4 / 45
1.宙道(シノイ)(4)
しおりを挟む
(ラズーンの神々よ!)
ユーノは唇を噛み、どこへ続くともわからぬ宙道(シノイ)の中を、ヒストの背中に身を伏せて、一路、スォーガにあるという出口を求めて速度を上げる。
追手は徒歩が多かった。追いすがってくるとすれば、あの『運命(リマイン)』の王、ギヌア・ラズーンのみだろう。
耳の奥で心臓の鼓動が鳴り続けている。恐怖と不安、全力疾走にべっとりと汗で濡れたヒストの体から、獣の臭いを伴った湯気が立ちのぼっている。
(頼むよ、ヒスト)
心の中でユーノはずっと呟いている。
早く、早く。
一刻でも早く。
遠く、遠く。
たとえ一歩でも、アシャ達から離れて遠くへ。
明るさの差異のない宙道(シノイ)の中をただひたすらにヒストを急がせていると、走っているのか止まっているのか、次第に感覚が麻痺してくる。
喘ぐような自分の呼吸とヒストの荒々しい鼻息、汗で濡れた自分の体とヒストの体温、それらが溶け合い、溶かし合って、いつしかユーノはどこかぼんやりととした透明な境地に漂い始める。
駆けて駆けて駆けて。
全ての運命を置き去りにして、ただ未来へと駆け抜けて。
「っ!」
ふいに、左前方に光が見えた。ヒストが眩さに驚きたじろぎ、棒立ちになる。
「、落ち着けっ」
かろうじてしがみつき、ユーノは一瞬息を呑んでから低く吐いた。激しく首を振って暴れかけたヒストがびくっとしたように前足を降ろし、再びぶるるるっ、と首を振って蹄を鳴らす。乱れた息を弾ませながら、なおも戸惑うようだったが、ユーノの指示にゆっくりとそちらの方へ進み始めた。
「ようし、ほう」
次第に速度を上げて近づき、やがて再び速度を落として、白く丸く開いた洞窟からの出口のような境で立ち止まる。
「ふ…ぅっ…」
外に広がった光景に、思わず詰めていた息を吐いた。
空は曇天の灰色の布を垂れ下がらせ、今にも雨が降ってきそうだ。地面には赤茶けた草が一面にそよぎ、湿った風が水の匂いを運んで来ている。耳を澄ませば、どおおおっ……という重い音が遠くから聞こえてくる。滝か、巨大な川でもあるのだろうか。遠く彼方には青水色の山々がぼんやりと霞んで見えている。
「………行こう」
促すと、馬は宙道(シノイ)の入り口をそろそろと出た。興味深そうに草を踏みしめ、近くの岩棚に咲いている、鈍い紅の花の匂いを嗅ぐ。
「ここがスォーガかな」
ユーノは周囲を見回し、それから背後も振り返ってみた。出口はどこかと捜したが、こちらからではもう見えないのか、どこにも穴さえ開いている様子がない。途中まで確かに引き寄せていたように思っていた追手の気配も消えている。
そう気づくと、ふいに堪え難い眠気が体を襲ってくるのを感じた。
「ちょっと休んでいこうか、アシャ…」
思わず呼びかけ、ユーノは固まった。
答えはない。
かぜがゆるゆると吹くだけだ。
「アシャ、か」
ユーノは苦笑した。
アシャはいない。レスファートも、イルファもいない。
ユーノの回りには、もう、誰もいない。
ぞくりと寒気が背筋を這い上がった。
(一人…なんだな)
「情けないぞ、しっかりしろ、ユーノ」
声に出して自分を叱った。
「もう、一人で生きていけなくなったのか?」
(もう、あの仲間といることに慣れてしまったのか?)
そうなんだ、寂しいよ。
そう心のどこかが答えたが、ユーノは強いてそれを無視した。
「よし、ヒスト!」
声をかけ、馬を進める。
岩棚の向こうに回り込むと、そこは小さく囲まれた平地になっていた。岩を背にすれば、すぐに襲われることはないだろう。
ユーノは溜め息をつき、剣を引き寄せ、ヒストの上で体を倒した。
(久しぶりだな、こうやって眠るの)
目を閉じると、ひしひしと寒い感覚が迫ってくる。
生まれて初めて感じる、深い孤独感だった。
(いまさら、何を? ……いつも一人だったじゃないか……いつも、ずっと……そうだ、ずっと)
自分はずいぶん弱くなった。
浅い眠りに入る直前、ユーノはそう心の中で呟いていた。
ユーノは唇を噛み、どこへ続くともわからぬ宙道(シノイ)の中を、ヒストの背中に身を伏せて、一路、スォーガにあるという出口を求めて速度を上げる。
追手は徒歩が多かった。追いすがってくるとすれば、あの『運命(リマイン)』の王、ギヌア・ラズーンのみだろう。
耳の奥で心臓の鼓動が鳴り続けている。恐怖と不安、全力疾走にべっとりと汗で濡れたヒストの体から、獣の臭いを伴った湯気が立ちのぼっている。
(頼むよ、ヒスト)
心の中でユーノはずっと呟いている。
早く、早く。
一刻でも早く。
遠く、遠く。
たとえ一歩でも、アシャ達から離れて遠くへ。
明るさの差異のない宙道(シノイ)の中をただひたすらにヒストを急がせていると、走っているのか止まっているのか、次第に感覚が麻痺してくる。
喘ぐような自分の呼吸とヒストの荒々しい鼻息、汗で濡れた自分の体とヒストの体温、それらが溶け合い、溶かし合って、いつしかユーノはどこかぼんやりととした透明な境地に漂い始める。
駆けて駆けて駆けて。
全ての運命を置き去りにして、ただ未来へと駆け抜けて。
「っ!」
ふいに、左前方に光が見えた。ヒストが眩さに驚きたじろぎ、棒立ちになる。
「、落ち着けっ」
かろうじてしがみつき、ユーノは一瞬息を呑んでから低く吐いた。激しく首を振って暴れかけたヒストがびくっとしたように前足を降ろし、再びぶるるるっ、と首を振って蹄を鳴らす。乱れた息を弾ませながら、なおも戸惑うようだったが、ユーノの指示にゆっくりとそちらの方へ進み始めた。
「ようし、ほう」
次第に速度を上げて近づき、やがて再び速度を落として、白く丸く開いた洞窟からの出口のような境で立ち止まる。
「ふ…ぅっ…」
外に広がった光景に、思わず詰めていた息を吐いた。
空は曇天の灰色の布を垂れ下がらせ、今にも雨が降ってきそうだ。地面には赤茶けた草が一面にそよぎ、湿った風が水の匂いを運んで来ている。耳を澄ませば、どおおおっ……という重い音が遠くから聞こえてくる。滝か、巨大な川でもあるのだろうか。遠く彼方には青水色の山々がぼんやりと霞んで見えている。
「………行こう」
促すと、馬は宙道(シノイ)の入り口をそろそろと出た。興味深そうに草を踏みしめ、近くの岩棚に咲いている、鈍い紅の花の匂いを嗅ぐ。
「ここがスォーガかな」
ユーノは周囲を見回し、それから背後も振り返ってみた。出口はどこかと捜したが、こちらからではもう見えないのか、どこにも穴さえ開いている様子がない。途中まで確かに引き寄せていたように思っていた追手の気配も消えている。
そう気づくと、ふいに堪え難い眠気が体を襲ってくるのを感じた。
「ちょっと休んでいこうか、アシャ…」
思わず呼びかけ、ユーノは固まった。
答えはない。
かぜがゆるゆると吹くだけだ。
「アシャ、か」
ユーノは苦笑した。
アシャはいない。レスファートも、イルファもいない。
ユーノの回りには、もう、誰もいない。
ぞくりと寒気が背筋を這い上がった。
(一人…なんだな)
「情けないぞ、しっかりしろ、ユーノ」
声に出して自分を叱った。
「もう、一人で生きていけなくなったのか?」
(もう、あの仲間といることに慣れてしまったのか?)
そうなんだ、寂しいよ。
そう心のどこかが答えたが、ユーノは強いてそれを無視した。
「よし、ヒスト!」
声をかけ、馬を進める。
岩棚の向こうに回り込むと、そこは小さく囲まれた平地になっていた。岩を背にすれば、すぐに襲われることはないだろう。
ユーノは溜め息をつき、剣を引き寄せ、ヒストの上で体を倒した。
(久しぶりだな、こうやって眠るの)
目を閉じると、ひしひしと寒い感覚が迫ってくる。
生まれて初めて感じる、深い孤独感だった。
(いまさら、何を? ……いつも一人だったじゃないか……いつも、ずっと……そうだ、ずっと)
自分はずいぶん弱くなった。
浅い眠りに入る直前、ユーノはそう心の中で呟いていた。
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
夫を愛することはやめました。
杉本凪咲
恋愛
私はただ夫に好かれたかった。毎日多くの時間をかけて丹念に化粧を施し、豊富な教養も身につけた。しかし夫は私を愛することはなく、別の女性へと愛を向けた。夫と彼女の不倫現場を目撃した時、私は強いショックを受けて、自分が隣国の王女であった時の記憶が蘇る。それを知った夫は手のひらを返したように愛を囁くが、もう既に彼への愛は尽きていた。
別に構いませんよ、離縁するので。
杉本凪咲
恋愛
父親から告げられたのは「出ていけ」という冷たい言葉。
他の家族もそれに賛同しているようで、どうやら私は捨てられてしまうらしい。
まあいいですけどね。私はこっそりと笑顔を浮かべた。
【完】あの、……どなたでしょうか?
桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー
爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」
見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は………
「あの、……どなたのことでしょうか?」
まさかの意味不明発言!!
今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!!
結末やいかに!!
*******************
執筆終了済みです。
【完結】私だけが知らない
綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。
やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。
記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話
ラララキヲ
恋愛
長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。
初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。
しかし寝室に居た妻は……
希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──
一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……──
<【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました>
◇テンプレ浮気クソ男女。
◇軽い触れ合い表現があるのでR15に
◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。
◇ご都合展開。矛盾は察して下さい…
◇なろうにも上げてます。
※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる