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第2章
7.彼女と彼(2)
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急に休むと言った美並に石塚は不審そうだった。
『何があったの?』
「えーと」
おばさんの旦那さんの義理のお父さんの妹さんが危篤なんですが。
そう伝えると沈黙した石塚が、
『私用ってことね?』
「……はい」
すみません。今日一日、お願いします。
とにかく謝って電話を切った。
ゴミ袋にオフホワイトセーターとタータンチェックスカートと大石のくまを放り込んで、口をぎゅっと縛る。アイテムがなくなるのはとても厳しかったけれど、とにかく今は自分ができることをするしかない。
急な休みを真崎がどう考えるかは怖かった。一番良い道に繋がることを信じて動こう、そう思って過ごした夜の果てに出した結論、夕べの真崎の気持ちほど確信があるわけじゃない。
「もう、手遅れかもしれないけど」
それでも、美並にできるのはこれぐらいだから。
きつく唇を結んで、玄関前の鏡に自分の姿を映す。
タイトな黒のジーパン、白いTシャツ、その上から被ったのは『Brechen』のセーター、冷えてきている季節だけれど、セーターをアピールするための格好だからあえて上着は羽織らない。頭には揃いのニット帽を被り、ゴミ袋を手に部屋を出る。
ゴミの回収日は火曜と金曜、ちょうどよかったと山積みになったゴミ置き場の隅に手にしていた袋を押し込んだ。袋の中のくまが苦しそうでずきりとするが、きっと真崎はもっと辛かっただろう、そう思い直して向きを変え、駅に向かう。
「あれ……『Brechen』?」
通りすがりのカップルが眩そうな目をして美並を見るのがわかって顔が熱くなった。
凄く恥ずかしい。本当ならこんな目立つことはしたくない。
でも、ことさらもう一枚のチラシそっくりの格好で、チラシのイメージのまま、きびきびと動いて改札を抜け、まず向田市役所に向かった。
真崎が集めていたのはイベント系、しかも市役所がらみのものだ。公的なイベントに民間企業がすぐに噛めるわけがない。ならば何を探していたのか。
「……協賛……ボランティア…」
丹念にコーナーを見て回り、市役所の広報に隅々まで目を通してみて、営利を得るために食い込むことは難しいが、各種イベントに協賛、つまり出資するということなら比較的参加しやすいとわかった。
真崎が幾つかピックアップしていたのがどれも美術系のイベントだと知って、美並の頭を過ったのは『Brechen』のメンバーの一人だ。デザイン担当の志賀尚矢というのが確か芸大を卒業してまもない男で、それでも幾つかのコンクールで賞をとったこともあると紹介されていた。
真崎が集めきれなかった美術系イベントのパンフレットとチラシを集め、少し目を閉じ、美並は頭の中で真崎の行動を追い掛ける。
あの時、次に真崎と訪ねたのは鳴海工業だった。
そこで真崎が話していたのは、開発した商品を桜木通販の目玉にするつもりがあるということ、夏のニット系にも手を伸ばすつもりがあるということだ。
「目玉商品…」
そんなことが本当にできるのだろうか。
ここへ来るまでにも『Brechen』の注目度はかなり高かった。揃いのシリーズということだが、揃えて着ている人間は少ないらしく、10~20代、30代ぐらいまでは確実に視線を動かしてくる。
ただやっぱり40~50代の人間はためらいがあるようで、特に男性となると何度も視線を動かすわりには、その度微妙に落ち込んだような表情になるのが特徴的だ。
それでも市場を押さえるには十分な反応に思えるし、今の状況は美並自身が広告塔をつとめてしまっているようで、複雑な気分になってくる。
「夏の、ニット」
通販事業の仕掛けは三ヶ月が勝負だと聞いたことがある。とすると、真崎の頭にある展開は、この11、12、1月ぐらいが勝負時のはずで、それから考えると『夏のニット』ということばはどこからも出てこない。
「でも、課長は嘘は言わない…」
交渉で大事なことなんだよ、と真崎は笑って話してくれた。
嘘を言ってはいけない。できることできないことを明確にしなくてはいけない。
だから真崎京介が『夏のニット』と言うなら、夏にニット商品を動かす発想を持っている、ということだ。そして、それに鳴海工業が加われること、しかも今回の仕掛けに関係があるということだ。
「んー…」
もう一度市の広報を見る。
11、12、1月で今からでも参加が可能なイベントとなると限られてくる。一番早くて。
「クリスマスの……『ニット・キャンパス』……?」
芸術系の学校が参加する催しで、『knit』というのは編み物のことだけではなく、結びつける、密着させるなどの意味もあり、芸術系学校に編み目のような関係性を作っていって、相互に刺激しあってより高い創造性を生み出していこうという意図があるものらしい。
がしかし、これにも『夏のニット』にはつながらない。
だが、その『ニット・キャンパス』の参加校一覧を見て、美並ははっとした。
『羽須美芸術大学』
慌てて肩にかけていたざくりとした布鞄から『Brechen』のスタッフが紹介されたHP画面のコピーを取り出す。
『志賀尚矢。羽須美芸術大学、造型工芸学科出身』
「これだ…」
真崎の意図はまだわからないが、『ニット・キャンパス』への参加を目論んでいるらしい。
「うん」
じゃあ次はこの情報を確認して、そう頷いた矢先。
「……伊吹、さん…?」
「!」
干涸びたような声がして振り向く。
「その……格好……」
真崎が眼鏡の奥から真っ暗な眼を見開いていた。
『何があったの?』
「えーと」
おばさんの旦那さんの義理のお父さんの妹さんが危篤なんですが。
そう伝えると沈黙した石塚が、
『私用ってことね?』
「……はい」
すみません。今日一日、お願いします。
とにかく謝って電話を切った。
ゴミ袋にオフホワイトセーターとタータンチェックスカートと大石のくまを放り込んで、口をぎゅっと縛る。アイテムがなくなるのはとても厳しかったけれど、とにかく今は自分ができることをするしかない。
急な休みを真崎がどう考えるかは怖かった。一番良い道に繋がることを信じて動こう、そう思って過ごした夜の果てに出した結論、夕べの真崎の気持ちほど確信があるわけじゃない。
「もう、手遅れかもしれないけど」
それでも、美並にできるのはこれぐらいだから。
きつく唇を結んで、玄関前の鏡に自分の姿を映す。
タイトな黒のジーパン、白いTシャツ、その上から被ったのは『Brechen』のセーター、冷えてきている季節だけれど、セーターをアピールするための格好だからあえて上着は羽織らない。頭には揃いのニット帽を被り、ゴミ袋を手に部屋を出る。
ゴミの回収日は火曜と金曜、ちょうどよかったと山積みになったゴミ置き場の隅に手にしていた袋を押し込んだ。袋の中のくまが苦しそうでずきりとするが、きっと真崎はもっと辛かっただろう、そう思い直して向きを変え、駅に向かう。
「あれ……『Brechen』?」
通りすがりのカップルが眩そうな目をして美並を見るのがわかって顔が熱くなった。
凄く恥ずかしい。本当ならこんな目立つことはしたくない。
でも、ことさらもう一枚のチラシそっくりの格好で、チラシのイメージのまま、きびきびと動いて改札を抜け、まず向田市役所に向かった。
真崎が集めていたのはイベント系、しかも市役所がらみのものだ。公的なイベントに民間企業がすぐに噛めるわけがない。ならば何を探していたのか。
「……協賛……ボランティア…」
丹念にコーナーを見て回り、市役所の広報に隅々まで目を通してみて、営利を得るために食い込むことは難しいが、各種イベントに協賛、つまり出資するということなら比較的参加しやすいとわかった。
真崎が幾つかピックアップしていたのがどれも美術系のイベントだと知って、美並の頭を過ったのは『Brechen』のメンバーの一人だ。デザイン担当の志賀尚矢というのが確か芸大を卒業してまもない男で、それでも幾つかのコンクールで賞をとったこともあると紹介されていた。
真崎が集めきれなかった美術系イベントのパンフレットとチラシを集め、少し目を閉じ、美並は頭の中で真崎の行動を追い掛ける。
あの時、次に真崎と訪ねたのは鳴海工業だった。
そこで真崎が話していたのは、開発した商品を桜木通販の目玉にするつもりがあるということ、夏のニット系にも手を伸ばすつもりがあるということだ。
「目玉商品…」
そんなことが本当にできるのだろうか。
ここへ来るまでにも『Brechen』の注目度はかなり高かった。揃いのシリーズということだが、揃えて着ている人間は少ないらしく、10~20代、30代ぐらいまでは確実に視線を動かしてくる。
ただやっぱり40~50代の人間はためらいがあるようで、特に男性となると何度も視線を動かすわりには、その度微妙に落ち込んだような表情になるのが特徴的だ。
それでも市場を押さえるには十分な反応に思えるし、今の状況は美並自身が広告塔をつとめてしまっているようで、複雑な気分になってくる。
「夏の、ニット」
通販事業の仕掛けは三ヶ月が勝負だと聞いたことがある。とすると、真崎の頭にある展開は、この11、12、1月ぐらいが勝負時のはずで、それから考えると『夏のニット』ということばはどこからも出てこない。
「でも、課長は嘘は言わない…」
交渉で大事なことなんだよ、と真崎は笑って話してくれた。
嘘を言ってはいけない。できることできないことを明確にしなくてはいけない。
だから真崎京介が『夏のニット』と言うなら、夏にニット商品を動かす発想を持っている、ということだ。そして、それに鳴海工業が加われること、しかも今回の仕掛けに関係があるということだ。
「んー…」
もう一度市の広報を見る。
11、12、1月で今からでも参加が可能なイベントとなると限られてくる。一番早くて。
「クリスマスの……『ニット・キャンパス』……?」
芸術系の学校が参加する催しで、『knit』というのは編み物のことだけではなく、結びつける、密着させるなどの意味もあり、芸術系学校に編み目のような関係性を作っていって、相互に刺激しあってより高い創造性を生み出していこうという意図があるものらしい。
がしかし、これにも『夏のニット』にはつながらない。
だが、その『ニット・キャンパス』の参加校一覧を見て、美並ははっとした。
『羽須美芸術大学』
慌てて肩にかけていたざくりとした布鞄から『Brechen』のスタッフが紹介されたHP画面のコピーを取り出す。
『志賀尚矢。羽須美芸術大学、造型工芸学科出身』
「これだ…」
真崎の意図はまだわからないが、『ニット・キャンパス』への参加を目論んでいるらしい。
「うん」
じゃあ次はこの情報を確認して、そう頷いた矢先。
「……伊吹、さん…?」
「!」
干涸びたような声がして振り向く。
「その……格好……」
真崎が眼鏡の奥から真っ暗な眼を見開いていた。
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