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本編

2.再会(2)

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 パンを物色する客をぼんやり眺めながら、彼は今頃どうしているだろうかと思う。普通なら初対面の人間に貰った食べ物なんて怪し過ぎるが、相当空腹のようだしここはどう見たってパン屋なのだ。多少は警戒心も薄れるはず。安心して食べてくれていると良いのだけど。

 朝の波が落ち着いたのを見て、わざと足音をたてながら彼の所に戻ると、ペタリとテーブルに突っ伏していた。渡したカゴの中が空っぽになっていて安堵の息を吐く。

「……ありがとう。美味かった」

 寝ているのかな、と思った彼が億劫そうにもぞもぞと起き上がった。

「足りた? 俺も朝飯食うけどスープ飲む?」
「いや……うん。貰っても良いか?」
「良い良い。大したもんじゃないけど」

 少し柔らかくなった態度を嬉しく思いながら、彼の側で簡単にスープを作る。背中には視線を感じるが努めて気にしないようにした。知らない人は怖い。俺だって怖い。でもこの世界で生まれ育った俺より彼の方が怖いのはよく分かる。だからこっちから切り出した。

「俺さぁーたぶん転生者なんだよね。今日まで全然自信なかったけど」

 日本で暮らした前世の記憶があるのだと話したら、彼が息を呑んだ。両親が居て弟妹が居て、学校行って就職して……そんな普通の人生をつらつらと語る。珍しくもない病気にかかって死ぬまでの記憶があるから転生だと思う。最後まで語っているうちにスープが出来た。

「あんたは向こうで死んだんだ……」
「うん。そんでこっちで生まれたから正真正銘こっちの住人かな。言葉はどっちも分かるし、何でも聞いて」

 彼の前にもスープを並べながら話していたら、気になっていた事を思い出した。これだけは絶対に教えてあげるべきだと思った、彼に声を掛けた原因だ。

「こっちの世界ってね。一度でも罪を犯した人間には手枷つけるんだ。俺も実際に見た事はないし、見た事がある人の方が少ないと思う」

 つまり何が言いたいかと言えば、本物がどんな物か知らない人ばかりだから、腕に何かつけていたら罪人だと思われるってことだ。それが単なる腕時計でも、この世界の人には忌避されてしまうだろう。

 思い当たる節があったのか、彼はテーブルに置いたままの掌を固く握り込んだ。今の今まで誰も教えてくれなかったのなら相当嫌な思いをしたはずだ。

「俺……気づいたら森に居たんだ。人間を探して町まで出てきたは良いけど、言葉は通じねーし人を化物みたいに扱ってくるから……なんだ、そういう事か」
「やっぱり転移してきたんだ? 何でだろ」
「知らねーわ……もーほんと最悪」

 深い深い溜め息を吐いた彼は、異邦者だと気づかれないように髪や目、服装を隠していたらしい。ここから森はかなり距離がある。少なくとも五つは町を通ったはずだ。行く先々で嫌な思いをしてきたのだろう。声はまだ若く、俺とそう変わらない気がする。突然説明もないまま家族や友人と引き離され、知らない場所に放り込まれた彼が不憫でならなかった。

「ここで良かったら、いつまででも居ていいよ」
「……は?」
「ご覧の通り家は狭いし、朝は早いし、そう贅沢はさせてあげられないけど。好きなだけ居ると良い」

 日本とは色々勝手が違っても、この世界もそう悪くないのだ。これまで悪い部分ばかり見てきた彼にも知って欲しい。そんな気持ちが湧いてきた。

「強制はしないけど店を手伝ってくれると嬉しい。こっちの言葉とか常識とか覚える間だけでもどうかな?」

 彼からすればそう悪い話じゃないと思うんだが。何か裏があると思われても仕方ないかもしれない。顔が見えない分、黙られると反応がなくて怖い。

「あんたさ……お人好し?」
「気持ちは半分日本人だしね、お国柄かな」
「日本人の大半は事なかれ主義だと思うぞ」
「あーそれはある」

 ふふ、と笑って彼の前に腰掛けた時、彼は頭から深く被っていた布をそっと降ろして真っ直ぐ俺を見つめた。髪は肩まで伸びっぱなし、全体的に薄汚れているし所々よく分からない汚れがこびり付いている。それでも、色素が少し抜けたような柔らかな黒色の髪も透き通る茶色の瞳も、そもそも顔の造形が嘘みたいに整っていた。

 あまりに予想外で、呑気にスプーンに手を伸ばしかけた体勢のまま硬直して言葉も出ない俺に彼が眉を顰め、勢いづけた手のひらをこちらに差し出す。

「しばらく置いて貰えるとありがたい。駄目か?」
「っ、いい! 良いよ、全然良い」

 問われ、弾かれたようにその手を握った。高校生くらいに見える彼の手はこれまでの苦労を物語るように厚くてとても硬かった。何かの反射みたいに止める間もなく目からポロッと雫が落ちる。

「え、あんた泣いてんの? 泣く所あった?」
「違っ……これはその、とにかく違うから」
「いや良いけど。あー……世話になるのにあんたとか言うのは失礼だな。俺は瑛士。エイジって呼んで」

 薄く笑みを浮かべ、名乗る彼に震えそうになる声を必死に抑えて口を開く。どうか引き攣る口元くらいは見逃して欲しい。

「俺はフィーブル。フィーで良いよ」

 これからよろしく、と繋いだままの手にキュッと力を込めて言った。彼がいつまでここに居るかは分からないけれど、居る間に俺が出来うる全ての事をしてあげたいと強く思った。それは俺がお人好しなんかではなく、彼が彼だったからだ。

 ――あの時、声を掛けてみて本当に良かった。

 繋がった手が自然に解かれるのを名残惜しく思う。彼の手に触れられる機会なんてこの先一生訪れないだろうから。

「フィーがおっさんじゃなくて良かった」
「一度は経験したから、今もおっさんみたいなモノかもしれないけど」
「いいよ、中身はおっさんでも。見た目は同い年ぐらいだから無駄に気遣わなくて済みそう」

 頼りなさそうだと評される事の多い俺の容姿は、彼にとっても気が緩む対象に映るようだった。女性には決してモテないが甘やかされる事が多い。彼のような格好良い容姿には憧れるが、万人に親しみやすいと思われるなら自分の顔も悪くないと思う。

 かつて日本で暮らしていた時もそんな感じだった。迷子だったり困ってるお年寄りだったりに真っ先に声を掛けられるのは俺で、良いことばかりではなかったけれど悪い気はしなかった。

 でも造形はやはり日本人の時とは違う。この世界らしく髪はベージュ寄りだし瞳だって赤い。平凡なのは変わらなくても顔面の平均値が日本より高いので多少の底上げはされている気がする。

 要は昔の知り合いに会っても、まず気づかれないだろうと。そういう事だ。

 何食わぬ顔で話し、飯を食って、眠そうな彼を寝室に案内して店に戻る。緊張の糸が切れたのだろう。床で良いと遠慮を見せていた彼もベッドを前にすると倒れ込むように眠ってしまった。食事に睡眠薬を盛られたと疑われかねないレベルの即落ちだった。

 ようやく一人になり、俺は衝動的に蹲った。許されるのなら大声で叫びたい。狭い店中を転げ回り、力の限り床をダンダン叩きたい。大人なので必死で耐えた。

「……っうう、無理ぃ」

 静かには出来なさそうだが、なるべく小さな声で悶える。客が居ないのが救いだった。

 ――いやあれ瑛士君じゃん!

 と誰でも良いから捕まえて言いたい。だって瑛士君だ、そう瑛士君なのだ。偶然にも俺は彼を知っていた。日本での彼は同級生でクラスメイトだった。しかも当時の俺にとって、瑛士君は身近な推しメンだったのだ。当然、今見ても余裕で推せる。

 向こうが当時の俺を覚えているかは分からない。気づいた様子なんてある訳ないが、日本人だった頃と全く顔が同じでも記憶を掠めもしない可能性が高い。今となっては何にも気づかないまま日本での記憶をペラペラと披露した自分が憎いが、名前や住所は必要ないかとスルーしたし学生時代もサラッと流したはず……よし大丈夫。まだ妙な事は口走っていないと思う。


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