『闇を闇から』

segakiyui

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第1章

4.闇の中身(5)

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「いや、まさかね、ほんとにこいつが女を連れてくる日が来るとは思ってなくて!」
 がははは、と相手は豪快にハンドルを切りながら、切り立った崖に張り付くような山道を上っていく。
「男を連れてくれば不思議じゃなかった、大輔」
「ああ、一時そうかと思ったことがあったぞ、えーと、ほら、何だっけな」
 どん、っとジープが跳ねて三人の体が一瞬浮く。車輪の下から転がった石が割れ砕けて薄いガードレールを潜り抜け谷底へ落ちていくのを見ながら、美並はぞっとした。
「ほら、あいつ、ほら、行方不明になった、ほら、お前と仲のよかった」
「孝」
「そうそう! 孝、難波、孝な!」
 突然に零れ落ちた名前に振り向くと、真崎は揺れる車の中で警戒した様子もなく、肘をついて外を眺めている。冷たい風に舞う長めの前髪がいささかうっとうしそうだが、それ以上でもそれ以下でもない静かな瞳は会社でのものと変わらない。
「行方、不明?」
「そうなんですよ!」
 確かめるように聞いてみたが、応えたのは大輔の方だった。
「実の兄貴の俺より頼りにしてたし、一緒に居る時間も長かったし、いや、俺はこいつがそっちなんじゃないかと本気で心配しましてね!」
 また、わははは、と大笑いする。 
 では、この真崎と対照的な、でかくてごつくて人の良さそうな兄は、真崎が親友の死に引っ掛かったままなのを知らないのだ。死んだことさえ知らないのかもしれない。
 どうしたものかと真崎の様子を伺えば、煙るような目で美並を見返してきて、そこに何の感情も読み取れない。揺れ動いている体が触れることがなければ、等身大の人形が乗せられているような気配の薄さだ。
 たぶん。
 美並は小さく吐息をついた。
 イブキの死も同様だろうが、真崎の中では親友の死も全く何も終わっていないのだ。いや、始まってもいないのかもしれない。
 親友が行方不明になった、という出だしからもう難しい。生きているかもしれない、いやひょっとしたらもう、と、迷った分だけ気持ちは落ち着く場所を失う。
 そこから、真崎のところに親友がホテルで死体になっていたということが届くまで、真崎は何をして、どんなことを思っていたのか。
 もし万が一、真崎が難波という男と深いつながりを持っていたとしたら、不在の一夜、しかもホテルで女性と過ごしている一夜をどう考えていたのだろうか。
 確かに女性の噂は少ないんだよね。
 美並も外の景色に目を向ける。
 暮れ始めた夕日は見る見るオレンジ色を濃くして山の狭間に落ち込んでいく。
 人当たりが良くて有能で優しくて親切で。人気は高いが噂は立たないのを、これまでは上手に躱していたのかと思っていたが、牟田との付き合いをカムフラージュに逃げていたのかもしれない。
 じゃあ、暴くしかないか。
「あの」
「はい」
「孝さん、亡くなったようですが」
「えっ!」
 がっくん、と大きく車が揺れて、美並は思わずひやりとシートを掴んだ。
「難波が、ですか!」
 ああ、やっぱり知らなかった、そう思ったのと同時に、微かに引っ掛かるものがあった。
 難波。
 大輔は難波孝を難波、と呼び捨てた。
 真崎と二つ違いというから、中学高校あたりは同じ学校だったかもしれない。弟が傾倒し、ひょっとして弟はゲイで、付き合っている相手がこいつじゃないのか、そこまで疑っていたほどの親密さの距離が、大輔の呼び方にはない。
 だが、それは少し不自然だ。
 大輔は真崎が難波を自分より頼りにしていた一緒に居る時間が長かったと指摘している。それほど大輔は、二人が一緒に居る光景を見知っている。
 どこでだろう? 外出先でたびたび出くわすことはないだろう。出くわしても頼りにしていると断じる光景ばかりではないだろう。その確信を得られるほどの何かがあったのだから、難波は繰り返し真崎の家に訪ねてきていたはずだ。
 二つ違いの友人の兄と、難波は会話しなかっただろうか? 思春期にありがちな仲間意識は三人の間にはなかっただろうか? それは難波と呼ぶほどの離れた距離でしかなかっただろうか?
 加えて大輔は、難波が真崎にとって『特別な相手』であったと認識している。
 それほどの相手が『行方不明』になったということを、大輔はひどく軽く、まるで放り投げるように真崎に持ちかけている。これほど親しみやすい思いやりのある『兄』であるはずなのに、『特別な相手』の生死を真崎の心情を気にすることもなく話題にできる、とはどういうことか?
 ならば、ひょっとすると。
「御存じじゃなかったんですか」
「知り……ませんでした」
 大輔は呆然とした顔だったが、問い直されてちらっと一瞬、バックミラーの中から真崎を鋭い視線で睨んだ。
「そんな大事なことを」
「……興味ないかと思って」
 真崎がぽつんと応じた。相変わらず外を見ながら、
「大輔には意味がないかと思ったんだよ」
「……ちっ」
 小さく零れた舌打ちは、笑顔には不似合いな熱がある。
 美並はしっかりそれを覚え込んだ。
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