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本編
15.3日目/大部屋
しおりを挟む予定の馬車より遅らせた為、目的の町に着いたのはとっくに日が落ちた夜の始め頃だった。この町でもこれまで通り兄ちゃんの旅のしおりに従って宿屋を選んだのだが、出遅れたせいで既に個室は全て埋まってしまっていた。空いていたのは大部屋だけで、やむなくそちらに泊まる事になったのだが……これが中々面白い。
広々とした室内は通路を残して、左右に二段ずつ、それぞれが更に簡易的な仕切りで六つ程のスペースに分けられている。異世界版のカプセルホテルだ、と部屋を見て真っ先に思った。
俺達のように個室にありつけなかった客が利用しているようで、男ばかり十人前後が既に好きな場所で寝転がっている。女性客には女性だけの大部屋が別に用意されているようだ。
「野宿するよりはマシだけどセキュリティ緩すぎね?」
「貴重品は一応預かってくれるみたいだけど……」
「そっちが安全かもいまいち怪しいな」
二段目の入り口付近が空いていたので、梯子で上がりそこまで這って進む。そんなに高さがある造りではないので、下りる時は梯子を使わず飛び降りても平気そうだ。床に直置きされたマットレス分が一人のスペースで、寝転んでみると頭から膝下辺りまでは隣との仕切り板が続いている。
瑛士君は開けっ広げなわりに見通しが悪いのが気になるようで、これなら雑魚寝のがマシなんて言っているけれど、俺個人としてはものすごく気に入った。狭くて窮屈なのだがそれが良い。この空間だけは自分の領土って感じがする。昔は寝台列車とかフェリーに乗るの好きだったなーと懐かしく思った。
そして何より安心して眠りにつける。すぐ隣で半裸で寝る瑛士君を意識して悶々としなくて良い夜は貴重だと思う。初日こそ虚無状態で眠ったものの、二日目の夜は結構きつかった。何だかんだと理由をつけて早々に布団に潜り込んだまでは良かったが、隣が気になって気になって……ちょっと見る位は許されるだろ、と囁く自分の煩悩との戦いが夜通し続いたのだ。
瑛士君もこんなオープンな場所ではしっかりと着込んで寝てくれるだろうし、今日はしっかりと安眠させて貰うとしよう。
「……っ……だ」
「……ざ……ね…」
部屋の灯りが落とされてから、どの位経っただろう。寝るぞーと意気込んで目を瞑り、すぐに寝入っていた俺は、近くで聞こえる潜めた話し声に目を覚ました。瑛士君、誰かと話してる? と不思議に思ったものの、会話はすぐに止んだので再び眠る。
しかし、しばらくするとまた似たような声が聞こえてきたのだ。一度ならともかく、それが何度か続くと気になってしまう。起きて聞いてみようか迷っていたら、瑛士君の方からやって来た。
「――悪い、フィー。匿って」
ひそひそ声で言うと、横たわる俺の隣に身体を滑り込ませて来た。元々狭いので二人も入ればスペースがみちみちになる。瑛士君が少しでも狭くないよう横に避けながら、身体も合わせて横向きにすると少しだけ余裕が生まれた。
「どうしたの? さっき誰かと話してた?」
「あぁ。何て言うか……夜這い?」
ぽけーっとしていた頭がそこで初めて覚醒した。
「え、何? どういうこと?」
「いや俺もビビったんだけど、この部屋ってそういう使い方する奴も居るっぽい」
「そういう、って?」
「あー……ほら、ちょっと耳すましてみろ」
瑛士君に言われるがまま、耳をすませば何処ともなく聞こえてくるのは……低く籠もった悩まし気な声。しかも一つ二つではない。一瞬思考が停止した。
「あ、これがハッテン場ってやつ?」
瑛士君が適切な単語を思い出したのと、俺が思い至ったのは同時だった。日本だとサウナやジム、夜の公園などに出会いの場があると噂では聞いた事がある。あちらで目の当たりにした事は終ぞなかったが、それを異世界に転生して垣間見る事になるとは。
灯りのある間にそれとなく目を付けておくものなのか、消灯してしばらくすると瑛士君の所にも何人かが声を掛けにやって来たのだと言う。断ればすぐ引いてくれるらしいのだが、安心しておちおち寝てもいられないと。
「一人じゃなかったら声も掛けられないだろうし、狭くして悪いけど俺もこっちで寝かせて」
「えっ……ええ?」
「本当ごめん。でも自分より体格の良いオッサンから声掛けられんのガチで怖えーから。頼む」
いやそりゃ怖いだろう。女性相手にモテるのは慣れている瑛士君でも、自分の貞操を心配した事はあまりないはずだ。断るのは気が引ける……というか、気づけば既に共寝のような状態だった。瑛士君が潜り込んで来た時から、向かい合わせに並んで寝転んでいたので、一緒に寝ると言っても後は目を閉じれば良いだけなのだけれど。ごにょごにょと口を濁しているうちに了承した事になってしまっていた。
しかし近い。ちょっとでも身じろぎすると身体のどこかは触れ合ってしまうし、寝返り一つままならない。目を閉じると遠くからは艶めいた声が漏れ聞こえてくるし、近くからは瑛士君の吐息が聞こえる。気を抜くと鼻息が荒くなりそうで必死に抑えた。はー息が苦しい。吐くと吸うのバランスが分からなくなってきた。誰か……誰か、助けてくれ。
「あれ、フィー寝不足? 俺うるさかった?」
「えっもう朝?」
基本的に寝起きが良い瑛士君は目覚めた瞬間、パチっと目を開ける。瞼が微かに震えた後、勢いよく上がる様までの一部始終を見届けさせてもらった。朝……いつの間にか朝が来ていたらしい。夜中、潔く寝ることを諦めてからは、ずっと瑛士君の寝顔を鑑賞していたので時間の感覚が狂ってしまっていた。しかし実に有意義な時間だった。
「一旦気になり始めると眠れなくなるよな。悪い、フィーの安眠妨害しちゃって」
「いやいや全然大丈夫」
「でも隈、出来てるし。目も充血してる」
瑛士君が繊細な手付きでそっと俺の目の下を撫でる。隈はともかく充血は確実に酷使し過ぎた眼精疲労だと思う。俺は伸ばされていた瑛士君の手をぎゅっと握り、寝起きの腫れぼったさなんて微塵もない綺麗な顔を真っ直ぐに見つめた。
「大部屋には二度と泊まらないようにしようね」
本当に恐ろしい部屋だった。そう言って、同じ台詞をアホの如く繰り返す俺は徹夜明けの変なテンションだったらしく、瑛士君にしばらくこのネタで揶揄われたのだった。
食べ損ねた晩飯分を取り返すかのように、机の上にはボリューム満点の朝食が並ぶ。香ばしいソースのかかったローストビーフ的なものとパンを一緒に食べていたら、瑛士君と毎日毎日サンドイッチを取り憑かれたように売っていた日々を思い出した。ちょっと前の事なのに何だか酷く昔の事に思える。
「フィーの店、いつまで休みとか決めとかなくて良かったのか?」
たぶん瑛士君も似たような事を考えていたんだろう。店の事を聞かれ、大丈夫だと胸を張った。長くなるかもしれないので、予め実家や周囲にも頼んである。
「違う通りにもパン屋があってね。閉めてる間はあっちに行ってってお願いしてるし、週一くらいは父ちゃんが代わりに開けてくれるって言ってた」
「うわ、大丈夫なのか、それ」
「ずっと休み取ってなかったし、たまには良いよ」
開店してからずっと年中無休で営業してきたのだ。週休二日制なら休日は結構貯まっていると思う。実家でも週に一度は店を閉めて家族の時間に充てていたくらいだ。多少は大目に見て欲しい。
「出発して四日かー。すげー遠く感じるわ」
「あーそれ俺も思ってた。まだ四日だった」
瑛士君と笑いながら、戻ったらまたサンドイッチ売りまくる事になるのかなって思ったけれど、もし王都に行って何か手がかりが掴めたら瑛士君は王都に残るかもしれないし、そのまま元の世界に戻るなんて事もあるかもしれない。
帰りは一人かもしれないんだ。それは喜ばしい事なのに、一人で帰路に着き、誰も居ないあのパン屋に帰るのを想像したら、とても寂しくなった。
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