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本編

35.月日

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「エイジ、リアさんが買い出し付き合ってって」
「あぁ。すぐ行く」
「……また重い物買うかも。ごめんね」

 そんなの兄ちゃんが行けば良いのに、信用を失った俺に店を預けたくはないし、瑛士君が若くて力持ちだからと買い出しに連れて行かれる。心苦しくて眉を下げていると、頭をふわんと撫でられた。小動物を扱うような優しい優しい手つきで。

「気にすんな。使って貰った方がこっちも気が楽だしな」

 爽やか……! 瑛士君のイケメンっぷりが今日も突き抜けていて、虹色のフィルターがかかっているように俺には見えた。勿体ないから出来るだけ頭を動かさないように、片足でダンダン地面を踏み鳴らす。適度に発散しておかないと内にばかり溜めるのは危険なのだ。何を? 瑛士君格好良い好き好きメーターをだ。

 上と下が別物のように動く俺を瑛士君が笑っている。あぁ今日も世界は平和だ。顔は脂下がって、踏み鳴らす足は力強さを増す。腰の入った渾身のいってらっしゃい、で見送り、店に戻ると兄ちゃんが何か言いたげな顔をしてこっちを見ていた。

「フィー」

 何も言わないならスルーでいいかと、素知らぬ顔で通り過ぎようとしたのに、結局呼び止められてしまった。声のトーンが低い。これはいつも兄ちゃんが俺を叱る時のトーンだ。

「いいか? 男同士だろうと順序を守れ。ケジメはつけろ」
「……それ何回目なの、兄ちゃん。朝も聞いたって」

 ――神殿に泊まってから早二日。手紙を出して貰えたので外泊自体を兄ちゃんが怒る事はなかったが、不思議と何かを勘付かれてしまっているようで、しつこく小言を繰り返してくる。

「何回言ってもお前が浮かれてるからだ、アホ」

 ぽかりと頭を叩かれた。せっかく瑛士君が撫でてくれた所なのに台無しだ。兄ちゃんは横暴だ。言われなくたって、ちゃんとケジメはつけるつもりだった。兄ちゃんの想像するものとは違う形だろうけど。

 マインツ様の協力で、一度聖女に会わせてもらう事が出来そうなのだ。日取りを調整しているらしく、まだ具体的には何も決まっていないけれど、聖女に会ってこの旅に区切りをつける事が俺達にとってのケジメなんだと思う。

 それまでは節度を持った行動を……と思ってはいるが、瑛士君を見るとつい顔が緩みがちになるの位は許して欲しい。

「フィーブルももうすぐ十八だろ。ちゃんとしろ」
「あーそっか。今年は王都で誕生日迎えるのかぁ……」
「飯は豪華にしてやるが、もう贈り物なんかやらんぞ」

 あれ、何でバレたんだろう。期待した顔してたかな。

 普段、日付を気にするような生活ではないからか、誕生日を忘れがちな俺は家族に指摘されて気づくことが多かった。こちらの世界は日本と年月の数え方が違うので、ここが日本ならおそらく俺はとっくの昔に十八になっていると思う。仕上がりはこれだが。

 ……あ! そうだ、そうだった。俺は遅ればせながら自分の失態に気づき、瑛士君の帰りを今か今かと待ち侘びることになった。

「――エイジ! 大変なんだよ、もうこれは事件だね」

 この世界のカレンダー的なものと筆記用具を胸に抱きかかえ、興奮ぎみに帰宅した瑛士君に詰め寄ると、俺を上から下まで一通り観察した後、こっちが恥ずかしくなるくらい冷静に着席を促された。

「どした? 何か楽しい事でも思いついたのか?」
「全然違う。誕生日だよ、エイジ。誕生日決めないと!」

 目をパチクリさせている瑛士君に、矢継ぎ早に補足する。この世界は日本より一年の日数が多いこと……つまり日本と全く同じ誕生日がここには存在しないのだ。計算して日付を設定したい所だが、瑛士君の場合は他の異世界まで経由しているので、そっちで過ごした年月もあるから厄介だった。

「よく分かんねーけど……誕生日って必要?」
「必要に決まってるじゃん。年齢だって曖昧になるし、後にするほど計算が面倒になると思う。それより何より……」

 ――俺が、俺が瑛士君を祝えないじゃないか。推しの誕生日を祝えないなんて人生の楽しみが一つ確実に減るようなものだ。それは辛い。何が何でも祝いたい。

 必死になって訴えれば、瑛士君も首を傾げつつ協力してくれた。

 しかし、地味に面倒な計算だ。生まれた日から今までに過ごした日数を足していく。その世界ごとにひと月の日数が違うので、単位を一日として計算したが、より正確には一日あたりの時間も違いそうではある。

「なー。面倒だし、俺が適当に決めれば良くねー?」

 なんて瑛士君は言うが、なるべく妥協はしたくないのだ。うんうん唸りつつ、掛け算足し算を繰り返して格闘する。数字は苦手なんだけど。

 最初こそ机の上でやっていたが、瑛士君に勇者世界やこの世界で彷徨っていた時の記憶を辿ってもらう聞き取り調査も必要なので、場所をベッドに移しての長丁場となった。

「出来た! これは結構正確なんじゃないかな」
「おーありがとな。ちゃんと覚えとく」

 俺の自己満足に付き合わせてしまった自覚はあるのだが、並んでベッドに寝転んだ瑛士君も嬉しそうに笑ってくれる。うつ伏せに肘を立てて作業する俺を、瑛士君は横向きでずっと見守ってくれていた。

「もう半年後だね。二十歳だし、俺も気合い入れとかなきゃ」
「二十歳か……前にフィーに聞かれた時は適当に答えたけど、意外と合ってたんだなー」
「うんうん。今度から自信持って答えて良いよ」

 そう自慢気に言うと、偉い偉いと褒めてくれた。蕩けそうに甘い笑顔だ。瑛士君自身はおそらく自分の誕生日に全く興味がないので、これはたぶんアレなのだ。お前が嬉しそうで俺も嬉しいよってやつ。そう気づくと笑顔が増し増しに甘く感じる。

 思わず感嘆の声を漏らしながら、枕に顔をぎゅううと埋めた。はー尊い。生まれてくれてありがとう。本当にありがとう。これもう毎日祝って良いんじゃないかな。

「……え、なに。どこに反応してんだよ。発作か?」

 仕方ないなぁって声音まで甘く感じるからもう駄目だ。後頭部をゆるゆる撫でられる感触に、俺は枕に向かって思い切り奇声を発した。





 なんて事を繰り返していたら、神殿から連絡が来た。

「――来た! 本当に会えるんだ!」

 マインツ様と一緒に王城に行ける日程と時間が書かれた手紙を握りしめて思わず飛び跳ねた。

「なぁ、ふと思ったんだけど……城に行くのって俺らは正装とかしなくて大丈夫なのか?」
「あっ!」

 少なくとも普段着は良くない気がする。俺達は慌てて、精一杯身なりを整える為に奔走する事になったのだった。

 そして、当日。兄ちゃんの店の前にはマインツ様の乗る馬車を待つ、貴族と小姓が立っている。この世界には王族と一般庶民しか居ないのだけど。仕立ての良い服を着た瑛士君は貴族にしか見えない。

 常連さんの伝手で、服屋にちょっと笑えない値段の服をなんとか一日だけ借りる事が出来た。試着させてもらった時点で「やっぱり買います」と口走ってしまったけれど、それくらい瑛士君は本当によく似合っている。

 ……残念ながら俺には着こなせなかったけれど。

「大丈夫よ。フィーちゃんは可愛いわ」

 リアさんだけは褒めてくれた。兄ちゃんはずっと直視を避け、瑛士君は「もっと探せばフィーに似合う服もあったはず」と慰めを口にする。優しさって時々痛い。

「では、行きましょうか」

 マインツ様は馬車の中からいつも通りの微笑みを浮かべ、少しだけ緊張した俺達を迎えてくれた。

 馬車は王城に向かってゆっくりと走り出す。城で待つ、聖女の元へと俺達を運ぶ。ギュッと手を握り込むと、瑛士君がコツンと小さく肩をぶつけてきた。

「大丈夫だよ、フィー」

 何が大丈夫かは分からないけど……まぁ全部なんだろう。うん、大丈夫だ。
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