『闇を闇から』

segakiyui

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第3章

4.マック(6)

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 胸を押し返していた手から力を抜いた。嘲笑うように薄く笑みを広げる真崎が目を閉じる。きっと美並も恵子や大輔と同様に、自分の煽る熱に巻き込まれたのだと思っているのだろう。
 絶望に顔を歪めるその一方で、深い安堵が真崎の顔を覆っていく。これでもう、何も失うものはない、そういう表情で機械的だった腰の動きに熱を加え出し、やがて行為に没頭していく。
「んっ…んっ……んっ」
 真崎の身体が少しずつ汗ばみ、滑らかに光りながら染まっていくのを美並はじっと見つめた。反応しなくなった美並をじれったがるように、舌に軽く歯を立てられて眉をしかめたが、なお動かずに見つめ続ける。
 この前あれほど愛しんでくれた胸に真崎は一切手を触れない。
 無意識ではない、揺れる身体を胸元に委ねかけてはぎゅっと身を引く仕草は、まるで自分の放つ熱から美並を守ろうとでもするようだ。ことさら下半身だけを擦り付けてくる動きは、真崎が真崎自身と見えない闘いを繰り広げている気配、しかも刻々と敗北していくのに絶望して苦しんでいるように見える。
 それでも息を弾ませ顔を歪め、ついに堪え切れないように両手を美並の両側に付いて、真崎は唇を離した。
「…あっ……あっ」
 切ない声で喘ぎながら仰け反って、どうしても止められない衝動に追い落とされるのを嘆くように、真崎はなおも美並のスカートに下半身を擦りつけ、涙を吹き零す。
「は、…うっ」
 限界が近いのだろう、動かし続ける腰にひくひくと震えが走っていく。反らせた喉に涙と汗が入り混じりながら伝わり落ちてくる。その雫が辿る道筋、胸から腹へ汗を集めて流れていく光景が美並の視界を強烈に焼く。
 おいで。
 胸の中で囁いた。
 おいで、全部抱えたままで。
 まるで、その声が聞こえたように、ふいに、掠れた声で真崎が叫んだ。
「ま……ふら…っ」
 まふら? 
 はっとした。
「…すて……ちゃ…た……っ……あ…っ」
 天井を見上げたまま、喘ぎながら訴えてくる。
 捨てた?
 マフラーを?
 でもなぜ? 
 さすがの美並にも想像がつかない。
 けれどたぶん、今真崎は心の一番深くにある扉を開いてくれつつある。傍目には美並を襲って傷つけているように見えながら、その実、真崎は長い間開かれることのなかった鍵を自ら壊してくれようとしている。
 だからきっと、これを妨げてはいけないのだ。
 美並は身体の力を抜いた。ぶつけてくる真崎の身体に押されながら、ただひたすらに耳を澄ませる。
「…おな…じ…だ……っ」
 同じ? 
 何が? 
 誰が?
 揺れる真崎の身体が今にも崩れそうで支えてやりたい、最後まで言い切れないかもしれない、それを促し導いてやりたい。それでも身動きせずに、美並は続くことばを黙って待つ。
「い……ぅ…っ」
 真崎が声を上げてがくがく震えながら伸び上がる。背筋を焼き尽していく銀の閃光が陽炎のように揺らめいて広がっていく。
 それはまるで、さなぎが自分の背中を裂いて新たな身体を見せるようで。
 くしゃくしゃに畳まれ縮んでいた羽が吐き出されて見る見る美しい紋様を描き出すようで。
「ひ…っ」
 掠れた悲鳴は悲痛に響いた。掴まれた両肩が痛い。指先が食い込んで爪をたててくる。
 次の瞬間、最後の部分まで広がった羽根が初めてふわりと空気を叩き、真崎が息を呑んで固まった。
「あ……は……っ」
 柔らかなその動きさえ激痛だったように、涙を零しながら真崎が崩れ落ちてくる。自分を支えるほんの僅かな余力もなく美並の身体にすがりついてきて、突き飛ばせば簡単に床に転がってしまうだろう弱々しさ、そのまま肩に額を押しつけて荒い呼吸を繰り返す。その身体が今にも汗に滑り落ちそうで、美並はそっと腕を上げる。
 ひくんと震えた真崎が一瞬身体を竦め、思い直したようにもう一度汗に濡れた額を肩に擦り寄せた。
「も…いい…や…」
 優しい声は虚ろで危うい。はあはあと喘ぎながらぐったりと体重を乗せてくる真崎は、自分で気付いていないのだろう、一番固い扉を、一番美しい形で開いたことを。
 その銀色の羽根を傷めぬように、美並はそっと抱きかかえる。
「っ?」
 今度は確実に驚いたらしく、真崎がぎくんと呼吸も動きも止めてしまった。
 苦笑しながら、美並は怯え切った気配を宥めるようにそっと囁く。
「大丈夫?」
 欲しい。
 唇で髪を啄む。
 もっとこの見事な生き物の全てを手にしたい。
 思ったときには、ことばが零れていた。
「座りましょうか? それとも、このままお風呂行く?」
「お風呂…」
 顔を伏せたまま、真崎が呟く。
「何が、どう、なってるの? ……僕は今、酷いことをした、はずだよね? ……伊吹さんを使って、大輔みたいに、自分の欲望だけ満たしたはず、だよね? ……大輔と同じことを…した、はず……」
「同じじゃないですよ」
 おどおどとした顔で真崎が顔を上げて、すがるような表情で見つめてきた。
「同じじゃない……?」
「はい」
 他の誰にわからなくても、美並にはよくわかっている、今何が起こったのか、それがどれほど大きなことなのか。欲望を満たしたということではない、その本質を。
 たとえ傍から同じ行為に見えたとしても、意味が違う、深さが違う。
「でも……」
 真崎は不安そうに首を傾げる。無防備で頼りない表情に煽られた。
「だって」
 手放したくない。
 自分の中に蠢いた妖しい炎が何か、よくわかっていながらもっと危ない一歩を踏み込むのに、もうためらわなかった。
「私は京介が好きですから」
 真崎が、目を、見開いた。
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