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本編
23.失敗
しおりを挟むその後も瑛士君効果で客足は絶えず、異例の早さで商品が売り切れた為に仕方なく……本当に仕方なく早く店を閉めた訳だが、ベッド下からそそくさとライキの実を取り出し、キッチンで待機する俺はこみ上げるワクワクを抑えきれずにいる。
「ど……どうしようか。とりあえず潰す?」
「んんー。味はしないってオッサンが言ってたよな。潰して味見してみるか」
ライキの実は赤紅色で小粒。巨峰の一粒くらいの大きさだ。皮は薄く、内側に水分を蓄えてぷにぷにとした感触がする。あの薬屋の店主がやってみせたように指先でも簡単に割れるだろう。
ボールに二つの内の一つを割ってみると、予想より手応えがあった。タピオカみたいな弾力を感じた後にプチッと弾け、指先に黄色く粘り気のある油が滴り落ちる。途端にふわっと広がる香りはやはりニンニクに似ていた。
「ちょっとだけ油っぽい味がするかなぁ」
舐めてみたけれど、香りが鼻から抜けるだけな気がする。興味深げに眺めていた瑛士君も残りの一つを割り、味見してみたが似たような印象を抱いたようだ。
正直そんな事より、真剣な眼差しで親指と人差し指をくっつけたり離したりする瑛士君が気になって仕方ない。指の間に糸を引くのが何ともいやらしく卑猥に見えてしまう。確かに、何かいい感じに潤滑してくれるんじゃないかな、とは思う……知らないけど。
「よし、早速混ぜてみよう」
バターに混ぜ込んでみたら、何となく良さげな雰囲気だ。必要以上にネチっとした気はするがまぁ大丈夫だろうと、カットしたパンに塗り、窯に入れて一分ほど。室内に立ち込める匂いに血の気が引いていく。
「――これ絶対やばいやつ!」
「フィー、取り出せ。換気換気!」
「表開けてくる。エイジは窓お願い」
日頃滅多に慌てない瑛士君までもが取り乱す位のニンニク臭が辺りを覆った。生の比ではない。熱を加えられたライキの実は近所にまで異臭騒ぎを巻き起こしそうなレベルのヤバさだった。
おそらく数滴垂らすだけで十分だったのだ。それを二個分しっかりバターに混ぜ込んだお陰で、翌日の営業も危ぶまれる程の大事故になってしまった。
バタバタと扉という扉を開け広げて換気したものの、当然ご機嫌に帰宅した兄ちゃんにしこたま怒られる事態に陥ったのだった。瑛士君と仲良く並んで正座し、深く深く頭を下げて詫びる。
「――申し訳ございませんでした」
「うるさいバカ! もう口開くなアホ!」
大変だ。怒りのあまり兄ちゃんの語彙力が小学生並にまで低下してしまっている。こんな姿は俺が十歳の頃に半日ほど消息不明になった時以来だろうか。リアさんも初めて見る姿に困惑している。
「まぁまぁ。火事でもないんだし、ね?」
「こんなの近所に何て言われるか……」
「ご近所さんにはフィーちゃん達が謝ってくれたでしょう? 私は別に嫌いじゃないかな、この匂い」
「リアぁぁ……」
リアさんの慈悲深さは女神以上だと思う。しかしそんな純真無垢な天使はライキの実など当然知らないので、裏事情を説明出来ない兄ちゃんが余計にモヤモヤしている。本当ごめん、兄ちゃん。
こちらを窺っていたご近所さん達には、兄ちゃん達が帰って来る前に俺たちがやらかしてしまいました、と誠心誠意謝罪したのだが、皆さん微笑って許してくれた。「そういうお年頃よね」と妙な理解を示され、死ぬほど恥ずかしかったけれど。
「俺がフィーに作ってみようって言いました。この香りが美味しそうだと思ってしまって……知識がないのに軽率でした」
サラッと自分のせいにしてしまう安定のイケメンぶりに、うっかり胸キュンしてしまった……が、それは絶対違う。訂正しようと口を開くが、兄ちゃんにきつく睨まれて口を噤む。そうだ、俺は黙れと言われたんだった。
「エイジ……この阿呆はもう救いようがないんだ。一緒に居るお前がしっかりしなきゃ駄目だろ?」
「……はい」
「これでも少しはマシになったんだぞ、昔はもっと酷かった。話をしてても上の空だし、目を離すとすぐどっかに消える。知らない人に平気でついて行く」
仁王立ちする兄ちゃんを見上げ、瑛士君が至極真面目に頷きながら聞いている。しれっと兄ちゃん結構酷い事言ってるけど、全肯定なのは空気読んでるからだよね?
「フィーブルは心を半分母親のお腹に忘れてきたんじゃないか、って俺達家族の間ではずっと言ってきたんだ。それが最近はちゃんとここに居る気がする……たぶんお前のお陰なんだろう」
兄ちゃんはジッと瑛士君だけをまっすぐ見つめていたけど、俺は呆然と兄ちゃんの顔を見上げた。
「駄目な弟だけど、頼むぞ。エイジ」
「……っ、はい」
「たぶん迷惑しか掛けないけど。悪いな」
ふっと笑って俺に視線を移し、顎で二階を指す。もう良いから行けって事なんだろう。半分飲み込めないまま、瑛士君を促して立ち上がろうとしたが足が痺れて直ぐには動けなかった。
膝に手をついた姿勢から動けずに悶え苦しむ俺を支えてくれながら、瑛士君は少し気まずそうに俯く兄ちゃんに向かって言う。
「――俺はもうフィーに何度も救って貰いました」
確かめられなかったけど、兄ちゃんは笑っていた気がする。
フラフラ階段を上り、ベッドにバタリと倒れ込む。緊急事態からの怒涛の説教で、解放されたら疲労がドッと押し寄せてきた。自分のベッドに向かったと思っていた瑛士君が俺の隣に腰を落として、ちょっとビックリする。
「はぁぁー疲れたねー」
「さすがにこんな大事になるとは思ってなかったよな」
「無茶苦茶怒られたね」
「完全にキレてたな」
店に帰ってきた瞬間の兄ちゃんの顔は阿修羅だった。今思い出すとクスクス笑いが出てしまうが、その兄ちゃんを見た俺も絶望に染まった面白い顔を晒していたようで瑛士君が思い出し笑いをしていた。
「……フィー、変わったのか?」
瑛士君が聞きたかったのはそれだったんだろう。
「んんー分かんないけどね。兄ちゃんとか家族にあんな風に思われてたとは思わなかったなぁ」
抜けてるとか緩んでるなんて言葉は聞き飽きるほど言われたけれど、そんなにガチで心配されていたなんて驚きだった。自分の中では、ちょっとばかり手が掛かる息子だが、あくまで普通の範囲内と思っていたのだ。
「でも、小さい頃は何ていうか……夢と現実がごっちゃになっててさ。今の自分が誰でどこに居るのか分からなくなったりしてたかも」
「転生前の記憶があるから?」
「そう。日本に居るのが本当の俺で、この世界で生きてる夢を見てる……みたいな感覚になる時があったりね。たまに兄ちゃんの事も夢の世界の住人だと思ったりしてたんじゃないかな」
ああ今思えば、心配されて当然な気がする。
前世にも今にもどちらにも現実味を持てなかった俺は、この世界をふわふわ漂っていたのだろう。本当に前世の記憶なのかも怪しんでいたから余計に……。
「――あ、そういう事か!」
「ん?」
「確かにエイジに出会ったお陰で変わったんだ」
一人で納得して、うんうん頷く俺に瑛士君は首を傾げている。兄ちゃんは鋭いなぁと改めて感心した。
「エイジに出会ったから自分が転生したんだって確信が持てたんだ。俺、それまでは自分の空想なんじゃないかと疑ってた」
瑛士君に出会って、かつて日本で暮らしていたタナカヨータが実在していたんだと分かった。あれが前世。不思議なもので、前世がしっかり輪郭を持つと、ぼんやりしていた過去と現在の境目が自然と浮き彫りになってきたのだ。
この世界に居るのが今の俺だ。二度と迷う事はないだろう。
「エイジのお陰だよ。エイジと会った日に、やっと俺もこの世界の住人になれたんだ。あの日、俺もエイジに救われてたんだね」
「……フィー」
「ありがとう、エイジ」
起き上がって瑛士君を見ながらちゃんとお礼を言ったのだけれど、バッと掌で視界を塞がれてしまった。瑛士君は何故か顔を見られたくないようだ。照れているのかもしれない。
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