『闇を闇から』

segakiyui

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第1章

4.闇の中身(1)

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 ネクタイは明るい色で。ジャケットは渋めに。シャツは少し甘い印象でいい。
「ん、よし」
 鏡の前で念入りに服装を改めて京介は部屋を出る。
 思わず知らず零れている笑みを自覚してちょっと口元を押さえる。
「あんまり浮かれているとまずいかな」
 それでも軽くなる足で出勤して、微妙な表情で見てくる石塚やことさら無視しようとする相子を視界の端にくるくる部署を見渡す。
「伊吹さんは?」
「シュレッダーです」
「ありがと」
 廊下を弾むように歩く京介を、すれ違った他課の連中が不思議そうに見遣ってくる。何かあったのか、機嫌がいいな、とからかう声に、お天気いいですからね、と流して笑う。
 決めた。
 決めた。
 もう決めた。
 夕べ一人で眠ったベッドの中に誰が必要なのか、もう十分わかったから。

「おはよう、伊吹さん」
 がーっと派手な音を鳴らしてシュレッダーをかける伊吹に声をかける。
「わあ、今日もいっぱいあるんだねえ」
 振り向いた伊吹が訝しそうに眉を上げた。
「おはよーございます、課長」
 どうしたの、と尋ねてくれないかな、そのふっくらした唇で。
 そう思ったのに、それ以上話し掛けてくれないから、シュレッダー用の紙をぱらぱら見ながら京介から切り出す。
「ああ、それで次の日曜日、空けてね?」
「は?」
「あ、もう予定入ってたなら、申し訳なかったけど……こっちもさっさと済ませたいし」
 伊吹がゆっくり瞬きする。
 こういう人には既に決定事項として進めてしまうに限る。何がどうあろうと、誰が何と言おうと、もう京介は伊吹を手に入れると決めてしまったのだから。
「課長?」
「何?」
「お天気いいといいよねえ、遠出になるし。このあたりは動物霊園なくって」
「動物霊園?」
 ほら、引っ掛かった。何かおかしな物言いだと対応を考えていただろうに、京介の撒いた餌にあっさり食い付くあたり、まだまだこういうところは可愛いよね。
 でも、この可愛い人はいざとなればとんでもなく巨大な刃物を振り回してさ、底の底まで切り裂いてくるんだよね。
 ぞくん。
 昨日の震えが蘇った。
 もう一度。
 もう一度味わいたい、あの不可思議な快感。
 伊吹の視線に晒されて、暴かれてみたい、何もかも。
 微かな震えを押し隠して次々罠を張っていく。
「やっぱりこういうことはきちんとしておかないと。猫でもさ、僕の母親がわりだったようなところもあるし」
「はい?」
「墓前に報告ってのも時代遅れだけど、そういうところは古風なんだよねえ、僕」
「……課長」
「伊吹さんのところはどうなの、やっぱりきちんと御挨拶するべきなのかなあ」
「課長!」
「はい」
「一体何の話を」
 警戒心を一杯に満たした伊吹は瞳をきらきら光らせている。それが朝日の中で戦闘体勢に入っている綺麗な肉食獣の眼にも見えて、京介は笑みを深めた。
 ああ、欲しい。
 君が、とても欲しい。
「え? 僕の結婚」
 どきどきする胸を覚られないか。その不安に一層身体を疼かせて京介はしらっとした顔を装おう。
「相手は」
 冷ややかな声。細めた目が温度を下げる。
 ちりちりと尖る視線がくすぐったくて嬉しい。
 見抜いて。
 胸で誘う。
 また、僕を、見抜いて。
「伊吹さん」
「聞いてないから!」
 ばさばさっと伊吹の手から紙の束が散る。
「あーあ、こんなに撒いちゃって」
 もっともっと近くまで来てほしくて、京介は紙を拾い集めながら忙しく頭を働かせる。
 さて何が伊吹の気持ちを引くだろう? 京介にまだまだ謎があるとどうしたら思わせられる?
「あ、京ちゃんでも京介でもいいけど」
「……それ、まさか、あんたの母親が呼んでた名前だとか」
 母親……なるほど家族関係にも興味を持ってもらえるってことかな? 
 じゃあ、ひょっとすると、実家に連れていくなんてことしたら、もっと伊吹は京介から離れられなくなるだろうか。動物霊園は口から出任せ、けれど埋めた『イブキ』の墓参りって言うのは伊吹を引き付けるいい手段かも知れない。
「凄い、そんなとこまでわかるんだ?」
「わかりたくないですし!」
 話を合わせたのに、間髪入れず怒鳴られてちょっと傷ついた。
 わかりたくないなんて言わないでほしい。もっと京介に興味を持ってほしい。突っ込んで来てはまってくれて、抜き差しならないほど一つになってほしい。
「何考えてんですか!」
 何考えてるかぶちまけてもいいけど、引かれるのは困る。きょとんとした風で、
「? まずかった?」
「まずいもまずくないも、私は何にも聞いてないでしょうが!」
 伊吹が薄赤くなっているのに気付いて、そうか、と気がついた。
 確か伊吹は結婚することに夢を抱いているんだった。
「あ、そっか、そうだよね、そうだそうだ、これは僕が悪かった」
「当たり前です」
 僕としたことが、ほんと舞い上がってるな。こんなはっきりした餌を使わないなんて。
 くすくす思わず笑ってしまう。
 結婚なんて形だけだ、そんなことは知っている。
 でも、伊吹が京介に嵌まってくれるのに必要ならば、もちろん準備してあげよう。身体ごと心までおいしく頂かせてくれるなら、いくらでも手管を弄しよう。最後に確実に京介の中に堕ちてくれるなら、どんな苦労もゲームと同じ。
 誇らしく始まりを宣言する。
「では、そういうことで伊吹さん、僕と結婚しましょう」
「決定事項か!」
 にっこり笑って頷こうとしたら、伊吹の視線が京介の背後に泳いだ。
 僕が目の前に居るのに、一体どこの誰を見てるの。
 思わずむっとして振り返り、相子を見つけてああ、そうか、と気付く。
 あれがまだ居たんだった。なるほど、それも伊吹は気にしてるんだ? なら今度こそさっさと手を打とう。
 皮肉なもんだね、相子自身が教えた方法で、相子自身が葬られる。
 つまり、邪魔者は消せ。
 拾い集めた紙を手に立ち上がり、京介はくるりと向きを変えた。
「ああ、牟田さん……っ?」
「ちょっ…」
 ふいに伊吹に腕を握られて、どくんと身体が波打った。京介がしようとしたことを察したらしい伊吹が真剣な顔で見上げてきて、胸の底から喜びが沸き上がってくる。
 気付かなかった。
 君はもう僕を気持ちに入れてくれてるんだね?
 僕が相子を傷つけないかと、そんな顔して心配してくれている。どうでもいい男なら、きっと傍観するだけでしょう、それぐらいの度量は持ってるもんね?
 だからその君を操るのは意外に簡単だ、と京介はほくそ笑む。崖に向かって突進してしまえばいい。
 ほら、たとえばこんなふうに。
「僕、伊吹さんと結婚するから」
「うわああああっ」
 固まった相子に慌てて離そうとした伊吹の手を、上からしっかり押さえつける。その手はやっぱり温かくて滑らかで小さくて強い。
 掴んでて。
 僕をずっとそうやって掴んでて。
 そのためなら、僕は何でもできるから。
 腕の伊吹の温もりを支えに、青ざめて目を見開いたままの相子ににこやかに笑う。
「手ぇ出したら、今度はぶっ殺す」
「ひええええ」
 伊吹が似合わない引きつった声を上げた。
「何、その情けない声は」
「いや、だって、待ってください、それは」
 ばたばたばたっ、と相子が身を翻して走り去っていく、けれど、そんなことはどうでもいい。
 もがいている伊吹はそれでも京介の腕を握ったままだ。
 その手を押さえている自分が、もうバージンロードを歩いているような気分になって、京介は微笑んだ。
「やー、今日は何かを成し遂げたって気分で気持ちいいなあっ!」
 でもきっと。
 お楽しみはこれからだ。
 古い台詞を思い出して、初めて運命に感謝した。
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