力してきたのは、ピアノだけじゃない。
 そのために頑張ってきたはずなのに。

 髪も美容もメイクも服装も匂いも……。見た目のことばっかりだけどさ。
 それでも後悔したくないから努力してきた。


 ーーなのに、なんで忘れていたんだろう。


 あの日、小学四年生の時。
 光流が熱を出して光流の家から四人で帰った時、開渡に言われたこと。

 あそこから私の努力が始まったのに。

「まさか、その本人から気付かされるなんてね……」

 あぁ、だめだ。
 光流はなんでこうも私の心に響く人間なんだろう。

 光流の言葉はちゃんと私のためだって伝わってくる。
 相手のことを想った言葉。

 凄い、優しい……凄い、優しい……。

「やばい……しばらく教室戻れないなこれ……」

 一度だけだと思っていた涙が再び漏れ出てきた。

 ハンカチ……ブレザーのポケットの中だ。
 文化祭準備はジャージでやってるから、ハンカチを入れ替えるのを忘れていた。

 背中をバタンと用具室の扉につけ、そのまま膝を折って地べたに座る。


「もう……涙拭き取れないよぉ……」


 目を擦ったら周囲の皮膚まで赤くなって、余計に泣いたことが皆にバレてしまう。
 しょうがないから、ジャージの首元を目まで無理やり引っ張り水滴を吸収させる。


「グスっ……あぁ……私、本当に大好きなんだなぁ……」


 結局、その後しばらくは教室に戻れなかった。
 二十分後に教室へ戻った時には深月にギャーギャーと言われた。
 目の中が赤くなっていたことに気づかれたかわからないけど、クラスメイトには何も言われなかった。


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