『そして、別れの時』〜『猫たちの時間』13〜

segakiyui

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1.猫たちの時間

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「おはようございます」
「あ、おはよう」
「今朝はお早いですね」
「うん……ちょっとな」
 食堂に入ったところで穏やかに声をかけて来た高野に笑い返しながら、恐る恐る正面の席の周一郎の様子を窺う。
 いつもなら、俺が入ってくるとほとんど同時に顔を上げ、人懐っこい笑みを浮かべて、「おはようございます、滝さん」と返ってくる反応はなかった。黙々と左手の新聞に目を落とし、右手でコーヒーカップを持ち上げている。こちらをちらりとも見ない眼にはサングラス、ちぇっ、そんなので新聞が読めるのかよ。
「どわっ!!」
 びたんっ!
「滝様!」
「あ…あは…あ、大丈夫。うん大丈夫。ほら大丈夫」
 周一郎の反応に気を取られていた俺は、次の瞬間、椅子に蹴躓いて勢いよく前にのめって倒れていた。ヘラヘラ笑いながら起き上がると、高野は手近のテーブルクロスと調味料入れをしっかり押さえている。まあ、無理もない。なにせ、年代物の皿を5枚割ったのは、ついこの間のことだ。
「あはははっ」
「お怪我は…」
「いや、だい…」
「あるはずないでしょう」
 俺の答えを、黙っていた周一郎が冷たい口調で横取りした。手にしたカップから淡々とコーヒーを一口、相変わらず俺の方は見ずに、
「毎度のことなんだから」
「坊っちゃま…」
「お…おい……そりゃ、俺がこけるのは毎度かも知れないが…」
「が?」
 ひどい言われようだな、と言いかけた俺の口を、周一郎は一言で封じた。きらっ、とサングラスの奥から鋭い眼を煌めかせて凝視する。殺気を感じて、俺は慌てて首を振った。
「いえ、はい、怪我もしません、ごめんなさい」
「…」
 周一郎は冷たい表情で俺を見続けた。無言の圧力が痛いぐらいに加わってくる。サングラスをしてくれててよかった、裸眼だったら俺はとっくの昔に圧死しているはずだ。しばらくの凝視の後、ようやく周一郎が眼を伏せ、俺はほっと溜息をついて椅子に腰掛けた。おろおろしている高野に、肩を竦めて見せる。
 そうだ、こいつのせいもあったのだ、昨夜の俺の不眠症は。
 心の中でぼやいて、俺はちらっと周一郎を見た。整い過ぎるほど整った三つ揃い、朝っぱらからネクタイもきちんと締めた上には、これまた腹の立つほど端整な顔がある。少々のことでは動きもしない表情と冷徹な遣り口で『氷の貴公子』と呼ばれる男の年齢が、まだ21と言うのだから神様のえこひいきも甚だしい。
 だが、こいつがその仮面を取り落とす瞬間を、俺は何度となく見てきた……いや、そうじゃない。
 俺には初めっから仮面が見えなかった。確かに素っ気なさに苛立ち、冷たさに怒りはした。けれど、俺の中のもう一人の俺は、いつもこいつの素顔を見ていた気がする。驚くほど優しい、優しいから傷つきすぎて、頑なに閉じるしか術を知らなかった朝倉周一郎という人間を。
「あ、どうも」
 高野が淹れてくれたコーヒーを含みながら、俺は数日前の周一郎を思い出していた。


「えっ…」
 周一郎はぎょっとしたように振り返った。
「んー…だからさ…」
 俺はソファの中でもじもじと体を動かした。
「お前、仕事探してくれるって言ってただろ? あれ、いいよ」
「……どうして?」
 本棚の前、必要な本を取り出した周一郎は、手に2冊持ったまま、じっと俺を見つめていたが、やがて妙に幼い頼りなげな問いを返した。
「…他に何か…『当て』があるんですか……?」
 掠れた声で続ける。
「いや、その…当てってほどの当て、でもないんだがな」
 俺はへらへらと照れ笑いをした。当てどころじゃない。地獄に下がった蜘蛛の糸よりも細い、力を入れれば切れそうな糸しかない。
「ちょっと、その前に色々やっておきたいことがあって……。……周一郎?」
 びくっ、と周一郎が身を竦め、俺の方がどきりとした。サングラスをかけていない深い黒の瞳が、なぜだ、と問いかけているように見えた。どうして? 急に? ここから出て行くのか? いつ? そう、矢継ぎ早の質問が飛んでくるだろうと覚悟した俺に、周一郎は身を固くしてこちらを見ているだけだった。元々年齢よりは2、3歳下に見える顔が、一層子どもじみた表情になっている。それがなぜか、置き去られるのを知っている捨て子のように見えてひやりとし、慌ててことばを継いだ。
「あ、あのさ、今すぐにってことじゃないんだ。その、色々やることがあるって言ったろ? その間はここに置いてもらわなきゃならないし…………あ」
 言ってからしまったと思ったが後の祭りだった。出て行くと宣言してしまったようなものじゃないか。息を呑んで相手を見つめる。もしうまく行かなきゃ、俺はここを出て、どこへ行けばいいんだ。
 だが、周一郎の反応は予想外だった。はっと我に返ったように目を見開き、次の瞬間見る見る赤くなったかと思うと、くるりと背を向けた。
「どうぞ、ご自由に」
「周一郎?」
 そりゃあ、こいつの突発性赤面症に慣れはしているが、今度のは全く訳がわからないぞ。こいつが動揺するのは自分のミスを悟られたり指摘されたりした時だが、今は俺は何も言ってないはずだ、周一郎が落ち込むようなことを。
「おい?」
「……どうせ、僕はあなたじゃないんですから」
「……何言ってんだ? お前」
「好きなようにすればいいでしょう。大体、僕が居てくれって頼んだわけじゃない……っ!」
 唐突に周一郎は口を噤んだ。
「???」
 居てくれと頼んだ? 『遊び相手』の契約か? 世話になっているのは俺だよな?
「…調べ物が……あるんです」
 首を傾げる俺に、周一郎は再び唐突に話題を変えた。
「は?」
「…」
「あ、出て行くのね、はいはい」
 冷ややかな眼が振り返り、俺は追い出されるように部屋を出た……。

(あれからだよな)
 もう一度溜息をついて、トーストに噛り付いた。香ばしい匂いとサクッとした歯ざわりが口の中で溶け合うのも待たず、多少自棄気味に次々パクつく。
 あの夜から今日まで、周一郎は俺に対して露骨に冷ややかな態度を取り続けている。おはようもなきゃ、おやすみもない。これじゃあ、初めの頃の方がまだ可愛げがあったぐらいだ。
 けど、俺が何をやったってんだ? 仮にも27の成年男子が、友人とはいえ歳下に世話になっているのはまずいんじゃないかと思って、自立しようとしただけじゃないか。遅かれ早かれ、俺はこの家から出て行かなきゃならない時が来る。今度のことはきっかけだったに過ぎない。で、どうしてそれで、周一郎に冷たい扱いをされなきゃならない? どうにも納得いかない、理不尽でスッキリしない。それに加えて、浅田の手紙のあれやこれや、悩んでいるうちに夜は更けて、そのままソファで一眠り……というわけだ。
「ふ…ふえっくしょいっ!」
「滝様……お風邪ですか?」
「さぁ…昨日、ソファで寝たからな…」
 答えながらコーヒーカップを持ち上げた俺の眼と、どうやらずっとこちらを見ていたらしい周一郎の眼が合った。とっさにどう反応すればいいか分からずに、に、にこ、と引きつりながらも友好的な笑みを投げてみる。が、セカンド・コンタクトも敢え無く失敗した。
「顔面神経痛もありそうですね」
 冷たい表情で目を伏せた周一郎が言い捨てる。
「…あ…うん…そうかもな……」
 俺は曖昧に頷いた。
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