486 / 503
第5章
10.アウト・ドロー(9)
しおりを挟む
「……大丈夫、伊吹さん」
京介は、ドアの向こうに檜垣と共に消え去っていく赤来を見つめていた伊吹に声をかける。
「…大丈夫です」
答えは返ってきたものの、そのままふわりと後ろに倒れてきそうに思えて、思わず背後から抱きかかえる。冷えた体、暖房一つも入れていないこの部屋で、身震いするような攻防を一人で成し遂げた愛しい相手に胸が詰まる。
土曜日に防犯カメラの設置は終えていた。見積もりの台数と場所を書類で赤来に知らせたのは罠だ。会社の手順としてはおかしくない。赤来が自分がまだ疑われていないと思っているのなら、そのカメラのないところで仕掛けてくるだろう。
京介ならば、お祝いの席など設けない。あからさまに自分が関わる場所で仕掛けなどしない。
いつも通り、何事も起こっていないかのような日常で仕掛け、相手の油断を誘い、致命傷を負わせる、大輔と同じような遣り口で。
「しかし、これはやり過ぎだろう」
同意した富崎は京介が密かに設置したカメラの配置と数に呆れ返った。
深夜2人で画像を切り替えて点検しながら、眉を寄せる。
「こんな状況、株主連中も納得しないんじゃないのか」
「それほど長くはないと思うよ、仕掛けるまで」
京介は昼間見た赤来のデスク周りを思い出す。
「片付けを始めている気がする。ぎりぎりまで残るような顔をして、ある日突然いなくなっている気もするんだ」
「…それは同感だ」
経理の書類、この状況なのに処理が速くなっている。
「捌く件数が減っているだけじゃない、ちょっと聞いてみると、かなりの数を赤来が引き受けて回しているらしい。周囲には負担を減らすためと話していて、評判は悪くない」
「この1週間内だね。早ければ、月曜日」
「早すぎないか?」
「赤来課長は伊吹さんを高く買ってるんだよ」
京介は苦笑いした。
「それほど大人しくはしていないって思ってる」
「ふうん」
俺も伊吹さんは買ってるけれど、そこまで焦るかなあ。
富崎のことばにひくりと顔が引き攣った。
「他から見るのと相手にするのとは違うよ」
「相手にすると違う、ねえ」
じろりと見遣った瞬間、富崎が笑う。
「ああ気にしなくていい、僕は相性的に伊吹さんは無理だから。怖いしね」
「…ならいいけど」
本当に君は伊吹さん相手だと『外れる』なあ。
富崎の顔に夜の痴態を思い出して顔が熱くなった。
読みは外れてないとわかったのは月曜日の昼前だ。
『…動いたぞ』
社長室に引き継ぎ業務で出向いていた時、富崎からの連絡があった。元子と顔を見合わせ、行動に移る。
試運転中ということで、総務の隅に並べられたモニターの操作管理は富崎一人が関わっている。少し早めの昼を申し渡された職員は、社長と真崎が揃ってモニター前に陣取ったことに、管理上の調整と考えたらしく、部屋には誰もいなくなっている。
「会議が終わった後別れてから、伊吹さんに話しかけたから、ひょっとしたらとモニターしていた」
指先で叩く画面には、廊下で2人話し込みながら、赤来が何かを手渡すのが見える。
「パンフレット? 居酒屋のチラシみたいね」
「伊吹さん、あれを確保しておいてとか考えないだろうね」
不安そうな富崎の声に真崎は第2会議室に画像を切り替える。先ほどのカメラから、第2会議室に入るまでは一瞬画像が入らない死角がある。もちろん、『羽鳥』ならば、それも確認しているだろう。
「座ったな」
「はい」
会社で設置した防犯カメラは音声を拾わないが、京介が個人で設置したものは音声を拾う。伊吹と向かい合って座った赤来にきりきりしたものを這い上がってくるのを堪えながら睨みつける。
今すぐ飛び込んで引き剥がしたい、例えドアが少し開いていても、あの場所からは逃げられない。逃げても誰かが駆けつける前に、伊吹が殺されてしまうかもしれない。
伊吹が倒れている第2会議室を何事もなかったようにドアを閉め、淡々と周囲と会話しつつ廊下を歩み去っていく赤来の姿が想像できる。一般社員は第2会議室は使わない。管理者だけが知っているが、社内で防音性が一番高い部屋だ。
『「Brechen」が結構桜木通販にテコ入れしてるからって、岩倉産業の社長があまりよく思っていないとか』
「ちっ」
ことさら響いた声は伊吹にどう伝わっただろう。舌打ちしながら、赤来の卑劣さに苛立つ。
確かに『Brechen』の最近の動きは岩倉産業とずれている気がする。『ニット・キャンパス』に労力を割き過ぎ、商品展開が不十分だ。もっとも、力をつけ伸びてきた『Brechen』の面々を、岩倉産業の古参連中が煙たがっているとの噂もある。『ニット・キャンパス』が終われば、岩倉産業から独立するのかもしれない。
『「さわやかルーム」? 懐かしいでしょ』
『…懐かしいですね』
赤来の嫌味に伊吹は動じない。静かな顔に惚れ惚れする。
「…伊吹さんの前の職場?」
「ええ。大変だったと聞いています」
富崎の声に京介は唸る。
「調べたんですね、赤来さんは」
『扉は少し開いている。君は閉じ込められてなんかいない。後ろを振り向き、逃げ出せばいいだけだ』
響いた声に薄く笑った。なんて馬鹿馬鹿しい理屈だろう、そんな正論があるものか。
「賢いな」
富崎が冷ややかに呟いた。
「抵抗しなかったと論証できるぞ」
「え」
京介は思わず画面を凝視している富崎を見遣る。
「抵抗できるタイミングに抵抗しなかったことが、同意したと判断される事例は幾つもある」
「そんな」
「赤来はほんと、素人じゃないな」
京介は、ドアの向こうに檜垣と共に消え去っていく赤来を見つめていた伊吹に声をかける。
「…大丈夫です」
答えは返ってきたものの、そのままふわりと後ろに倒れてきそうに思えて、思わず背後から抱きかかえる。冷えた体、暖房一つも入れていないこの部屋で、身震いするような攻防を一人で成し遂げた愛しい相手に胸が詰まる。
土曜日に防犯カメラの設置は終えていた。見積もりの台数と場所を書類で赤来に知らせたのは罠だ。会社の手順としてはおかしくない。赤来が自分がまだ疑われていないと思っているのなら、そのカメラのないところで仕掛けてくるだろう。
京介ならば、お祝いの席など設けない。あからさまに自分が関わる場所で仕掛けなどしない。
いつも通り、何事も起こっていないかのような日常で仕掛け、相手の油断を誘い、致命傷を負わせる、大輔と同じような遣り口で。
「しかし、これはやり過ぎだろう」
同意した富崎は京介が密かに設置したカメラの配置と数に呆れ返った。
深夜2人で画像を切り替えて点検しながら、眉を寄せる。
「こんな状況、株主連中も納得しないんじゃないのか」
「それほど長くはないと思うよ、仕掛けるまで」
京介は昼間見た赤来のデスク周りを思い出す。
「片付けを始めている気がする。ぎりぎりまで残るような顔をして、ある日突然いなくなっている気もするんだ」
「…それは同感だ」
経理の書類、この状況なのに処理が速くなっている。
「捌く件数が減っているだけじゃない、ちょっと聞いてみると、かなりの数を赤来が引き受けて回しているらしい。周囲には負担を減らすためと話していて、評判は悪くない」
「この1週間内だね。早ければ、月曜日」
「早すぎないか?」
「赤来課長は伊吹さんを高く買ってるんだよ」
京介は苦笑いした。
「それほど大人しくはしていないって思ってる」
「ふうん」
俺も伊吹さんは買ってるけれど、そこまで焦るかなあ。
富崎のことばにひくりと顔が引き攣った。
「他から見るのと相手にするのとは違うよ」
「相手にすると違う、ねえ」
じろりと見遣った瞬間、富崎が笑う。
「ああ気にしなくていい、僕は相性的に伊吹さんは無理だから。怖いしね」
「…ならいいけど」
本当に君は伊吹さん相手だと『外れる』なあ。
富崎の顔に夜の痴態を思い出して顔が熱くなった。
読みは外れてないとわかったのは月曜日の昼前だ。
『…動いたぞ』
社長室に引き継ぎ業務で出向いていた時、富崎からの連絡があった。元子と顔を見合わせ、行動に移る。
試運転中ということで、総務の隅に並べられたモニターの操作管理は富崎一人が関わっている。少し早めの昼を申し渡された職員は、社長と真崎が揃ってモニター前に陣取ったことに、管理上の調整と考えたらしく、部屋には誰もいなくなっている。
「会議が終わった後別れてから、伊吹さんに話しかけたから、ひょっとしたらとモニターしていた」
指先で叩く画面には、廊下で2人話し込みながら、赤来が何かを手渡すのが見える。
「パンフレット? 居酒屋のチラシみたいね」
「伊吹さん、あれを確保しておいてとか考えないだろうね」
不安そうな富崎の声に真崎は第2会議室に画像を切り替える。先ほどのカメラから、第2会議室に入るまでは一瞬画像が入らない死角がある。もちろん、『羽鳥』ならば、それも確認しているだろう。
「座ったな」
「はい」
会社で設置した防犯カメラは音声を拾わないが、京介が個人で設置したものは音声を拾う。伊吹と向かい合って座った赤来にきりきりしたものを這い上がってくるのを堪えながら睨みつける。
今すぐ飛び込んで引き剥がしたい、例えドアが少し開いていても、あの場所からは逃げられない。逃げても誰かが駆けつける前に、伊吹が殺されてしまうかもしれない。
伊吹が倒れている第2会議室を何事もなかったようにドアを閉め、淡々と周囲と会話しつつ廊下を歩み去っていく赤来の姿が想像できる。一般社員は第2会議室は使わない。管理者だけが知っているが、社内で防音性が一番高い部屋だ。
『「Brechen」が結構桜木通販にテコ入れしてるからって、岩倉産業の社長があまりよく思っていないとか』
「ちっ」
ことさら響いた声は伊吹にどう伝わっただろう。舌打ちしながら、赤来の卑劣さに苛立つ。
確かに『Brechen』の最近の動きは岩倉産業とずれている気がする。『ニット・キャンパス』に労力を割き過ぎ、商品展開が不十分だ。もっとも、力をつけ伸びてきた『Brechen』の面々を、岩倉産業の古参連中が煙たがっているとの噂もある。『ニット・キャンパス』が終われば、岩倉産業から独立するのかもしれない。
『「さわやかルーム」? 懐かしいでしょ』
『…懐かしいですね』
赤来の嫌味に伊吹は動じない。静かな顔に惚れ惚れする。
「…伊吹さんの前の職場?」
「ええ。大変だったと聞いています」
富崎の声に京介は唸る。
「調べたんですね、赤来さんは」
『扉は少し開いている。君は閉じ込められてなんかいない。後ろを振り向き、逃げ出せばいいだけだ』
響いた声に薄く笑った。なんて馬鹿馬鹿しい理屈だろう、そんな正論があるものか。
「賢いな」
富崎が冷ややかに呟いた。
「抵抗しなかったと論証できるぞ」
「え」
京介は思わず画面を凝視している富崎を見遣る。
「抵抗できるタイミングに抵抗しなかったことが、同意したと判断される事例は幾つもある」
「そんな」
「赤来はほんと、素人じゃないな」
0
お気に入りに追加
79
あなたにおすすめの小説
性欲の強すぎるヤクザに捕まった話
古亜
恋愛
中堅企業の普通のOL、沢木梢(さわきこずえ)はある日突然現れたチンピラ3人に、兄貴と呼ばれる人物のもとへ拉致されてしまう。
どうやら商売女と間違えられたらしく、人違いだと主張するも、兄貴とか呼ばれた男は聞く耳を持たない。
「美味しいピザをすぐデリバリーできるのに、わざわざコンビニのピザ風の惣菜パンを食べる人います?」
「たまには惣菜パンも悪くねぇ」
……嘘でしょ。
2019/11/4 33話+2話で本編完結
2021/1/15 書籍出版されました
2021/1/22 続き頑張ります
半分くらいR18な話なので予告はしません。
強引な描写含むので苦手な方はブラウザバックしてください。だいたいタイトル通りな感じなので、少しでも思ってたのと違う、地雷と思ったら即回れ右でお願いします。
誤字脱字、文章わかりにくい等の指摘は有り難く受け取り修正しますが、思った通りじゃない生理的に無理といった内容については自衛に留め批判否定はご遠慮ください。泣きます。
当然の事ながら、この話はフィクションです。
【R18】こんな産婦人科のお医者さんがいたら♡妄想エロシチュエーション短編作品♡
雪村 里帆
恋愛
ある日、産婦人科に訪れるとそこには顔を見たら赤面してしまう程のイケメン先生がいて…!?何故か看護師もいないし2人きり…エコー検査なのに触診されてしまい…?雪村里帆の妄想エロシチュエーション短編。完全フィクションでお送り致します!
彼女の母は蜜の味
緋山悠希
恋愛
ある日、彼女の深雪からお母さんを買い物に連れて行ってあげて欲しいと頼まれる。密かに綺麗なお母さんとの2人の時間に期待を抱きながら「別にいいよ」と優しい彼氏を演じる健二。そんな健二に待っていたのは大人の女性の洗礼だった…
【R18】隣のデスクの歳下後輩君にオカズに使われているらしいので、望み通りにシてあげました。
雪村 里帆
恋愛
お陰様でHOT女性向け33位、人気ランキング146位達成※隣のデスクに座る陰キャの歳下後輩君から、ある日私の卑猥なアイコラ画像を誤送信されてしまい!?彼にオカズに使われていると知り満更でもない私は彼を部屋に招き入れてお望み通りの行為をする事に…。強気な先輩ちゃん×弱気な後輩くん。でもエッチな下着を身に付けて恥ずかしくなった私は、彼に攻められてすっかり形成逆転されてしまう。
——全話ほぼ濡れ場で小難しいストーリーの設定などが無いのでストレス無く集中できます(はしがき・あとがきは含まない)
※完結直後のものです。
【R18】ドS上司とヤンデレイケメンに毎晩種付けされた結果、泥沼三角関係に堕ちました。
雪村 里帆
恋愛
お陰様でHOT女性向けランキング31位、人気ランキング132位の記録達成※雪村里帆、性欲旺盛なアラサーOL。ブラック企業から転職した先の会社でドS歳下上司の宮野孝司と出会い、彼の事を考えながら毎晩自慰に耽る。ある日、中学時代に里帆に告白してきた同級生のイケメン・桜庭亮が里帆の部署に異動してきて…⁉︎ドキドキハラハラ淫猥不埒な雪村里帆のめまぐるしい二重恋愛生活が始まる…!優柔不断でドMな里帆は、ドS上司とヤンデレイケメンのどちらを選ぶのか…⁉︎
——もしも恋愛ドラマの濡れ場シーンがカット無しで放映されたら?という妄想も込めて執筆しました。長編です。
※連載当時のものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる