『闇を闇から』

segakiyui

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第3章

7.恋愛(4)

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 眼鏡の奥で怯えた瞳が潤みながら揺れている。保護を求め、支えを望み、そろそろと近付いてくるその顔に微笑む。
「やけどしなかった?」
 ハンカチを取り出し、京介の首や髪に飛んだ薄茶色の雫を拭き取った。俯きがちに首を晒す、その根元近くに大輔に吸い付かれて滲むように薄赤く染まった皮膚も、静かにそっと拭ってやり、それから指先で撫でてやる。
「は、ぁ」
 小さく息を吐いて京介が肩に額を乗せてきた。
 震えが肩から伝わってくる。寄り添って温かなはずの体が緊張に冷え切って、竦めて小刻みに震えている体の奥から絞るように小さな声が響いた。
「美並…」
 両腕を垂らしたまま、しがみついてもこないのは、その疲弊を現すようで。
 痛々しくて、胸が辛い。
 絶対の安心を伝えたい。
 揺らがぬ気持ちを届けたい。
 美並に見えている、京介の中の美しい刃の存在を、ことばを尽して知らせたい。
 けれどそれは、信頼の上に成り立つものだ。
 京介が美並の側に居ることを選んでくれなくてはならない。
 この先何度京介が、揺れて怯んで逃げ出しても、美並が必ず京介を受け止めることを信じてくれなくてはならない。
 そして、その信頼こそは、誰にも無理に築けない、それこそ美並にも。
 ただ、京介、以外には。
 待つしかない。
 京介が、美並を信じてくれるのを。
 それはつまり、京介が自分自身を信じることに他ならないから。
 それが、この虚しくて悲しいやりとりで唯一豊かに実る結果だから。
「みなみ…っ」
 滲んだ声が呻く。
 信じて。
 祈る。
 どうか私を。
 あなたが見つけられないものでも、私がきっと見つけてみせる。
 あなたが探せない可能性でも、私が必ず探し出してみせる。
 そして、信じて。
 あなたの中にある、本当の光を。
「…そ…か」
 ふいに、京介の体が弛んだ。
 柔らかく解けた気配と同時に、美並の肩がじんわりと湿って温まる。
 のろのろと両腕が上がり、美並の腕にそっと触れた、まるでそこにあるのに初めて気付いたように。
 指先が探って、美並の肘を包み込み、握り締める。
「っ」
 その瞬間、京介の掌からふわりと優しい風が巻き起こったような気がした。
 京介、そう呼び掛けて、慌てて口を噤み、眼を閉じてその風を味わう。
 なんて清冽な気配だろう。
 その風の源を閉じた視界の奥で追うと、闇の中にぽつりと一本、蒼い光を放って立ち上がってくるものがあった。
 ああ、綺麗。
 思わず見愡れて、美並は吐息をつく。
 以前に京介の中に感じた刃、けれどそれよりもっと清冽で透明度が高くて、繊細でしかもきちんと鋭い。
 美並が思っていたよりずっと、京介の砕かれていない刃は磨き抜かれた状態のものだったのだ。
「…く…そっ……これで…勝ったつもりか」
 どさりと重い布袋を落とすような音がして、不粋なうなりが響き、美並は目を開けた。京介が美並の両肘を掴んだまま、ソファにふんぞり返った大輔を振り返る。
「馬鹿だな、お前達は」
 大輔が嘲笑うように顔を歪めた。
「いくら俺を叩いたつもりでも『ニット・キャンパス』には参加できん」
 余裕を見せたつもりの脅し、でも。
 もう、この人は京介に勝てない。
 自分の能力と可能性を自覚した京介は、大輔に押さえつけられるような生易しいキャラクターではない。
 今度は美並が信頼を示す番だ。
 京介が美並に与えてくれた信頼を、丸ごとそっくり京介に返す。振仰いで微笑んで呼び掛ける。
「京介?」
「…は、い」
 一瞬びくりとした京介が振り返る。乱れた前髪が少し眼鏡にかかって、まだ不安そうには見えるけれど、それでも美並の視線にすぐに目元を和らげる、その安堵に踏み込む。
「ここから先は、京介の仕事です」
 僕の、仕事。
 京介が口だけで呟き、じっと美並を見返して、やがて緩やかに目を見開いた。
「ど…して」
 声に出して尋ねているとは思っていないのだろう、まるで美並の中にその答えがあるように覗き込みかけた矢先、あ、と小さく声を上げて目を閉じた。
 睫が震えている。
 唇も。
 頬も。
 まるでキスを待つように見えかねない顔が、今はもうそうは見えず、何かをひたすら探している顔に見える。
 厳しい表情。
 悩ましげだが、誘惑的ではなくて。削ぐような緊張感を走らせた頬、潜めた眉、漂うのは峻厳さ。
 震えが次第におさまっていき、緊張が緩やかに消えていき、やがてゆっくり見開かれた瞳は深く豊かな色を満たして美並を捉えた。
 至上の宝石を思わせる輝きに目を奪われて圧倒される。
「美並」
 静かに京介は呟いた。
「キスして」
 形は懇願、でもその響きは命令、応えを返す前に引き寄せられて、美並の胸が強く打った。
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