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本編

10.1日目/夜

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 無駄にドキドキしているけれど、一部屋とはいえ当然室内には質素なベッドが二台並んでいた。ダブルですか、ツインですか、なんて事は聞かれてもいない。やはり旅行という概念が欠如しているのは俺の住む町だけではないらしく、宿屋の客は職業柄って感じの人達か、俺達のように経由地にしているだけの人しか居ないようだった。あくまで旅は目的地までの移動であって、娯楽として楽しむようなものではないらしい。

「にしても、ちょっと地味過ぎない?」

 とりあえず部屋に荷物だけポイッと投げ入れて、俺達は食堂に来ている。片手で足りるメニューの中から選んだ夕食はどれも家庭的で手堅いがいまいち映えない。ほんの少し旅先グルメを期待していた俺としては物足りなさを感じてしまう。

「そうか、美味いよ? 安いし。最高じゃん」
「いや良いけどね。このあらゆる無駄を削ぎ落とした感じ……すごくビジネスホテルっぽい」
「実用性重視な。分かりやすくて俺は好き」

 不満なんて欠片もなさげに爽やかな笑顔を浮かべ、パクッと煮込みハンバーグのような料理を食べる瑛士君。ちょっと眉を上げて俺に小さく何度もコクコク頷いているのは「美味いぞこれ」のジェスチャーだろうか。

「その茸とネーズって香辛料はこの町の特産っぽいよ」

 さっき仕入れたばかりの情報を披露しながら、俺も自分のスープを探る。何かしてないと無限に瑛士君を鑑賞し続けてしまいそうだ。丸っこい茸を見つけて食べてみると、ミルクっぽい味が口に広がった。単体だと癖が強そうだが、濃いめの味付けだとまろやかさが加わって中々美味しい。

「さっき話してたおじさん情報?」
「うん。ここの特産教えてって言ったら変な顔されたけど」

 この町ならではの物が食べたいと訴えて、ようやく教えてくれたのだ。運送業をしているというおじさんはそれぞれの町を行き来する事は日常的でも、町と町とを比べる事がないのだと言う。

「物流あるのに観光に繋がらない所が不思議だよな……てか、お前あんま知らない奴に話しかけんなよ。危ないだろ」

 うんうん、と頷いていたら思わぬ所で叱られた。どこか危ない要素があっただろうか。宿屋の中だし、ひと目もあった。

「え……いや話しかけてないよ。伝票かな、何か細かい文字見えないらしくて、読んでくれって頼まれたついでに。老眼かな?」
「アホか。そんなの宿屋の従業員に頼めば済む話じゃねーか」
「みんな忙しそうだからかなぁ?」

 俺がちょっと目離した隙に……と小声でぼやく瑛士君はその時確か清拭用の湯が貰えないか店の人に聞きに行ってくれていた。待ってる間の暇つぶし感覚だったのだが、次からは断ろう。

「一人で待たせるんじゃなかった。次からフィーも連れて行く。頼まれれば人の部屋に荷物とか平気で運びそうだし」

 まずい。瑛士君からの信用がガタ落ちしている。さっき聞いた「俺が行くからフィーは待ってろ」なんていう、どことなく彼氏感のある台詞がもう聞けないのは残念過ぎた。

「ちゃんと断るって。そもそもエイジから離れるような頼み事は聞く気もなかったし」
「なんっっか怪しいんだよなぁ」
「しつこく言われたら、大きい声出すって言う」

 信用回復にこっちも必死だ。俺は是が非でも、あの台詞をもう一度聞きたいのだ。固く拳を握り、照れる気持ちを抑えて瑛士君としっかり目を合わせる。伝われ、俺の本気。

「本当に出すよ、大きい声でエイジーって呼ぶし」
「――っ、」

 その時、瑛士君が何故か息を呑んだ。唇をキュッと結んで無言のままじっと見られてしまい、俺は首を捻る。何だろう、この反応。とても気まずいのだが目を逸らすタイミングが難しい。

「え、えーと、エイジ?」
「……ああ。昔似たようなこと言われたなって……ちょっとビックリした。悪い」

 恐る恐る声をかけると、ようやく視線から解放された。さっきまでの会話が何もなかったみたいに食事を再開されて、戸惑いながらも俺もそれに倣う。食事が終わってから、控えめに尋ねたら「保留」とすげなく言われ、ガックリ肩を落としたのだけれど。







 連れ立って部屋に戻ると、先送りしていた気まずさが一気に戻ってきた。うわぁぁ駄目だ。今日の俺は薄気味悪い事に、見慣れない室内に変に特別感なんてものを感じてしまう恋愛脳になっている。

 俺の家では瑛士君には物置きで寝起きしてもらっている。布団を敷いたら床が埋まってしまう位の狭さだが、瑛士君はそこで良いと言う。本当は俺がそっちに移ろうと思っていたのだが頑なに断られてしまった。それでも、寝室を共有という流れにならなかったのはお互い一人になれる空間は必要だと思ったからだ。

 それは本当に言い訳ではなかったが、男同士だし寝る部屋が同じ位は別に良くね? となるのが一般的な認識だろう。出発前、予算を話し合っている時も当たり前のように宿屋の料金は一部屋分として組まれてしまっていた。意識する方がおかしい。ただ同じ部屋で寝るだけだと俺も腹をくくったつもりだったのに。

「フィー、背中拭いてやろっか?」

 瑛士君の言葉に背筋がビィィンと伸びた。頼んでいたお湯が届いたらしい。バケツを両手にこちらに近づいて来る。

「大丈夫。パパーッと拭くだけだし。ありがと」
「そっか、手伝いあったら言えよー」

 若干挙動不審ながらも上手く回避できた。それにしても、軽い口調でとんでもない事を言ってくれたものだ。瑛士君に背中なんて拭かれたら、許容量を超えた俺はおそらく失神する。そんな誰も幸せにならない未来は求めてない。

 とりあえず身体拭こう。瑛士君に背を向けてベッドに腰掛け、ベルトを外して一息に上衣を脱ぐ。この世界でもオシャレに気を遣う人は思い思いに服を重ねているようだが、俺はシンプルなチュニックだけ。色々着るのは面倒臭い。背後でも衣擦れの音がしているのは意識しないようにした。

 身体を拭くと、拭いた所がスッとして気持ち良い。欲を言えば風呂に浸かりたいがないものは仕方ない。どっかに温泉でもあれば良いんだけど……なんて、ぼけーっと考えていた時、ガシッと腕を掴まれた。

「っうわあ!」

 比喩ではなく、飛び上がって驚く。訳が分からないまま逃げ出そうと身体は動いたが、掴まれた腕に阻まれる。

「――悪い。驚かせた」
「エイジ……本当に。本当にビックリなんだけど」

 ビビリ相手に気配もなしに近づいて来ないで欲しい。急激に上がった心拍数と呼吸を整えつつ瑛士君を振り向けば、半裸でこっちのベッドに乗り上がっているではないか。無自覚に俺を殺しにかかっている事に早く気づいて欲しい。

「痣になってるのが見えて。これ絶対俺のせいだわ、ごめん」

 瑛士君が気になるのは俺の左腕らしい。チラッと見れば、確かに肩に近い所が内出血していた。言われるまで気づかなかった位だ。範囲は広いが全然軽い。

 出来た場所から考えれば、昼間瑛士君が俺の身体を抑えてくれていた所なんだろう。謝られる理由がないどころか、痕が残ってて嬉しいと思ってしまったんだが。

「俺ちゃんと、もっと上手くやるから」

 瑛士君は本当に、何を言っているんだろう。こんな掠り傷にもならないような痣ひとつで、大きな失敗でも犯したような顔をする。

「ねぇ、上手くってなに? エイジはもっと雑で良いと思うけど」
「俺が嫌なんだ、怪我させたくない」
「これ怪我じゃないし完璧じゃなくて良くない? 俺はもっと気楽にして欲しい。怪我したって自業自得だし、エイジは気遣い過ぎなんだよ」

 俺的にはもっと分かりやすく恰好悪い所を見せて幻滅させて欲しいくらいだ。失敗してても可愛いとか思っちゃいそうだけど。

「別に明日寝坊してくれたって良いし、道で躓いて俺を巻き添えにしてくれたって良いよ」

 何だそれ、って笑われる。自分でも意味分かんなくて笑った。

「だからさ、何だろ……助けてくれてありがと」
「うん」

 瑛士君の手が離れていく。何気なくその手を目で追っていたら、当然その先にある半裸をそれはもうバッチリと視界に収めてしまい、俺は生娘のように掌で顔を覆った。
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