『闇を闇から』

segakiyui

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第4章

12.トゥ・ゴゥ(5)

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 深い海の底から緩やかに立ち上る白い泡になって、長い旅を続けて海面へ辿りつき、ようやくぽかりと弾けた、そんな気分で京介は目を覚ました。
「……」
 しばらくぼんやりと天井を眺めていたのは、これほど静かな平和な目覚めを味わったのは、伊吹が居たときでしかなく、けれどベッドに居るのは自分一人だということが側にない温もりでわかっていたからで。
「は…ぁ」
 溜め息を漏らして目を閉じる。
「きもち…い…」
 ずいぶん深く眠っていた。
 まるでこれまでの眠りを一気に取り返すかのように。
 それでもまだくたりとベッドに投げ出したままの手足には、柔らかなけだるさが漂っていて、それは伊吹と満ち足りた夜を過ごした後にも似ているけれど、どちらかというともっと素朴で安定している感覚だ。
 ゆっくり瞬きをして、枕元の携帯を手探りして開き、眼鏡をかけながら時間を確かめる。
「……9時…」
 なんとなく茫然として、その数字を眺めた。
 今日は土曜日、伊吹は今夜来てくれるとは言ってたけれど、確約ではない。きっと苦しくて切ない夜と昼を過ごすんだろうと『ニット・キャンパス』に使うホールの下見と打ち合わせなどを11時から入れている。
「凄いなあ……身体って」
 夕べ源内は柔軟体操から始まる、基礎訓練の手順を丁寧に教えてくれた。
 それまで武道はおろか、運動系も孝とやったバスケぐらいしか知らない京介の身体は、源内から見ると「年齢不相応に半端な造り」だったらしく、できない動作やついていけない動きがかなり多くて呆れられた。
『教えるのはいいけど、教えて壊しちゃ、仕方ねえしな』
 次までにこれだけは毎日こなせ、と指示されたメニューを、もう一度頭の中で繰り返す。
 部屋に戻って一通りはやってみたのだけれど、多少同年齢の男にすれば柔軟性がまだましなぐらいだと実感した。
 その後入浴していつも通りベッドに入って、眠った時間は覚えていない。ベッドに辿り着いて、布団を被った直後にはもう意識がなかった気もする。
「これをきっちりやれたら、伊吹さんなしでも眠れるかも」
 吐息をついて携帯片手に起き上がり、少し伸びをする。
「……た…」
 背中と腰のあたりが妙にじくりとして苦笑した。
「運動不足だよね」
 もちろん毎日仕事で走り回ってはいるけれど、基本的にはデスクワーク、夕べ使ったのはそれ以外の筋肉なのだろう。身体のあちこちがじんわりと痛い。
 居間に出て暖房をつけ、顔を洗ってからもう一度居間に戻って、テーブルをソファに寄せて開けた空間に立ってみる。
 寝間着がわり長袖Tシャツの腕を曲げ、右手の手首を左手で内側に深く折り曲げた。数を数えて、今度は左の手首を同じように曲げる。続いて立てた右の掌を左手で包み、半回転するように親指側へゆっくりと旋回させる。次は左手。突き出した右腕の手首を持って、内側に曲げながら胸元に引き寄せる。左も同じく。前へ掌を上向けて右腕を伸ばし、そのまま指先を左手で下へ、手の甲に向かって曲げていく。そして左手も。
 合気道は手首の柔軟性が大事だ。その部分を柔らかくしておくことで、技も切れるし、身体を傷めることも減る。
 ゆっくり胡座を組んで座り、両方の足の裏を合わせて手で包んで、身体を前へ倒していく。股関節を柔らかくする。これはまあまあ得意だ。次、両足を伸ばして身体を伏せる。脚の裏の筋肉がきつい。続いて、両足を開いて座り、両手を前について身体を倒す。慣れないうちは腰を浮かした状態でしてもいいと言われた。最後に、正座してそのままゆっくり後に倒れ、両手も上へ上げて全身床に委ねる。
「ふ…ぅ」
 身体は使わない部分がどんどん固くなる。固くなった身体は傷つきやすく怪我をしやすい。柔軟をしながら、自分の身体のどこが強張っているか、どこが抵抗なく動くのかを一つ一つ確認する。
『自分の身体がどういう特性があって、どういうことが得意なのか、どういうことが苦手なのか、ちゃんと注意しとくのが大事なんだ』
 単に動かすだけではなく、自分の身体をよく知るように、と指示されている。
 ゆっくり立ち上がって、自分の身体の中心を意識する。
 臍下丹田に気を落とす、というけれど、あれを勘違いしているのがたまにいる、と源内は言った。
『力をそこへ抜くんじゃない、そこに集める、けれど力を込めるんじゃない』
 中心を意識して座ってみな、と言われて、きちんと正座してみせると、苦笑しながらとん、と肩を突かれてあっさり崩れた。こうやるんだよ、と言って座った源内の肩を同じように突いてみたがびくともしない。かなり強い力で押してみても同じ、まるで源内が巨大な岩の塊になったような手応えになって驚いた。
『ここだ』
 もう一度座った京介の下腹部へ手を差し入れられて、一瞬強張った京介に気づかぬはずはなかっただろうに、源内は気づいた気配も見せず、そのままぐい、と臍のかなり下を指で押した。びく、と無意識に震えたのは、そこが身体の中のどこに繋がったのか気づいたからだ。
『ここに力を入れようとしても入らねえだろ?』
 言われてみると確かにそうで、たった一本の指があたっているそこを力を込めようとしても入らない。
 それはわかるような気がした。
 そこは京介にしてみれば、身体がきわどく反応する部分に繋がっている。弱くて無防備で過敏な所。けれど、押されても集中しても反応するというよりは、それとは対極にあるもの、身体の中にある虚数空間のようだ。
 続いた源内の説明は、そういう意味でも京介をすとんと理解させるものだった。
『ここに集める』
 身体の周囲に丸い空間があって、その中心があんたで、そのままどんどんブラックホールみたいに縮んでいく、その一点に向かって。それを意識してみろ、そう言われてすぐに自分の周囲の防御を集中させることを思った。大輔や恵子に向かう時に張り巡らせるそれがどんどん集まって京介の身体の中に凝縮していくイメージ。
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