『闇を闇から』

segakiyui

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第3章

10.ドローゲーム(6)

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 どこが大人だ。
 京介はずるずると渡来の前で崩れそうになっていく自分に舌打ちする。
 こんな子どもに言い含められ迫られ圧倒されて。
 格好ばっかり整えたって、トレーナーとジャケットとジーンズの渡来に太刀打ちできない。身につけているどんなものも次々剥ぎとられていくような気がする。渡来の前では社会的な地位や役割など、何の意味も持たない。
 ああ、そっくり。
 思い出したのは伊吹の視線。
 何もかも暴く彼女の視線の前では虚勢も意地も幻のようなもの、素のままの自分で居るしかない。
 それが伊吹の前では快感で、渡来の前では恐ろしい、まるで荒野に裸で放り出された気がする。
 そうなのか、とふいにわかった。
 これが伊吹さんを恐れる人間が感じる気持ちなんだ、きっと。
 誰だって完璧じゃない、万能じゃない。立派でもないし、人格者でもない。 
 それでもどうにかこうにか、あれこれ後から身につけたり鍛えたり努力したりしたものを、伊吹はあっさり看破してしまう。その視線に晒されて、忘れていた自分、なかったことにしたい自分も思い出し、ひっくり返して呼び戻してしまう。
 その頼りなさ、惨めさ、残酷さを、おそらく伊吹はわかっていない。清冽で強くて厳しい嵐のように、ただひたすらに真実に辿りつくまで引き剥がされていってしまう。
 大石が避けたのはこのせいなのだ。
 伊吹の側に居ることは、惨めな自分を常に突き付けられることだと無意識に気付いたのだ。
 だからこそ、自分に足りないものを補充するために離れるしかなかった。
 伊吹の前で胸を張って、堂々と伊吹に信用してもらい愛されるように、不格好で足りない自分を満たすことしか考えられなくなったのだ。
 そしてそれはきっと京介も同じ。
 伊吹に愛されたい、その思いは同じ。
「……伊吹さんが、必要なんだ」
 零れた自分の声が驚くほど弱々しいと思った。
「僕には、彼女が、必要なんだ」
 でなければ、京介は人として生きられなくなる。
「重い」
 渡来が諭すような口調で続けた。
「きつい」
 ことばの先を京介は自分の内側で聞く。
 そうだ、誰だって、他の誰かの命を背負って生きることなんてできやしない。そんな重さに耐えられ続けるわけがない。
 渡来は渡来なりに、伊吹のことを心配して大切にして、京介の重みで伊吹が潰されてしまいそうだと案じて行動を起こしたのだ。
「別れろ」
 京介が気付いたのを察したのだろう、渡来はあっさり結論した。
「……嫌」
「美並は?」
 苦しんでも、いいのか。
 続かない声が京介を糾弾する。
 お前を背負って笑うことも忘れて重荷に耐えてこの先ずっと歩かせる気か。
「………嫌だ」
 伊吹が苦しんでいいはずがない。けれど苦しめない自信はない。それだけ京介が成長すればいい。けれど、そこまで成長しきれる自信がない。
「それでも………………嫌なんだ、美並と離れるのは」
 それぐらいなら。
 言い淀む京介に小さく溜め息をついて、渡来はくるりと身を翻した。
「渡来くん?」
「ハル」
「ハル、くん?」
「待つ」
「え?」
「『ニット・キャンパス』」
「『ニット・キャンパス』?」
「返事」
「……同じだよ、今のと」
「待つ」
 ひょいと渡来は肩越しに視線を投げて立ち止まる。
「違う、返事」
「…無理」
「できる」
 くす、と渡来は眼を細めた。
「デート」
「っ」
 それって伊吹さんと約束したやつだよね? それで伊吹さんの気持ちを変えてみせるって言ってるの?
「止める?」
 挑戦的な笑み。
「…止めない」
 意地が半分、後は伊吹も同意したのを思い出したからそう答えると、渡来は肩を竦めて背中を向けた。
「馬鹿」
 用は済んだとばかりに遠ざかっていく後ろ姿を睨み付け、京介も眉を寄せて身を翻して歩き出す。
「馬鹿なんかじゃない、伊吹さんがそんなことで揺らぐわけないって、信じてるから、だから」
 でも。
 どこへ行くとも教えず出かけた伊吹を思い出して不安になった。
 伊吹さん、ほんとに大丈夫? 夕べは僕に入らせてくれたけど、ひょっとしてひょっとしたら。
「あれで逆に見捨てられた、とか」
 京介一人舞い上がっていた気もするし。
「……よし」
 思いついたことにまた向きを変える。
「先手必勝」
 無意識に呟いて、結局そこまでしなきゃ勝てないかもってことだよね、と舌打ちしながら、京介は脚を速めた。
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