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本編

21.過去

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 瑛士君の目はとても真剣で、下手な冗談みたいな言葉でも疑う事なんて出来なかった。目を合わせたまま神妙に頷いて続きを促す。

「ここに来る前の異世界?」
「そう、フィーにはいつか言おうと思ってた。王都に着いたら聞いて欲しい事って言ったの覚えてるか?」
「……うん」
「隠してた訳じゃなくて、本当に言いそびれてただけなんだけどな……」

 そう言って、瑛士君はこの世界に来る前の事を話してくれた。重々しい口ぶりや、苦しげな表情から彼にとって楽しい思い出ではなかったのだと思う。俺はただ告解のようなそれに黙って耳を傾けた。

「高一の冬だ。家に帰る途中で目の前が真っ暗になったと思ったら、知らない場所で妙な奴等に囲まれてたんだ」

 はっと気づいた時には牢屋のような場所で見覚えのない男達に取り囲まれ、その全員からの注目を一身に集めていた。緊迫した空気に包まれた室内で一人が歓喜の声を上げると、つられたように皆一様に喜びを口にし始め、瑛士君の訪れを歓迎したのだと言う。

「訳分かんなかったけど。あの時は周りの奴等の喋ってる言葉だけは理解出来たから、まだマシだったな」

 酷く混乱したまま、追い立てられるように豪華な部屋に連れて行かれ、世界を救う為に召喚されたのだと聞かされた。勝手な言い分に腹を立てても、何で自分なんだと嘆いても、その場に味方は一人も居ないのだ。役割を果たせば元の世界に戻れるという、その言葉を支えにするしかなかった……。

 けれど――それが果たされなかったからこそ、瑛士君は今この場に居るのだ。結末を知っているだけにやりきれなさが募る。何で、と詰め寄りたくともその相手が居ない。

「やるしかねーだろ? 俺も腹括って必死に訓練してさ、剣とか魔法とか。とにかく力をつけなきゃ、あっちの世界の人間にも対抗出来ないし」
「向こうの人達に嫌な事はされなかった?」
「あー裏はあったかもしんないけど、表向きはチヤホヤされてたよ。召喚特典か、面白い位どんな事も簡単に出来たし。あの世界での俺は……間違いなく勇者だった」

 華々しいはずの肩書が虚しい響きで消えていく。

 魔法やモンスター、魔王。そして頼れる仲間達。瑛士君の話には俺が漠然と憧れていた異世界が広がっていた。なのに擽られるはずの少年心はちっとも疼かない。

「あの頃は万能感があったんだ。何やっても上手くいくって……持て囃されていい気になってたと思う。でも俺はとにかく元の世界に早く帰りたくて、いつも焦ってた」

 王宮で力をつけ、仲間を連れて魔王を倒す為の旅に出た。旅の途中、モンスターに襲われる人々を救いながら。異世界では人の命が簡単に奪われる。本やゲームでは見知ったそれが現実として自分に降りかかってきた時、正義感など何の力にもならない。毎日が恐ろしくて、帰りたくて、逃げ出したかった。瑛士君の声は震えていた。

 救えた命もあったのだろう。けれど、救えなかった時の嘆きの声が耳に残って離れないまま旅を続けた。

「自分が死ぬって恐怖はなかったんだ。皆が俺を優先してたし、もしかしたら召喚の時にどっか弄られてたのかもしれない。でも俺が上手くやらなきゃ代わりに誰かが死ぬんだ」

 上手くやらなきゃ、というフレーズには聞き覚えがある。俺に痣を作ってしまった時だ。その言葉の重みを今になって知る。

 初めは騎士、そして神官。瑛士君は指折り数えていく。傷つき、居なくなっていった仲間達が入れ替わり、それでも旅を止める事は出来なかった。その目的を果たすまで。

「初めは悲しかったけど、それも段々麻痺していくんだ。仲間を補充されるのを待つ時間が勿体ないとか思ってた。最低だろ」
「……最低なんかじゃないよ」

 堪らなくなって、ベッドに乗り上がって瑛士君を見つめた。泣き出しそうに顔を歪めてこちらを見上げる姿は誰かに責めて欲しそうに見えた。でも俺にはそんな事出来なくて、不安そうな彼にゆっくり手を伸ばす。触れた瑛士君の頬は氷のように冷たかった。

「誰か代わってあげられたら良かったんだ。責めて怒って罵って、エイジなんかどっか行けって」
「……そんな奴居ねーよ」
「居ないなら誰も責める権利なんてない」
「フィー……」

 神様にだってない。瑛士君に役目を押し付けたのだから。

「最低なんだよ。俺は日本でやり残した事ずっと考えてて、世界の事なんてちっとも考えてなかった――だから罰を受けたんだ、たぶん」

 二年近くも旅は続いた。そして多大な犠牲を払って魔王を打ち倒した時、既に世界は退廃していた。立て直すまでは、と引き止める声は全て無視して、帰還を急かし瑛士君は儀式に臨んだのだと言う。自分の役割を果たし終え、もう限界だったのだと思う。

 ただ、もう一度会いたい人が居たから。

 伝えられなかった言葉を伝えたい。たった一人知らない土地で、そんな小さな後悔だけが瑛士君を支え続けたのだ。他には何も望まない、ただ帰して欲しいってそれだけだったのに。

「帰ったはずが、何でか誰も居ない森の中に居て。初めは日本の……少なくとも元の世界のどこかだって信じてたんだ。食べ物探して彷徨って、獣に襲われて、俺咄嗟に魔法使おうとした。でも全然出なくて。当たり前なんだけど」

 魔法もなく、武器もなく、アイテムも何もなく。前の世界に居た時の万能感が消え失せると、これまで持て囃された自分がただの無力な人間だと気付かされた。そこで初めて死への恐怖を感じた。逃げて逃げて、飢えと孤独に苛まれながら、とにかく人里に向かった。もう自分がどこに居るかも分からなくなっていた。

 けれど、ようやく辿り着いた町で待っていたのは、ここが元の世界ではなく違う異世界という残酷な現実だったのだ。話す言葉が何ひとつ分からず、ただ悪意だけを向けられる。森から出てきた瑛士君を見るなり話しかける間もなく怒声と悲鳴を浴びせられ、人々が逃げ出していくのだ。

「神様の不興を買ったんだろ。身に覚えはいくらでもあるしな。それでも……償い方くらい教えてくれても良くないか?」

 瑛士君は全てを諦めたように笑う。

 世界を渡り歩き、瑛士君の手元に残ったのは腕時計だけだった。希望も救いもない幾夜を時計を眺めて過ごし、折れてしまいそうな心を慰めていたのだろう。片時も離さなかったその時計が、人々に忌避された原因だなんて酷い皮肉だ。

「試しの門で女神に罪を暴かれるのが怖かった?」
「あぁ。俺はまだ罪を償ってないから」
「これ以上まだ苦しまなきゃいけないの? おかしいよ」

 瑛士君はちゃんと世界を救ったのに、元の世界に戻さないのは契約不履行みたいなものだ。償う罪があったとしても、それは元の世界で償う機会を与えるべきなんじゃないか。女神の赦しなんて要らない。勝手に赦さなきゃ良いと思った。

「試しの門に弾かれた人は居ないって言ってた。だからもし弾かれたとしたら、それって逆にチャンスな気がする。神殿の人は絶対接触してくるだろうし、元の世界に戻る為の……物語が動く時ってそういう時でしょ?」

 思いつきだが、我ながら良い考えのような気がする。悪目立ちするだろうし、何があるかは未知数だけれど瑛士君を一人にするつもりはない。二人なら何とかなると思う。いや何とかする。

「……ダメだ」
「……そっか……えと、じゃあ俺が一人で、」
「フィー。行かなくて良い」

 頬に添えていた手を強く掴まれた。先走って余計な事を言ってしまっただろうか。

「ごめん……落ち着いて考えた方が良い、よね」
「違う、もう良いんだ。元の世界に戻るのは諦める」

 は、今なんて? 瑛士君の手は震えていた。縋るように力を込められ、指先ひとつ動かせないまま俺はアホみたいにその綺麗な顔を見つめる。

「もう怖いんだ。ここで何かをやり遂げても、また次の異世界に連れていかれるだけなんじゃないかって……次はフィーが居ないのに。だったらここで良い。戻れなくて良い」

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