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脳食願望⑬完結
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長島優は、自分のデスクで今日のスケジュールを確認していた。
今日は二人も有給で休んだせいで仕事が詰まっている。かといって、最近ではどの企業もコンプライアンスに敏感になっているので職員に無理強いは出来ない。
それに、有給の消化率は部長である長島自身の評価にも影響が出てしまうのだ、無下にはできないだろう。
「うーむ……」
長島は唸りながらパソコンを凝視していた。
「部長、お客様です」
部下が話しかけてきた。
「今日はそんな予定は入れてないぞ?」
パソコンに視線を落としたまま答える。
「特にアポイントはとってないようですね」
「なに? 何処の奴等だ、そいつらは」
「何処のと言うと……警察署? ですかね」
「えっ、警察!?」
長島はパソコンから視線を引き剥がした。
オフィスの入り口に、いつか見た二人の刑事が立っていた。
「今日は何の要件でしょうか? あいにく私は今手が塞がってまして、事情聴取なら先日話した通りで……」
「いやいや、今日はあなたに用があって来た訳じゃありません」
中年の刑事である二階堂が、長島の言葉を遮った。
「はぁ、では誰に用事があって来られたんですか?」
「津田暁斗さんはお手すきですかな?」
二階堂は言った。
「津田君ですか? 彼はあいにく今日は有給をとってますよ」
「じゃあ、連絡先を教えて貰えませんか? 部長のあなたなら把握しているでしょ」
真倉が長島に詰め寄る。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。急に言われましても、個人情報を勝手に教えてよいものか……」
長島は困惑していた。
「長島さん、彼が有給をとったのは今日だけですか?」
「いや、昨日から二連休の予定になっています」
「その間に彼と連絡は取りましたか?」
「いえ、特には……なぜそこまで彼にこだわるんです?」
長島の問いに、二階堂が神妙な面持ちで答えた。
「実は、失踪前の来栖彩に津田暁斗が接触していたと思われる証拠が出てきたんです」
「えっ! それはつまり」
二階堂が口元に指をあて、周りをキョロキョロと見渡す。
「あまり大きな声を出さないでください。まだ確定した訳ではありませんから」
「しかし、なぜそんなことが分かったんです?」
声のトーンを落とした長島が二階堂に尋ねる。
「街の防犯カメラを調べていたところ、二人と思われる人物が写っていました。近くの飲食店の店員の証言によると、何やら言い争っている雰囲気だったそうです」
「言い争っていた? あの二人、そんなに仲が悪かったかな?」
「津田さんの方はともかく、来栖さんの方は涙を流して感情的になっていたそうです。まぁ、男と女ですからね、いろいろあるでしょう」
二人の話を聞き、長島は表情を硬くした。
「……津田に連絡をとってみます」
長島はデスクの固定電話へ向かった。
津田は電話に出なかった。
「ダメです、繋がりません」
「結構です。直接自宅を訪ねてみますよ」
刑事達はそれだけ言うと、オフィスを出ていった。
キッチンの中、大きな鍋から熱い湯気が立ち上ってきた。黄金色のスープの中で、刻まれたタマネギやニンジン、セロリ達がぷくぷくと踊っている。
陽子はそれを見て満足げに微笑むと、ローリエの葉を一枚、それからレモンタイムも少し、鍋の中へ放り込んだ。アパートの狭いキッチンには、あっという間に爽やかな薫りが充満し、彼女の鼻腔を満たした。
「さて……と」
陽子は鍋の火加減を調整すると、隣に置いてあるレシプロソーを適当な場所に片付けた。そうして空いた場所に透明なボウルを持ってくる。
ボウルの中には薄紅色の物体が入っていた。
形を崩さないよう、ゆっくりとそれを取りだす。
両手に乗ったそれを、少しの間うっとりと見つめると、ゆっくり鍋の中へ沈めた。
鍋がグツグツ煮え始める。
それを聴くと彼女の胸も、言い得ぬ多好感に包まれていくのだった。
チャイムの音が鳴った。
せっかくの至福の一時に水を差され、陽子は苛立ちを感じた。
だが、客人が何者かは、だいたい見当がついている。
陽子は玄関まで行くと、ドアを開けた。
「お久しぶりです花宮さん、刑事の二階堂です。覚えてますよね?」
二階堂と真倉が並んで立っていた。
「厳密には刑事という役職は無いんじゃなかったんですか?」
「急ぎの用でして、多少の厳密性は気になさらないでください」
「急ぎ? どうかされたんですか?」
「単刀直入に言いますと、津田暁斗さんの行方が分からなくなりました」
「自宅アパートを訪問しましたが、不在でした。大家の証言では前日の朝に出ていったきり帰ってないそうです」
横から真倉が補足を入れる。
「私、携帯にかけてみましょうか?」
「結構です。携帯も繋がりませんでしたから」
「ではなぜ、私のところに?」
二階堂の目が鋭くなる。
「花宮さん、失礼ですが昨日は何処で何をされていたのですか?」
「私ですか? 特に何も、家にずっと居ました」
「わざわざ有給を取ったのに?」
「どこかで消化しておかないと怒られちゃいますからね」
「そうですか、では誰とも会ってないんですね?」
「……はい」
二階堂が真倉に目配せする。真倉は懐から分厚い検体袋を取り出し、陽子に突きつけた。
「これは……」
陽子の表情が曇る。二人の刑事は、それを見逃さなかった。
「津田暁斗さんのスマートホンです。とある山の麓でゴミ箱に捨てられていました」
二階堂が袋からスマホを取り出し、操作する。
「電源は切られていましたが、携帯会社に問い合わせると、直前まで記録されていたGPSの位置情報を追うことが出来ました」
「ここから数十キロ離れた花足山の近くまで行った所で、一旦GPSが切れています。その後、同じ場所でまたGPSが作動し、直後に再び消失している」
二階堂は慣れないスマホを懸命に操作しながら説明した。
「では、一度電源が切れて、また入れ直したんですね。途中で充電が切れたんでしょうか」
「それも可能性としてはありますが、この場合、津田暁斗さんはそのまま山に登ったと考えられます。そして通信環境が悪くなり一時的にGPSがロストした。山を降りると、再び通信が戻りGPSが作動したんでしょう」
「じゃあ、何で最後にもう一度電源を切る必要があったんですか?」
二階堂はようやく目的の操作を終えたようだ。
スマホの画面を陽子に向ける。
「それを貴女に聞きに来たんですよ。花宮陽子さん」
陽子と津田が二人で写っている写真が現れた。
それは、二人で出かけた際に撮ったものだった。
「写真の日付けは昨日になっています。言いたいことは分かりますよね」
二階堂と真倉が玄関の中まで入ってきた。後ろ手でそっとドアを閉める。
「……メールや通話の記録は消してくれているハズだったんですけどね」
陽子は、深い深い溜め息をひとつ吐いた。
「津田暁斗は何処に居るんですか?」
二階堂が厳しい口調で詰める。
「少しだけ待ってくれませんか? 鍋を火に掛けたままなんです」
「時間稼ぎは無駄ですよ。既に花足山の付近を捜索しています」
真倉の言葉を無視して、陽子はキッチンに戻った。その後を、刑事二人が着いてくる。
キッチンには芳しい料理の匂いが充満していた。鍋はクツクツと音を立て、曇った鍋蓋を揺らしていた。
陽子は鍋の火を止め、蓋を開けた。熱い湯気がもくもくと立ち上る。背後では、二人の刑事がその様子を見張っている。
「こっ……これは……」
「花宮! これはどういうことだ!」
刑事達は同時に悲鳴を上げた。
鍋の中には、煮たった人間の脳が入っていた。
二階堂の携帯が鳴る。視線を鍋に釘付けにされたまま、電話に出る。そして、二階堂の顔はますます蒼くなった。
「なに! 津田暁斗らしき遺体が見つかった? 開頭した痕跡あり、脳ミソが抜き取られているだと!?」
「あんた一体……彼に何をしたんだ!」
真倉は陽子の肩を掴んだ。陽子は笑っていた。
陽子は鍋の中身をスプーンで掬うと、一口頬張った。咀嚼する度に、全身が言い知れぬ幸福感で満たされるのを感じた。
私の肉体は私が食べたもので出来ている。これで私は、死ぬまで片時も彼と離れることはないだろう。
彼の全ては、この舌が確かに覚えている。私は何時でも彼を思い出すことが出来るのだ。
陽子はそっと目を閉じた。
今日は二人も有給で休んだせいで仕事が詰まっている。かといって、最近ではどの企業もコンプライアンスに敏感になっているので職員に無理強いは出来ない。
それに、有給の消化率は部長である長島自身の評価にも影響が出てしまうのだ、無下にはできないだろう。
「うーむ……」
長島は唸りながらパソコンを凝視していた。
「部長、お客様です」
部下が話しかけてきた。
「今日はそんな予定は入れてないぞ?」
パソコンに視線を落としたまま答える。
「特にアポイントはとってないようですね」
「なに? 何処の奴等だ、そいつらは」
「何処のと言うと……警察署? ですかね」
「えっ、警察!?」
長島はパソコンから視線を引き剥がした。
オフィスの入り口に、いつか見た二人の刑事が立っていた。
「今日は何の要件でしょうか? あいにく私は今手が塞がってまして、事情聴取なら先日話した通りで……」
「いやいや、今日はあなたに用があって来た訳じゃありません」
中年の刑事である二階堂が、長島の言葉を遮った。
「はぁ、では誰に用事があって来られたんですか?」
「津田暁斗さんはお手すきですかな?」
二階堂は言った。
「津田君ですか? 彼はあいにく今日は有給をとってますよ」
「じゃあ、連絡先を教えて貰えませんか? 部長のあなたなら把握しているでしょ」
真倉が長島に詰め寄る。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。急に言われましても、個人情報を勝手に教えてよいものか……」
長島は困惑していた。
「長島さん、彼が有給をとったのは今日だけですか?」
「いや、昨日から二連休の予定になっています」
「その間に彼と連絡は取りましたか?」
「いえ、特には……なぜそこまで彼にこだわるんです?」
長島の問いに、二階堂が神妙な面持ちで答えた。
「実は、失踪前の来栖彩に津田暁斗が接触していたと思われる証拠が出てきたんです」
「えっ! それはつまり」
二階堂が口元に指をあて、周りをキョロキョロと見渡す。
「あまり大きな声を出さないでください。まだ確定した訳ではありませんから」
「しかし、なぜそんなことが分かったんです?」
声のトーンを落とした長島が二階堂に尋ねる。
「街の防犯カメラを調べていたところ、二人と思われる人物が写っていました。近くの飲食店の店員の証言によると、何やら言い争っている雰囲気だったそうです」
「言い争っていた? あの二人、そんなに仲が悪かったかな?」
「津田さんの方はともかく、来栖さんの方は涙を流して感情的になっていたそうです。まぁ、男と女ですからね、いろいろあるでしょう」
二人の話を聞き、長島は表情を硬くした。
「……津田に連絡をとってみます」
長島はデスクの固定電話へ向かった。
津田は電話に出なかった。
「ダメです、繋がりません」
「結構です。直接自宅を訪ねてみますよ」
刑事達はそれだけ言うと、オフィスを出ていった。
キッチンの中、大きな鍋から熱い湯気が立ち上ってきた。黄金色のスープの中で、刻まれたタマネギやニンジン、セロリ達がぷくぷくと踊っている。
陽子はそれを見て満足げに微笑むと、ローリエの葉を一枚、それからレモンタイムも少し、鍋の中へ放り込んだ。アパートの狭いキッチンには、あっという間に爽やかな薫りが充満し、彼女の鼻腔を満たした。
「さて……と」
陽子は鍋の火加減を調整すると、隣に置いてあるレシプロソーを適当な場所に片付けた。そうして空いた場所に透明なボウルを持ってくる。
ボウルの中には薄紅色の物体が入っていた。
形を崩さないよう、ゆっくりとそれを取りだす。
両手に乗ったそれを、少しの間うっとりと見つめると、ゆっくり鍋の中へ沈めた。
鍋がグツグツ煮え始める。
それを聴くと彼女の胸も、言い得ぬ多好感に包まれていくのだった。
チャイムの音が鳴った。
せっかくの至福の一時に水を差され、陽子は苛立ちを感じた。
だが、客人が何者かは、だいたい見当がついている。
陽子は玄関まで行くと、ドアを開けた。
「お久しぶりです花宮さん、刑事の二階堂です。覚えてますよね?」
二階堂と真倉が並んで立っていた。
「厳密には刑事という役職は無いんじゃなかったんですか?」
「急ぎの用でして、多少の厳密性は気になさらないでください」
「急ぎ? どうかされたんですか?」
「単刀直入に言いますと、津田暁斗さんの行方が分からなくなりました」
「自宅アパートを訪問しましたが、不在でした。大家の証言では前日の朝に出ていったきり帰ってないそうです」
横から真倉が補足を入れる。
「私、携帯にかけてみましょうか?」
「結構です。携帯も繋がりませんでしたから」
「ではなぜ、私のところに?」
二階堂の目が鋭くなる。
「花宮さん、失礼ですが昨日は何処で何をされていたのですか?」
「私ですか? 特に何も、家にずっと居ました」
「わざわざ有給を取ったのに?」
「どこかで消化しておかないと怒られちゃいますからね」
「そうですか、では誰とも会ってないんですね?」
「……はい」
二階堂が真倉に目配せする。真倉は懐から分厚い検体袋を取り出し、陽子に突きつけた。
「これは……」
陽子の表情が曇る。二人の刑事は、それを見逃さなかった。
「津田暁斗さんのスマートホンです。とある山の麓でゴミ箱に捨てられていました」
二階堂が袋からスマホを取り出し、操作する。
「電源は切られていましたが、携帯会社に問い合わせると、直前まで記録されていたGPSの位置情報を追うことが出来ました」
「ここから数十キロ離れた花足山の近くまで行った所で、一旦GPSが切れています。その後、同じ場所でまたGPSが作動し、直後に再び消失している」
二階堂は慣れないスマホを懸命に操作しながら説明した。
「では、一度電源が切れて、また入れ直したんですね。途中で充電が切れたんでしょうか」
「それも可能性としてはありますが、この場合、津田暁斗さんはそのまま山に登ったと考えられます。そして通信環境が悪くなり一時的にGPSがロストした。山を降りると、再び通信が戻りGPSが作動したんでしょう」
「じゃあ、何で最後にもう一度電源を切る必要があったんですか?」
二階堂はようやく目的の操作を終えたようだ。
スマホの画面を陽子に向ける。
「それを貴女に聞きに来たんですよ。花宮陽子さん」
陽子と津田が二人で写っている写真が現れた。
それは、二人で出かけた際に撮ったものだった。
「写真の日付けは昨日になっています。言いたいことは分かりますよね」
二階堂と真倉が玄関の中まで入ってきた。後ろ手でそっとドアを閉める。
「……メールや通話の記録は消してくれているハズだったんですけどね」
陽子は、深い深い溜め息をひとつ吐いた。
「津田暁斗は何処に居るんですか?」
二階堂が厳しい口調で詰める。
「少しだけ待ってくれませんか? 鍋を火に掛けたままなんです」
「時間稼ぎは無駄ですよ。既に花足山の付近を捜索しています」
真倉の言葉を無視して、陽子はキッチンに戻った。その後を、刑事二人が着いてくる。
キッチンには芳しい料理の匂いが充満していた。鍋はクツクツと音を立て、曇った鍋蓋を揺らしていた。
陽子は鍋の火を止め、蓋を開けた。熱い湯気がもくもくと立ち上る。背後では、二人の刑事がその様子を見張っている。
「こっ……これは……」
「花宮! これはどういうことだ!」
刑事達は同時に悲鳴を上げた。
鍋の中には、煮たった人間の脳が入っていた。
二階堂の携帯が鳴る。視線を鍋に釘付けにされたまま、電話に出る。そして、二階堂の顔はますます蒼くなった。
「なに! 津田暁斗らしき遺体が見つかった? 開頭した痕跡あり、脳ミソが抜き取られているだと!?」
「あんた一体……彼に何をしたんだ!」
真倉は陽子の肩を掴んだ。陽子は笑っていた。
陽子は鍋の中身をスプーンで掬うと、一口頬張った。咀嚼する度に、全身が言い知れぬ幸福感で満たされるのを感じた。
私の肉体は私が食べたもので出来ている。これで私は、死ぬまで片時も彼と離れることはないだろう。
彼の全ては、この舌が確かに覚えている。私は何時でも彼を思い出すことが出来るのだ。
陽子はそっと目を閉じた。
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