『闇を闇から』

segakiyui

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第4章

10.ホール・カード(4)

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 泣き寝入りなんかしたのは、何年ぶりだろう。
 目が覚めると頭が痛くて、瞼が腫れぼったかった。
「…ひどい顔だなあ」
 鏡に向かって呟く。
 泣いて泣いて泣いて。
 気づいたからだとわかっていた。自分が京介を裏切りかけたことを。有沢の熱と甘さに引き込まれかけて、それこそが自分を憩わせ安らがせてくれるのではないかと、疲れ切った心で考えて揺らいだ。
 留まったのは電話だったからだ。
 進まなかったのは夜中だったからだ。
 もし会っていたら、昼間だったら。
 美並は本当に踏みとどまれただろうか、真崎を責めたほど揺らがずに戻ってこれただろうか。
「……ひどいやつだなあ」
 溜め息をつき、ゆっくりとコーヒーをブラックで淹れた。
 パジャマのままベッドにもたれて座り、カップを両手で包み、香り高い湯気を吸い込み、静かに呼吸しながら目を閉じる。
 辛くて切ない夢だった。
 結論を覚えていないのは、自分への処罰のつもりだろうか。
 おかげで心がまだ迷子で不安定で揺れたままだ。脆くて今にも崩れそうに感じる。
 こくん。
 沸き立てて喉を焼くほど熱く淹れたコーヒーは容赦なく舌を責めて、思わずちょっと舌を出して冷やす、その仕草にいつかの真崎を思い出した。
 キスが欲しいよ?
 ことばなしで誘う媚態、真崎の第二の天性は周囲を容易く振り回す。
 では第一の天性は? 
 思い出したのは美しい刃物、まっすぐに突き立ち、蒼みを帯びた輝きで人の魂を奪い取る。
 本当に真崎が『自分』を取り戻したなら、その見事さは今の比じゃないはずだ。もっと多くの人を、もっと様々な人を魅きつけ呼び寄せるだろう、その圧倒的な凄みの前に。
「綺麗、なんだよね」
 今はまだ、美並にしか見えていないあの刃物が現れたとき、美並の存在は押し寄せる人々の間で幻のように消し去られてしまうのだろう。
 そういう相手を選ばなくてもいいじゃないか、もう充分に傷ついたし、戦ってきたのだし。
 もっと穏やかで熱くて甘い相手の腕で、望まれて惚れられて慈しまれて生きてもいいはずだ。
 有沢は自分の安定のために美並を選んでいる。けれどそれを狡いとは思わない。美並だってそうだ、疲れ果てる夜に互いを慰め合うなら、それはそれで不可欠な繋がりなんだろう。
「……」
 こくり。
 コーヒーは冷めてきていた。
 さっきあれほど滾っていたのに、ただ冷えた場所に置いただけで、ただこうやって温もりを受け取っただけで冷えていってしまう。そしてもう一度自ら熱を上げることはない、他から沸き立てられなければ。
 人の繋がりも似てる、と美並は思った。
 真崎との繋がりもまた。奇妙で優秀な上司、意外な内面、厳しい生き方、深いところにある必死な優しさ、一つ一つ知っていって、一つ一つに魅かれていって、けれどその一番底にあるのは何かというと、癒しようのない深い傷で。
「怯んでる?」
 自問する。
「怯むに決まってる」
 自答する。
「だってもう、これ以上傷つけたくないし」
 人の命は短い、と思う。
 有沢にせよ、いつかの老人にせよ。
 何かを失って取り戻すに、残りの時間では到底足りない、そう感じることなんていくらでもある。
 ましてや真崎の傷は、真崎そのものを砕いた深さで広がっていて、なおも今も傷つき続けている、恵子や大輔によって。庇っても、覆っても、守っても、包んでも、美並の存在ではあまりにも足りない。
 真崎が恵子を受け入れるのはそういうことではないのか?
「……足りない?」
 今、私、足りない、って言った?
 目を開く。
「私が、足りない、って?」
 そうだ、真崎は繰り返し訴えている、美並が足りない、と。
「……そ……か」
 いつの間にか、それで無意識に傷ついていたのか、と気づいた。
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