『闇を闇から』

segakiyui

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第1章

11.イン・ジ・エアー(3)

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 料理は綺麗だった。
「伊吹さん、ワイン呑む?」
 誘ってみたけれど、伊吹は首を振る。
「ん? へえ、伊吹さん、これ牛蒡のスープだって」
 さっき伊吹が鞄の中に携帯を移し変えるのを見たとたん、京介はまた気分が不安定になった。
 そこに破滅が流し込まれるまでどれぐらい時間があるのだろう。
 考えまいとしても何度も頭を掠めるそれが、腕に残っていた伊吹の温かさを少しずつまた凍らせていく。
「おいしそうだね」
 運ばれてきたスープを呑み込んだが、味などわからない。ただただ、今この時間を何のトラブルもなく、伊吹に気持ち良く過ごしてほしい。
「何がありました?」
「っ」
 唐突に尋ねられて固まった。
「何も……どうして? 早く呑まないと冷めちゃうよ」
 何気なく応えながら、ベッドに押し倒された自分と喘ぎながら漏らした声が蘇ってくらりとする。それを逸らそうと会話を続ける。
「何があった、って聞くんだね」
 何かあった、じゃないんだ?
「凄いや」
 けれど、自分で口にしたことばになおさら京介は煽られた。
 何が、あった、だって?
 まるで僕が何をしてたか、見ていたみたいじゃないか。
 思った瞬間に腰が重く熱くなって、揺れそうになった身体を堪える。
 きっとそうやって、伊吹に全部暴かれてしまうんだろう。京介が何をしていたのか、何をされたのか言わされて、その時京介がどんな気分でどんなことを考えていたかも見抜かれて。裸になるよりもっと深くまで開かれて入られて。
 ぬるりとした感触が広がって、鳴りそうになった喉をスープを呑み込むことでごまかす。
「スープ熱くなかったですか?」
「そう? 大丈夫だけど」
 スープなんかより、身体の方がもう熱い。恵子に向かっては冷えきっていたのに、伊吹と食事をしているだけでどんどん準備されていく。
 おかしいと思うのに、頭の中に伊吹の前で服を脱いでいく自分が過る。
 ジャンパーを脱いで上着を落とす。ネクタイを緩め、シャツの手首のボタンを外す。伊吹はじっと京介を見ている。その凝視がたまらなく嬉しい。ネクタイを引き抜けば、それはあの部屋でのように床に落ちると思ったのに、伊吹が手を差し出して受け取り、そのまま両手で弄んでくれる、その先のものをほのめかすように。見ながら、シャツのボタンを一つずつ外していく自分の指が震えてままならない。
 あれで。
 ごくん、と唾を呑む。
 あれで僕を。
 空想の中で競り上がってくるのはちりちり尖った快感。
 溶けそう。
「何を焦ってるの?」
「……っ」
 ふいに話し掛けられて我に返った。
 妄想をそのまま覗き込まれていたような、それを見ていた伊吹がどんな顔をしているかが怖くてそろそろと眼を上げる。
「焦ってる?」
「今日はゆっくり付き合いますから」
 伊吹のことばがきわどく翻る。
 ゆっくり……どこまでも、僕を……?
 喘いで泣きながら許しを請うてもまだずっと離さないで居てくれるほど……?
「コーヒーまでちゃんと付き合いますから」
 静かに伊吹が続けて、がさりと熱が落ちた。
 そうか。
 呆気に取られながら現実に戻る。
 そんな関係、じゃなかったんだっけ。
「僕、焦ってた?」
「少しですけど」
 ……汚い。
「そう」
 僕は、汚れている。
 突然湧いた想いに身動きできなくなった。
 伊吹が純粋に京介のことを心配してくれているのに、京介はその伊吹に対して、暴くならまだしも、暴かれる妄想に身体をほてらせている。
 きっと、恵子のせいだ。
 恵子のやり方は大輔そっくりで。嫌がっても逃げようとしても押し開いて犯してくる手管が、覚え込まされたものそのままで、だから抵抗することさえ忘れて恵子を引き寄せた。
 伊吹の顔を重ねて自分もごまかしながら快楽を貪った。
 大輔が京介の身体に張った見えない罠に落ち込んでいくようで、けれどそれを思った瞬間に微かに動いたものは、確かに慣れ親しんだ世界への期待。
 ぞくりとした。
 孝と、同じだ。
 大輔から逃れたのに、他に誰でも選べたのに、見えない糸に引き寄せられて、自分から大輔を求めていって。
 京介も同じだろうか。
 恵子を拒み切れなかったように、京介も、大輔にもし同じようにホテルに連れ込まれてしまったら、自分から引き寄せ身体を開いてしまうんだろうか。
 脳裏に、想いが届かない伊吹を思って、快感だけを大輔に委ねて、嘲笑われながら駆け上がってしまうのだろうか。
 大輔が駅を引き戻ってきて、もう一度背後に迫ってくるような気がする。伊吹の目の前で、京介がどれほど簡単にその手管に落ちるのか見せるために襲われそうで、ぞくぞくする。そんなことはありえないのに、ついつい周囲を見回していると、伊吹がぽつんと聞いた。
「誰か来るんですか」
「え」
「…誰かを探してるの?」
「あ、いや」
 大輔を、探してるの。
 そう聞かれた気がして血の気が引いた。同時にうねるような疼きが腹の底に蠢いて、それが紛れもなく誰かの熱さを求めるものだと気付いてしまう。
「ごめん、僕、もう」
 フォークとナイフを置く。ワインを掴む。喉が、からからだ。
 まさか、京介は、伊吹の前で大輔に抱かれたい、のか?
 伊吹が凝視している前で、大輔に貫かれて喘ぐのを見られたいのか?
 ワインをたて続けに流し込む。酔いに重なって上がってくる呼吸に震える。
 嫌だ、そう思ったのに、それと裏腹に奇妙な開放感が広がってくる。
 きっと伊吹は軽蔑するだろう。大輔に抱かれることを受け入れただけではなく、それを望んでいると見抜いて呆れ果てるだろう。口ではあんなに嫌がり怖がりながら、事実は気持ち良ければ誰でもいいのだと見下すだろう。
 そして、京介を見捨てるに違いない、その他大勢と一緒にするな、と。
 伊吹は誇り高いから。
 襲われ犯されたとしてもそれだけの代償は払わせると、京介に言い渡したほどだから。
 でも、そうなればもう、こんなに怯えることもない。
 伊吹を想って、辿り着けないことに苦しむこともなくなる。京介がどれほど汚くて浅ましいのか晒されて、見捨てられて放り出されて、そうすればもう心置きなく、あのテラスの向こうに飛び込める。こんなに辛くて苦しいまま、伊吹の側に居なくてよくなる。
 じゃあ、僕は。
 茫然としながら京介は思った。
 あの写真を、送りつけられるのを待ってるの……?
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