『闇を闇から』

segakiyui

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第1章

6.月の下(4)

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 大輔は京介が『ぼけ』にかまけて自分と遊ばないとたびたび癇癪を起こしていた。そうして、ある日、
『そんなにこいつが大事か』
『大ちゃんっ』
『こんなちっこいやつが』
『やめてっ』
『やめてほしかったら土下座しろよ』
 頭擦り付けて頼んでみろよ、返して下さいって。
『返して下さいっ』
 慌ててべたりと地面にひれ伏したのは、見たことのある時代劇のやり方で。
『違うだろ……地面、なめろよ』
『えっ』
『ああ、えーと、くつだっけか、そうだ、くつだな』
 『ぼけ』をつり下げた大輔が大笑いしながら続けた。
『ぜったいふくじゅうってのは、そうやるんだ、くつなめろ』
『くつ…』
 大輔の赤土塗れの運動靴が突き出されて震えた。自分がしてはいけないことをしようとしている、どこかでそう感じていた。
 けれど、大輔の手に掴まれて高い声で鳴いている『ぼけ』を助けられるのは京介しかいなかったから。
『う……』
 舌を出して運動靴に顔を寄せた。涙で滲んだ目を固く閉じた。一瞬だけ我慢すればいいんだ、転んだら口に土が入ることだってある、そうなったんだと思えばいいだけだ。
 けれど、いきなり運動靴が口に押し付けられて、驚いて思わず体を引いた次の瞬間、高い悲鳴が響いた。
『あ、手すべっちゃった』
『っっっ』
 遠く空に投げられていく小さな体。
 泣き喚きながら手を伸ばしたら、首を捕まえられて倒されて。
『ちゃんとなめないからだろ!』
『うっあ』
 髪の毛を捕まえられた時に意図を察して必死に逃げた。跳ね起きて走って走って走って走って。
 『ぼけ』を見つけたのは下流だった。
 固くて濡れて小さくなって。
 僕がちゃんとやればよかったんだ。
 僕がもう少し我慢すればよかったんだ。
 あんなことぐらい何でもないのに。
 こんなことになるぐらいなら。
 もう帰ってこない、温もり。
 
「死んじゃったからね」
 そうか、あの時に初めて死んだんだな、僕は、と京介は思った。
 大輔の靴を舐めた時に死んで、『ぼけ』が死んだ時にまた死んで。
「全部課長が飼ってた動物ですか?」
「まつたろ、は犬。あずさは猫。しろはハムスター」
 何匹も見捨てられていく小さな命。
 見送るたびに、埋めるたびに京介は一緒に自分を埋めていって。
「課長、動物好きなんですか?」
 好きだったんだな、きっと。大事で大切で可愛くて。
 伊吹の問いにそう思う。
 ずっと一緒に居てほしくて、でも自分ではもう飼えなかった。
 今度守れなかったら、救えなかったら、また固まった体を抱くことにしかならなかったら。
 怖くて、竦んだ。
「何、その意外そうな顔は」
「や、だって………あんまりきちんと世話するようには見えないし」
 伊吹があっさり言い捨てて、ずきずきしながら笑った。
 そうだよね。
 今の京介は幽霊で、大輔にさえ乗っ取られる。さっき伊吹を襲ったように。
「正直苦手だね。全部義姉さんの飼ってたのだよ」
 きっと僕には飼う資格なんてない。
 伊吹は訝しそうに見上げたけれど、そのまま静かにしゃがみ込んだ。丁寧に一つ一つに手を合わせてくれる。
 また視界がぼやけて滲んできた。
 何だろう、凄く、嬉しい?
 戸惑っていると、静かに立ち上がった伊吹が振り返る。
「で、イブキのは?」
「そこだよ」
「お花持ってくればよかったですね」
「要らないよ、そんなもの………すぐに枯れるし、意味がない」
 一度他の墓に飾ったことがある。けれど、翌日来てみたら、踏み荒らされて石も乱されていた。
 夜、両親に怒られた。おかしな遊びをするんじゃない。両親の後ろでテレビを見ていた大輔の薄笑いを覚えている。
 遊びなんかじゃない、そう言いたかったけれど言えなかった。
 伊吹は無言でまたしゃがみ込んだ。
「っ」
 黒い石の前に膝をついて深く頭を下げてくれる。合わせた掌に額をあてて背中を丸めて祈ってくれる。小さなか細いその背中が、まるで巨大な何かを負うようで。
 遊びなんかじゃない。
 伊吹はそれをわかってくれている。
 ここが大事な場所だと、ちゃんとわかってくれている。
 そう思ったとたん、ぐるぐる回っていた独楽が弾けて壊れた。
 伊吹。
 伊吹。
 寒い。
 僕を温めて。
 そこに居る僕だけ抱き締めないで。
 ここに居る僕も抱き締めて。
 堪え切れなくなって、両手を伸ばし跪いて背中から伊吹を抱きすくめる。
「伊吹さん」
 君をちょうだい。心も、身体も、その魂も全部。
「課長」
 固い声。呼ばれたのは名前じゃない。けど、もうそんなガードじゃ離せない。
「寒くない?」
「大丈夫ですけど」
「僕は寒いよ」
「じゃあ、戻りましょうか」
「今寒いんだ」
「全力疾走して戻ります?」
「伊吹さん、クールすぎ」
 思わず吹き出した。零れた涙を隠したくて、思わず顔を髪にすり寄せると、微かに伊吹が震える。どくん、と抱えた腕の下で鼓動が一つ余計に鳴り響いた気がして確認する。
「耳…弱いの」
「くすぐったいだけです」
 くすぐったいってことは、気持ちいい、ってことなんだよ。そういうことは知らないんだ?
 今度は意図的に唇で触れる。小さく漏れた声の甘さに思わず耳たぶに吸い付きそうになったのをかろうじて堪える。
 不謹慎ですよ、と伊吹が低い声で制してきた。
「仮にもお墓参りでしょう?」
 イブキが見てますよ、そう続けられて、逆に煽られてしまった。イブキの視線の向こうに相子を、大輔を重ねる。
 見せてやろうか、僕が手にしたものがどれほど綺麗なものなのか。まだ暴いてもいないのに、こんなに甘い声を聞かせてくれるこの人が、僕の掌でどれほど鮮やかに輝くのか。
 抱き締めて、どこまでも柔らかな感覚に目眩がする。力を込めれば込めるほど、そのままなくなってしまいそうで、怖くてどんどん力を込める。
「この前は止めたくせに」
 どこか苦しげな伊吹の声になお煽られた。
「決めた」
「は?」
「伊吹さんを手に入れるって、決めた」 
 大輔に奪われる前に、誰かが持っていく前に、今自分の所有を刻む。
 京介はより深く伊吹を抱き込んだ。
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