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本編
20.神殿
しおりを挟む翌日は神殿を目標に外へ出た。王都のど真ん中にある城と違い、神殿は中心部からは少し外れている場所にあるらしい。兄ちゃんには馬車で行くのを勧められたが、歩いても二時間程だそうなので徒歩で向かう事にした。途中途中に看板があるみたいなので道に迷う心配はなさそうだし。
「そういやアレどこに置いて来たんだ?」
「ん……うん。紙袋ごとベッドの下に……」
「エロ本かよ」
そう、アレといえばライキの実である。部屋に鍵はついてるけれど、やはり人に見られたくない物はベッドの下に隠しがちだ。生モノなので早急に処遇を決めたい所だが、今日のところは冷暗所保存だ。
「閉店後ならキッチン貸してくれると思うけど」
「店にありそうな材料で試してみるなら……ガーリックトーストとか?」
「あ、それ採用。すごい食べたい」
帰ったら兄ちゃんに頼んでみよう。瑛士君は天才だ。あの食欲をそそる匂いを思い出してニヨニヨしていたが、この世界での用途を思えばニヤつくのは罪な気がしてくる。ここでは食欲ではなく性欲をそそる匂いなんだろうか。
とはいえ楽しみなのに違いはないので、行き道は瑛士君としりとりのようにニンニク料理を交互に挙げて楽しく歩いた。
「……うわぁぁすごい行列だ」
神殿の前には老若男女問わず、大勢の人が行列をなしていた。女神様は民衆に大人気らしい。入り口で持ち物チェックでもしているのか、一度に入れるのが一人か二人に制限されているようだった。そのせいで流れが滞っている。
せっかくここまで来たのだから、引き返すという選択肢はなく、瑛士君と渋々列の最後尾に並ぶ。ここから入り口まで百メートル以上ありそうで既にゲッソリする。せめて何分待ちとか目安でも出しておいてくれれば親切なのに。まぁまだ昼前なので、さすがに入れないという事はないだろう。
「神殿ちょっと舐めてたよ。こんなの兄ちゃん教えてくれなかったし。来たことないのかな」
「ないかもなぁ。神頼みとかしなさそうなタイプに見えるけど、どうなの?」
「うーん……俺とあんま変わんないんじゃないかな」
真面目な兄ちゃんは両親の手前そこそこ敬うような事はしていたが事務的だった気がする。王都に来たからと神殿に顔を出す程の信仰心はないと思う。
「――坊や達はここに初めて来たの?」
話が聞こえたのか、俺達の後ろに並んでいた老婆にのんびり話しかけられた。頻繁に来ているのか行列にも慣れた様子だったので、待ち時間の暇つぶしに選ばれたんだろう。素直に初めてだと伝えたら嬉しそうに、そうかそうかと何度も頷かれた。
「此処っていつもこんなに並ぶんですか?」
「そうだね。入り口はどうしてもねぇ……そこで帰る人も居るから女神様にご挨拶するのには、そう時間はかからないわ」
「えっ、入り口通ってそのまま帰るの?」
では何の為に来たのか意味が分からなくて驚く俺達に、老婆は「本当に何も知らずに来たのね」と驚いていた。
「神殿に立ち入れるのは穢れがない者だけだと言われていてね……正門から続く七つ全ての門をくぐった人だけが女神様にお会い出来るのよ」
老婆が語るファンタジーっぽい話に俺の少年心が擽られた。しかし、穢れた人間が未知の力で弾かれていくから人が減るのか、と問えば微笑んで否定されてしまう。長年通っている老婆ですら今まで実際に弾かれた人を見たことがないらしい。
試しの門と呼ばれている神殿の門をくぐるのは「女神に誓って自分には疚しい所がない」という証明のようなもので、目当ての試しの門さえ通ってしまえば満足してそのまま帰ってしまう人達も多いそうだ。
一つ一つの門にもそれぞれ意味合いがあるらしい。不貞している者が通れない門だとか、驕り高ぶる者が通れない門だとか。それぞれ背負った罪をきちんと償い、ここを無事に通る事が出来たなら晴れて女神から赦しを得られた事になる、と。
「弾かれてしまった人は見たことはないけど、ここで待っている間に怖くなって逃げ出す人はね……たまに居るのよ」
残念そうに老婆は言う。
信心深いという王都の人々からすれば、万が一でも己の罪が暴かれてしまうのを恐れるのだろう。公衆の面前で試しの門に弾かれたとなれば、ただの恥では済まないんじゃないだろうか。結婚前に一度二人で行こう、なんてイベントもありそうだ。
逃げ出した途端、修羅場になりそうだなーなんて老婆の話を聞きながら呑気に考えていた俺は瑛士君の様子がおかしい事に中々気付けなかった。
「そっちの坊や、顔色が悪いみたい。大丈夫かしら?」
えっ? と慌てて瑛士君を見れば、視線から逃げるように顔を俯かせて口を押さえていた。明らかに大丈夫じゃない。人に酔ってしまったんだろうか。
「気付けなくてごめん! 気分悪い? 向こうで休む?」
「……っ、いや」
慌てて声を掛けると、瑛士君は一瞬俺を避けるように後ろに下がり、そして行列をチラと見る。老婆と話し込んでいるうちに、残り半分位には進んでいたのだが……そんなのはどうでも良い。
「今は休んだ方が良いよ。急ぎでもないし」
様子を見て、大丈夫そうなら並び直せば良いし、無理そうなら後日また来れば良いだけだ。瑛士君は申し訳なさそうにしていたが、半ば強引に列から抜ける。老婆に目礼だけして、近くの木陰に腰を下ろした。
「何か飲み物とか買って来ようか?」
「……いや、大丈夫。少し休ませてくれ。ごめんな」
その覇気のない声を聞いて、少し落ち着いたら今日はもう帰ろうと決めた。何をどうすれば良いのか分からず、あれこれ聞いてしまいそうで……それはウザい、と必死に口を噤む。気が利かない自分を今ほど呪った事はない。
幸いそよそよと心地よい風が吹いてくれていたので、しばらくそこでじっとしていた。
「……フィー、ごめんな」
瑛士君がぽつりと謝る。不甲斐ない俺こそ謝るべきだが「今日は馬車で帰ろう」とだけ言うと、瑛士君は小さく頷き、ゆっくりと立ち上がる。ふらつきがない事に安心しつつ、瑛士君をそっと支えながら馬車がある所まで黙って歩いた。
帰りの馬車は無言で、瑛士君は苦しそうにずっと何かを考えているようだった。ただの体調不良ではないんだろうな、とぼんやり思う。兄ちゃんの店に戻っても、相変わらず顔色が悪いままだったので、部屋まで送り届けて俺は静かに部屋を出た。何があったか俺には見当もつかなかったが、今は一人にして欲しいだろう。
兄ちゃんの店の手伝いをして過ごし、夕飯の時間になって声を掛けてみたが、瑛士君は降りて来なかった。兄ちゃん達も心配していたけれど、疲れが出たんだろうと言うとそれ以上深くは聞いて来なかった。
簡単に食べられる物をトレーに載せて、部屋に向かう。瑛士君はベッドに丸まっていたから、音をたてないように近くの机にトレーを置いた。
「……フィー」
弱々しく呼ばれ、そっとベッドに近付く。
「聞いて欲しい事があるんだ」
「……うん」
瑛士君の頭の近くでベッドに背を預け、床に座る。灯りをつけてない暗い部屋に小さな瑛士君の声だけが響いた。
「俺は……神殿には入れないかもしれない」
「試しの門? 生まれて一度も悪い事してない人なんて居ないと思うけど」
「違うよ、フィー。俺は前の世界でたくさん人を殺した」
「――え、」
頭が真っ白になった。以前、ユーヴィスの罪を聞いた時とは違う。そんな事ある訳がないと思いながらも、心臓がバクバクと鳴りだす。だって瑛士君だ。人を……何て事ができる人じゃない。前の、と彼は言った。あの平和な日本で? と思うと余計に真実味がないのだ。
「……日本じゃない」
こちらの戸惑いを正確に察した瑛士君の言葉に、背を向けていた俺は思わずゆっくりと振り向いた。暗い部屋でも瑛士君は真っ直ぐに俺を見ていた。
「ここに来る前の異世界で――俺はたぶん勇者だった」
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