脳食願望

顎(あご)

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脳食願望⑨

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 スコップは失くなっていた……

 何度も何度も思考を巡らせたが、この事実は揺るがないようだった。
 そして大きな問題が二つある。
 一つは、スコップは来栖彩の遺体が埋まっている真上に放置されていたと思われ、さらに私の指紋がベッタリ付いていること。
 もう一つは、あの場所から自然にスコップが移動するなんて考えられず、誰かが持ち去った公算が高いことだ。
 もし調べられれば、私が来栖殺しの犯人だという動かぬ証拠になるだろう。

 考えても考えても、陽子にとって不利な要素しか出てこない。
 
 あぁ……、私ってなんてバカなの……。

 陽子は職場のデスクに突っ伏した。
 今日一日、悩みっぱなしで録に仕事もできていない。
 上司からはミスを注意され、同僚からは心配されながらもう一日経とうとしていた。
 
 来栖彩を殺害した当初は、漠然とした余裕があった。特に証拠を残した訳でもないし……。
 でもいざ、ヘマをやらかして危機が迫ると、けっこう堪えるものだな……。
 陽子は自分の脆さを再確認させられたような気がした。

 やがて終業時間になった。
 陽子はデスクから体を引き剥がすように立ち上がると、いつものように駅へ向かって歩く。

 アスファルトを眺めながら考えるのは、やはりあのスコップの行方だ。

 「花宮さん」誰かが陽子を呼び止めた。

 陽子はフラリと声のする方へ振り向いた
 立っていたのは、津田暁斗だった。
 
 整った甘いマスクは今日も健在のようだった。それに比べ、今の私はたぶん酷い顔をしているだろうな……。

 「どうしたの? 」陽子は努めて平静を装いながら応えた。

 「少し、お話があります」
 津田は何故か声を潜め、神妙な面持ちで言った。
 「大事な話なんです、出来れば人気のない場所で話したいんですが……」
 
 はて、なんの話だろう……。
 陽子には皆目見当がつかなかった。しかし、津田の意味ありげな様子に、静かに頷くしかなかった。

 結局二人は、会社のオフィスまで引き返して来た。
 職員用の給湯室は、うら寂しく静まり返っている。
 みんな退勤してしまっているので当たり前だが、人の活気が失くなったオフィスというのはどこかすすけて見える。
 ここに来る途中津田は「渡すものがあるので」と、どこかに何かを取りに行ってしまった。
 一人で手持ち無沙汰になった陽子は、とりあえずコーヒーでも淹れながら待つことにした。

 数分して、津田が帰ってきた。
 なぜかナップザックを背負っている 。

 「お待たせしました……」
 津田は周囲を気にしながら、給湯室に入ってきた。
 「なに持ってきたの? それ」
 陽子はコーヒーをカップに注ぎながら尋ねた。
 「これを花宮さんにお返ししようと思って」
 津田はザックを陽子に差し出した。
 陽子はそれを受け取る。
 重たく……金属っぽい感触がある。

 陽子は中を覗く……、そこには、折り畳み式のスコップが入っていた。

 紛れもなく、陽子が来栖彩の死体を埋めるのに使ったあのスコップだ。

 陽子は咄嗟に、ザックの口を閉じた。そして恐る恐る津田の顔を見る。
 津田は口を固く結び、自分から視線を逸らしていた。
 陽子は、その表情の意味を抽出しようとするが、結局それは叶わなかった。
「どうして……?」
 真っ白になった頭の中で、なんとかそれだけ絞り出すことができた。

 「それは、なぜ僕がこれを持っているかという意味ですか? それとも……」
 「両方よ……」陽子は息が詰まりそうだった。心臓がバクバクと脈打っている、それに反して、体からは血の気が引いていく……。

 津田は、ゆっくりと顔を上げ陽子と視線を合わせた。
 
 「本当は黙っておくつもりでした。誰にも言わず、墓場まで持っていこうと……、でも」
 津田はおもむろに陽子の手を握った。その手は小さく振るえているようだった。

 「花宮さん……このままでは、あなたは捕まってしまいます!」
 
「え……?」それは、陽子の意表を突く言葉だった。てっきり来栖殺しを糾弾されるか、そのまま警察に突きだされるかのどちらかだろうと思っていたからだ。
 
「よく聞いてください、あの死体はあのままあそこにあってはマズいんです!」
 
 
 

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