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本編

37.聖女

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 少しだけ聖女と話した。彼女の名前はローズさんと言うらしい。ご出身はアメリカらしいが、話を聞く中で気になったのはその時代。彼女が召喚されたのは俺達が生まれる二十年以上前だった。

 マインツ様や俺達の事も掻い摘んで話した後、今度は聖女としての彼女の事を聞いた。

「ローズさんは女神の言葉を聞いたとか、なかった?」
「……たぶんあるわ」
「えっ、あるの?」

 驚きについ大きな音を立てて身を乗り出した俺に、話すのを静かに見守っていた部屋中の視線が集まる。ご多忙の宰相さんを除く、瑛士君やマインツ様。騎士やメイドさん達に見つめられ、気まずく頭を下げつつ、椅子に座り直す。

「この人達に日に一、二度その女神像の前に連れて行かれるの。その時に何度か……頭の中で誰かの声を聞いた事がある」
「何て? 何て言ってた?」

 期待に胸を膨らませて尋ねる俺に、ローズさんは憎々しげに口を歪めて首を振った。

「分からないのよ。一方的に何か言うだけ。私の頭がおかしくなったのかと思ったわ。あれが神様っていうなら、こっちの分かる言葉で話しなさいよ、馬鹿じゃないの」

 テーブルを激しく叩いて憤慨する彼女の怒りは尤もだ。せっかく聞けても分からないんじゃ対話にならない。前々から思っていたがこの世界の女神は本当に仕事が雑すぎる。

 女神が話す言葉がこの世界で一般的に使用される言語と同じかは分からないけれど、違うのか確かめる為にも出来ればローズさんにはこっちの言葉を覚えてもらいたい所なのだが……。

「――いいわ、覚えてあげる」
「いいの?」
「覚えれば女神に直接文句言えるんでしょう? 言ってやりたい事は山程あるわ。教えて」

 非協力的だと聞いて心配していたが、ローズさんは意欲を見せてくれた。彼女の意志を無視してこんな形で転移され、意地になっていた部分もあったのだろう。

「私は元の世界に帰りたいの。こんな所に居られない。女神を脅してでも絶対に帰してもらうんだから」

 彼女の意向を心配そうに見守っていた人々に伝えると、宰相さんの待つ別室に案内され、今後について話し合うことになった。





 そして現在――

 俺と瑛士君は王城に雇われ、せっせと通っている。直接言葉を教える傍ら、この世界の辞典のような本をローズさん向けに翻訳して地道に作り直している。俺も堪能とまでは言えないので覚えていない部分は空白になってしまうが、ないよりはマシだろう。

 ローズさんが言葉を完全に習得するにはかなり時間がかかるだろうし、勉強に付き合えるのは日常会話が出来るくらいまでだと思う。単語さえ通じれば、意思疎通は何とかなるはずだ。

「じゃあエイジも私と同じなのね。全く酷い話だわ」
「ローズさんも元の世界に帰れるはずだったんだ……」
「そうよ! だから頑張って……あぁもう本当に腹が立つ!」

 言葉を教えつつも、これまでの話を聞いた。驚くべき事に、ローズさんも瑛士君と全く同じ経験をしていたのだと分かった。彼女にとってもまた――ここが二つ目の異世界だったのだ。

 召喚され、ローズさんは別の世界で聖女をしていたのだと言う。といっても、この世界と違ってその世界の聖女には勇者並みの役割があったらしい。聖なる光で穢れを祓う、いわば正統派の聖女様だ。

 各地を周り、浄化していく旅は魔物に襲われながらのかなり危険なものだったようで、それでも元の世界に帰る為に必死に頑張ってローズさんは役割を果たしたのだ――瑛士君と同様に。

「ローズさんにも会いたい人が居たの?」

 あまりにも似ていたから聞いてしまった。その問いかけは完全に的外れだったらしく、思い切り鼻で嗤われてしまったけれど。

「居ないわ、そんな人。私が戻りたいのは元の世界で苦労して手に入れたものを返して欲しいだけ。それだけよ」
「手に入れた物って?」
「言ってしまえば……地位と名誉ね。危険に脅かされない安全な暮らし。魔物に襲われる心配なんてもう絶対に嫌。綺麗な物だけに囲まれて幸せだけ感じて生きたいって願うのは我儘なの?」

 やっと帰れると思えば、別の異世界に連れて来られ、また聖女……言葉こそ通じなくても、どこか敬うような周囲の態度や、祈りを求められては期待の滲む目を向けられて「聖女」と同じか似たような役割を求められているのは伝わっていたようだった。

 この世界には明確な脅威はなく、聖女の役割も女神の対話だと安全性を訴えてみたが、彼女は帰りたいのだと首を振る。

「この先、何かが起こったら? 私はまた勝手に祀り上げられて、危険な場所に放り込まれるんじゃない? どうやって信じれば良いっていうのよ」

 ローズさんは他人を信用せず、自分の力だけを信じて生きてきた人だった。スラム街に生まれ、身体を売りながら、ここから這い上がるにはどうしたら良いか常に考えていたらしい。人を蹴落としてでも上に行く、と。持ち前の容姿を磨き上げ、権力者には媚を売り、必死に生きた。そのお陰で高級娼館で働く事が出来たし、もうすぐ裕福な男の愛人になれたはずだった。

 それが聖女として異世界に召喚され、これまでの努力を全てぶち壊されたのだ。どう考えても汚れきった自分が「聖女」なんて呼ばれる事も苦痛だったのだとローズさんは辛そうに語った。

 頑張ったのに報われない。ローズさんに瑛士君を重ねてしまうと、胸が苦しくて俺の方が泣いてしまいそうだった。この人を帰してあげたいと思う。どうか幸せになって欲しい。

「フィー。そろそろ交代しよう」

 少し離れた場所で翻訳の方をしていた瑛士君が肩に優しく触れた。聞き取りは苦手だと言っていたから、どこまで話が伝わったのかは分からないが、労るような手つきに癒やされる。

「エイジ、ローズさんも同じだった。彼女も違う異世界で役割ちゃんと果たして来たんだよ」
「……うん」
「女神は何で帰してあげないの? 望んでもないのに」
「フィー」

 座った俺に目線を合わせた瑛士君に覗き込まれる。いつもキラキラした目に、出会った頃の陰りはもうない。

「俺も、この人も。たぶんもう死ぬほど愚痴ったから良いんだ。手助けしてやりたいんだろ? 出来る事、全部やろうな」

 ぽんぽんと頭を叩かれ、頷く。たった一言でモヤモヤした気持ちを前に向けてくれる。瑛士君は格好良い。俺もやるぞ! と勢いよく立ち上がると、瑛士君に席を譲る。

「……なに。あなた達って恋人なの?」
「うん。俺の……フィーは俺の神様だ」

 眼の前で繰り広げられるやり取りを見させられたローズさんが呆れたように言うと、瑛士君はまだ覚束ない英語で知ってる単語を総動員させて答えていた。それにしたって神様は言い過ぎだ。

「そう、なら私も力になれるわ。ねぇフィー! 私、男の悦ばせ方には自信あるのよ。仲間には絶対秘密にしてたテクニック教えてあげるから、いつでも言ってね」
「――っえ? えええ」

 机に向かっていた俺はその言葉に動揺して躓いた。

「あなた達、どう見たってまだでしょう? 私に任せて」
「なぁフィー。ローズ何て言ってる? 早口過ぎて分かんね」

 瑛士君が分からないのも当然だ。だってローズさんの口から次から次に出てくるのは酷いスラングだった。綺麗な人だけにギャップがすごい。そして俺はそれを瑛士君に言わなきゃ駄目なのか?

「女だって後ろも使うわ。勉強のお礼に、フィーをトップクラスの男娼以上に育て上げてあげる。エイジへのお礼でもあるわ」
「しなくて良いから。そんな事にやる気見せないで」
「いいえ。私がここに来た意味はあったと思わせてね」

 ウインクするローズさんは妖艶でとてもとても美しいのだけれど、転移した意味なんて大層な話に下ネタぶっ込むのはやめて欲しい。俺は逃げた。逃げて翻訳に励んだ。瑛士君たちが何を話しているかも聞くのが怖かった。
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