『闇を闇から』

segakiyui

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第4章

6.コーリング・ステーション(5)

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 時間だ、行くか。
 先に立って小会議室の一室へ進む源内に、一緒に行くとまずいんじゃないかと考えたが、噂を気にして振る舞うのが一層まずいのは明白、ドアを開けた相手の後から京介は部屋に入っていった。
「遅れましたかね」
「いや」
 源内の声に、既に円形に配置されている、小テーブル付きの椅子に座っていた大石が、手にしていた資料を捲りながら首を振った。
「今内容を頭に入れてるところだ」
 かっちりとした物言いに、残りの人間が慌てた様子で手元を覗き、改めて資料を読み始める。
 周囲の狼狽を気にした様子もなく平然と椅子に座っている、せせこましく作られている簡易テーブル付き椅子が、事務所の堂々たるデスクに見えてくるような動きに、大石の自信が伺えた。
 伊吹と離れてからの歳月、再会する時を思って自分を仕上げてきた男は、それまでの繊細さをかなぐり捨てるようにタフになっている。
 そこに伊吹へのあからさまな執着を感じて、京介はまた気持ちを乱す。
 本当に。
 本当に僕は伊吹さんに必要とされるんだろうか、こんなしたたかな元恋人を前にしても。
 姉思いで豊かな明、前途洋々たるハル、そして大石。
 伊吹の周囲に居る男達は誰もそれぞれ見事な資質を開いている。
 じゃあ僕は?
 僕には一体、何がある?
「ざっと紹介しておきます」
 頷いて、ホワイトボード前の椅子に腰を降ろした源内が、周囲を見渡した。席にはそれぞれ名札プレートが置かれ、大石と一つ分空けて示された椅子に京介は腰を下ろす。
「ホールイベント、岩倉産業『Brechen』の大石圭吾さん」
「よろしく」
「同じくホールイベント、桜木通販、真崎京介さん」
「よろしくお願いします」
 微笑んで会釈すると、うろたえた顔で視線をそらした男が一人、向田市立高校、地域担当、小杉通、と紹介された。すぐに失礼だと気づいた顔で目を向けてくる顔が、京介の凝視に微妙に赤らむ。年齢的には大輔より少し上か。資料で名前を確認するように急いで俯いたが、ちらちらと好奇心に満ちた視線を上げてくる。
 その隣の向田花信短大家政科助教授、大貫はるみと名乗った女性と服飾専門学校ファッションアート向田『ニット・キャンパス』委員会の小桜静も、一瞬眼を通わせて含みのある視線で源内と京介を見比べる。
 どうやらさっきの噂というやつをそれぞれ多かれ少なかれ耳にしているらしい。
 やっかいだな。
 眼を伏せて資料を読み込むふりをしながら、京介はまた胸の中で舌打ちする。
 思い込みはいろんな情報の質を変えてしまう。
 たまたま京介の発案に源内が共感したとしても、それを関係あってのものだと読み込まれては話が進まない。何より、京介の自由な発言というのは、かなり制限されてくる。何を言うにしても、噂と関わる部分を頭にいれておかなくちゃならない。
 ひょっとして、それを大輔は狙ったのか、と気づいた。
 部門も違う、この前の一件があっては手出しもできない、だからこんな間接的な妨害をしかけてきたのか。
 しかもここには伊吹がらみの大石が入っている。意識して絡むほど馬鹿な男ではないだろうが、噂がこじれて伊吹との距離が空いてしまいでもしたら、その隙に伊吹に接近されかねない。同じ部門なのだ。京介に連絡を取るためと言えば、伊吹とやりとりすることはいくらでもできる。
 石塚さんに電話応対専門になってもらおうかな。
 ちらりとそんな焦った発想さえ浮いて、京介は溜め息をついた。
 そんなこと、伊吹は納得しないだろうし、何より彼女を信じてないのかと言われるかもしれない。
 信じていないのは……伊吹を魅きつけ続けられる力がないかもしれない自分、なのだが。
「ふ、ぅ」
 漏らした息に、ぴくりと小杉が動かしていたボールペンを止めた。上目遣いに見やってくる視線が粘りつくようで、これはこれでかなり息苦しい。ひょっとすると、自覚もなくてオープンにしてはいないかもしれないが、そういう嗜好なのかもしれない、そう思ってうんざりした。
「で、鳴海工業、鳴海正三郎さん」
 源内は淡々と紹介を続けている。
「今回のイベントニットを岩倉産業と一緒にフォローして頂きます」
 あいかわらずむっつりした顔で、それでも正三郎が会釈した。
「後一人は」
「……すみません、よろしいでしょうか」
 柔らかなノックが響いて、同時に少しドアが開いた。
「押塚まりさん」
「遅れました、すみません」
 一気に部屋の中が華やいだ、そう感じるぐらいのオーラを放って、押塚は源内の後に立って頭を下げた。
「最後の一着を着せて頂きます、押塚です、みなさん、よろしくお願いいたします」
 なかなか抜け目がない。
 京介はしらっとした顔の源内を見やった。
 ホールイベントは『Brechan』と桜木通販がそれぞれのメインとするニットを、ファッションショー形式で見せ合うことになっている。
 タイトルは『Brechen』が「トクベツなわたくし」、桜木通販が「デザイナーズ」。
 前者が主要ニットの新製品を紹介するのに対して、後者は既にあるニット製品を如何に遊ぶか、そこに焦点を置くことで、それぞれのカラーが打ち出される。
 交互に舞台に出るという案もあったが、それは『Brechen』という世界を見せたいという大石の主張で却下され、前半大石、後半が京介の担当になっていた。それぞれサブに『Brechen』が志賀、「デザイナーズ」が高崎が入っている。
 押塚にしてみれば、その間ずっとホールに拘束されることになるし、今売れつつある彼女がこんな地方の小イベントに駆り出されるのを事務所もよしとするとは思えなかったが、それこそさっきの「海外のバイヤー」もターゲットにするとすれば、悪くないと判断したと見える。
 ファッションショーでは平凡な演出だが、最後にそれぞれがウエディング・ニットを披露することになっていて、それに押塚まりを出演させることになったらしい。
「今日は顔合わせということで、押塚さんには後リハーサルと本番の二回、来て頂きますが」
 源内が薄く笑った。
「一応ウエディングということで、最後のエスコート役は、大石さん、真崎さん、お二方にお願いできますか?」
「え」
「……ふむ」
 ちょっと待ってよ。
 京介は一瞬浮きかけた腰を慌てて引き戻した。
 そんな、伊吹さん以外の人と、ってか、伊吹さんより先にウエディング?
「……ご不満ですか?」
 押塚はにっこり笑って真崎を見た。
「恥ずかしい思いなんてさせませんけど」
「いえ光栄ですよ」
 するりと出てしまった同意、にこりと笑った自分にまたうんざりした。身についた計算、いろんな不利な噂がある中、ここでまた進行速度を遅らせてしまってはと無意識に自分を制御する習性は健在だ。
 伊吹さんにちゃんと説明しなくちゃ。
 ふいにそう思った。
 ちゃんと説明して、京介が望んで考えた演出じゃないとわかってもらっておかなくちゃ。
 って、なんで僕はそんなことを考えてるの?
 疑問に思ったとたん、
「よかった」
 じゃあ、こちらに座らせて頂きますね。
 押塚がさりげなく空いていた京介と大石の間の椅子に滑り込む。滑らかで洗練された動きは、スチール写真で見ていたようなぶっつけ本番的なものではない。
「あ」
 自分が何に身構えたのか理解した。
 伊吹さんに、似てる。
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