『闇を闇から』

segakiyui

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第1章

12.絶対零度の領域から(2)

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「伊吹さんが欲しい」
 顔を降ろす。首筋に唇を触れる。震えた伊吹に顔を上げて繰り返した。
「今すぐ欲しい」
 身じろぎするのを腰で押さえる。
「どうせもう、二度とこんなチャンスないし」
 ああ、眼鏡外しちゃえばよかった。けれど、そうしたら、伊吹の顔が見られない。
 喘いで乱れる顔を見たい。
 上がる呼吸に、とにかく唇をもらおうと眼を伏せて寄せていくと、
「……京介」
「っっ」
 静かに呼び掛けられてどきりとした。小さな溜め息が重なる。まるで、子どもの悪戯に呆れ返った大人のような、深く柔らかい吐息。無言で厳しくたしなめられたような気がして、思わず腰を引いてしまった。
 見下ろした伊吹の眼は潤みも揺らぎもしていない。
 悔しい。
 京介などでは相手にならない、そう言い放たれたようで押さえつけた手に力を込めた。
「何があったの」
 それを、今、聞くんだ?
 こんな状況なのに、僕はこれほど必死なのに、君はなんでそう冷静でいられる?
 それはきっと。
 胸を押し潰すような痛みに泣きそうになったのを、あえて嗤った。
「そんなこと、今関係ないでしょ」
 さすがに少し緊張している伊吹の脚の間に自分を強く押し付ける。それが夕方恵子にされたことそっくりで、思い出した自分により固さが加わって、その自分に吐き気がした。
 同じなんだ。
 恵子が教えられた通りに京介を煽ったように、それにあっさり堕ちたように、伊吹を抱こうとする方法は大輔に教えられたまま、相手を傷つけて悲しませて苦しめる方法しか、京介は知らないのだ。
 きっと、その方法を、京介も、好んでいる、のだ。
 汚い。
 汚い。
 どんなに綺麗に取り繕っても、伊吹を抱きたいと思って動けば、大輔と寸分違わない。
 抵抗してよ、伊吹さん。
 胸の中で懇願しながら笑みを深める。
 抵抗して。
「後で何されてもいい」
 できれば、事が起きる前に僕を殺してくれるとなおいい。
 伊吹に悲鳴を上げて逃げようとする自分が見えた。
 自分が大輔そのものになっていて、逃げようとする相手を押さえつける、その柔らかさがぞくぞくするほど嬉しい。
「殺されてもいいから、今伊吹さんを抱きたい」
 もう、だめだ。
 過熱していく頭の中でくつくつ嗤う。
 今はただ、伊吹が欲しい。
 伊吹の中に入りたい。
 貫いて突き上げて、上がる切ない声を耳にして、揺さぶって懇願させて、自分の力を感じたい。
 別の人間の命も心も全部掌に掴んで握り込んでいく、圧倒的な支配感に酔いたい。
 そうすればきっと、京介の飢えも傷みも満たされる。貪って好き放題にできる者がまだまだいるんだ、だから自分が最下位じゃない、そう信じられる。
 地べたを這いずり回って哀れみを乞うしかなかった自分を見なくてすむ。
 どれだけ助けを求めても誰も救ってくれなかった、その復讐を果たせる。
 弱いからいけないんだ。
 弱いくせに、そんなに人を誘うから、いけないんだ。
 そんなに綺麗なものなら、誰だって掌にのせて転がして、そのうちやってみたくなる、落としてみたり投げてみたり、壊れるかどうか試してみたくなるもんだよね?
 止まらない。
 唾を呑み込み、伊吹の服を暴こうと身構えた瞬間、
「恵子さんと何があったの」
 大きな刃物がまっすぐ後ろから落ちてきた。
 京介の欲望を真二つにする。
 なんで。
「関係、ないって!」
 絞り出すように叫んで、幻に全身震えながら息を呑む。
 なんで、そんなこと、こんな状況で、聞けるんだ。
「関係……ないんだ」
 なんで、そんなこと、何も言わないのに、わかるんだ。
「伊吹さんには、関係ない」
 そうだ、関係ない、のに。
「僕と伊吹さんは、関係がない」
 眉を寄せて見下ろした伊吹の眼は依然澄み渡っている。濁りもしていない、霞みもしていない、京介が押し当てているものなんか、どこにもないかのように。
「関係ないのに、こんなことしてるの」
 重ねて静かに問われて胸が詰まった。
 関係ないのに?
 違うよ、僕は伊吹さんと関係したかった。深くまでもっと強く繋がりたかった。綺麗で静かで透明な部分をかき混ぜて、僕を投げ込んで、揺らせて乱して絡みたかった。大石が受け取ったみたいな、無防備で限りのない信頼が、甘えて委ねてくれる伊吹さんが僕も欲しかった。
 けれど。
 京介は、それに、価しない。
 だから伊吹は京介に堕ちてきてくれない。
 わかってしまった今となっては、未来なんかどこにも見えない。
 悲しくて苦しくて辛くて、生きているのに死んでいるみたいだ。
「関係ないから、できるんだよ」
 このまま永遠に繋がらないかもしれないから、今ここで一つでもいい、繋ぐんだ。
 低く嗤いながら、もう一度伊吹の腰に萎えかけたものを押し当てると、温かさに少し戻ってきた。
「気持ちいいことだけ、覚えてるんだ」
 これしか方法を知らないから。
 伊吹はきっと気持ちよくなんかないだろう。怖くて酷くて悲しくて苦しいだけかもしれない、繰り返し貪られた京介のように。
 けれど京介にはこれしかないから。
 大石に優るものは今伊吹と一緒に居る、この時間の利点だけだから。
 その利点を最大限に生かして、できるだけ強烈に刻み込めば、ひょっとしたら京介を憎んでくれるかもしれない。好かれなくても、二度と忘れないぐらいには嫌ってくれるかもしれない。
 ぞくりと震えて背筋に走った感覚に一瞬目を閉じる。
 ああ、気持ちいい。
 伊吹が繰り返し京介を思い出して憎んでくれたら、きっと京介は伊吹のかけがえのない人間になる。それこそ、自殺してしまったと聞かされた大石よりも、強く激しく想ってくれるに違いない。
「ちっ」
 伊吹が鋭い舌打ちを漏らして目を開ける。
 怒ってる? 怒ってるよね?
 思わず微笑んだ。
 もう少しだ。殺してくれるほど憎まれるのに、もう少し。
「京介」
「何」
 呼び掛けてきた伊吹の声に微かなためらいが潜んでいて、さっきより遥かに嬉しい。
 もっと。
 もっと僕に揺れて。
「抱かれるときには名前を呼ぶんだっけね?」
 京介は冷たい口調で言い放った。
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