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第1章
1.闇を見る眼(4)
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もう一軒つき合って。すぐ近くだし、おいしいコーヒー飲みたくない?
そう誘われて、これが最後ですよ、と念を押したのは、プライベートなつき合いはこれっきりだと言う意味を含めたつもりだった。
真崎がどう思っていようが、牟田はずっと意識している。ただでさえ微妙な自分の立場をこれ以上ややこしくする気はない。なにせ、職場や仕事内容は気に入っているのだ、できればこのまま穏便に何ごともなく過ごしたい。
だが、ここだから、と連れていかれたのは上品な和風のエントランスが印象的なマンションで、どう見ても店が入ってるふうではない。
「課長?」
「はい」
「これのどこがカフェなんですか」
「カフェなんて言ってないよ?」
「は?」
「おいしいコーヒー飲みたくないかって言っただけ。マンションでも十分に一軒でしょう」
それとも伊吹さんは戸建てでないと一軒と数えないとか?
そういうのは偏見だと思うなあ、としらっとした顔で真面目に反論されて、嵌められたと気付いたときは遅かった。エントランスで突っ立っている二人に訝しげに視線を上げる管理人、出入りする住人も不審そうに眺めていく。
「帰ります」
「泣くよ?」
「はぁあ?」
くるりと向きを変えたとたんに背中でぼそりと呟かれて固まった。
「何?」
「泣く」
ひょいと肩越しに見下ろしてきた真崎が薄笑いしている。
「誰が」
「僕が」
「どこで」
「ここで」
「………泣けば」
こうなったら上司も部下もない、こんなぶっ飛んだ人間につき合っていられるほど暇じゃない、そうもう一度向きを変えかけたとたん、
「二回目だから平気だよ」
「はいぃ?」
二回目って何、と思わず振り返ってしまった美並に今度は体ごと振り向いて、真崎はにこりと笑った。
「……ケイが死んだ時、泣きながらここを突っ走ったから」
「ケイ、って誰です」
「………帰る?」
スラックスのポケットに両手を突っ込んだまま、ちょい、と相手が小首を傾げ、ほんのり薄赤くなった顔でぼやりと弛んだ瞳を瞬いて、まさか、と思った。
「ちょっと待った」
「はい?」
「…………あんた、酔ってんの?」
「酔ってません」
生真面目に繰り返して、一人うんうんと頷く相手に蘇ってきたのは、昨夜も遅くまで苦情処理で走り回ってあまり寝ていないんだよ、と笑っていた朝方の真崎。
「はっきり酔ってないです」
「ひょっとして、お酒弱いの?」
「全然弱いです」
「日本語おかしいよ?」
「最近の若者ですから」
「………ケイって誰?」
「帰る?」
また瞬きしながら首を傾げて聞いてくる。
「課長」
「僕は真崎京介です」
「わかってる」
「京ちゃんとか呼んでくれてもいいけどなあ」
「はっきり言おう」
美並は大きな溜め息をついた。
「あんたは酔ってる」
「全く酔ってないですよ」
「いや、十分酔ってる、で、私は酔った相手とは話をしな……わーっ!」
思わず叫んでしまったのは、真崎がいきなり薄笑いを消して、唇をへの字に曲げたかと思うとぼろぼろと涙を零し出したせいで。
「何っ!」
「だから泣くっていったでしょう」
「わかったわかったわかった、行きましょう、はい、エレベーターね、あ、来た来た、ほら乗って!」
管理人が何か言いたげに体を乗り出したのに美並は慌てて真崎の腕を引っ張ってエレベーターに乗り込んだ。
「僕、わりと器用に泣けるんだよ」
「いいから、何階っ」
「802」
「8階ね!」
真崎はくすくす笑って頬に流れた涙を上品にハンカチで拭き取った。
そう誘われて、これが最後ですよ、と念を押したのは、プライベートなつき合いはこれっきりだと言う意味を含めたつもりだった。
真崎がどう思っていようが、牟田はずっと意識している。ただでさえ微妙な自分の立場をこれ以上ややこしくする気はない。なにせ、職場や仕事内容は気に入っているのだ、できればこのまま穏便に何ごともなく過ごしたい。
だが、ここだから、と連れていかれたのは上品な和風のエントランスが印象的なマンションで、どう見ても店が入ってるふうではない。
「課長?」
「はい」
「これのどこがカフェなんですか」
「カフェなんて言ってないよ?」
「は?」
「おいしいコーヒー飲みたくないかって言っただけ。マンションでも十分に一軒でしょう」
それとも伊吹さんは戸建てでないと一軒と数えないとか?
そういうのは偏見だと思うなあ、としらっとした顔で真面目に反論されて、嵌められたと気付いたときは遅かった。エントランスで突っ立っている二人に訝しげに視線を上げる管理人、出入りする住人も不審そうに眺めていく。
「帰ります」
「泣くよ?」
「はぁあ?」
くるりと向きを変えたとたんに背中でぼそりと呟かれて固まった。
「何?」
「泣く」
ひょいと肩越しに見下ろしてきた真崎が薄笑いしている。
「誰が」
「僕が」
「どこで」
「ここで」
「………泣けば」
こうなったら上司も部下もない、こんなぶっ飛んだ人間につき合っていられるほど暇じゃない、そうもう一度向きを変えかけたとたん、
「二回目だから平気だよ」
「はいぃ?」
二回目って何、と思わず振り返ってしまった美並に今度は体ごと振り向いて、真崎はにこりと笑った。
「……ケイが死んだ時、泣きながらここを突っ走ったから」
「ケイ、って誰です」
「………帰る?」
スラックスのポケットに両手を突っ込んだまま、ちょい、と相手が小首を傾げ、ほんのり薄赤くなった顔でぼやりと弛んだ瞳を瞬いて、まさか、と思った。
「ちょっと待った」
「はい?」
「…………あんた、酔ってんの?」
「酔ってません」
生真面目に繰り返して、一人うんうんと頷く相手に蘇ってきたのは、昨夜も遅くまで苦情処理で走り回ってあまり寝ていないんだよ、と笑っていた朝方の真崎。
「はっきり酔ってないです」
「ひょっとして、お酒弱いの?」
「全然弱いです」
「日本語おかしいよ?」
「最近の若者ですから」
「………ケイって誰?」
「帰る?」
また瞬きしながら首を傾げて聞いてくる。
「課長」
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「わかってる」
「京ちゃんとか呼んでくれてもいいけどなあ」
「はっきり言おう」
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「あんたは酔ってる」
「全く酔ってないですよ」
「いや、十分酔ってる、で、私は酔った相手とは話をしな……わーっ!」
思わず叫んでしまったのは、真崎がいきなり薄笑いを消して、唇をへの字に曲げたかと思うとぼろぼろと涙を零し出したせいで。
「何っ!」
「だから泣くっていったでしょう」
「わかったわかったわかった、行きましょう、はい、エレベーターね、あ、来た来た、ほら乗って!」
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「僕、わりと器用に泣けるんだよ」
「いいから、何階っ」
「802」
「8階ね!」
真崎はくすくす笑って頬に流れた涙を上品にハンカチで拭き取った。
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