『闇を闇から』

segakiyui

文字の大きさ
101 / 512
第2章

2.リフル・シャッフル(6)

しおりを挟む
 よりにもよってここなのか。
 溜め息まじりに美並は入り口の隣にかかった上品な木のプレートを見遣った。そこには『村野』と書かれている。
 京介と初めて一緒に食事をした場所だ。
「どうぞ」
 木製で古めかしい歪みのあるガラスをはめた扉を押さえて、大石が微笑んだ。
「最近見つけたところだけれど、おいしいものを食べさせるんだ」
 ゆったりとした仕草は以前の大石にはなかった落ち着きだ。
「いらっしゃいませ」
 予約を入れていたのだろう、扉の向こうにシェフ姿の男が控えていて、大石と美並に軽く会釈した。
「お待ちしておりました、大石さま」
「……」 
 鷹揚に頷いて、大石がシェフの前を通り過ぎる。続いた美並に、一瞬相手の目がわずかに見開かれたような気がして、同じように進みかけ、振り向いた。
 柔らかそうな口鬚は綺麗に整えられていて不快感を与えない。放たれる気配はもてなそうとする温かさで満ちている。
 けれど、穏やかな黒い瞳がゆっくりと瞬きし、まるで何かを確認するように美並を、それから先を行く大石を見た。
「あの?」
「……失礼いたしました」
 相手はすぐに微笑み直して、頭を下げた。
「チーフシェフの村野と申します。本日は御来店ありがとうございます」
「……いつも」
 なぜかその応対が美並と話したがっている、そんな気がして美並は首を傾げた。
 ここに来たのは一度切りだ。なのに今の視線は美並と連れを確認したように見えた。もっとはっきり言えば、美並の連れが真崎でないことを訝った、そんな感じだ。
「お出迎えして下さるんですか?」
 確か前はそんなことはなかったように思う。
「……本日は」
 村野はちら、と大石に視線を泳がせて、微かに苦笑を漂わせた。
「特別にとお申し付けがありましたので」
「ああ」
 つまり、大石があらかじめ出迎えるように頼んでいた、ということか。
 頷いた美並に村野は少し目を細めた。
「申し上げたことは御内聞に」
「はい」
「美並!」
 村野に微笑むと、大石が席から呼び掛けてくる。
「どうしたの?」
「あ、ごめんなさい」
「何か彼が?」
 急ぎ足に席に近付いていくと、大石が鋭い視線で背後を伺う。
「ううん、今日のおすすめについて聞いてたの」
「ああ、ごめん、今夜のはもう決めてる」
 大石が肩をちょっと竦めてみせる。
「魚のコースだけど、オードブルに鴨を加えてもらってるから………今もこってりしたの、駄目?」
「うん、ありがとう」
 一瞬不安そうに見遣ってきた相手を見上げる。覚えててくれたのか、とちょっと嬉しい。
「でも、最近は少しましかもしれない」
「そうか。じゃあ次は肉でもいいかな」
 さりげなく呟いた大石がワインリストを開くのに少し固まる。
 次は。
 次があると、当然のように思っているのか、大石は。
 なぜだろう、とちょっと不思議になった。
 あんなふうなあやふやな別れ方、どちらかというと千切れるような別れ方をしたのに、まるでそんなことがなかったかのように大石は振る舞っている。
「ワインは白が好きだったよね。ロゼのいいのもあるな…」
 昔なじみのドイツワインを注文する大石を美並はまじまじと見つめた。
 本当はもっとどきどきするかと思っていた。
 自殺したと聞かされていた大石が生きていて、奇跡のような再会、待ち合わせ場所に現れた顔にぐっと胸が詰まって、お互いに一気に走り寄れるような。
 けれど、大石はあまりにも変わっていて。
『美並……本当に美並、なんだ』
 会いたかったよ、と側に近付かれて抱えるように両手を広げられても、これは誰だろう、とそんな妙な違和感に取り付かれてしまって立ち竦んだ。どうして生きていると知らせてくれなかった、言いかけた泣き言も口の奥に詰め込まれて溶けたようで。
 美並の戸惑いが伝わったのか、大石はすぐに手を降ろし、とにかく食事にしよう、と誘われて、ここへやってきたのだけれど。
 肩幅が広くなった感じがするのは昔と違って高級そうなスーツのせいか。びしりと整って皺一つないシャツ、鮮やかだけど嫌味のないネクタイ、整えた髪は軽くカラーリングされて、焦茶色の柔らかなウェーブがかっちりした顔だちによく似合う。さっきから微かに漂う香りも洗練されていて、食事の邪魔にもならないだろう。手首に覗いた時計は落ち着いた金属の光沢を放って、文字盤に宝石が入っている。ネクタイピンにも宝石がついている。滑らかな肌は丁寧に鬚をあたってきた感じ、それこそ、どこからどう見ても、一分の隙なく整った、成功している男の見本のようだ。
 昔の大石はもっと砕けた格好をしていた。
 スーツの裾が外回りの車に乗りづめだからとくしゃくしゃになっていることがあった。ネクタイがあまりなくて繰り返して締めていたから、一本プレゼントしたことがあるが、今度は『さわやかルーム』に来るときはそれをずっと締めててくれた。急に冷え込んだ時には着ていた薄いコートまで美並にかけてくれて、がたがた震えながら異常気象についてああだこうだと講釈を垂れ、一体何の話なの、と聞くと「どこかで温まりたいねって言う話だよ」と真面目に返されて吹き出したこともある。
 大石との記憶はいつもほっとするような温かさに満ちていた。
 それを美並は失った、いや美並こそがそれを消してしまったのだと、何度自分を責めただろう。自分が死ねばよかったのだと、何度夜中に泣いただろう。
 奈保子に責められるまでもない、きっと自分の対応のまずさが、自分を守ろうとした迷いが、大石を追い詰めてしまったのだ、そう思い切るまで、どれほど辛い夜を過ごしただろう。
 こんな想いをするなら金輪際人と関わるまい、そう思いながら、それでも生きていくためにアルバイトを転々として、何度も大石のことを思い出した。大石の優しさ温かさを頼りにしのいだ。
 人は大切な記憶さえちゃんと持っているなら頑張れる。
 そう気付いて、では次はもう二度と誰の重荷にもなるまい、ずっと一人で生きていこう、そう決心した矢先に、真崎に会って。
 正反対だな、と思った。
 今目の前にいる大石とも、昔の大石とも、真崎にはほとんど共通点がない。
 真崎ときたら、不安定で嘘つきでいじっぱりで大胆でぶっ飛んでてずるくて繊細で脆くて、最近では、男のくせにまるで大輪の牡丹のような華やかさ色っぽさまであって。
 きっとこの先も、真崎に大石のような安定感や充実感、落ち着きや真面目さ、真摯さ誠実さなどを感じられることはないだろう。
 では、美並は真崎の何に魅かれたのだろう。
「美並?」
「あ、はい」
 いつの間にか運ばれてきたオードブルを前に、大石がじっとこちらを見つめている。
「……何を考えてる?」
「え」
「誰のことを、そう聞いた方がいいのかな、僕は」
 大石が微かに瞳を翳らせた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

【ルーズに愛して】指輪を外したら、さようなら

深冬 芽以
恋愛
 インテリアデザイナーの相川千尋《あいかわちひろ》は、よく似た名前の同僚で妻と別居中の有川比呂《ありかわひろ》と不倫関係にある。  ルールは一つ。  二人の関係は、比呂の離婚が成立するまで。  その意味を深く考えずに関係を始めた比呂だったが、今となっては本気で千尋を愛し始めていた。  だが、比呂の気持ちを知っても、頑なにルールを曲げようとしない千尋。  千尋と別れたくない比呂は、もう一つのルールを提案する。  比呂が離婚しない限り、絶対に別れない__。 【ルーズに愛して】シリーズ ~登場人物~  相川千尋《あいかわちひろ》……O大学ルーズサークルOG                 トラスト不動産ホームデザイン部インテリアデザイン課主任                   有川比呂《ありかわひろ》……トラスト不動産ホームデザイン部設計課主任                千尋の同僚                結婚四年、別居一年半の妻がいる  谷龍也《たにたつや》……O大学ルーズサークルOB              |Free Style Production《フリー スタイル プロダクション》営業二課主任  桑畠《くわはた》あきら……O大学ルーズサークルOG               市役所勤務、児童カウンセラー  小笠原陸《おがさわらりく》……O大学ルーズサークルOB                 |Empire HOTEL《エンパイアホテル》支配人    小笠原春奈《おがさわらはるな》……陸の妻                   |Empire HOTEL《エンパイアホテル》のパティシエ  新田大和《にったやまと》……O大学ルーズサークルOB                新田設計事務所副社長                五年前にさなえと結婚  新田《にった》さなえ……O大学ルーズサークルOG  新田大斗《にっただいと》……大和とさなえの息子  亀谷麻衣《かめやまい》……O大学ルーズサークルOG               楠行政書士事務所勤務               婚活中  鶴本駿介《つるもとしゅんすけ》……楠行政書士事務所勤務

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜

瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。 まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。 息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。 あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。 夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで…… 夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。

嘘つき同士は真実の恋をする。

濘-NEI-
恋愛
都内郊外のリゾートホテルでソムリエとして働く瑞穂はワイン以上にゲームが大好き。 中でもオンラインゲーム〈グラズヘイム〉が大好きで、ロッソの名前でログインし、オフの時間と給料の全てを注ぎ込むほどのヘビーユーザー。 ある日ゲーム仲間とのオンライン飲み会で、親から結婚を急かされている話を愚痴ったところ、ギルマスのタラントの友人で、ゲームの中でもハイランカーのエルバに恋人役を頼めば良いと話が盛り上がり、話は急展開。 そしてエルバと直接会うことになった瑞穂だったが、エルバの意外な正体を知ることに⁉︎ Rシーンは※ ヒーロー視点は◇をつけてあります。 ★この作品はエブリスタさんでも公開しています

ズボラ上司の甘い罠

松丹子
恋愛
小松春菜の上司、小野田は、無精髭に瓶底眼鏡、乱れた髪にゆるいネクタイ。 仕事はできる人なのに、あまりにももったいない! かと思えば、イメチェンして来た課長はタイプど真ん中。 やばい。見惚れる。一体これで仕事になるのか? 上司の魅力から逃れようとしながら逃れきれず溺愛される、自分に自信のないフツーの女子の話。になる予定。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

処理中です...