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66話 Postlude
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俺達はホールを出て、通路でしずはが出てくるのを待った。
十五分ほどが経過しただろうか。控室方面からしずはが現れた。
若林も一緒だった。それともう一人、お人形さんみたいに可愛らしい子だ。三位で呼ばれていた子か?
「しーちゃんっ!!! おめでとう……おめでとうっ!!」
千彩都がしずはに飛びついた。
「わっ……危ないわね……」
若林が嫌な顔をする。
若林の手にも賞状などがあった。しずはの手にもあったが、トロフィーだけは一旦どこかに預けたのか持っていなかった。
「ちーちゃん……聴いてくれてありがとう」
しずはは一切泣いていないのに、こちらばかりが泣いてしまう。
男三人はしずはに近寄っていき、それぞれ声をかける。
「まー優勝するのはわかってたけどよ。改めておめでとう」
「今日の演奏は前よりもずっと良かった。泣いちゃったよ」
「しずは……おめでとう……」
しずはは千彩都に抱きつかれたまま、俺達に視線を移動させる。
どこか恥ずかしそうな表情、少し昔のしずはに戻ったような顔をしていた。
「みんな、ありがとう。なんとか優勝できたよ」
「ふんっ、藤間しずははね。私がいたから優勝できたの! さっきだってライバルだって言ってたし!」
若林が横槍を入れてくる。
「深月ちゃんの演奏も凄く良かったもんな。俺達たくさん拍手したぞ」
「は、はぁ~!? そんなの当たり前でしょ!」
少し赤くなる若林。
褒められ慣れなさすぎだろ。普段は練習であまり褒められないのかな。
それとも大人に褒められるのと同年代に褒められるのとは違うのかもしれない。
「それで、そっちの子は?」
しずはの隣にいた若林ではない子。冬矢が聞いた。
「この子は秋森奏ちゃん。今日から私の妹になったの」
「えっ……あっ……こんにちは」
妹と言われた秋森と呼ばれた子があたふたしながらお辞儀をする。
確か五年生って呼ばれてたから、俺達の一つ下か。
しずはに妹がいないことは俺達は知っているので、冗談だとわかっている。
「しずはに妹ができるなんてなー! これからよろしくな、奏ちゃん!」
冬矢がそのノリのまま、秋森さんに向かってラフに喋りかける。
「うぅ……」
秋森さんがしずはの後ろに隠れた。小動物のようで可愛い。
「奏ちゃん。こいつのことは気にしなくていいよ」
「なんだよそれ~あ、そういや光流泣いてたぞ」
「はっ!? え……あ……そうだけど……」
別に教えることないのに。本人にバレてちょっと恥ずかしい。
「そうなんだ……」
どんな感情かわからないが、しずはがこちらを見て呟いた。
俺はしずはに確かめることがある。
でもどうしよう。皆がいる前では、しずはにあの時のことを聞けない。
「じゃあとりあえずみんなトイレ行きましょー!! ほら深月ちゃんも!」
「え!? 私も!? なんでなのよ!! ちょっと!」
千彩都がニヤニヤとこちらに視線を送ってきて、無理矢理に若林を連れて行く。
冬矢と開渡も何かを察したのか、一緒にトイレについていった。
「あ、しずは先輩っ! 今日はおめでとうございました! わ、私はこれでっ! またお会いできるの楽しみにしてます!」
「うん。またね奏ちゃん」
そう言って、秋森さんはペコペコお辞儀をしながら、千彩都たちとは別方向に去っていった。
その場に残される俺としずは。この状況は一年半前と同じだ。
「しずは、ベンチに座ろう」
「……うん」
俺達は隅にあったベンチに座る。
先ほどまで神々しい演奏をしていた人物が目の前にいる。スターを見るというのはこんな感覚なのだろうか。
やはりいつも以上に存在感を感じる。
「泣いてたって、ほんと?」
「うん。なんかいつの間にか涙出ててさ」
「目がちょっと赤いもんね」
さっき泣いたばかりだ。それなら俺だけではなく、全員が目を赤くしているだろう。
「とにかく凄かったんだよ。ピアノのことはわからないけどさ。人の感情を動かすくらいの演奏だったってことでしょ」
「そっか……そっか……光流の感情、動かせたんだ……」
しずはが優しく、嬉しそうに微笑む。
「それでさ……一年半前のリベンジ。今日はどうだったのさ?」
俺は意を決して聞いた。
「うん……」
しずはは神妙な顔をして俯いた。
俺は緊張してしずはを見つめる。
「……ブイっ! 完璧だった!! 練習以上に完璧にできたよっ!!」
しずはは俺に向かってピースを向けてきて、とびきりの笑顔を見せた。
「はぁ~~~、良かったぁ……驚かすなよ。変な演技してさぁ」
「ふふ。光流の驚いた顔見たかったし」
神妙な顔をしたので、やっぱりどこかでミスしたのではないかと思ってしまった。
でも良かった。しずは自身が満足できたんだ。
「なぁ……結構頑張って練習してきたんだろ?」
「そうだね。一年半前の時も頑張ってたけど、今回のはもっともっと頑張ってたと思うよ」
そうだよな。だからこそのあの演奏だ。
「多分そういうのも俺達には伝わってきたんだろうな。だから泣いちゃったというか」
「じゃあ次は、そういうのなしで演奏だけで泣かせてやるんだから」
「そうか。それは楽しみだ」
俺はポケットから、小さな紙袋を取り出す。
「じゃあこれ、おめでとうのプレゼント」
「えっ……えっ……えっ!?」
しずはは、こういうものをもらえると思っていなかったのか、今まで見たことがないくらい驚いていた。
「といっても優勝の景品とかとは比べ物にならないけどね」
「あ、開けていい?」
「もちろん」
しずはは恐る恐る紙袋を開けた。
そして中に入っていたものを取り出し、掌に乗せる。
それは小さな箱。女子ならほとんどの人が使ったことがあるはずのもの。
「ハンドクリーム……?」
俺が贈ったのはハンドクリーム。
使えばすぐになくなってしまうもの。消耗品。
さすがにドラッグストアで買えるようなものはプレゼントとしてはどうかなと思ったので、姉と一緒に出かけた時に商業施設で俺が買える範囲の値段のものを買っておいた。
「ピアノはさ、一生懸命手とか指を使うだろ? だから手を大切にしてほしいって思って。せっかく……きれ……ええと、良い手を持ってるんだからさ」
「あ……あぁ……ありがとうっ……ひかる……ありがとうっ……嬉しい。嬉しいよ……今日一番嬉しい……」
しずはは感極まって泣き出した。ハンドクリームなのにそんなに嬉しかったのか。
喜んでくれたのなら買った甲斐があったけど。
「毎日つけるぅっ! つけるからぁっ!! あ、でも……つけたらなくなっちゃう……どうしよう……」
しずはは泣きながら、必死に声を絞り出す。
「はは。ちゃんと使ってよ。さすがに毎回はプレゼントできないけど……」
「うんっ……うんっ……! なくなっても箱とっておくぅぅぅ……」
大事にしすぎだろ。
「あーーーーーっ!!! また光流がしーちゃん泣かせてる!!!」
一年半前のデジャヴが蘇る。あの時はしずはがノーミスで終われなかったことを俺に話して泣き出した。
今日は喜んで泣いてるから、悪い方向ではないはず。
「千彩都、いい加減変な言い方やめてくれない?」
「あ……なんか持ってる。それハンドクリーム?」
千彩都がしずはが手に持っているものを見つけて指摘した。
「俺があげたんだよ。今回のは特に俺が原因なところもあったし。これくらいはしなきゃと思って」
「はー、罪作りな男だなぁ……お前」
冬矢が呟く。
罪作り? どういう意味だろう。
「あんたが九藤光流ってやつね……覚えたわっ!!」
トイレで千彩都から名前を聞いたのだろうか。
厄介な相手に目をつけられた気がする。
「ええと、よろしく。若林さん……」
「ふんっ! じゃあ私は行くわ! それじゃあどこかでね!」
若林は今日は泣いていなかった。先にしずはの演奏を聞いて泣いたからだろうか。
そのまま親のところへ行ったのか、会場から消えていった。
「ほら、男共は帰った帰った!」
「またかよ」
前回も千彩都は男三人を先に帰して、しずはと二人きりで会話した。
「わーったよ。じゃあ行くか」
「それじゃあまたね」
「じゃあね」
俺達はしずは達に挨拶して、背を向けた。
「いだぁぁぁ!?」
突然背中に衝撃が加えられた。
後ろを振り返ると、しずはが俺にパンチをしていたようだった。
「な、なんだよぉ……」
「なんでもない。じゃあね!」
意味がわからない。殴られ損じゃないか。
「あ、あぁ……じゃあね」
俺は今度こそ会場を出た。
◇ ◇ ◇
「ね、ねえどういうことなの!? なんでハンドクリームなんてもらったの!?」
「多分、一年半前に"次は完璧に"って言ったことが、今日のコンクールまで私を苦しめたんじゃないかって罪悪感があったんじゃないかな」
でも、光流がハンドクリームをくれた理由は正直どうでも良かった。
それよりも光流が何かをプレゼントしてくれたというその気持ちがあまりにも嬉しかった。
今まで一度もこのようなものを光流からもらったことはなかった。
嬉しいに決まってる。
「光流は本当に嫌なやつだね。想い人がいるくせにさ、しーちゃんにこんなもの贈って」
「ホントだよね。私の気持ちをどれだけ弄んだら気が済むんだろうね。ふふっ」
あの感じだと、光流は私の気持ちには一切気がついていないだろう。
それなら、私が勝手にヤキモキしたり、感情を揺さぶられたりしているだけ。光流は悪くない。
でも、光流が何かしてくれる度に、好きになってしまう。どうしてくれるのだろう。
ーー好き……大好き。
言いたい。言ってしまいたい。
この気持ちはどんどん大きくなる。好きの感情を止められない。
でも、言ってしまったら、この関係はどうなるのだろう。
友達でいられる? 近くにいられる? わからない。
片思いって本当に辛くて苦しい。でもだからこそ、私は頑張ってこれた。
ピアノも、見た目も、服も、勉強も。光流を好きになったからだ。
もし、私が告白したことが理由で、光流も負い目を感じて、距離を取られたら嫌だなぁ……。
友達ですらいられなくなる。こんなに悲しいことってあるだろうか。
「うぅ……うぅ……」
「し、しーちゃん!? どうしたの!?」
悲しい未来を想像してしまい、さっきまでは嬉しい涙を流していたはずなのに、今度は悲しい涙を流してしまった。
「ちーちゃん、どうしよう……光流のこと好きなのに……もし、もし告白して……振られたらって思うと……っ」
「しーちゃん……」
「もう友達でいられないのかなぁ? 距離取られちゃうのかなぁ? もういつもみたいに話せないのかなぁ?」
「しーちゃん……っ!!」
ちーちゃんはベンチの隣で、上を向いて泣く私をぎゅっと抱き締めた。
「近くにいたいよぉ……でもそうじゃなくなるかもしれない。それが悲しいの、悲しくて……悲しくて……」
「うんっ……うんっ……」
ちーちゃんは余計なことは言わずに、ただ抱き締めてくれた。
ちーちゃんには、開渡という存在がいる。私の苦しい気持ちは理解されないかもしれない。
でも、今までずっと一緒にいてくれた親友の一人。こういう存在が一人いるだけでとっても嬉しい。
「わたし、これからどうしたらいいかわからないよぉ……っ」
「そうだね……じゃあ、どうしたらいいのか一緒に考えよう。考えて、悩んで、たくさん悩んで、前に進もうっ」
「あり……がとう……ちーちゃんと友達で……よかった……」
「わたしも……わたしもだよ、しーちゃんっ」
ちーちゃんにしがみついて、私は全身で泣いた。
恋って辛いなぁ。成就する人が羨ましい。
でも、私は光流が好きになってしまったんだ。
もうこの気持ちはすぐには変えられない。
私は今日、新しいことを知ってまた一歩成長した。
恋によって限界以上の力を発揮できること。でもその恋によって悲しい思いもするかもしれないこと。
止まらない涙が私の顎先からちーちゃんの肩に落ちていく。
抱き締めてくれるちーちゃんの体の温かさが、今の私のどうしようもない気持ちを受け止めてくれる。
ーー未来の私へ。
後悔のない選択をしてください。
どんなに辛くても、悲しくても、後悔だけはしないでください。
それが、今の私の願いです。
十五分ほどが経過しただろうか。控室方面からしずはが現れた。
若林も一緒だった。それともう一人、お人形さんみたいに可愛らしい子だ。三位で呼ばれていた子か?
「しーちゃんっ!!! おめでとう……おめでとうっ!!」
千彩都がしずはに飛びついた。
「わっ……危ないわね……」
若林が嫌な顔をする。
若林の手にも賞状などがあった。しずはの手にもあったが、トロフィーだけは一旦どこかに預けたのか持っていなかった。
「ちーちゃん……聴いてくれてありがとう」
しずはは一切泣いていないのに、こちらばかりが泣いてしまう。
男三人はしずはに近寄っていき、それぞれ声をかける。
「まー優勝するのはわかってたけどよ。改めておめでとう」
「今日の演奏は前よりもずっと良かった。泣いちゃったよ」
「しずは……おめでとう……」
しずはは千彩都に抱きつかれたまま、俺達に視線を移動させる。
どこか恥ずかしそうな表情、少し昔のしずはに戻ったような顔をしていた。
「みんな、ありがとう。なんとか優勝できたよ」
「ふんっ、藤間しずははね。私がいたから優勝できたの! さっきだってライバルだって言ってたし!」
若林が横槍を入れてくる。
「深月ちゃんの演奏も凄く良かったもんな。俺達たくさん拍手したぞ」
「は、はぁ~!? そんなの当たり前でしょ!」
少し赤くなる若林。
褒められ慣れなさすぎだろ。普段は練習であまり褒められないのかな。
それとも大人に褒められるのと同年代に褒められるのとは違うのかもしれない。
「それで、そっちの子は?」
しずはの隣にいた若林ではない子。冬矢が聞いた。
「この子は秋森奏ちゃん。今日から私の妹になったの」
「えっ……あっ……こんにちは」
妹と言われた秋森と呼ばれた子があたふたしながらお辞儀をする。
確か五年生って呼ばれてたから、俺達の一つ下か。
しずはに妹がいないことは俺達は知っているので、冗談だとわかっている。
「しずはに妹ができるなんてなー! これからよろしくな、奏ちゃん!」
冬矢がそのノリのまま、秋森さんに向かってラフに喋りかける。
「うぅ……」
秋森さんがしずはの後ろに隠れた。小動物のようで可愛い。
「奏ちゃん。こいつのことは気にしなくていいよ」
「なんだよそれ~あ、そういや光流泣いてたぞ」
「はっ!? え……あ……そうだけど……」
別に教えることないのに。本人にバレてちょっと恥ずかしい。
「そうなんだ……」
どんな感情かわからないが、しずはがこちらを見て呟いた。
俺はしずはに確かめることがある。
でもどうしよう。皆がいる前では、しずはにあの時のことを聞けない。
「じゃあとりあえずみんなトイレ行きましょー!! ほら深月ちゃんも!」
「え!? 私も!? なんでなのよ!! ちょっと!」
千彩都がニヤニヤとこちらに視線を送ってきて、無理矢理に若林を連れて行く。
冬矢と開渡も何かを察したのか、一緒にトイレについていった。
「あ、しずは先輩っ! 今日はおめでとうございました! わ、私はこれでっ! またお会いできるの楽しみにしてます!」
「うん。またね奏ちゃん」
そう言って、秋森さんはペコペコお辞儀をしながら、千彩都たちとは別方向に去っていった。
その場に残される俺としずは。この状況は一年半前と同じだ。
「しずは、ベンチに座ろう」
「……うん」
俺達は隅にあったベンチに座る。
先ほどまで神々しい演奏をしていた人物が目の前にいる。スターを見るというのはこんな感覚なのだろうか。
やはりいつも以上に存在感を感じる。
「泣いてたって、ほんと?」
「うん。なんかいつの間にか涙出ててさ」
「目がちょっと赤いもんね」
さっき泣いたばかりだ。それなら俺だけではなく、全員が目を赤くしているだろう。
「とにかく凄かったんだよ。ピアノのことはわからないけどさ。人の感情を動かすくらいの演奏だったってことでしょ」
「そっか……そっか……光流の感情、動かせたんだ……」
しずはが優しく、嬉しそうに微笑む。
「それでさ……一年半前のリベンジ。今日はどうだったのさ?」
俺は意を決して聞いた。
「うん……」
しずはは神妙な顔をして俯いた。
俺は緊張してしずはを見つめる。
「……ブイっ! 完璧だった!! 練習以上に完璧にできたよっ!!」
しずはは俺に向かってピースを向けてきて、とびきりの笑顔を見せた。
「はぁ~~~、良かったぁ……驚かすなよ。変な演技してさぁ」
「ふふ。光流の驚いた顔見たかったし」
神妙な顔をしたので、やっぱりどこかでミスしたのではないかと思ってしまった。
でも良かった。しずは自身が満足できたんだ。
「なぁ……結構頑張って練習してきたんだろ?」
「そうだね。一年半前の時も頑張ってたけど、今回のはもっともっと頑張ってたと思うよ」
そうだよな。だからこそのあの演奏だ。
「多分そういうのも俺達には伝わってきたんだろうな。だから泣いちゃったというか」
「じゃあ次は、そういうのなしで演奏だけで泣かせてやるんだから」
「そうか。それは楽しみだ」
俺はポケットから、小さな紙袋を取り出す。
「じゃあこれ、おめでとうのプレゼント」
「えっ……えっ……えっ!?」
しずはは、こういうものをもらえると思っていなかったのか、今まで見たことがないくらい驚いていた。
「といっても優勝の景品とかとは比べ物にならないけどね」
「あ、開けていい?」
「もちろん」
しずはは恐る恐る紙袋を開けた。
そして中に入っていたものを取り出し、掌に乗せる。
それは小さな箱。女子ならほとんどの人が使ったことがあるはずのもの。
「ハンドクリーム……?」
俺が贈ったのはハンドクリーム。
使えばすぐになくなってしまうもの。消耗品。
さすがにドラッグストアで買えるようなものはプレゼントとしてはどうかなと思ったので、姉と一緒に出かけた時に商業施設で俺が買える範囲の値段のものを買っておいた。
「ピアノはさ、一生懸命手とか指を使うだろ? だから手を大切にしてほしいって思って。せっかく……きれ……ええと、良い手を持ってるんだからさ」
「あ……あぁ……ありがとうっ……ひかる……ありがとうっ……嬉しい。嬉しいよ……今日一番嬉しい……」
しずはは感極まって泣き出した。ハンドクリームなのにそんなに嬉しかったのか。
喜んでくれたのなら買った甲斐があったけど。
「毎日つけるぅっ! つけるからぁっ!! あ、でも……つけたらなくなっちゃう……どうしよう……」
しずはは泣きながら、必死に声を絞り出す。
「はは。ちゃんと使ってよ。さすがに毎回はプレゼントできないけど……」
「うんっ……うんっ……! なくなっても箱とっておくぅぅぅ……」
大事にしすぎだろ。
「あーーーーーっ!!! また光流がしーちゃん泣かせてる!!!」
一年半前のデジャヴが蘇る。あの時はしずはがノーミスで終われなかったことを俺に話して泣き出した。
今日は喜んで泣いてるから、悪い方向ではないはず。
「千彩都、いい加減変な言い方やめてくれない?」
「あ……なんか持ってる。それハンドクリーム?」
千彩都がしずはが手に持っているものを見つけて指摘した。
「俺があげたんだよ。今回のは特に俺が原因なところもあったし。これくらいはしなきゃと思って」
「はー、罪作りな男だなぁ……お前」
冬矢が呟く。
罪作り? どういう意味だろう。
「あんたが九藤光流ってやつね……覚えたわっ!!」
トイレで千彩都から名前を聞いたのだろうか。
厄介な相手に目をつけられた気がする。
「ええと、よろしく。若林さん……」
「ふんっ! じゃあ私は行くわ! それじゃあどこかでね!」
若林は今日は泣いていなかった。先にしずはの演奏を聞いて泣いたからだろうか。
そのまま親のところへ行ったのか、会場から消えていった。
「ほら、男共は帰った帰った!」
「またかよ」
前回も千彩都は男三人を先に帰して、しずはと二人きりで会話した。
「わーったよ。じゃあ行くか」
「それじゃあまたね」
「じゃあね」
俺達はしずは達に挨拶して、背を向けた。
「いだぁぁぁ!?」
突然背中に衝撃が加えられた。
後ろを振り返ると、しずはが俺にパンチをしていたようだった。
「な、なんだよぉ……」
「なんでもない。じゃあね!」
意味がわからない。殴られ損じゃないか。
「あ、あぁ……じゃあね」
俺は今度こそ会場を出た。
◇ ◇ ◇
「ね、ねえどういうことなの!? なんでハンドクリームなんてもらったの!?」
「多分、一年半前に"次は完璧に"って言ったことが、今日のコンクールまで私を苦しめたんじゃないかって罪悪感があったんじゃないかな」
でも、光流がハンドクリームをくれた理由は正直どうでも良かった。
それよりも光流が何かをプレゼントしてくれたというその気持ちがあまりにも嬉しかった。
今まで一度もこのようなものを光流からもらったことはなかった。
嬉しいに決まってる。
「光流は本当に嫌なやつだね。想い人がいるくせにさ、しーちゃんにこんなもの贈って」
「ホントだよね。私の気持ちをどれだけ弄んだら気が済むんだろうね。ふふっ」
あの感じだと、光流は私の気持ちには一切気がついていないだろう。
それなら、私が勝手にヤキモキしたり、感情を揺さぶられたりしているだけ。光流は悪くない。
でも、光流が何かしてくれる度に、好きになってしまう。どうしてくれるのだろう。
ーー好き……大好き。
言いたい。言ってしまいたい。
この気持ちはどんどん大きくなる。好きの感情を止められない。
でも、言ってしまったら、この関係はどうなるのだろう。
友達でいられる? 近くにいられる? わからない。
片思いって本当に辛くて苦しい。でもだからこそ、私は頑張ってこれた。
ピアノも、見た目も、服も、勉強も。光流を好きになったからだ。
もし、私が告白したことが理由で、光流も負い目を感じて、距離を取られたら嫌だなぁ……。
友達ですらいられなくなる。こんなに悲しいことってあるだろうか。
「うぅ……うぅ……」
「し、しーちゃん!? どうしたの!?」
悲しい未来を想像してしまい、さっきまでは嬉しい涙を流していたはずなのに、今度は悲しい涙を流してしまった。
「ちーちゃん、どうしよう……光流のこと好きなのに……もし、もし告白して……振られたらって思うと……っ」
「しーちゃん……」
「もう友達でいられないのかなぁ? 距離取られちゃうのかなぁ? もういつもみたいに話せないのかなぁ?」
「しーちゃん……っ!!」
ちーちゃんはベンチの隣で、上を向いて泣く私をぎゅっと抱き締めた。
「近くにいたいよぉ……でもそうじゃなくなるかもしれない。それが悲しいの、悲しくて……悲しくて……」
「うんっ……うんっ……」
ちーちゃんは余計なことは言わずに、ただ抱き締めてくれた。
ちーちゃんには、開渡という存在がいる。私の苦しい気持ちは理解されないかもしれない。
でも、今までずっと一緒にいてくれた親友の一人。こういう存在が一人いるだけでとっても嬉しい。
「わたし、これからどうしたらいいかわからないよぉ……っ」
「そうだね……じゃあ、どうしたらいいのか一緒に考えよう。考えて、悩んで、たくさん悩んで、前に進もうっ」
「あり……がとう……ちーちゃんと友達で……よかった……」
「わたしも……わたしもだよ、しーちゃんっ」
ちーちゃんにしがみついて、私は全身で泣いた。
恋って辛いなぁ。成就する人が羨ましい。
でも、私は光流が好きになってしまったんだ。
もうこの気持ちはすぐには変えられない。
私は今日、新しいことを知ってまた一歩成長した。
恋によって限界以上の力を発揮できること。でもその恋によって悲しい思いもするかもしれないこと。
止まらない涙が私の顎先からちーちゃんの肩に落ちていく。
抱き締めてくれるちーちゃんの体の温かさが、今の私のどうしようもない気持ちを受け止めてくれる。
ーー未来の私へ。
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どんなに辛くても、悲しくても、後悔だけはしないでください。
それが、今の私の願いです。
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