『闇を闇から』

segakiyui

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第4章

5.三人と四人(10)

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「私は、あなたを」
 もっと知りたい。
「残り三ヶ月もない時間だ」
 彼に『ニット・キャンパス』に集中させてあげて、あなたが難波孝と私の相手をする。
「ちょうどいい取引だと思いませんか」
 美並はまっすぐ相手を見返した。
「そうやってまた」
 逃げるんですね。
「っ」
 ついた吐息に頬を嬲られた、そういう顔で有沢が顔を歪めた。
「逃げる?」
「前は恋人で、今度は檜垣さん」
 相手が代わっただけでしょう?
 怯まずことばを続けることに集中する。
「圧倒的な体力差だし、うかうかこんなところに居た私が間抜けだった、これがその結果なら」
 一瞬目を閉じ、京介の顔を思い浮かべる。甘く切なげな微笑に心を緩めて、気力を奮い起こす。
「ぎりぎりまで抵抗します。最後に負けたとしても」
 無事じゃすみませんよ、あなたも、と相手を凝視した。
「真崎さんが知ったら」
 彼は傷つくでしょうねえ。
 有沢が低く唸る。
「傷つきますよね」
 自殺しちゃうかもだけどな。
「それでも…数パーセント、生きてくれる可能性はあります」
「……え?」
「でも、私があなたを抵抗もせずに受け入れたなら、それこそ京介は自分の生きている意味を失ってしまう」
「……たいした自信だ」
 それほど愛されてるってことですか。
「それとも、あなたにそこまで言わせる真崎さんが凄いってことかな」
「あなたには関係ないでしょう」
 恋人を抱え続けることもできなくて、太田さんを信じ続けることもできなくて、警察組織に染まり切ることもできなくて、残り数ヶ月の命を何に賭けるか決めることさえ他人に聞くような男に。
「真崎京介と比較できる何があるんですか」
「!」
 同じぐらい低い声で言い放った美並に、有沢が目を見開いた。赤くなり、続いて青くなり、白くなる顔が表情を失う。
「毎日毎日殺され続けるような傷を抱えて生きてる京介が、私にかけてくれている気持ちを」
 美並は滲みかけた涙を呑み込んだ。
「私は、裏切らない」
「伊吹、さん」
 わからないんですか、私はあなたをむちゃくちゃにすることができる。ここで何もかも奪うことができる。どんな汚い手段も使うことだってできる、私に未来はないんだ、もう守るものも信じるものも生きている意味ももう。
 吐き捨てた有沢が歯を食いしばって震えている。
「ならばそうやって」
 美並はなお有沢を見つめた。
「みっともなく汚く現在を使い潰して下さい」
 吐き捨てる。
「檜垣さんはさぞかし喜ぶでしょう、あなたも同類だとわかって。太田さんもあちらで両手広げて迎えてくれますよね、さすが相棒だって。あなたが見捨てた恋人も、安心するでしょう、失ってよかった相手だと」
「あなたに何が!」
 有沢が叫んだ。
「あなたに何がわかる何がわかる何が何が何が!」
 がばりとしがみつき美並を抱き竦めながら、有沢が怒鳴る。
「痛いんだ、体中全部どこもかしこもずっと限りなく痛くて薬も効かない際限がないいつまで我慢すればいいんだいつまで頑張ればいいんだいつまで俺はいつになったら俺は死ねるんだ…っ!!!!」
 叫ぶような泣き声が続いた。
「怖い怖いんだ怖くてたまらないんだどうしたらいいんだどうしたら消えるんだどうしたらここから出ていけるんだどうしたら何も感じずに何も思わずに何も考えずに眠れるんだどうしたらどうしたらどうしたら…!!」
 いきなりがたがたっと大きく震えたかと思うと、有沢は激しく唸って身を縮めた。
「うぉおあああぅ」
 すがりつくしがみつく抱き竦める、美並の体を粉々に砕こうとでもするように。そのまま震え続けながら啜り泣く有沢が、やがて次第次第に静かになっていく。
 美並はじっと車の天井を見上げていた。
 数十分、あるいは数時間たったのかもしれない。
「……は、ぁ」
 小さな吐息が耳元で漏れた。
「………伊吹さん」
「はい」
「………怖く…ないんですか…」
「……怖いですよ」
「………」
 のろのろと有沢が体を起こす。ようやく大きく息がつけて、美並が息を吐くと、有沢が深く俯いたままどさりと運転席に体を戻した。顔を覆う。
「今なら…逃げられますよ」
 呻くように呟いた。
「もう、これ以上踏み込まなくてもいい…。私と檜垣でやります」
「……『羽鳥』のことは?」
「『飯島』と『羽鳥』の関係を突き止めれば、もう少しわかってくるでしょう」
 今度は檜垣が居る。
「『飯島』を締めれば、『羽鳥』に繋がる」
 檜垣に気持ちいい死に様、見せるって約束しましたからね。
「でも、もう少し」
 付き合わせて下さい。
 美並の声に有沢がびくりとした。
「このままでは、京介を守れない」
「………あなたは結構鈍感だ」
「え?」
 くすりと笑った有沢がぐしゃぐしゃになった髪の毛をかきあげながら横目で見た。さっきよりずっと落ち着いて、しかも静かな明るい光が瞳の底にある。
「男が何を拠り所にしてるか、ご存知ない」
 命を賭けて悔いなし。
「そう思えさえすればいい」
 なぜ警官になったか応えてませんでしたよね。
「………優しい恋人や、温かな家庭より、俺には巨大な力を揮うことの方が楽しかった」
 にやりと唇を片方あげる微笑は、今までの有沢にはなかった笑みだ。
「そういう自分を正当化したかっただけですよ」
 そしてもし、真崎さんがあなたの言うような男なら。
「あなたに守られるより、あなたを守って死ぬことこそ本望」
 そういう気持ちはわかりますか?
「……それは」
 ひょっとすると、自分のしている方向は間違っている、そういうことか。
 美並が問いかけようとした矢先、有沢が片手を上げてことばを止めた。胸の携帯を取り出す。
「ああ、もうすぐ帰る……え、何…っ」
 鋭い視線を投げて有沢が美並にも聞かせるように繰り返す。
「『飯島』が死体で見つかった、んだな?」
「っっ」
 すぐ、戻る。
 有沢が頷くのに、美並も頷き返して、急いで車から降りた。
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