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第6章『青い聖戦』(3)
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スライはサヨコの重く沈んだ瞳から、振り切るように目を逸らせて管理室に入った。
書類が散乱したデスクの上、クルドがうつ伏せに倒れ込んでいる。
「クルド!」
スライの声に、クルドは唸って体を起こした。
「あつ」
呻いて体を竦め、そろそろと後頭部を触る。側にいたアイラがすぐに状態を確かめる。
「大丈夫、骨には問題がないみたいだけど」
「ここは……あ、あいつは!」
クルドはぼんやりと回りを見回し、とたんに大声を上げて顔をしかめた。
「あいつ? 襲った奴を見たのか?」
スライは念入りに室内を調べながら尋ねた。
クルドは後頭部に当てた手を前へ回し、自分でも出血を確かめていたが、のろのろとした動作で首を振った。
「いや…資料に集中していたからな……気がついた時には殴られていた。ただ、かなりの力だったから、たぶん相手は男だろう」
「そうか」
スライは机の上に散らばった書類を丁寧にかき集めた。
「夕食の時間だったから、いなかった人間はすぐに割り出せるな」
「無理だと思うわ」
アイラが首を振った。
「というと?」
スライが目を上げると、
「わたしとサヨコも食事に行ったんだけど、急に調理器が故障したそうよ。1度に数人ずつしか食べられないということで、みんな、ばらばらに食べて部屋に戻っていたわ。今でも、数人が食べているはずよ」
アイラが溜め息まじりにいった。
「スライ……彼女は…」
ようやく元通りの思考スピードが取り戻せたらしいクルドが眉をひそめる。
スライは思わず皮肉っぽい笑い方になった。
「連邦警察だそうだ」
「連邦警察?」
クルドはアイラをゆっくりと眺めた。
「要請が通っていたのか?」
「違う。どうやら、もっとややこしいことになっているみたいだな」
「ややこしいこと?」
「それより…」
スライはクルドの混乱を無視して、再び書類に目を落とした。
「どのあたりまで調べたか覚えてるか?」
「ああ、おおよそは……だが、詳しいデータとなると……え、待て、書類が盗まれているのか?」
「その通り。だが、わからんな。書類を盗んだところで、情報はコンピューターに…待てよ」
スライは慌ただしく管理室の端末を操作した。
「やっぱり」
「どうしたの?」
「外部からの『来客』データが取り出せなくなってる」
わけのわからない顔のアイラに、スライは説明し直した。
「調理器が故障したんじゃない、客のデータが取り出せなくなって、調理ができなくなったんだ。情報を封鎖されている」
「じゃあ、タカダについては、直接本人にあたるしかないのね?」
スライはうなずいた。
「計画的なものだな」
「だが、それはおかしいぞ、スライ」
クルドがどうにもわからないという口調で割って入る。
「おれ達がタカダを調べようと考えついたのは、ついさっきのことだ。それも、あんた個人の発想で、おれはすぐに動いている。それを知っている奴がいたとは…」
「だから、違うんだ、クルド」
(狙われたのはサヨコ……標的になったのは……命の危機にあるのは……サヨコだ……俺はサヨコを……失うかもしれない……?)
スライは這い上がってくる不安を必死に払い落とした。
「計画されたのはサヨコの『草』の盗難で、あんたが襲われたのは偶然だったんだ」
我ながら声が沈んでいる、と思った。聞いたクルドもぎょっとした顔になって、部屋の隅に陽炎のように立つサヨコを振り向く。
「サヨコの『草』が盗まれた?」
「そう」
これも十二分に殺気立っているアイラが続ける。
「おまけに、サヨコは今夜の分をまだ飲んでないの」
「待ってくれ、殴られたせいか? おれには何がなんだか…」
「安心しろ、俺もだ。だから」
スライは管理室のロックを二重にした。万が一、ステーションで暴動などが起こって、緊急退避しなくてはならなくなったときのものだ。
心得て、アイラがもう1度部屋の中を見回る。盗聴器を探しているのだろう。すぐに体を起こし首を振った。
「時間があるうちに、物事をはっきりさせておきたい。いいだろう、アイラ・ブロック刑事?」
スライは腰を下ろした。サヨコとアイラ、クルドも改めて座り直す。
「いい案ね。じゃあ、まず、わたしの任務から」
アイラは金髪をはねあげた。
「サヨコにはおおよそのことは話したのだけど。今回、わたしがここに派遣された任務は3つあります。1つはサヨコの保護、もう1つはモリの死の原因調査。でも、この2つとも、最後の任務に深く関わっています」
アイラはことさら静かな口調で付け加えた。
「『第二の草』の存在です」
「『第二の草』?」
スライが眉をしかめた。
「手短に話します、サヨコの時間がありませんから」
アイラの冷たいことばに、スライは思わずサヨコを見た。
だが、サヨコは依然、何事かを深く考え込んでいる様子で、おざなりに頷いただけだ。瞳はいつもより黒々と光を吸い込み、そこには感情が読み取れない。
その姿は、スライに、いつか向き合っていたモリの姿を思い起こさせた。
(いったい、何を考えているのかわからなくて、そうだ、俺は苛ついていた)
自分に敵意を持っているのを巧みに隠しているようにさえ感じていた。
「今から数年前」
スライの気持ちにはお構いなく、アイラが淡々と話し始める。
「スペースプレーンの事故が起こりました。搭乗者にはシゲウラ博士をはじめとする高名な学者が多く、事故原因が整備不良だとされた後も、ある種のテロではなかったのかという噂が囁かれました。結論から言えば、あれは事故ではなく、シゲウラ博士を中心とする科学者グループを狙ったテロ、です」
サヨコはやはり反応を見せない。アイラから既に聞かされていたらしい。
「主犯と見られているのは、『青い聖戦』を名乗るテロリストグループですが、彼らはまた非常に熱狂的な『GN』支持者でもあります」
ぴくりとクルドの顔がひきつった。厳しい表情で凍りつく。
(クルド?)
スライは相手の珍しい表情に戸惑った。殺気、それに近い不安定な顔だ。
対照的に、アイラは穏やかとも言えるほど、抑えた口調で話し続けた。
「構成メンバーは『GN』ばかりで、『GN』による宇宙支配を絶対正義と信じています。詳しい経過は省きますが、それ以前から、連邦警察は、『草』が密かに連邦以外で作られていることを掴んでいました。ただ、決め手がなくて……特捜部は設けられたのですが、ほとんど機能していなかったのです。そこへ、シゲウラ博士から協力するとの申し入れがありました。彼と彼の友人の科学者グループに、『第二の草』の研究をするように依頼があったというのです。彼は、表向きはそれを受けるふりをして、その実、連邦警察に情報を流してくれることになっていました」
アイラは一瞬ことばを切った。それから一息に、
「自分に万が一のことがあった場合、残された子ども、サヨコ・J・ミツカワの身の安全を保障するという条件をつけて」
スライはサヨコを見た。頬がわずかに紅潮しているほかは静かな表情だった。だが、スライは、サヨコの瞳の奥に、カージュの側に座っていたときのような、強く明るく燃える炎が再び灯され始めたのに気づいた。
「『第二の草』は、連邦管理下で動きが制限されている『草』を自分達の手でつくりだし、それによって自分達に必要な人間に供給することで巨大な支配力を持とうとする意図で、研究開発が進められました。『第二の草』が大々的に流通するようになったが最後、『草』を中心として動いている宇宙開発は混乱に叩き込まれます。それを回避するのが本来のわたし達の目的でした。けれども、シゲウラ博士は『第二の草』が自分達以外の研究者でも開発されているというメッセージを最後に、テロにあわれたのです」
「つまり…?」
スライは噛みしめるように、
「『第二の草』は、もう、できている…」
アイラは頷いた。
「おそらく。そして流通もし始めていると思われます。この『第二の草』には、2つの特徴があります。1つは習慣性が高いこと。通常の『草』より血中に保持できる濃度が低く、同程度の効果を得るためには、かなり多量に必要とするのです」
スライの頭の中をカージュの件が過った。
(もし、カージュが渡されていたのが『第二の草』だったとしたら 辻褄があう…)
だが、誰が、いったい何のために渡したのか?
アイラは話が聞き手に与える衝撃を充分考慮したように、残りの言葉を丁寧に紡いだ。
「もう1つは、『草』特有の匂いがないこと」
「それが…」
どういうことになる、と言いかけて、スライは閃いた考えに目を見開いた。
「『草』の服用がわからない…ってことか」
「そう、『GN』なのか、『CN』なのか、すぐにはわからない」
アイラはうっとうしそうに同意した。
宇宙空間に出ることを夢見ている者にとって、それはすばらしい福音だったに違いない。
『GN』と『CN』は、能力上では差別されていないとは言え、万が一の発作を考えて、公的機関の宇宙滞在スタッフには『CN』が選ばれることが多い。今までは『草』を服用する限り、特有の匂いがあるのでごまかすことはできなかったが、『第二の草』を使えば、『GN』であるとの情報を操作するだけで、宇宙に出られる。
宇宙へ向かって未来が開かれているこの時代に、宇宙に出るだけの素質を持っているという証明、『CN』であるということは成功への大きな因子になっている。
アイラはちらりとサヨコを見た。
「少し前に、宙港で、急に『宇宙不適応症候群』を起こした人間がいました。サヨコが治療を依頼された者です。公表されていないけど、彼も『第二の草』の服用者だった可能性があります」
アイラの口調にスライはあるニュアンスを嗅ぎ取った。ゆっくりと確認する。
「そして、モリも、ということか?」
アイラは正面からスライを見つめた。
「そう、モリも」
大きな目がゆっくりと殺気を帯びて細められた。
「もし、モリが本当は『GN』で、『第二の草』を服用していたのなら、誰かがここへ『第二の草』を運んでいたはずです。それに、スライ、あなたが噛んでいない、とは決められなかった」
「は…ん…『第二の草』の密輸に関わっている、と見られていたのか。だから、内密に入り込んだ」
「カナンとの癒着も気になりました」
アイラはきらきらする茶色の目で婉然と笑って見せた。
「あなたはカナンと揉めているように見えるけど、それが本当なのかはわからない。人間はとても複雑な嘘をつくものだから」
苦笑いして、スライは答えた。
「それがどうして、疑いを解いた?」
「サヨコが…あなたは、モリの死に責任を感じているようだ、と判断したので」
スライはぎくりとした。
サヨコが一瞬スライの方を見る。そのつややかな黒い目に見つめられて、みるみる体中の血液が顔に昇ってくるような気がした。
(サヨコは俺のことを考えてくれていた)
自分を迫害する人間達としてではなく、モリの死に傷つき苦しむ一人の人間として。スライでさえ認めなかった、深い心の痛みをカージュと同じように見つめて手を差し伸べてくれていたのだ。
(サヨコが俺のことを)
日系人だとか『GN』だとかのことばが、スライの中に沸き上がった激しい喜びにかき消される。圧倒的な幸福感にめまいを感じて、それでも微笑みかけたスライは次の瞬間、同じぐらい素早くそれらがどこかに奪い去られていくのを感じた。
(なのに、俺は)
サヨコがスライを憎んでいるんじゃないかと恐れ、サヨコにモリのことを責められているように思い、自分の気持ちを守るためにサヨコを攻撃してしまった、彼女が生まれてもいないときのことまで持ち出して。
(俺は、サヨコを、傷つけた)
気づいた瞬間、顔に昇った血が全身に散らばり手足の先から外へ流れ出してしまったような喪失感を感じた。
(地球にいた『CN』じゃない、俺が……俺自身の弱さから、サヨコを傷つけた……とても、ひどく)
気づかないうちに、サヨコの手は確かにスライに伸ばされて、その瞳はスライを見つめていたのに、スライはそれに気づかなかった。気づかないまま、サヨコの傷を踏みにじった。
(取り返しの……つかないことをした、んだ)
スライは茫然とした。
自分の傷を知りながら踏みにじってくる男の何をサヨコが必要とするだろう。サヨコがどれほど深い思いやりと哀れみを持っていたとしても、それが加わった気持ちは既に対等なものではない。自分の傍らに寄り添う相手として見てくれるのではない。それは……患者か、もしくは、何かの手当てが必要な存在として、だ。
(俺は……サヨコの側に……居られない?)
スライは軽い吐き気を感じた。サヨコに見られているのが耐えられなくなって、目を逸らせる。それでも、サヨコの視線が体に突き刺さるようで、スライは胸が苦しくなった。
(失った……? 俺はもう、サヨコを失った、のか……?)
「じゃあ、誰が、だな」
それまで黙り込んでいたクルドが、何事かを思い悩みながらとも取れる、低く沈んだ声で言った。
「それに、どうやって、だ」
スライは必死に意識を問題に引き戻した。
「加えるならば、なぜ、です」
アイラが追加した。
「なぜ、ここに運び込む必要があったのか。もしばれれば、これほど逃げにくい場所はないでしょう。1週間から数カ月おきにしか、外部との出入りはないし」
「だが、タカダはここへ何度か来ている」
クルドはぽつりと口を挟んだ。
「毎回少しずつ顔を変えて、な。タカダだと思われる一番古い記録を見たら、名前が違っていた。ソーン・V・K・ウント。だが、おれには別の名前の方がよくわかるよ。ヴェルハラ・S・W・ウント。昔と顔があんまり変わっていて、わからなかった」
アイラがはっとした顔になるのに頷いて、クルドは続けた。
「おれの村を襲った奴ら……『CN』をかばう者への制裁だとか言ってたかな……先頭に立っていたあいつをよく覚えている」
淡々とした声だったが、クルドのいつも穏やかな瞳がちろちろと危険な色の炎を浮かべている。
「村を襲った…?」
スライの問いに、クルドは我に返ったように瞳の光を和らげた。
「ずいぶん昔のことだ…まだ、地球にいたころ。母親と父親と祖母と暮らしていたころ……小さな村だった」
クルドは溜め息をついた。重い荷物をようやく降ろす、そんな深い溜め息だ。
「そのころは、今ほどはっきり『CN』だの『GN』だの区別されてなかったな。おれの村では、『CN』を単に『飛べる奴』と呼んでたよ。『飛べる』からってどうっていうことじゃない。ほとんどの人間が村で生まれ、村で死ぬ。同じように作物を育てて、同じように刈り入れをする。家畜の世話をし、夜には炉端でいろいろ珍しい話をしあって楽しむ。子供が生まれれば喜ぶし、年老いたものが先立つのを悲しみと敬いで見送る。あたりまえの人の暮らしをしてたんだ」
アイラが、クルドの話の先を知っていたのか、暗い目になった。
「そこへ……奴らが来た……。ある日、急に、な」
クルドは苦々しい顔になった。
「おれ達が、『GN』も『CN』も一緒に暮らして居るのは不自然だと言い出したんだ。自然の摂理に背いている、と。宇宙でも暮らせる者は宇宙で生きていけばいい。地球の少ない土地と、貴重な資源を分け与えてやる必要なんかない、と。それもそうだ、と思った馬鹿な者がいた。『CN』を疎ましがるものが出てきて、ささいなことで揉めるようになった。地球は『GN』の者だ、『CN』は出て行け、そう叫ぶようになった」
クルドは一瞬込み上げてくる激情に耐えるように唇を噛んだ。すぐに、
「おれの一家は、母親が『CN』で、父親が『GN』だった。祖母はテストを受けなかった。父親が、奴らの考え方に引かれ始めて、『CN』だとわかったおれと母親を疎み出した……そして、奴らが『地球のための聖なる戦い』だと言って、村を焼き払い、自分達のものにするのを、おれは見ていることしかできなかった」
クルドの静かな口調は激さなかった。それだけに、その傷みの深さが今のスライの胸にしみこみ、堪えた。
「人間はいったい何をやってるんだ? おれ達こそ、肌の色や生活や風習で差別されるつらさを味わってきたんじゃなかったのか。おれ達こそ、本当に大切なものは何なのか、自分達の苦しみの歴史から一つ一つ学んできたんじゃなかったのか。何かのための、ということばが、どれほど愚かで恐ろしいものか、充分に身に染みていたはずじゃなかったのか。……おれは、奴らと一緒に走り回る父親に、おれのすべてを否定された気がしたよ。それまでの生活すべて、父親と暮らしたことすべて。……だが、おれは、父親を憎みはしない……憎むべきは父親じゃない……誰の心の中にでもある、一つの誘惑だ。自分こそは特別なんだ、選ばれたものなんだ、という、意味のない言い訳だ……生きるときも死ぬときも、命は一つしか持ち合わせないのに、何を誇るんだ?」
クルドはスライを見た。
「おれは、それこそを、憎んでいる」
無言のスライに続けて、
「わかるか、スライ?」
「ああ…」
スライはようようことばを絞り出した。
「わかりたいと……思う」
今までクルドのことを何も知らずに、自分が一番悲惨な目に遭っているようにふるまっていたのが恥ずかしく、それと同じことをサヨコに押しつけたことを痛いほど理解した。
(俺は、本当は、何にもわかっていなかったんだ……クルドのことも……サヨコのことも)
何もかも、もう本当に手遅れなのだろうか。
(いや、それでも)
何かできるはずだ、何か。
スライは唇をきつく引き締めた。
(サヨコの気持ちは戻らないにしても、サヨコをこれ以上危険な目に合わせない、何かが)
クルドはスライの後悔を感じたのだろう、満足そうにうなずいた。
「タカダは警備保障会社の人間なんかじゃない……『GN』を至上存在とするテロリストの扇動者だよ」
アイラもうなずいた。
「ソーン……の方はわかりませんが、『青い聖戦』の中核的存在に、ヴェルハラ・K・ウント、もしくは、ヴェルハラ・W・ウントと呼ばれる人物がいたことが、最近になって連邦警察で確認されています」
クルドのことばを引き取るようにまとめた。
「決まりだな。今、ソーン・K・タカダと名乗ってる奴は、筋金入りのテロリストだったわけだ。だが、そのテロリストが、なぜか、カナンに身分保証されている」
スライはつぶやいた。
「やっぱり、カナン・D・ウラブロフの名前が出てきましたね。シゲウラ博士にもカナンは噛んでいます。今回のモリの死に対する対応にも、総合人事部長としては不自然なものがありました、ひょっとすると、『第二の草』を作ったのも…」
アイラが瞳の中にきつい光を宿す。
「なぜ、カナンを捕まえない?」
スライの問いに、アイラは複雑な微笑を返した。
「連邦警察内部にもカナンの息がかかっている者がいます。彼らは、カナンへの追及を望みません。スライ船長、あなたの連邦警察への要請ももみ消されています。ただ、みんながみんな、カナンの配下ということではない……とても皮肉なことですが」
アイラはサヨコを気遣うように、少し目を伏せた。
「カナンをはじめとする『GN』の宇宙進出を望まない『CN』が、今回の摘発の中心になっているのです」
「正義はどこにもないというわけだ。あるのは人間の思惑だけ、か。で……どうするつもりだ?」
スライはアイラを、続いてクルド、最後にサヨコをそっと見た。
アイラが目を上げる。
「サヨコのことがあります。まず、連邦警察に応援を求めます。カナンの掌握しているルートを通さなくてはならないので、今のままでは決め手に欠けるかも知れませんが。それから、タカダとタカダの持っている情報の確保……最悪の場合、このステーション内にもう1人、『第二の草』に関わっている者がいれば、タカダが消される恐れがあります」
「まだ、わからないことだらけだしな」
クルドは指先で顎をひねりながら言った。
「タカダ……が『第二の草』を持ち込んだにせよ、なぜ、ここに持ってくる必要があったのかがわからない。タカダがテロリストなら、なおさら顔を知られてはまずいだろうに」
「それに、その持ち込まれた『第二の草』はどうなったのか、だ」
スライは立ち上がりながら言った。
「どこかへ運ばれたのか、それとも、別の目的があったのか」
「それに、モリがそれに関わっていたならば、どういう役割だったんだ? なぜ、死ぬ必要があった? 誰が…殺したんだ?」
考え考え付け加えたクルドに、アイラが応じた。
「実は……カナンと密かに連絡を取り合っていた人物がいます。こちらが突き止められたのは、その人物が『エッグ』と呼ばれているということだけです。ここへ来るまでに乗務員を調べましたが、『エッグ』のあだな、もしくは、『E』のつく名前の者はいませんでした。でも…」
4人の胸に、ほとんど同時に1人の男の姿が浮かんだのではないか。
童話に出てくる登場人物よろしく、ころころ太っていて無害そうで、年中白衣を引っかけた男。赤い髪と青い目の丸顔で、始終上機嫌の医師、ファルプ。
「ハンプティダンプティで、エッグ、か? 笑えない冗談だな」
スライは顔をしかめた。
「だが、それでも意図がつかめない。なぜ、ファルプは『第二の草』が必要だったんだ? あいつは『CN』だぞ」
クルドが首を振りながら言った。スライが眉を寄せて、
「とりあえず、今は謎解きをしている暇がない。サヨコは『草』を飲んでないんだ。アイラの連絡がつき次第、サヨコは連邦警察の船で、緊急用の『草』を投与してもらって地球へ降りる。証拠固めはその間にタカダを捕まえて吐かせる」
(どんなことをしても)
自分の声が冷えてぴりぴりしているのがわかる。
「まだ、カナンにはこっちが気づいたことを知られない方がいいだろう」
「緊急用と言えば、ファルプのところに『草』の予備があったんじゃないか?」
はっとしたようにクルドが言った。虚を突かれ、スライは振り向いた。自分がそんなことも思い出せないほどうろたえていたのに、今さらながら気がついた。
「ああ、そういえば……だが、カージュやサヨコの初めの発作で使っているから、あまり残っていないかもしれない」
「だが、あるかもしれない」
クルドは目を輝かせた。
「どうだろう、あんたとアイラはタカダを捕まえる。だが、それをファルプに邪魔されると困る。おれとサヨコが医務室へ出掛けて、サヨコの『草』が盗まれたことを話してファルプに『草』をもらう。そうすれば、あんた達の動きから、ファルプの目を逸らせられ…」「いや、それはまずい」
スライは遮るように口走ってしまった。
「誰がサヨコの『草』を盗んだのかはわかっていないが、意図は2つ考えられる。1つはサヨコへの脅し、もう1つはサヨコに『草』を求める行動を起こさせることだ。このステーションで、個人のもの以外の『草』は医務室にしかない。医務室はファルプの手の内にある。サヨコを医務室へ連れて行けば……それこそ、向こうの手に乗ることになる」
ぞく、と無意識に体が震える。
(このうえ、サヨコを危険に晒す、だと?)
一瞬アイラが妙な表情でスライを見たが、それを無視して首を振る。
「危険すぎる」
「わたし…」
黙っていたサヨコが、ふいに口を開いた。
「わたし……クルドの意見に賛成です。ファルプが本当に敵だとはまだ思えない。それに、クルドの頭の傷も診てもらったほうがいいと思います。クルドの診察と手当の間に、わたし、モリのことを調べたいんです。医務室の端末なら、何か違う情報が入っているかもしれない」
スライは瞬間、喉を締めつけられたような気がして、ことばが出なかった。
さすがに、同じくぎょっとしたらしいアイラが、
「そんな、あなた」「いや、サヨコ、それは」
クルドも口を合わせてやめさせようとするのに、サヨコは2人をじっと見た。黒く深い瞳が、視線に気圧されたように黙り込むアイラとクルドから、ゆるやかにスライに目を移す。
意志をたたえてたじろがない瞳、まるで自分の進む道がまっすぐ見えているような、それをひたすらに見つめるような。
揺さぶられ続けたスライの心が、その瞳に吸い込まれ呑み込まれていく。
(ああ、この目だ)
スライは思わず微笑んだ。一番手に入れたかったものが何なのか、ようやくわかった気がした次の瞬間、サヨコは頷いてぽつりと宣言した。
「わたし、まだ、地球へ戻りません」
書類が散乱したデスクの上、クルドがうつ伏せに倒れ込んでいる。
「クルド!」
スライの声に、クルドは唸って体を起こした。
「あつ」
呻いて体を竦め、そろそろと後頭部を触る。側にいたアイラがすぐに状態を確かめる。
「大丈夫、骨には問題がないみたいだけど」
「ここは……あ、あいつは!」
クルドはぼんやりと回りを見回し、とたんに大声を上げて顔をしかめた。
「あいつ? 襲った奴を見たのか?」
スライは念入りに室内を調べながら尋ねた。
クルドは後頭部に当てた手を前へ回し、自分でも出血を確かめていたが、のろのろとした動作で首を振った。
「いや…資料に集中していたからな……気がついた時には殴られていた。ただ、かなりの力だったから、たぶん相手は男だろう」
「そうか」
スライは机の上に散らばった書類を丁寧にかき集めた。
「夕食の時間だったから、いなかった人間はすぐに割り出せるな」
「無理だと思うわ」
アイラが首を振った。
「というと?」
スライが目を上げると、
「わたしとサヨコも食事に行ったんだけど、急に調理器が故障したそうよ。1度に数人ずつしか食べられないということで、みんな、ばらばらに食べて部屋に戻っていたわ。今でも、数人が食べているはずよ」
アイラが溜め息まじりにいった。
「スライ……彼女は…」
ようやく元通りの思考スピードが取り戻せたらしいクルドが眉をひそめる。
スライは思わず皮肉っぽい笑い方になった。
「連邦警察だそうだ」
「連邦警察?」
クルドはアイラをゆっくりと眺めた。
「要請が通っていたのか?」
「違う。どうやら、もっとややこしいことになっているみたいだな」
「ややこしいこと?」
「それより…」
スライはクルドの混乱を無視して、再び書類に目を落とした。
「どのあたりまで調べたか覚えてるか?」
「ああ、おおよそは……だが、詳しいデータとなると……え、待て、書類が盗まれているのか?」
「その通り。だが、わからんな。書類を盗んだところで、情報はコンピューターに…待てよ」
スライは慌ただしく管理室の端末を操作した。
「やっぱり」
「どうしたの?」
「外部からの『来客』データが取り出せなくなってる」
わけのわからない顔のアイラに、スライは説明し直した。
「調理器が故障したんじゃない、客のデータが取り出せなくなって、調理ができなくなったんだ。情報を封鎖されている」
「じゃあ、タカダについては、直接本人にあたるしかないのね?」
スライはうなずいた。
「計画的なものだな」
「だが、それはおかしいぞ、スライ」
クルドがどうにもわからないという口調で割って入る。
「おれ達がタカダを調べようと考えついたのは、ついさっきのことだ。それも、あんた個人の発想で、おれはすぐに動いている。それを知っている奴がいたとは…」
「だから、違うんだ、クルド」
(狙われたのはサヨコ……標的になったのは……命の危機にあるのは……サヨコだ……俺はサヨコを……失うかもしれない……?)
スライは這い上がってくる不安を必死に払い落とした。
「計画されたのはサヨコの『草』の盗難で、あんたが襲われたのは偶然だったんだ」
我ながら声が沈んでいる、と思った。聞いたクルドもぎょっとした顔になって、部屋の隅に陽炎のように立つサヨコを振り向く。
「サヨコの『草』が盗まれた?」
「そう」
これも十二分に殺気立っているアイラが続ける。
「おまけに、サヨコは今夜の分をまだ飲んでないの」
「待ってくれ、殴られたせいか? おれには何がなんだか…」
「安心しろ、俺もだ。だから」
スライは管理室のロックを二重にした。万が一、ステーションで暴動などが起こって、緊急退避しなくてはならなくなったときのものだ。
心得て、アイラがもう1度部屋の中を見回る。盗聴器を探しているのだろう。すぐに体を起こし首を振った。
「時間があるうちに、物事をはっきりさせておきたい。いいだろう、アイラ・ブロック刑事?」
スライは腰を下ろした。サヨコとアイラ、クルドも改めて座り直す。
「いい案ね。じゃあ、まず、わたしの任務から」
アイラは金髪をはねあげた。
「サヨコにはおおよそのことは話したのだけど。今回、わたしがここに派遣された任務は3つあります。1つはサヨコの保護、もう1つはモリの死の原因調査。でも、この2つとも、最後の任務に深く関わっています」
アイラはことさら静かな口調で付け加えた。
「『第二の草』の存在です」
「『第二の草』?」
スライが眉をしかめた。
「手短に話します、サヨコの時間がありませんから」
アイラの冷たいことばに、スライは思わずサヨコを見た。
だが、サヨコは依然、何事かを深く考え込んでいる様子で、おざなりに頷いただけだ。瞳はいつもより黒々と光を吸い込み、そこには感情が読み取れない。
その姿は、スライに、いつか向き合っていたモリの姿を思い起こさせた。
(いったい、何を考えているのかわからなくて、そうだ、俺は苛ついていた)
自分に敵意を持っているのを巧みに隠しているようにさえ感じていた。
「今から数年前」
スライの気持ちにはお構いなく、アイラが淡々と話し始める。
「スペースプレーンの事故が起こりました。搭乗者にはシゲウラ博士をはじめとする高名な学者が多く、事故原因が整備不良だとされた後も、ある種のテロではなかったのかという噂が囁かれました。結論から言えば、あれは事故ではなく、シゲウラ博士を中心とする科学者グループを狙ったテロ、です」
サヨコはやはり反応を見せない。アイラから既に聞かされていたらしい。
「主犯と見られているのは、『青い聖戦』を名乗るテロリストグループですが、彼らはまた非常に熱狂的な『GN』支持者でもあります」
ぴくりとクルドの顔がひきつった。厳しい表情で凍りつく。
(クルド?)
スライは相手の珍しい表情に戸惑った。殺気、それに近い不安定な顔だ。
対照的に、アイラは穏やかとも言えるほど、抑えた口調で話し続けた。
「構成メンバーは『GN』ばかりで、『GN』による宇宙支配を絶対正義と信じています。詳しい経過は省きますが、それ以前から、連邦警察は、『草』が密かに連邦以外で作られていることを掴んでいました。ただ、決め手がなくて……特捜部は設けられたのですが、ほとんど機能していなかったのです。そこへ、シゲウラ博士から協力するとの申し入れがありました。彼と彼の友人の科学者グループに、『第二の草』の研究をするように依頼があったというのです。彼は、表向きはそれを受けるふりをして、その実、連邦警察に情報を流してくれることになっていました」
アイラは一瞬ことばを切った。それから一息に、
「自分に万が一のことがあった場合、残された子ども、サヨコ・J・ミツカワの身の安全を保障するという条件をつけて」
スライはサヨコを見た。頬がわずかに紅潮しているほかは静かな表情だった。だが、スライは、サヨコの瞳の奥に、カージュの側に座っていたときのような、強く明るく燃える炎が再び灯され始めたのに気づいた。
「『第二の草』は、連邦管理下で動きが制限されている『草』を自分達の手でつくりだし、それによって自分達に必要な人間に供給することで巨大な支配力を持とうとする意図で、研究開発が進められました。『第二の草』が大々的に流通するようになったが最後、『草』を中心として動いている宇宙開発は混乱に叩き込まれます。それを回避するのが本来のわたし達の目的でした。けれども、シゲウラ博士は『第二の草』が自分達以外の研究者でも開発されているというメッセージを最後に、テロにあわれたのです」
「つまり…?」
スライは噛みしめるように、
「『第二の草』は、もう、できている…」
アイラは頷いた。
「おそらく。そして流通もし始めていると思われます。この『第二の草』には、2つの特徴があります。1つは習慣性が高いこと。通常の『草』より血中に保持できる濃度が低く、同程度の効果を得るためには、かなり多量に必要とするのです」
スライの頭の中をカージュの件が過った。
(もし、カージュが渡されていたのが『第二の草』だったとしたら 辻褄があう…)
だが、誰が、いったい何のために渡したのか?
アイラは話が聞き手に与える衝撃を充分考慮したように、残りの言葉を丁寧に紡いだ。
「もう1つは、『草』特有の匂いがないこと」
「それが…」
どういうことになる、と言いかけて、スライは閃いた考えに目を見開いた。
「『草』の服用がわからない…ってことか」
「そう、『GN』なのか、『CN』なのか、すぐにはわからない」
アイラはうっとうしそうに同意した。
宇宙空間に出ることを夢見ている者にとって、それはすばらしい福音だったに違いない。
『GN』と『CN』は、能力上では差別されていないとは言え、万が一の発作を考えて、公的機関の宇宙滞在スタッフには『CN』が選ばれることが多い。今までは『草』を服用する限り、特有の匂いがあるのでごまかすことはできなかったが、『第二の草』を使えば、『GN』であるとの情報を操作するだけで、宇宙に出られる。
宇宙へ向かって未来が開かれているこの時代に、宇宙に出るだけの素質を持っているという証明、『CN』であるということは成功への大きな因子になっている。
アイラはちらりとサヨコを見た。
「少し前に、宙港で、急に『宇宙不適応症候群』を起こした人間がいました。サヨコが治療を依頼された者です。公表されていないけど、彼も『第二の草』の服用者だった可能性があります」
アイラの口調にスライはあるニュアンスを嗅ぎ取った。ゆっくりと確認する。
「そして、モリも、ということか?」
アイラは正面からスライを見つめた。
「そう、モリも」
大きな目がゆっくりと殺気を帯びて細められた。
「もし、モリが本当は『GN』で、『第二の草』を服用していたのなら、誰かがここへ『第二の草』を運んでいたはずです。それに、スライ、あなたが噛んでいない、とは決められなかった」
「は…ん…『第二の草』の密輸に関わっている、と見られていたのか。だから、内密に入り込んだ」
「カナンとの癒着も気になりました」
アイラはきらきらする茶色の目で婉然と笑って見せた。
「あなたはカナンと揉めているように見えるけど、それが本当なのかはわからない。人間はとても複雑な嘘をつくものだから」
苦笑いして、スライは答えた。
「それがどうして、疑いを解いた?」
「サヨコが…あなたは、モリの死に責任を感じているようだ、と判断したので」
スライはぎくりとした。
サヨコが一瞬スライの方を見る。そのつややかな黒い目に見つめられて、みるみる体中の血液が顔に昇ってくるような気がした。
(サヨコは俺のことを考えてくれていた)
自分を迫害する人間達としてではなく、モリの死に傷つき苦しむ一人の人間として。スライでさえ認めなかった、深い心の痛みをカージュと同じように見つめて手を差し伸べてくれていたのだ。
(サヨコが俺のことを)
日系人だとか『GN』だとかのことばが、スライの中に沸き上がった激しい喜びにかき消される。圧倒的な幸福感にめまいを感じて、それでも微笑みかけたスライは次の瞬間、同じぐらい素早くそれらがどこかに奪い去られていくのを感じた。
(なのに、俺は)
サヨコがスライを憎んでいるんじゃないかと恐れ、サヨコにモリのことを責められているように思い、自分の気持ちを守るためにサヨコを攻撃してしまった、彼女が生まれてもいないときのことまで持ち出して。
(俺は、サヨコを、傷つけた)
気づいた瞬間、顔に昇った血が全身に散らばり手足の先から外へ流れ出してしまったような喪失感を感じた。
(地球にいた『CN』じゃない、俺が……俺自身の弱さから、サヨコを傷つけた……とても、ひどく)
気づかないうちに、サヨコの手は確かにスライに伸ばされて、その瞳はスライを見つめていたのに、スライはそれに気づかなかった。気づかないまま、サヨコの傷を踏みにじった。
(取り返しの……つかないことをした、んだ)
スライは茫然とした。
自分の傷を知りながら踏みにじってくる男の何をサヨコが必要とするだろう。サヨコがどれほど深い思いやりと哀れみを持っていたとしても、それが加わった気持ちは既に対等なものではない。自分の傍らに寄り添う相手として見てくれるのではない。それは……患者か、もしくは、何かの手当てが必要な存在として、だ。
(俺は……サヨコの側に……居られない?)
スライは軽い吐き気を感じた。サヨコに見られているのが耐えられなくなって、目を逸らせる。それでも、サヨコの視線が体に突き刺さるようで、スライは胸が苦しくなった。
(失った……? 俺はもう、サヨコを失った、のか……?)
「じゃあ、誰が、だな」
それまで黙り込んでいたクルドが、何事かを思い悩みながらとも取れる、低く沈んだ声で言った。
「それに、どうやって、だ」
スライは必死に意識を問題に引き戻した。
「加えるならば、なぜ、です」
アイラが追加した。
「なぜ、ここに運び込む必要があったのか。もしばれれば、これほど逃げにくい場所はないでしょう。1週間から数カ月おきにしか、外部との出入りはないし」
「だが、タカダはここへ何度か来ている」
クルドはぽつりと口を挟んだ。
「毎回少しずつ顔を変えて、な。タカダだと思われる一番古い記録を見たら、名前が違っていた。ソーン・V・K・ウント。だが、おれには別の名前の方がよくわかるよ。ヴェルハラ・S・W・ウント。昔と顔があんまり変わっていて、わからなかった」
アイラがはっとした顔になるのに頷いて、クルドは続けた。
「おれの村を襲った奴ら……『CN』をかばう者への制裁だとか言ってたかな……先頭に立っていたあいつをよく覚えている」
淡々とした声だったが、クルドのいつも穏やかな瞳がちろちろと危険な色の炎を浮かべている。
「村を襲った…?」
スライの問いに、クルドは我に返ったように瞳の光を和らげた。
「ずいぶん昔のことだ…まだ、地球にいたころ。母親と父親と祖母と暮らしていたころ……小さな村だった」
クルドは溜め息をついた。重い荷物をようやく降ろす、そんな深い溜め息だ。
「そのころは、今ほどはっきり『CN』だの『GN』だの区別されてなかったな。おれの村では、『CN』を単に『飛べる奴』と呼んでたよ。『飛べる』からってどうっていうことじゃない。ほとんどの人間が村で生まれ、村で死ぬ。同じように作物を育てて、同じように刈り入れをする。家畜の世話をし、夜には炉端でいろいろ珍しい話をしあって楽しむ。子供が生まれれば喜ぶし、年老いたものが先立つのを悲しみと敬いで見送る。あたりまえの人の暮らしをしてたんだ」
アイラが、クルドの話の先を知っていたのか、暗い目になった。
「そこへ……奴らが来た……。ある日、急に、な」
クルドは苦々しい顔になった。
「おれ達が、『GN』も『CN』も一緒に暮らして居るのは不自然だと言い出したんだ。自然の摂理に背いている、と。宇宙でも暮らせる者は宇宙で生きていけばいい。地球の少ない土地と、貴重な資源を分け与えてやる必要なんかない、と。それもそうだ、と思った馬鹿な者がいた。『CN』を疎ましがるものが出てきて、ささいなことで揉めるようになった。地球は『GN』の者だ、『CN』は出て行け、そう叫ぶようになった」
クルドは一瞬込み上げてくる激情に耐えるように唇を噛んだ。すぐに、
「おれの一家は、母親が『CN』で、父親が『GN』だった。祖母はテストを受けなかった。父親が、奴らの考え方に引かれ始めて、『CN』だとわかったおれと母親を疎み出した……そして、奴らが『地球のための聖なる戦い』だと言って、村を焼き払い、自分達のものにするのを、おれは見ていることしかできなかった」
クルドの静かな口調は激さなかった。それだけに、その傷みの深さが今のスライの胸にしみこみ、堪えた。
「人間はいったい何をやってるんだ? おれ達こそ、肌の色や生活や風習で差別されるつらさを味わってきたんじゃなかったのか。おれ達こそ、本当に大切なものは何なのか、自分達の苦しみの歴史から一つ一つ学んできたんじゃなかったのか。何かのための、ということばが、どれほど愚かで恐ろしいものか、充分に身に染みていたはずじゃなかったのか。……おれは、奴らと一緒に走り回る父親に、おれのすべてを否定された気がしたよ。それまでの生活すべて、父親と暮らしたことすべて。……だが、おれは、父親を憎みはしない……憎むべきは父親じゃない……誰の心の中にでもある、一つの誘惑だ。自分こそは特別なんだ、選ばれたものなんだ、という、意味のない言い訳だ……生きるときも死ぬときも、命は一つしか持ち合わせないのに、何を誇るんだ?」
クルドはスライを見た。
「おれは、それこそを、憎んでいる」
無言のスライに続けて、
「わかるか、スライ?」
「ああ…」
スライはようようことばを絞り出した。
「わかりたいと……思う」
今までクルドのことを何も知らずに、自分が一番悲惨な目に遭っているようにふるまっていたのが恥ずかしく、それと同じことをサヨコに押しつけたことを痛いほど理解した。
(俺は、本当は、何にもわかっていなかったんだ……クルドのことも……サヨコのことも)
何もかも、もう本当に手遅れなのだろうか。
(いや、それでも)
何かできるはずだ、何か。
スライは唇をきつく引き締めた。
(サヨコの気持ちは戻らないにしても、サヨコをこれ以上危険な目に合わせない、何かが)
クルドはスライの後悔を感じたのだろう、満足そうにうなずいた。
「タカダは警備保障会社の人間なんかじゃない……『GN』を至上存在とするテロリストの扇動者だよ」
アイラもうなずいた。
「ソーン……の方はわかりませんが、『青い聖戦』の中核的存在に、ヴェルハラ・K・ウント、もしくは、ヴェルハラ・W・ウントと呼ばれる人物がいたことが、最近になって連邦警察で確認されています」
クルドのことばを引き取るようにまとめた。
「決まりだな。今、ソーン・K・タカダと名乗ってる奴は、筋金入りのテロリストだったわけだ。だが、そのテロリストが、なぜか、カナンに身分保証されている」
スライはつぶやいた。
「やっぱり、カナン・D・ウラブロフの名前が出てきましたね。シゲウラ博士にもカナンは噛んでいます。今回のモリの死に対する対応にも、総合人事部長としては不自然なものがありました、ひょっとすると、『第二の草』を作ったのも…」
アイラが瞳の中にきつい光を宿す。
「なぜ、カナンを捕まえない?」
スライの問いに、アイラは複雑な微笑を返した。
「連邦警察内部にもカナンの息がかかっている者がいます。彼らは、カナンへの追及を望みません。スライ船長、あなたの連邦警察への要請ももみ消されています。ただ、みんながみんな、カナンの配下ということではない……とても皮肉なことですが」
アイラはサヨコを気遣うように、少し目を伏せた。
「カナンをはじめとする『GN』の宇宙進出を望まない『CN』が、今回の摘発の中心になっているのです」
「正義はどこにもないというわけだ。あるのは人間の思惑だけ、か。で……どうするつもりだ?」
スライはアイラを、続いてクルド、最後にサヨコをそっと見た。
アイラが目を上げる。
「サヨコのことがあります。まず、連邦警察に応援を求めます。カナンの掌握しているルートを通さなくてはならないので、今のままでは決め手に欠けるかも知れませんが。それから、タカダとタカダの持っている情報の確保……最悪の場合、このステーション内にもう1人、『第二の草』に関わっている者がいれば、タカダが消される恐れがあります」
「まだ、わからないことだらけだしな」
クルドは指先で顎をひねりながら言った。
「タカダ……が『第二の草』を持ち込んだにせよ、なぜ、ここに持ってくる必要があったのかがわからない。タカダがテロリストなら、なおさら顔を知られてはまずいだろうに」
「それに、その持ち込まれた『第二の草』はどうなったのか、だ」
スライは立ち上がりながら言った。
「どこかへ運ばれたのか、それとも、別の目的があったのか」
「それに、モリがそれに関わっていたならば、どういう役割だったんだ? なぜ、死ぬ必要があった? 誰が…殺したんだ?」
考え考え付け加えたクルドに、アイラが応じた。
「実は……カナンと密かに連絡を取り合っていた人物がいます。こちらが突き止められたのは、その人物が『エッグ』と呼ばれているということだけです。ここへ来るまでに乗務員を調べましたが、『エッグ』のあだな、もしくは、『E』のつく名前の者はいませんでした。でも…」
4人の胸に、ほとんど同時に1人の男の姿が浮かんだのではないか。
童話に出てくる登場人物よろしく、ころころ太っていて無害そうで、年中白衣を引っかけた男。赤い髪と青い目の丸顔で、始終上機嫌の医師、ファルプ。
「ハンプティダンプティで、エッグ、か? 笑えない冗談だな」
スライは顔をしかめた。
「だが、それでも意図がつかめない。なぜ、ファルプは『第二の草』が必要だったんだ? あいつは『CN』だぞ」
クルドが首を振りながら言った。スライが眉を寄せて、
「とりあえず、今は謎解きをしている暇がない。サヨコは『草』を飲んでないんだ。アイラの連絡がつき次第、サヨコは連邦警察の船で、緊急用の『草』を投与してもらって地球へ降りる。証拠固めはその間にタカダを捕まえて吐かせる」
(どんなことをしても)
自分の声が冷えてぴりぴりしているのがわかる。
「まだ、カナンにはこっちが気づいたことを知られない方がいいだろう」
「緊急用と言えば、ファルプのところに『草』の予備があったんじゃないか?」
はっとしたようにクルドが言った。虚を突かれ、スライは振り向いた。自分がそんなことも思い出せないほどうろたえていたのに、今さらながら気がついた。
「ああ、そういえば……だが、カージュやサヨコの初めの発作で使っているから、あまり残っていないかもしれない」
「だが、あるかもしれない」
クルドは目を輝かせた。
「どうだろう、あんたとアイラはタカダを捕まえる。だが、それをファルプに邪魔されると困る。おれとサヨコが医務室へ出掛けて、サヨコの『草』が盗まれたことを話してファルプに『草』をもらう。そうすれば、あんた達の動きから、ファルプの目を逸らせられ…」「いや、それはまずい」
スライは遮るように口走ってしまった。
「誰がサヨコの『草』を盗んだのかはわかっていないが、意図は2つ考えられる。1つはサヨコへの脅し、もう1つはサヨコに『草』を求める行動を起こさせることだ。このステーションで、個人のもの以外の『草』は医務室にしかない。医務室はファルプの手の内にある。サヨコを医務室へ連れて行けば……それこそ、向こうの手に乗ることになる」
ぞく、と無意識に体が震える。
(このうえ、サヨコを危険に晒す、だと?)
一瞬アイラが妙な表情でスライを見たが、それを無視して首を振る。
「危険すぎる」
「わたし…」
黙っていたサヨコが、ふいに口を開いた。
「わたし……クルドの意見に賛成です。ファルプが本当に敵だとはまだ思えない。それに、クルドの頭の傷も診てもらったほうがいいと思います。クルドの診察と手当の間に、わたし、モリのことを調べたいんです。医務室の端末なら、何か違う情報が入っているかもしれない」
スライは瞬間、喉を締めつけられたような気がして、ことばが出なかった。
さすがに、同じくぎょっとしたらしいアイラが、
「そんな、あなた」「いや、サヨコ、それは」
クルドも口を合わせてやめさせようとするのに、サヨコは2人をじっと見た。黒く深い瞳が、視線に気圧されたように黙り込むアイラとクルドから、ゆるやかにスライに目を移す。
意志をたたえてたじろがない瞳、まるで自分の進む道がまっすぐ見えているような、それをひたすらに見つめるような。
揺さぶられ続けたスライの心が、その瞳に吸い込まれ呑み込まれていく。
(ああ、この目だ)
スライは思わず微笑んだ。一番手に入れたかったものが何なのか、ようやくわかった気がした次の瞬間、サヨコは頷いてぽつりと宣言した。
「わたし、まだ、地球へ戻りません」
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