『闇を闇から』

segakiyui

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第5章

1.翻す手(1)

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 コートを脱いで手にかけながら、京介はホールの熱気に瞬きした。
「はい、そこまで来て、ターン……もう少し前がいいかな」
「いいでしょう」
 ホールのステージ上では入れ替わり立ち代わりモデルが指示に従って歩いていく。正面に立ったホールの担当者の横で濃紺のスーツの男が鋭い視線で舞台を眺めている。
「ここから、じゃあ次は」
「ちょっと待って」
 京介が入っていったのに気づいていたのだろう、男はちらっとこちらを見やった。
 明るい茶色の髪は長めで耳の後へ撫で付け、軽く合わせただけの襟元には細めのタイ、大石のかっちりとした安定感と対照的な華のある気配だ。
「その後はこの前の通りでいいから」
 わかった、と頷いてなおも別の部分を確認しようとする担当者に、すっと骨張った指先を上げてとどめる。
「もう桜木通販の真崎さんが来られてる」
「え? ああ、これは」
「いいですよ、まだ」
 急いで振り返る担当者に、京介は微笑みながら近づいていった。
「順調みたいですね、志賀さん」
「ええ、まあ」
 ちょっと、ここだけ確認しといて。
 志賀は担当者に指示を与えて去らせると、ゆっくり振り返った。
「初めまして、ですよね?」
「お名前は伺っています」
 静かに頭を下げると、相手が一瞬険しい顔で睨み返した。
 あからさまな敵意、大石からも向けられたことのない激しい対抗意識に違和感を覚えて笑み返す。
「何か?」
「高崎、さんは来ないんですか」
「彼は今他の打ち合わせ中です」
「余裕なんですね」
 彼が担当なんでしょう?
「ええ、そうですよ」
 高崎は今鳴海工業に出向いている。
『夕べ一晩付き合ってきました』
 朝の一報で高崎は明るく笑った。
『あのじーさん、強いの何のって』
 一升瓶片手にしていったんですが、二人で三本転がしましたよ。
 鳴海が酒に強いだろうとは以前に出かけた時に隅に酒瓶のケースが積み上がっていたことから想像はしたが、高崎がそこまで強いとは知らなかった。
『これだけ楽しい酒を呑んだのは久しぶりだって嬉しそうでした』
 俺も楽しかったですよ、いろんな話が聞けて。
 高崎を鳴海にあてたのはこの先の「デザイナーズ」の展開を考えてのことだったが、思った以上に相性が良かったようだ。
「大事な取引先なので、彼に出向いてもらいました」
 京介はにこやかに笑う。
「今朝もそちらへ寄ってから、こちらへ来るはずです」
「そうですか」
 志賀は一瞬寄せていた眉を少し緩めた。ほっとした、そう言いたげな顔が、京介の凝視にはっとしたように元の無表情を取り戻す。
「だから、まだ合わせて頂いていいですよ?」
「いや、もう済みましたから」
 志賀がそっけなく手元のファイルを閉じる。
「わざわざ手の内を見せる馬鹿はいないでしょう」
「じゃあ僕はその馬鹿なんですね」
 訝しげに振り向く志賀にステージへゆったりと視線を投げる。
「僕はあなたにこちらの舞台を見てもらっておいた方がいい、と考えてますから」
「……自信ですか」
「成功を望むからですよ」
 志賀がまた神経質そうに眉を寄せた。
「僕が望むのは『ニット・キャンパス』の成功。そのためにお互いに潰しあう必要はないでしょう」
 刺激しあってよりよいものができれば、それに越したことはない。
「……あやういと聞いていますが」
 少しためらった後、志賀が目を細めた。
「今回の成功にはあなたの地位がかかっていると」
「地獄耳なのは大石さんですか」
 京介はくすりと笑い声を響かせた。
「それはそちらもでしょう? 『Brechen』の進退もこれにかかっているのでは?」
「イベント一つで揺らぐ組織じゃありませんよ」
 すぐさま言い返したものの、志賀がより冷ややかな視線になったところを見ると満更外れていないらしい。
「最後のウエディング、黒ではかなり厳しいんじゃないですか」
 舞台のセッティングにそれとなく視線を促しながら、もう一押しすると、
「別に」
 志賀は吐き捨てた。
「白、ばかりが祝いの華やかな席にふさわしいというわけじゃないでしょう」
 黒だって。
 一瞬、奇妙な沈黙が溜まって、あれ、と思ったとたん、
「すまん、志賀!」
 背後から大声が響いて振り返ると、後の客席の間から駆け下りてくる白いカッターシャツ姿があった。
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