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7.あるべきところへ
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鹿子が目を開けると、白い天井一杯に陽光が広がっていた。ゆっくりと目を動かすと、覗き込んでいる両親の顔が見えた。
「鹿子!」
「鹿子! 気がついたのか!」
「お父さん……お母さん……」
「二日も意識が戻らないから……やっぱり、あんな時間にすすむ君のお見舞いなんか行かせなきゃ良かったって……」
話しながら涙ぐみ、ついには泣き崩れてしまった母親の顔には、もう般若の影はない。
(そうよね……あれは……六歳の『記憶』……!)
心の中で呟いて、鹿子はぎくりとした。
疑問をそのまま口に出す。
「すすむのお見舞いって……?」
母親と父親が不安そうに顔を見合わせる。やがて訝るように、母親がそろそろとことばを紡いだ。
「ほら……あの……映画館の所で事故だか何だか起こって……すすむ君がそれに巻き込まれて………しばらく学校を休んで………鹿子、心配だからお見舞いに行くって……夕方になってから出たのよ?」
最後は教えるような口調になった。
「どうしたんだ? 覚えていないのか?」
父親も慌てたように口を出す。
「映画館の所で……事故……?」
事故ではない。あれは『記憶』が現れて………『炎』と『瞳』が闘って………それから……すすむが連れ去られて………。
鹿子の頭の中でゆらゆら『記憶』が揺れた。
(あの妙な建物や………『炎』や………光の塔………すすむが…VAKUだったこと………夢……? お母さんがあたしを殺しかけたのも……夢………なの?)
「おい、もう一回、医者に診てもらうように頼んで来い」
「ええ…そうします…」
父親が促し、母親が戸口に走る。それを目で追って、呼びかけた。
「お母さん……?」
「え、なあに?」
振り返った母親に、鹿子は我に返ってうろたえた。何を尋ねるつもりだったのか。六歳の時、彼女の首を絞めたか、とでも?
気まずい沈黙を、ドアを開けて入って来た姿が破った。入れ違いに出て行った母親が廊下で、先生、ちょっと、と声を上げるのが聞こえる。
「鹿子……? 気がついたのか…!」
(すすむ!)
いつも通りのどこか眠そうな口調を僅かに明るませて声をかけてくる、そのすすむの姿を、鹿子はまじまじと見つめた。
続いて入ってきた医者や看護師が、鹿子にあれこれ質問し、脈や血圧を測り、丁寧に診察し始めるのも、上の空で応対した。一通り、異常がないのを確かめて医者達が出て行くと、鹿子はすすむに尋ねたいことではちきれそうになった。
それと察したすすむが、相変わらずの柔らかさで、
「あ……おばさん、おじさん、ぼく……鹿子ちゃん……見てますから」
「でも……」
「あ、ああ、そうか、そうだな。行こう」
父親がようやく気づいて同意し、母親を連れて部屋の外に出る。それを見送ったすすむは、ドアが締まって人の気配が遠ざかるのを待っていたように、ゆっくり鹿子を振り向いてにこりと笑った。
「おはよ……よく寝てた、ね?」
「すすむ……何、どうなってんの?」
鹿子は混乱したまま問いかけた。
「今の何? ……夢? どこが? どこから? ……大体、あんた…」
「ぼく? ……ぼくはね……VAKUだよ」
さらりと答えたあまりのさりげなさに、一瞬、ことばの意味を理解出来なかった。すすむの顔を凝視する。茶色の瞳を凝視する。
『VAKUは「記憶」を操作できる』
いつかのことばを思い出す。
「消した……の?」
「そう……数日分ね。結構大変だった。………元の時間から言えば、二、三日ずれてることになるけど……人間皆が忘れてる場合、それに意味がるのかな」
くすりと笑った顔に、蘇った『記憶』の六歳のすすむの笑みを思い出した。そっと、宝物のことを話すように微かな声で言ってみる。
「すすむ…」
「ん?」
「あたし……思い出した……」
一瞬、すすむの顔が厳しく暗く引き締まった。その顔に見惚れながら、鹿子は続けた。
「すすむがどうして……あたしの側にいてくれたのか……」
「あ……ああ」
責められるとばかり思っていたのか、緊張を高めていたすすむの顔が惚けた。自分を見つめる鹿子の視線の意味にふいに気づいたように、淡い紅がすすむの頬を染めていく。
「護ってて……くれたんだ?」
その後を鹿子は呑み込んだ。
護っててくれたんだ、自分の傷みと引き換えに。
「じゃあ……」
すすむが照れくさそうに目を逸らせ、天井あたりを仰いだ。
「理由がわかってもらえたってことで……浮気は……公認……かな?」
ちらりと鹿子に目を落とす。その仕草の可愛らしさに、鹿子はくすくす笑った。
「だーめ」
おやおや、と気障っぽく肩を竦める相手に付け加える。
「でも、もう一度、キス、してくれたら、考えてもいい」
ぴくん、とすすむの顔が引き攣った。が、鹿子が単なる冗談で言っているのではないと気づくと、真面目な顔になって目を伏せ、少し顔を近づけた。進の動作に誘われるように、鹿子も体を越して目を伏せる。
二人の顔が近づいてもう少しで唇が重なる寸前、派手な音をたてて、病室のドアが開いた。
「すすむ! いるぅっ」
「あ、いたーっ。きゃーん、お見限りっ」
「寂しかったよおっ。どこに雲隠れしてたのさっ」
きゃあきゃあとけたたましい声を上げて入って来た数人の女が、口々に文句を言い、それでも再会を喜びながらすすむに絡まる。呆気にとられていた鹿子は、見覚えのある黒い下着の女がこれみよがしにすすむの頬にキスするのに、完全に切れた。
「……どーいうことよ」
地獄の亡者並みのドスのきいた暗い声ですすむに尋ねる。
すすむは迫って来る女達をあれやこれやとあしらいながら、
「……さあ………どうやら……放出口が戻ったんで……VAKUとしての魅力が上がった、みたいだけど」
にやり。
十二分にしたたかな、鹿子の気持ちを逆撫でする笑顔で振り向いた。
「あんた……って……奴……は……」
ベッドの上に半身起こしたまま、取り残された鹿子の体が震え出す。病み上がりということばなんてどこへやら、拳を握りしめて一言、最大ボリューム、パワー全開で叫んだ。
「百回ぐらい死んでこいっっっっ!!」
おわり
「鹿子!」
「鹿子! 気がついたのか!」
「お父さん……お母さん……」
「二日も意識が戻らないから……やっぱり、あんな時間にすすむ君のお見舞いなんか行かせなきゃ良かったって……」
話しながら涙ぐみ、ついには泣き崩れてしまった母親の顔には、もう般若の影はない。
(そうよね……あれは……六歳の『記憶』……!)
心の中で呟いて、鹿子はぎくりとした。
疑問をそのまま口に出す。
「すすむのお見舞いって……?」
母親と父親が不安そうに顔を見合わせる。やがて訝るように、母親がそろそろとことばを紡いだ。
「ほら……あの……映画館の所で事故だか何だか起こって……すすむ君がそれに巻き込まれて………しばらく学校を休んで………鹿子、心配だからお見舞いに行くって……夕方になってから出たのよ?」
最後は教えるような口調になった。
「どうしたんだ? 覚えていないのか?」
父親も慌てたように口を出す。
「映画館の所で……事故……?」
事故ではない。あれは『記憶』が現れて………『炎』と『瞳』が闘って………それから……すすむが連れ去られて………。
鹿子の頭の中でゆらゆら『記憶』が揺れた。
(あの妙な建物や………『炎』や………光の塔………すすむが…VAKUだったこと………夢……? お母さんがあたしを殺しかけたのも……夢………なの?)
「おい、もう一回、医者に診てもらうように頼んで来い」
「ええ…そうします…」
父親が促し、母親が戸口に走る。それを目で追って、呼びかけた。
「お母さん……?」
「え、なあに?」
振り返った母親に、鹿子は我に返ってうろたえた。何を尋ねるつもりだったのか。六歳の時、彼女の首を絞めたか、とでも?
気まずい沈黙を、ドアを開けて入って来た姿が破った。入れ違いに出て行った母親が廊下で、先生、ちょっと、と声を上げるのが聞こえる。
「鹿子……? 気がついたのか…!」
(すすむ!)
いつも通りのどこか眠そうな口調を僅かに明るませて声をかけてくる、そのすすむの姿を、鹿子はまじまじと見つめた。
続いて入ってきた医者や看護師が、鹿子にあれこれ質問し、脈や血圧を測り、丁寧に診察し始めるのも、上の空で応対した。一通り、異常がないのを確かめて医者達が出て行くと、鹿子はすすむに尋ねたいことではちきれそうになった。
それと察したすすむが、相変わらずの柔らかさで、
「あ……おばさん、おじさん、ぼく……鹿子ちゃん……見てますから」
「でも……」
「あ、ああ、そうか、そうだな。行こう」
父親がようやく気づいて同意し、母親を連れて部屋の外に出る。それを見送ったすすむは、ドアが締まって人の気配が遠ざかるのを待っていたように、ゆっくり鹿子を振り向いてにこりと笑った。
「おはよ……よく寝てた、ね?」
「すすむ……何、どうなってんの?」
鹿子は混乱したまま問いかけた。
「今の何? ……夢? どこが? どこから? ……大体、あんた…」
「ぼく? ……ぼくはね……VAKUだよ」
さらりと答えたあまりのさりげなさに、一瞬、ことばの意味を理解出来なかった。すすむの顔を凝視する。茶色の瞳を凝視する。
『VAKUは「記憶」を操作できる』
いつかのことばを思い出す。
「消した……の?」
「そう……数日分ね。結構大変だった。………元の時間から言えば、二、三日ずれてることになるけど……人間皆が忘れてる場合、それに意味がるのかな」
くすりと笑った顔に、蘇った『記憶』の六歳のすすむの笑みを思い出した。そっと、宝物のことを話すように微かな声で言ってみる。
「すすむ…」
「ん?」
「あたし……思い出した……」
一瞬、すすむの顔が厳しく暗く引き締まった。その顔に見惚れながら、鹿子は続けた。
「すすむがどうして……あたしの側にいてくれたのか……」
「あ……ああ」
責められるとばかり思っていたのか、緊張を高めていたすすむの顔が惚けた。自分を見つめる鹿子の視線の意味にふいに気づいたように、淡い紅がすすむの頬を染めていく。
「護ってて……くれたんだ?」
その後を鹿子は呑み込んだ。
護っててくれたんだ、自分の傷みと引き換えに。
「じゃあ……」
すすむが照れくさそうに目を逸らせ、天井あたりを仰いだ。
「理由がわかってもらえたってことで……浮気は……公認……かな?」
ちらりと鹿子に目を落とす。その仕草の可愛らしさに、鹿子はくすくす笑った。
「だーめ」
おやおや、と気障っぽく肩を竦める相手に付け加える。
「でも、もう一度、キス、してくれたら、考えてもいい」
ぴくん、とすすむの顔が引き攣った。が、鹿子が単なる冗談で言っているのではないと気づくと、真面目な顔になって目を伏せ、少し顔を近づけた。進の動作に誘われるように、鹿子も体を越して目を伏せる。
二人の顔が近づいてもう少しで唇が重なる寸前、派手な音をたてて、病室のドアが開いた。
「すすむ! いるぅっ」
「あ、いたーっ。きゃーん、お見限りっ」
「寂しかったよおっ。どこに雲隠れしてたのさっ」
きゃあきゃあとけたたましい声を上げて入って来た数人の女が、口々に文句を言い、それでも再会を喜びながらすすむに絡まる。呆気にとられていた鹿子は、見覚えのある黒い下着の女がこれみよがしにすすむの頬にキスするのに、完全に切れた。
「……どーいうことよ」
地獄の亡者並みのドスのきいた暗い声ですすむに尋ねる。
すすむは迫って来る女達をあれやこれやとあしらいながら、
「……さあ………どうやら……放出口が戻ったんで……VAKUとしての魅力が上がった、みたいだけど」
にやり。
十二分にしたたかな、鹿子の気持ちを逆撫でする笑顔で振り向いた。
「あんた……って……奴……は……」
ベッドの上に半身起こしたまま、取り残された鹿子の体が震え出す。病み上がりということばなんてどこへやら、拳を握りしめて一言、最大ボリューム、パワー全開で叫んだ。
「百回ぐらい死んでこいっっっっ!!」
おわり
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